クランクのしがみついていたボートが大波を受けて転覆する。
波の影響でまともに泳ぐこともできず、クランクは海面に顔を出せたり出せなかったり、なんとか溺れないように手足をばたつかせているのが精一杯の状況だった。
「ブハッ……!!波が……ボートが……船は……」
クランクが必死の思いで海面から顔をあげると、ラチェットの乗っている黄色い船が海上から消えていた。
「ええっ……!?嘘っスよね……!?」
クランクは呆然とした。
四方八方を確認してみたが、船は跡形もなく海上から消えいてた。
船があった場所あたりに小さな渦が発生している。
「これは……!?ガボッ!……ゲボ……」
クランクはどんどん水の流れの中へ引き込まれいく。
彼は水中メガネの代わりに作業用のゴーグルを急いで装着した。
海中に沈んだクランク。
その視界に、砲弾を避けながら去って行く黄色い船がチラッと見えた。
魚が泳ぐかの様に船が海の中を進んでいる。
「!!」
息が続かなくなったクランクは水を掻き分け海面に出ると思い切り呼吸した。
「ゼハッ…!ハアッハアッ……船が海の中を……!?なんてこった、ラチェットさんが乗ってるのに!大変っス!早く……早くなんとかしないと!!」
クランクは軍艦に向かって思い切り手を振った。
「オォーーーイ!オーイッ!大変だあああっ!気づいてくれェェェ!」
しかし、クランクの声も姿も軍艦から確認するには距離が遠過ぎた。
軍艦は海中へ向かって大砲を斉射し続けている。
「砲撃をやめてくれぇぇーーっ!一般人が乗ってるっっス!!」
クランクは必死に叫んだ。
小さい頃からいつも一緒にいたラチェットが死んでしまうかもしれない………
明日もあたりまえのように一緒にいるはずだった人間が目の前から突然消えてしまう……
両親が死んだ時を思い出してゾクッとするクランク。
「うぅ……!早く何とかしないとっス……!!」
クランクはありったけの力を振り絞りながら入り江へ向かって泳いだ。
スプロケット沖の海軍艦───
「船影が消えましたァ!!」
軍艦の見張り台にいる海兵が声を張り上げる。
「同じく!!確認できませんッ!!」
見張り台とは違うポジションで望遠鏡を覗く海兵も声を張り上げる。
甲板で双眼鏡を手にした海兵の表情が険しくなった。
「…………船影確認できません!ハートの海賊団を完全に見失った模様………潜水艦は現在、海底付近を航行しているものと思われますが……引き続き追跡しますか?」
海兵は双眼鏡を顔から外すと上官の指示を仰いだ。
先程、スプロケット行きの任務を受けたタイタニック准将が腕組みをしながらそれに答える。
「ううむ………トラファルガー・ローといえば、本来なら摘み取っておきたい芽なのだが………潜水艦とは忌々しい……」
悔しそうなタイタニック准将。
「…………仕方ない。これ以上の干渉は現在の我々の任務から外れてしまう。游がせておくしかない。まさかここで死の外科医と鉢合わせるとは思わなんだ………!!口惜しいがスプロケット港へ向かう!戦闘配備このまま!警戒は怠るな!島を周回しながら港へ向かえ!」
軍艦は入り江と逆方向にあるスプロケット港へ、ゆっくりと進んで行くのだった。
ハートの海賊団・潜水艦内──
非常用ハッチを開けようと必死になっていたラチェットはシャチとペンギンに両腕をしっかりホールドされていた。
グググと力を振り絞りながら2人から逃れようとするラチェット。
「おい、さっきから胸にアンタらの腕が当たってんだけどよ」
ダメ元で拘束が緩みはしないかと、適当なことを言ってみる。
男は自分に無いものの扱いに弱いとマギーが言っていたことを思い出したのだ。
「えっ!胸ッッッ!?スマン!!」
ラチェットが予想した以上の反応でパッと手を離すシャチとペンギン。
急に身動きがとれるようになったラチェットは勢い余って通路の壁に顔面を打ち付けた。
「急に手ェ離すんじゃねェよ!痛ェだろうがッ!」
シャチとペンギンに向かって怒鳴るラチェットだったが、狼狽えているシャチとペンギンを見て心配そうな表情になった。
「なぁ、マギーが言ってたけど、女にそういう大げさな反応する奴ってドウテイ癌って病気が進行してるらしいぞ?大丈夫か?」
