潜水艦隊の大本営調査は、無事とは言えないが終了。大本営と元帥閣下の鎮守府の破壊具合を確認し、
執務室の外、鎮守府一帯にまで響いた司令官の怒号は皆にも当然聞こえている。周りに人が集まってきてしまった始末だ。執務室の前には相変わらず瑞穂さんが陣取ってくれており、執務室へ入ることを押さえてくれている。
「落ち着いたかい?」
「……いえ……まだ……すみません……」
「いや、構わないよ。なぁ爺さん」
皆のいる中で泣き噦ってしまった私、朝潮。おそらく執務室前に
「あれは仕方あるまいて。理由を聞けば、誰もが納得するじゃろ」
笑顔を崩さない元帥閣下。隣の大和さんも、微笑みながら頷く。あきつ丸さんはなるべくこちらを見ないでくれていた。
私の心にはわだかまりが残っている。元凶の人間を映像越しとはいえ目の当たりにしたことで人間嫌いが悪化し、今までそんな思いをしなかった元帥閣下や南司令官にまで怒りと憎しみを向けかけ、一時、人間は滅んだ方がいいとまで考えてしまった。
そんな自分が、一番許せないのは私だ。
「私はもうダメです……おじいちゃんにまで憎しみを向けてしまいました……」
「今は大丈夫なんじゃろ? なら儂は構わんよ。孫の反抗期くらい、山ほど見ておるわい」
私が向けたのはただの反抗心ではない。全人類に向けての敵意だ。あの時、あの瞬間だけは、私は北端上陸姫の後継者として成立していた。破滅主義に片足を突っ込んでいたのだ。それが抗えない罪悪感を引き出し続けている。
「反省の色があるのなら、それだけで許せる。朝潮ちゃんはそれが出来る子じゃ。今悔やんでいないのなら、見捨てていたかもしれんのう」
「理性を持って相手の権利を踏み躙ったあの時とは違う。だから私も君を叱ることはないよ。君は充分に反省しているからね」
2人の上役に慰められ、私はますます萎縮してしまった。その言葉が2人の本心だとしても、今の言葉で気を遣わせているということを痛感する。自分のせいでこの空間を壊してしまった。
「朝潮殿、自分からの助言であります」
不意にあきつ丸さんがこちらへ。向こうへの指示が必要無くなったようで、フリーとなったからのようだ。涙目の私の目の前に立つ。
「人生山あり谷ありと言います。自分もそうでありました。朝潮殿はその谷の部分なのでしょう。」
確かに今の私は谷底に落ちたような状態。洗脳されて敵対した時よりも、イクサさんを洗脳して手駒にしてしまった時よりも、最後の変化をして仲間を傷付けた時よりも、深く深く落ちている。敵に回した数があまりにも多すぎる。あの思想は世界の敵だ。
「自分とは少し違いますが、反省したのでしたらここからは登り坂であります。もうそこまでは簡単に落ちることはございません。谷から登るのは大変でしょうが、朝潮殿ならきっと大丈夫。自分が出来たのですから、貴女も出来るのでありますよ」
あきつ丸さんにどういう経緯があるのかは知らない。が、どん底からならもうそこまで落ちることが無いと話す。
私は自分で現状を底とした。なら、ここからは上がっていくのみだ。そうするための最初の一歩は司令官が、次の一歩は元帥閣下が。そしてその次はあきつ丸さんが示してくれた。感謝してもしきれない。
「瑞穂君、扉を開けてくれたまえ」
「了解致しました」
執務室の前を陣取る瑞穂さんに指示し、扉を開ける。その途端、雪崩れ込むように人が入ってきた。その先頭は、私の泣声を聞いて過剰に反応していた問題児3人。
「姉さん、何があったの!?」
「誰に泣かされたのですか。通信の先のものですか。司令官様が怒鳴りつけた相手でしょうか」
「旦那様の泣き顔はレアですが、相手が許せませんね。何処にいるんです」
「司令官、すぐにでも出撃するわよ。姉さんを泣かせたクズは何処にいるのよ!」
いきなりしっちゃかめっちゃかである。他の人達が入りづらそうにしているのがわかる。
3人が司令官に詰め寄り、現状を吐かせようとしていた。あまり褒められるようなことではないが、私を心配しての言動。ワケを聞いてもこの態度でいてくれるかが怖いが、司令官に群がる姿は、少しだけ元気が出た。
