ホイール宅・居間──
「……ラチェットたち、うまくやってるかしら~?」
ソファの上で、うわの空になりながらホイールに逆エビ固めをかけるイングリット。
「いだだだだだだだだだ!!」
寝そべるホイールが悶絶しながら平手でバンバンバンとソファのシートを叩く。
ハッと我にかえったイングリットは恥じらいながらホイールの背中から降りた。
「いやだわ~私ったら~!ごめんねホイールさん~!」
イングリットはホイールの腰をマッサージしていたのだが、無意識のうちに逆エビ固めへ移行してしまうほどラチェットたちの身を案じていたのだった。
そのとき突然、カタン!とキッチンの食器棚から音がした。
食器棚の中では、ラチェットがいつも使用している【ドーン島】という文字の入ったマグカップが真ん中からパカリと割れて倒れている。
「ラチェットのマグカップが真っ二つに割れてる~!!」
不安気な表情でラチェットのマグカップを手にとるイングリット。
「なんだか不吉な予感がするわ~」
「むぅ……なんとまた、このようなときに……だが、そのマグカップはラチェットが子供の時分から使っておる物だからのう……縁起の悪い事だとばかり捉えるのは非科学的じゃ、あまり気にするなイングリットちゃん」
ホイールは何とか自力で立ち上がりながらキッチンへ移動すると、割れたマグカップを見つめた。
「こんなセンスもへったくれも無い土産物をよく何年も使っておるもんじゃと思っていたが……割れたとなると少し寂しいのう……」
「とりあえず接着剤でくっつけときましょ~か~」
イングリットがマグカップに接着剤を絞り出す。
そのとき、居間からプルルルルと電伝虫の音が聞こえてきた。
「あら~?」
「ん?ラチェットたちか?」
ホイールは居間へ移動し電伝虫の受話器をとる。
『ぶわっはっは!元気しとったかホイール!久しぶりついでに、ホイールのテーマ曲歌ってやるから聞けよ!あ、ひと~っつ人よりハゲがあるぅ~、ふたぁ~つ不思議とハゲがあるぅ~、みい~っつ右にもハゲがあ…』
ホイールはガチャリと電伝虫の受話器を置いた。
そして、ハートの海賊団の船にいるラチェットとクランク──
大ブーイングが起きている中、ラチェットは自宅のホイールに子電伝虫で連絡をしていた。
あぐらをかきながら子電伝虫の反応に耳を傾ける。
プー、プー、プーという、電伝虫の念波が弾かれている音しか聴こえてこない。
「こんなときに通話中かよジジィ!!」
舌打ちをしながら子電伝虫を鞄にしまうラチェット。
修理に必要な部品の在庫をホイールに持って来て欲しいのに連絡が取れない。
「なぁ、コイツに部品取りに行かせていいか?」
ラチェットは顔をあげると、クランクに親指を向けた。
他の騒がしいクルーとは違い、黙り込んだままでいるローの反応を伺う。
「必要なら仕方ねェ……」
ローは特に表情を崩すこと無く了承する。
彼は部屋の時計で時間を確認するような素振りを見せた後、やじうまクルーたちに道を空けられながら退室して行った。
存在感が群を抜いて違う彼が軍団のボスで間違いなさそうだ。と、ラチェットはローの背中を見ながら思った。
「クランク、物置きの棚にGR―27418783っつうコネクターの在庫がある。互換性は確認されてねェけど、アタシの見立てじゃ代用品として使えそうだから持って来い」
ラチェットがクランクに指示を出す。