老人・女子供に囲まれて育ったラチェットは意味すら理解していなかったが、その辛辣な言葉は2人の胸にグサリと突き刺さった。
「ど、童貞ガン!?そんな残忍な診断うちのキャプテンだって下さねェぞ!?それにおれたちはモテねェとか女に縁がねェとかじゃなくキャプテンが天下取るまで自らを戒めてんだよ!!」
己れの信念を掲げ、言葉の暴力に打ちのめされまいとするシャチ。
「そ、そうだぞ!とりあえずアンタは部外者だから勝手なことされちゃ困る!!」
ペンギンが両手を広げてラチェットの前に立ちふさがった。
「あれ?」
ラチェットは特徴的なペンギンの帽子を見つめる。
「その帽子……クランクと一緒に出ていったヤツだよな……クランクは?」
「あぁ?アイツか?ボートには乗せたけどな……」
ペンギンが帽子を深くかぶり直しながら口ごもる。
クランクが無事に岸まで辿り着けたかどうかまでは明言できなかった。
「無事なのかよ!?」
急に血相を変えたラチェットがペンギンの胸ぐらをつかんで揺さぶった。
「悪いけどすぐ船に戻っちまったからあとのことは解らねェよ……!」
その言葉を聞いたラチェットはバッとペンギンから手を離すと、通路をダッシュしていった。
「あっ、おい!どこ行くつもりだよ!?」
ペンギンがラチェットを追いかける。
「待て!勝手な行動すんな!足速ェェェ!」
シャチもラチェットの後を追った。
一方、入り江の砂浜にやっとの思いで泳ぎついたクランク────
息を切らしながら、震える手でポケットから子電伝虫を取り出した。
「海軍に連絡……!ホイールさんにも…………」
そのとき入江の岩場の上からブォンブォンと聞き慣れた排気音が聞こえてきて止まった。
岩場に現れた2人のシルエット。
「ホイールさん軍艦よ~!ドンパチが始まってるわ~!」
「間に合わんかったか!何故2人とも子電伝虫に出んのじゃ!!」
ホイールとイングリットだった。
「ホイールさん!?イングリットちゃん!?」
クランクはまさかの2人の登場に驚きながら岩場の下まで走った。
岩場の上からクランクに気がついたホイールとイングリットが身を乗り出す。
「クランク!ずぶ濡れではないか!?」
「大変~!怪我は~!?」
「そんなことよりラチェットさんが船に乗ったまま海の中へ!!」
「何っ!?どういうことじゃ!?」
「ええええ~!?」
青ざめるホイールとイングリット。
岩場を登りきったクランクは深呼吸すると、事の経緯を話し始めた。
「修理に部品が必要になってオレが取りに行くことになったんスよ……外に出たら海軍からの攻撃にあって………ラチェットさんを乗せたまま船が海の中を泳いで逃げたんスよ!!」
クランクは地べたにヘタリ込んだ。
「海の中を……“潜水艦”じゃな……ハートの海賊団か!!」
ホイールがハッとする。
「ホイールさん知ってるの~?」
ハンカチでクランクを拭くイングリット。
クランクは子電伝虫を手にした。
「ハートの海賊団っスね、早く海軍に連絡して……」
「待て!クランク!……海軍には連絡するな……」
ホイールが沈痛な面持ちで制止する。
「えっ!?何でっスか!?せっかく海軍がいるのに救助要請しないとかあり得ないっス!!」
クランクがホイールの発言に驚く。
「今しがたガープから連絡があってな、あの軍艦はワシの所に来たんじゃ……」
ホイールは一度ガープからの通信を切ってしまったものの、その後でまた連絡を取っていたのだった。
旧友からの知らせで、慌てて動いたものの軍艦が到着する方が早かった。
「ホイールさんのとこにっスか!?もしかして持病とか余命とかの嘘がバレたんスか!?」
科学部隊への復帰を嘘で断ったホイールの肩を揺さぶるクランク。
「いや……目的はラチェットじゃ……が、どうもキナ臭い……ガープが連絡してきたのもそれを思ってのこと……ラチェットを科学研究所へ引き渡す訳にはいかん……!!」
グッと力を入れてホイールはクランクの手を掴む。
「へっ、科学研究所っスか!?」
目をしばたかせるクランク。
話が突拍子も無い方向へ進んだことに戸惑う。
「うむ……ある意味、突然のアクシデントとはいえ、一時的にこの場を離れられたのはラチェットの強運ゆえかもしれん………乗り合わせた船もな……数奇な運命よ……とりあえず、間も無く海軍が訪ねて来るだろうが、わしらが海賊に関わっていたことも、ラチェットがその船に乗っていることも、口が裂けても言ってはならんぞ、わかったか?」