どん底から這い上がるための道の続きは、いつもの3人が導いてくれた。心配されている。許されている。愛されている。それがわかるだけでも、私の罪はほんの少しだけ軽くなったように思える。
どん底から足が離れたような気分だ。仲間達の力で、私はどんどん引き上げられていく。自力では脱出できない底無し沼から、ついには抜け出ることが出来たように思えた。
「君達が出撃するようなことは無いから、まずは落ち着きなさい」
それを引き剥がす司令官。ちゃんと話をするからと皆を宥める。その間に私の側には瑞穂さんが来てくれて、こうなると予想していたかのようにハンカチを渡してくれた。泣き噦り酷い顔になっていたため、涙を拭きながら調子を取り戻していく。
「朝潮様、瑞穂は全て聞いておりました。瑞穂に手を差し伸べる権利があるかはわかりませんが、せめて落ち着けるまではお側に置いてくださいませ。お一人で考えたい場合でしたら、今のように門の番をさせていただきます」
「……ありがとうございます。もう少し頭を冷やそうと思います」
おそらく1人で考えてはいけない。ただでさえドツボにハマっているのは自分でも理解している。せっかくここで皆に道を示してもらえたのだ。アサとヨルがいるとしても、今私1人になってしまったら確実にまた底に落ちる。
ここで瑞穂さんが、私を見て何かに気付いた。急に額に手を当ててくる。
「……朝潮様、お身体の具合が悪いのではないでしょうか」
「身体は別に……いえ、悪くなってますね。少し身体が熱い気が」
「顔が赤いです。瑞穂はその症状を以前に見たことがあります。本日はもうお休みになられた方がよろしいかと」
指摘されたことで自分の体調が崩れてきていることに気付いた。随分久しぶりな、ストレスによる体調不良。明石さんにはストレス性高体温症と診断された私の弱さ。
ここまで身体が変化して、あの頃よりもストレスがかかることがあったが、体調不良など起こすことが無かったがために、あの症状は克服したと思っていた。むしろ今の今まで忘れていたほどだ。だが、今回のストレスはそれを超えてきたようだ。ただただストレスの許容範囲が拡がったにすぎない。自分の弱さを改めて思い知る。
『どうした朝潮。何かあったか?』
『私達にはわからないんだよね。ご主人、大丈夫?』
「……私、過剰なストレスで体調を崩したことがあるの。これはそちらに伝わらないのね」
『そうか……ちょうどいいだろう。今からでも身体を休めればいい』
自分が本当に危ないところに来ていると自覚した。少しは気を取り直せたが、先程までどん底にいたのだから、そのせいで体調が悪くなるのもわからなくはない、
私は素直に身体を休めることにする。今の状態を司令官に話し、以前の症状が出たと察してくれると、今後の話し合いには出ることなく私室で身体を休めることを許可してくれた。瑞穂さんも付き人として私のお世話をしてくれることに。
瑞穂さんと共に私室に戻ると、どっと疲れが出た。いつも生活している私の空間にいるにも関わらず、少しフラついてしまう。何だかあの時を思い出す。もう随分と前、まだアサもおらず、深海艦娘に身体を改造された直後くらいだった頃だ。
『ご主人、大丈夫?』
「あまり大丈夫じゃないわね……ちょっとスッキリしましょう」
瑞穂さんしかいないことをいいことに、その場で服を脱ぎ捨てる。中枢棲姫亜種としての姿は、服を着ることなく、局所に艤装を展開することで成立。今はこの姿でいることの方が落ち着ける。思考がより堕ちたからかもしれない。
『おいおい……まぁお前がそれでいいならいいんだが』
「今だけ、今だけよ」
服も畳まず、そのままベッドへ。横になると、起き上がれないほどに体調が悪い。
脱ぎ散らかした服は、瑞穂さんがすぐに回収してくれた。少しだけ顔が赤いように見える。さすがに瑞穂さん相手といえども、目の前で服を脱いでいったのは失敗だったか。
「お洋服は瑞穂が畳んでおきます故、ゆっくりとお休みくださいませ。瑞穂は常に朝潮様のお側を侍らせていただきます」
「ありがとうございます。少し眠らせてもらいます……」