「ハイ!わかったっス!……で、でも、あの、ラチェットさんは?」
クランクは再び機器に向かい始めたラチェットを見てオロオロした。
ガラの悪い男たち─しかも海賊たちに密室で囲まれているというのに、この船にひとりで残るつもりなのだろうか?いかがわしいことをされたりしないだろうか?クランクはそれが気が気では無かった。
「アタシは気になる部分があっから調整しとく。ホラ見ろよこの部分の処理、クソだぜ?こういうのが耐久年数下げて後々の故障に繋がるんだ……おーおー、このメーカーのメカニックはヘボ過ぎんだろ仕事がよ」
悪態をつきながらも、的確な指摘をしてくるラチェット。
性格は雑だが仕事に対しては神経質なくらい細かい性分だ。
機器とにらめっこしているラチェットに行動を共にして欲しいと提案したところで無駄だろう……
「…………すぐ戻るっスね!」
クランクは付き添い役のペンギンに連れられて部屋の外へ向かった。
それと共に、部屋のまわりに集まっていたクルーたちも解散して行く。
ずっと様子を伺っていられるほど暇ではないのだろう。
クランクは少しだけホッとしたが、付き添い役がペンギン帽の男であることを急に意識してしまい、今更ながらビクッとした。
部屋に残ったのはラチェットとシャチ。
「部品がねェとダメってことか?」
機器を弄るラチェットの横からシャチが口をはさむ。
「いや、ダメじゃねェけどあるに越したことはねぇって話。バラしてイチから配線繋ぎなおして、電圧が落ちねぇ様に改造も出来んだけど、それなりに時間がかかるんだよな……まぁ、最悪コネクターがダメでもアタシが絶対に何とかするからまかせろよ」
ラチェットがドンと胸を張る。
「オオッ!おまえカッコいいじゃねェか!!」
メカに向き合ってからは至極真っ当で、頼りがいさえ感じさせるラチェットをシャチは見直し始めていた。
「あ、そうだ……」
ラチェットがスッと挙手した。
「なんだ?」
首を傾げるシャチ。
立ち上がるラチェット。
「トイレ、ウンコでる」
「こんな時にウンコかよ!?いちいち言わんでいいわッ!!」
男に平然と便意を伝えてくるラチェットにシャチは幻滅した。
ラチェットは「は?」みたいな不思議そうな顔をしている。
「この状況で部外者のアタシが長時間戻ってこなかったら怪しまれんだろ?だからいちいち自己申告してやったんだぜ?」
「だからって女の口からウンコなんて聞きたくねェっつーの!!ほら来い、こっちだ!!」
シャチは気分を害しながらも親切にトイレへと案内する。
「じゃあ、クソ」
ラチェットは彼女なりに言い直した上でシャチの後を歩いて行った。
甲板に出たクランクとペンギン────
縄ばしごを降りてペンギンがボートに乗った。
続いてクランクが縄ばしごを降りる。
「ん?」
クランクは沖で何かがキラッと反射したような光を見た気がした。
目を細めて遠方を確認しながらボートに乗り込む。
「どうかしたのか?」
ペンギンが訊ねた。
「いや、なんか沖の方で………」
何かが光ったかもしれないことをクランクが伝えようとしたその時……
「敵襲!!海軍だぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
甲板の上にいたクルーたちの叫び声が聞こえてきた。
ヒュルルルと空気を切り裂く不穏な音と共に、大砲の弾が放物線を描いて飛んで来る。
ドッゴォォォォォォォン!!
