ストレスによりまた体調を崩してしまった私、朝潮。一瞬だけでも自分の意思で人類の敵の思考に傾いたことが、過剰な負荷となってしまい、私はストレス性高体温症を再発症した。一眠りしたことで考え方を改め、前向きになることは出来たが、体調不良は簡単には治らない。今は私室でゆっくりさせてもらっている。
今日は添い寝を中止してもらうことにした。雪風さんは、元帥閣下の雪風さんに預かってもらう。姉妹どころか本人に預けるという艦娘特有の状況だが、その方が気心が知れているだろう。自分なのだし。
お願いしていた夕食を食べ、一段落した。身体はまだ良くならないが、気の持ち方が変わったことで頭の中は少し明るい。
「何かこざいましたらお呼び出し下さい。瑞穂はいつでも朝潮様のお側に」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいますね」
まだ頭はボーッとするし、身体は怠くて動かせない。今は甘えさせてもらおう。瑞穂さんの献身に感謝しつつ、私は一晩身体を休めることにした。
「早速ですが瑞穂さん、私が眠っている間に何があったか教えてもらえませんか。派遣部隊が戻ってきているのはわかるんですが」
「かしこまりました。瑞穂の知る限りのお話をさせていただきます」
引き止めたのは話が聞きたいというのもあったが、1人で眠るのが少し心細かったというのもある。アサとヨルがいるのはわかっているが、部屋に身体は1つだけ。他人がいるという事実が欲しかった。いつもいるはずの霞と雪風さんもいないので、部屋がとても広く感じる。
「まだ体調が優れないようですので、少しゆっくりお話しさせていただきますね」
「はい、お願いします」
私が寂しく思っていることを察してくれたのか、時間をかけてくれる。さすがとしか言えない。
そこからはゆっくりと、今まであった出来事をおしえてもらった。
派遣任務は無事終了した。『種子』が埋め込まれている者は数人いたようだが、『発芽』した者はいなかったそうだ。それは一安心。実は私達の知らない新たな洗脳方法が確立していたと言われたらお手上げだが、少なくともそんな感じはしなかったとは山城姉様の談。天龍さんも同じように言っていたらしく、その辺りは心配しなくても良さそうだ。
「漣さんが疲れ果てて帰ってきたのが印象的でした」
「初めて投薬係としての派遣ですもんね。普段やらない仕事ですから緊張もしたんでしょう」
「はい、そう仰っていました。特に『種子』が埋め込まれた者が、自分の投薬で苦痛を受けた時は辛かった、と」
手先が器用であるが故に投薬係となった漣さん。いつもの軽いノリと冗談交じりの言動で場を和ませるが、今回ばかりは緊張感で手一杯だったらしい。
「最後の最後に、二度とごめんだと捨て台詞を」
「漣さんらしいですね。でも頼まれたらまたやるんでしょう」
あの人ならまたやるだろう。同じようなことが二度も三度も起こってほしくないが。
「潜水艦隊と南提督の部隊も帰投しました。
何事もなくを強調する辺り、
鎮守府の復旧を優先させるのは正解だろう。防衛の要になるであろう鎮守府だ。大本営復旧中にまた何かされても困るだろう。それを守るためにも、まずは戦力をあの場に戻すべきだ。
「今お話しできるのはそれくらいかと。入渠中の3人は、早くて明日の朝に赤城さんが回復するかどうかというくらいらしいです」
「わかりました。ありがとうございました」
一番重傷だった武蔵さんの入渠がまだまだかかるとのこと。その入渠が終わり、何事もないようならば、いよいよ最終決戦となる。私もそれまでに体調を整え、戦いに挑みたい。
翌日。随分と身体はスッキリしていた。罪悪感に引っ張られる感覚はどうしてもあるが、昨日よりは前向きになれたと思う。人類を滅ぼそうと考えてしまった事実は覆らない。だが、今は違う。嫌いだがそこまでする必要はない。嫌いな人間は放置と無関心。この方針で暮らしていこう。今はそれどころではないのだ。
朝食の時間。何かあった時のことを考え、私のすぐ側にはいつも瑞穂さんがいてくれる。なんだかんだ一番頼れる人になりつつある。また、大潮が隣で食べていた。痛みを分かち合うために、いつでも相談に乗ってくれる。