お言葉に甘えて目を瞑ると、すぐに睡魔に襲われる。今日はほとんど何もやっていないというのに、身体が動かない。そのまま眠りの中へ。数秒もかからず、私は眠ることとなった。
目が覚めた時、外は暗かった。電探による反応を確認したところ、出撃中であった部隊は全て帰投済み。夕食が始まって少し経ったかというくらいの時間の様子。
夢の中で話をするかと思っていたが、私の体調を鑑みてそれも控えてくれたようだ。アサとヨルは何かしていたかもしれないが、少なくとも私はグッスリだった。悪夢を見るようなことがなくて助かった。見たところで2人が解決してくれるのだが。
身体を起こそうとしたものの、ガタガタでうまく動かない。先程以上に身体が重く、頭痛すら感じる。体調不良はさらに悪化していた様子。何とか身体を起こすが、支えがないと辛い。
自分では少しだけ、ほんの少しだけ希望を見出したつもりでいたが、一度体調が崩れたことで今までのものが全てのしかかってきたように思える。お風呂で回復していたとはいえ、私はそれ程までに自分を酷使していたのかもしれない。
「お目覚めですか、朝潮様」
ベッドの隣に瑞穂さんが控えていた。前回の時もそうだったが、私の体調が悪い時は常に近くにいてくれる。いつも側にはいるものの、距離感が近いのは間違いなく今。
「はい、身体は動かないし、少しボーッとしますけど」
「食欲は如何でしょうか。何か口に入れられそうでしょうか」
「お腹は空いてますね。ですが動けそうにないので、運んできてもらってもいいですか?」
「仰せのままに」
自分でやったことではあるが、今このほぼ全裸の姿のまま食事をしに向かうのはよろしくない。もう一度服を着るには面倒なくらいに身体は消耗している。
瑞穂さんは私のお願いを叶えるため、消えるように部屋から出て行った。部屋に私だけとなるが、突然暴走するようなおかしな考えには至らない。眠ったことでいろいろと考えが纏まってくれたようだ。
私と同時に目を覚ましたアサとヨルの声が頭の中で響く。
『朝潮、具合はどうだよ』
「あの時の体調不良とは違うわ。身体がダルくて動かないし、頭がボーッとする」
『その時ってどんなことがあったの?』
アサとヨルにはまだ話していなかったか。春風と扶桑姉様の大喧嘩から始まった、私の記憶障害の事件。食事を待つ間に、掻い摘んで説明する。
『なるほどな。ハルカゼとフソウ姉さんを……』
「ええ。でもすぐに何とかなったわ。あの2人も、今は仲がいいしね」
『だが、今はその時とは違うってことか』
あの時は、身体は動くが高熱が取れないという状態だった。それが今は違う。高熱も出ており、身体もあまり動かない。おそらく普通の風邪のようになっている。
私が一時的に人間を滅ぼすという考えに至ったと時のことは、しっかりと覚えている。忘却という形での強引なストレス解消はしていない。
「忘れちゃいけないことだもの。私の一番の汚点として残るわね」
『そうだな。私も忘れない。お前の罪は私の罪でもあるからな』
高熱を出してでも、このことは受け入れなくてはいけないと理解している。皆に道を示してもらい、その足掛かりは出来ているのだ。自分の罪と向き合い、これからを生きていきたい。
やはりあの時は、あんなものを見たせいで気が動転していたのだ。正気では無かった。その厄介事がもう二度と起こらないのだろうという安心感で、素直に受け入れようという気持ちが出てきた。皆のおかげで、前向きにもなれたし。
「司令官も、元帥閣下も、あきつ丸さんも、あの子達だって、私を励ましてくれたんだもの。その気持ちに応えなくちゃ」
『おう、その意気だ。落ち込むだけじゃダメだからな。二度とそんなこと思わないように行こう』
ほんの少しだけでも前向きになれた。罪悪感と自己嫌悪は今までの比にならないが、高熱で頭が回らないおかげか、少しだけ短絡思考になれたのかもしれない。
私自身が人間の滅亡を一瞬でも望んだことは、紛れもない事実だ。それを誰も責めなかった。他の鎮守府ならこうも行かないと思う。この鎮守府、加藤鎮守府だから私は生きていけるのだろう。
ゆっくりと、精神的な部分も盤石に。抗いようのないトラウマも、皆に支えてもらいながら進んでいきましょう。