弾丸は船の上を越えて、そのすぐ後ろにある岩場に当たって炸裂した。
ガラガラと崩れた岩の塊が海へ落ちて水面が荒く波立つ。
白昼夢の様な光景に、クランクは悲鳴すらあげることが出来なかった。
ペンギンは揺れるボートから縄ばしごに飛び移る。
「チッ!こんなときに海軍か!!アンタ早く入り江へ向かえ!!」
縄ばしごを掴んだペンギンが足でボートの縁をグッと押した。
「え!?ちょっと!?ラチェットさんが……」
ブラブラ揺れている縄ばしごを急いで掴もうとしたクランクだったが、ボートも船も激しい波に揺られ、後少しのところで届かない。
物凄い高さの水柱があちこちで立っている。
余波でクランクの乗ったボートがひっくり返された。
「うわあっ!」
荒波に飲まれ海中に引摺り込まれる。
「ガボガボガボッ………!!ゲホッ!ゲホ!」
水面に浮くボートへ必死にしがみついたクランクだったが、波に押されて流されて、船との距離はどんどん開いていった。
海面へ着弾し続ける激しい水音があちこちから聞こえる。
「ラ、ラ、ラチェットさぁぁぁぁーん!!!」
クランクの叫び声が掻き消されるほどの砲撃が船に向かって浴びせられているのだった。
潜水艦のトイレの中───
ラチェットは便器に座りながら突然の揺れを感じた。
……ドドーン……と、くぐもった音も聞こえた気がしたが、トイレのドアがドンドンドンドン!と、物凄い勢いで乱暴にノックされる音で掻き消された。
「オイッ!!早く出ろっ!!」
トイレの外からシャチの怒声が聞こえてくる。
「無理無理。今まさに出してんだから無理に決まってんだろ」
出ろと言われても、もはやラチェット自身にもどうしようもないくらい中途半端な状況だった。
「緊急事態だ!間に合わなくなる!!」
シャチの声は緊迫している。
どんだけトイレ入りたいんだ?と、ラチェットは思った。
「出したら出るから、ちょっとぐらい我慢しろよ!!」
せかすシャチにイラッとするラチェット。
そのとき、今までに経験したことが無い妙な感覚を全身で感じた。
気圧が変化したのか、耳の鼓膜が少しだけ圧迫される。
ゆるやかに下方向へと引っ張り込まれるような感覚に襲われながらラチェットはカラカラとトイレットペーパーを巻き取った。
シャチがドンドンと扉を叩き続けている音が突然止んだ。
「あぁ……なんてこった……もう間に合わねぇ……」
力無くシャチが呟いている声が聞こえてくる。
ラチェットは目を見開いた。
(まさか…………!!)
この状況を推測しながら便器から立ち上がる。
(アイツ、我慢出来ずにもらしたってのかよ…………!?)
ラチェットは急いで手を洗うと、鼻をつまみながらおそるおそる扉を開けた。
通路ではシャチが呆然と立ち尽くしながら青ざめていた。
「……もう遅せェよ……出ちまった………」
シャチの言葉にラチェットは衝撃を受けた。
こいつ、トイレ我慢できなかったのかよ…………
この船もういっこトイレねぇのかよ…………
トイレの順番を待てずにシャチが何かを漏らしたと思ったラチェットは彼の下半身に注目した。
白いツナギは濡れていないし汚れていない……
尿意を我慢できなかった訳では無いようだ……と、なると……
「出ちまったって……ウンコか!?」
ラチェットは盛大に後ずさりしながら聞いた。
「アホかァ!?何わけわかんねェこと言ってんだよ、このウンコ女ァ!!船がだよ!船が出ちまったんだよッ!!」
シャチが通路脇の小窓をバンッと叩いた。
「ほら見ろ!もう海の中だ………アンタ出れねーぜ」
小窓の外では仄暗い水が揺れていた。
「は?船が海の中?」
ラチェットは状況が飲み込めていない。
が、しばし、海の中で小魚の群れがササッと横切って行く様子や、ちぎれたワカメのブヨブヨした残骸が海流に捲き込まれている様子を眺めているうちに、ラチェットの顔からはどんどん血の気が引いていった。
「沈没してんじゃねぇかよォォォォ~!!」
小窓を指差すラチェットの膝がガクガク震える。
「沈没じゃねェよ!潜水したんだ!うちの船は潜水艦なんだよ」
シャチがため息をつきながら説明する。