昨日のうちに私がどうなってしまったかを皆に公表されたのだと思う。自分から話すのは辛くて難しいが、司令官の口から話してもらえたのなら問題ない。それで軽蔑されるのなら、それは私の罪だ。甘んじて受け入れる。それほどのことをしている自覚だってある。司令官や元帥閣下が許してくれたとしても、それぞれ思うところがあるはずだ。
「お姉さん、体調はどうです?」
「本調子では無いけれど、大分良くなったわ。明日には完全復帰かしら」
「よかったです。またストレスで倒れたと聞いたので心配しました」
大潮に心配されるが、やはり
「今日はゆっくりさせてもらうわ」
「それがいいです。お姉さんは何かと頑張りすぎなので」
大潮にまでこう言われてしまったら仕方あるまい。今日は頑張らない日として身体を休めようかと思う。
「でも昨日の司令官のアレはちょっと驚きました」
「ああ、うん、確かに。私は現場にいたからわからないんだけど、やっぱり鎮守府全体に響き渡っていた感じ?」
「はい。その時大潮は訓練中だったんですけど、みんなが手を止めちゃいました」
外にまで聞こえていたとは。確かにあの時、執務室前には人が詰めかけていたが、近海でも動きが止まってこちらを見ているような反応になっていた。
「あれ、なかなか見れないレアな司令官やで。ガチ怒りとか滅多にせぇへんからな」
食器を片付けようとしていた龍驤さんが教えてくれた。あんな司令官はこの鎮守府を立ち上げても2、3回しか無いことだそうだ。最古参の龍驤さんはその全てを見ている。
その全てが、こちらの艦娘を侮辱する発言をした上層部や他の司令官に向けたものだそうだ。艦娘相手にあんな姿は一度たりとも見せたことはない。
「不謹慎やけど、山城がめっちゃ悔しがっとったわ。あいつも1回しか見たことあらへんからな」
「そうそう見たいものでは無いですが」
「山城みたいな
以前までならよくわからないで済ませていたようなことだが、なんだか私も言いたいことがわかるようになった。司令官のいろいろな表情を見たい気持ちは少しわかる。怒り狂う中にも、私達に向けられた愛情が一切隠れていなかった。
なるほど、山城姉様は司令官のあの姿を見て、今の感情を持ったのか。もしかしたら、山城姉様絡みの事情で怒り狂ったのかもしれない。
「今回の件で、ガチ勢増えてん。なぁ、涼月?」
私に何か相談事でもあったのか、私の前に座っていた涼月さん。龍驤さんに突然振られてビクンと震えた後、頰を赤らめた。
え?
「朝潮さん、私の話を聞いていただきたく。同じ人間嫌いの貴女だととても話しやすくて」
朝食を食べている箸を置き、面と向かわれる。真剣な表情。今までは司令官の話題が出るだけでも嫌悪感を露わにしていたが、今は違う。
周りに大潮や龍驤さん、さらには今の言葉を聞きつけ、いろんな人がこちらに耳を向けているのがわかる。山城姉様ですらこちらに耳を傾けていることがわかった。
こんな人が集まる場所で話して大丈夫かと思ったが、覚悟を持って話し始めた。
「ご存知の通り、私は人間が嫌いです。外の人間は勿論、佐久間さんや加藤提督のことも嫌い
それはもう痛いほどわかっている。何度も見ることになった嫌悪感溢れる表情は今でも覚えている。人間という人間に対し憎しみを持っているのだから仕方が無い。司令官もその辺りは理解しており、ゆっくり時間をかけて接していければいいと思っている。
「昨日の提督の怒号……ここにいる全員を愛していると、私にも聞こえてきました。それには、既に私も含まれていることも」
「そうですね。涼月さんがこの鎮守府に配属が決まった時点で、司令官は分け隔てなく愛するでしょう。そもそも敵としても見ていませんし」
話しながらも、少しだけ表情が緩む。今までに見せたことのない表情だった。少なくとも悪意は1つも見えない。
「あれだけの悪態をついた私でも、愛してくれると言ってくれたんです。私はあれだけ嫌悪感をぶつけていたのに、そんなこと御構い無しに私を愛してくれると、そう言ってくれました」
あの時の司令官の言葉には嘘偽りのない、全方位の愛を感じた。現場にいた私もそうだし、外にいた皆もそうだろう。確かにあの時、涼月さんはあの声を聞ける位置にいた。執務室前に群がる人達の中に紛れていたはずだ。
あの時の声を聞き、涼月さんの中で何かが変わったということか。セキさんに叱責されて『良くない探し』をやめた後に、あの事件だ。あの時の司令官の本質は、ダイレクトに心に刺さったのかもしれない。