「は?潜水艦?なんだそれ面白いな!」
ラチェットはコロッと態度を変化させた。
「なんでいきなり潜水したんだよ?クランクが戻れねーし、アタシも出れねェじゃねーかよ」
船の機能なのは理解したが、突然の潜水には納得していないラチェット。
「だから早く出ろって言ったんだよ!海軍から砲撃を受けたから緊急回避で潜水したんだ。こっちの事情で悪りぃけどアンタもう島に戻れねェかもしれねーぞ?この島に来るときは隣の島見て方向確認しながら航行できたけどよ……グランドラインの海が簡単じゃねェの知ってるよな?島のまわりだけ廻って逃げ切れりゃいいけど、海軍だってそれくらい想定して行動してくる」
シャチの説明を聞いているラチェットの顔色が再びサーッと青ざめた。
うんこをしていたという、うんこ過ぎる理由で海賊船に閉じ込められ、おまけに島に帰れないかもしれないという不幸。さらにおまけで海軍から狙われている。
今日ガレージを訪れた彼らからチッチとピッピを引き離したときに、双子たちが吐き捨てた言葉をラチェットは思い出していた。
『うんこののろいがふりかかるぞ』
エコーがかったチッチとピッピの声と、子憎たらしい顔がラチェットの脳内でグルグルと何回もリピートされる。
ラチェットは廊下にガクッと膝から崩れ落ちながら呟いた。
「う……うんこだ…………」
「したばっかりだろうがよ!!」
もうラチェットに対してウンコのイメージしか無いシャチ。
「ち、ちがう……ウンコの呪いだ……アタシはウンコに呪われた……かもしれない……」
この世の終わりのような顔をしているラチェット。
「そんな呪い聞いたことねェよ!やっぱバカだろお前!?」
バカ相手にすっかりお手上げ状態のシャチ。
ラチェットは震えの収まらない膝を抱えながらブツブツ呟き始めた。
「おまけに……ヒザ神さまにも祟られちまったかもしれねェ……太古の昔から島で祀られてる祟り神なんだ……日頃の行いが悪い人間はヒザ神さまに膝の皿を抜かれちまうんだ……今アタシは膝がガクガクで立てねェ……神なんて信じてねェし、古い言い伝えだとばかり思ってたけどアタシは膝の皿を抜かれちまった……のか?」
再び、この世の終わりのような顔をしているラチェット。
「知らねェよッ!!何だよヒザ神てのはよ!?アンタんとこの島民がおかしいのは先祖代々なのか!?」
シャチが手の施しようの無いバカを相手にしているところへ、誰かがバタバタと走っている足音が聞こえてきた。
それはペンギンだった。
ペンギンは曲がり角で進行方向を変えた瞬間、目に飛び込んできたラチェットの姿を見て立ち止まった。
「でえェェェェェ!?」
ペンギンはアゴが外れるくらい口を開けて叫んだ。
慌ててシャチの元へ駆け寄る。
「オ、オイッ!なんでコイツが乗ったままなんだよ!?外に放り出したんじゃなかったのか!?」
ペンギンは驚きながらラチェットを指差す。
「出そうとしたさ!!こいつがウンコしてたから間に合わなかったんだよッ!!」
シャチがアタマを抱えながら説明する。
「ウンコ!?キャプテンは知ってんのかよ!?」
色々とショックを隠せないペンギンが慌てる。
「いや、今から報告するとこなんだけどよ……」
項垂れながらハァ~とため息をつくシャチ。
「こいつがウンコしてたから船から降ろせなかったなんてクソみてェな理由をどんな面してキャプテンに報告すりゃいいんだ……非常用のハッチは目の前だったのにやらかしちまったなァ……」
シャチはトイレの対角線上にあるハッチを見つめた。
ラチェットがピクッと反応する。
「非常用ハッチ!?これか?」
ハッチに飛びつき、開閉用の丸ハンドルをグイグイ回そうとしているラチェット。
「やめろバカヤロォォォォーッ!!
「浸水しちまうわアホーーーッ!!」
シャチとペンギンの目が飛び出す。
「非常事態だぞ!?」
海の中だろうが外に出たいラチェット。
「テメェがこの船の非常事態だわぁーーーッ!!」
シャチとペンギンは慌ててラチェットを取り押さえる。
世はまさに大海賊時代──と、いえども類い稀に見る最低かつ不幸なロマンス・ドーンであった。