「……その、ですね。その時、とても……ドキドキしました。身体が熱くなるような……歓喜に震えるような感覚でした。初めての感覚で、その時は理解出来ませんでした」
「なるほど……だんだんわかってきましたよ」
「一晩考えました。やっと納得する答えが出ました。私は……提督に
やっぱり。そういう形で人間嫌いを克服出来るかもしれないとは。ちょっと想像出来なかった。いや、いい傾向だとは思う。嫌いな人間に対して恋心は持つことが出来ないはずだ。
「自覚した途端、提督への嫌悪感が消えたんです。話を聞いても、顔を思い出しても、負の感情が一切現れなくなったんです」
「いいことだと思いますよ」
「はい。以前に朝潮さんに言われたことを噛み締めています。好きになれる人間もいると、今実感しました」
これがキッカケで、佐久間さんに対しては嫌悪感でなく苦手意識に変化したらしい。今までずっと見てきて、佐久間さんも好きになれる人間に該当することはわかったが、これまでの悪態のせいで近付きづらいというのが本音。
これに関しては、私もお手伝いして関係の修復をしてもらおう。少し話せば佐久間さんはわかってくれるし、仲良くなれるはずだ。佐久間さんがやらかさなければ。
「良かったです! 涼月ちゃんも鎮守府に慣れたみたいで!」
「慣れた……というか、考え方が変わったというか。提督には迷惑をかけてしまいましたので、ここから挽回をしていきたいと思います」
にこやかな笑顔。やはり涼月さんもこの方がいい。嫌悪感を撒き散らすよりは、周りを明るくする笑顔がいいだろう。
深海棲艦化による人間嫌いが、恋愛感情により克服に向かうとは思わなかった。これは佐久間さんの研究に何か役に立つかもしれない。
「さて、涼月さん。この場で宣言したんですから、それはいろんな人への宣戦布告となりますがよろしいですか?」
「宣戦布告……ですか」
「司令官のことを涼月さんと同じように思っている人は、涼月さん以外にもいるということです。ねぇ、山城姉様?」
「私に振らないでくれる?」
ずっと聞き耳を立てていた山城姉様に振っておく。山城姉様が司令官のことを好いていることは、鎮守府の誰でも知っていることだ。さすがの涼月さんも、山城姉様を敵に回す恐怖は理解していた。だが、乙女の恋心はそんなことでは揺らがない。
「構いません。私は公表してもいいと思いましたから。あの提督なら、ここの全員から好意を持たれていてもおかしくないと考えています。そうじゃありませんか?」
「悪いけど、うちはあれや、近所のおっちゃんって感じが強いんよ。loveやなくてlikeって感じやな」
「大潮は司令官のことをお父さんみたいに思っているので、涼月ちゃんとは違うと思います」
私もどちらかといえば龍驤さんに近
一度完全に壊れた時、司令官の姿をヨルに作ってもらったことで元に戻れた。それが私の転機になっている。司令官と一緒にいると気持ちが落ち着くし、少しだけ鼓動が速くなるように思えた。痣の明滅も速くなる。
これがどういう感情なのか、私にはまだわからない。親愛なのか、友愛なのか、博愛なのか……恋愛なのか。だが、悪い気分ではない。司令官と一緒にいたいという気持ちも嘘ではない。
「とにかく、私は提督に振り向いていただくために頑張ろうと思います。この気持ちは本物です。人間嫌いの私が、初めて好きになれた人間ですから、簡単には諦めません」
「頑張ってください。あ、でも先に言っておきますね。誰かの邪魔をしてまで振り向かせようとは思わないように」
「わかっていますよ。ずっと観察させてもらいました。提督がそういうことを嫌う性格であることまで把握しています」
それでも諦めないと意気込んでいる。今までにない、やる気に満ち溢れた涼月さん。人間嫌いを完全に克服したわけではないが、とてもいい流れ。今の涼月さんの人間嫌いは、私と同じくらいにまでは治療出来ているだろう。
ゆっくりでいい。私も前向きに、人間嫌いを治していこう。涼月さんのようにほぼ黒の深海棲艦の状態からここまで来れたのだ。大丈夫、私も元に戻れるはずだ。
涼月は朝潮に惹かれるのではなく、加藤司令官に惹かれるという方向へ。人間嫌いは治らないかもしれませんが、少なくとも、この鎮守府でのやらかしは無くなるでしょう。