海に視線を向けるホイールの口調には重々しいものがあった。
「え、でも、ラチェットさんの安否は……」
クランクの声に重なるようにプルプルプルと、地面に転がる子電伝虫から小さく頼りない音が聞こえてきた。
ハートの海賊団・潜水艦内────
修理作業の現場だった部屋に戻ったラチェットは荷物の中から子電伝虫を取り出し、クランクへ連絡をつけようとしていた。
呼び出し音を聞きながら応答を待つ。
「……おいおいマジかよ……出ねェよ……無事だよなクランク………!!」
子電伝虫の反応を待つラチェットの元へ、シャチが追いついてきた。
「ああっ!テメェどこに連絡してる!?ふざけた真似すんなよ!」
シャチがラチェットの子電伝虫を奪い取った。
「相方が無事かどうか確認してんだよ!!」
ラチェットがシャチを睨み付ける。
そのとき、シャチの手の中の子電伝虫が反応した。
『…ピ…ピッ……ガ…………』
「クランク!!」
ラチェットがシャチから子電伝虫を奪い返す。
『………ガガッ…ラチェットさんっ!?生きてるんスね!?』
子電伝虫の念波がだいぶ通じにくい距離になっているようで、音声に雑音が混じる。
「こっちの台詞だ!ばかやろうが無駄に心配させんじゃねェよ!!」
怒鳴るラチェットだったが、そこには安堵の表情が見てとれた。
『ホイールさん!イングリットちゃん!ラチェットさんから連絡が……ガガ……生きてるっス!!』
「ホイールさん?イングリットもいるのか?」
通信するラチェットの手からスッと子電伝虫が消えた。
「!?」
「随分ついてねェみてーだな、修理屋……」
ラチェットの背後からローの声がする。
バッと振り向くと、そこにはペンギンに連れられたローの姿があった。
ラチェットはローの手の中に自分の子電伝虫があることに目を見開く。
何の装置も無しに物質転移が発生したことに唖然とした。
「な……」
ラチェットが口を開きかけたとき電伝虫から雑音混じりの声がした。
『……トラファルガー・ロー……!!』
ラチェットが知らない名を呼ぶ声の主はホイールだ。
「……おれの名前を知ってたのか……海軍を呼んだのはアンタってわけじゃなさそうだけどな……」
ローが電伝虫に向かって口を開く。
『もちろんじゃ!そなたの名前は、乗る船が潜水艦と聞いて……ガ……しかしあの軍艦はワシらの所へやってきた……もっと早く伝えてやれたら良かったのだが……死傷者はおらぬか!?』
「……ああ、うちに損害はねェけど……それより自分のとこの孫を心配したほうがいいんじゃねーか?」
ローがラチェットをチラリと見る。
ラチェットは口に何かを閉じこめているような怪訝な表情でローの足の先からアタマの上まで舐め回すように観察して、物質転移が発生した理由を解明しようとしている。
ラチェットをローから引き剥がそうとするシャチとペンギン。
『うむ…そなたに頼みがある!孫を……ラチェットを海軍から匿ってやってくれんか!!』
懇願するようなホイールの声が聴こえてきた。
ローを観察していたラチェットだったが、あり得ないホイールの頼みごとにガバッと顔をあげた。
「海軍から匿う!?どういうことだよホイールさん!?」
ラチェットはローの横から電伝虫に向かって叫ぶ。
そんなラチェットの様子を伺うロー。
「…………こっちが海賊だと承知した上での頼みなら、だいぶ訳ありみてェだな……」
『……………北の海……ガガ……トラファルガーであるなら…………ガガ……………の息子……ガガッ……面影が………ガガガ………!!」
途切れ途切れに聴こえるホイールの言葉にローの表情が変化し、瞳の奥の色が一瞬揺れる。
「知ってんのか……?」
『………ラ…………を頼む……ガガッ………設計図……鍵…………ガガ……プツッ』
ホイールとの通信が途絶えた。
「…………………………」
無言で子電伝虫を見つめるロー。
部屋にもシーンとした空気が流れる。
無表情のラチェットがローの肩をトントン叩いた。
「海軍?匿う?アタシ?」
ラチェットは自分を指差す。
「……らしいな。その様子じゃアンタ自身も事情を解っちゃいねェみてェだが……」
ローはラチェットの手に子電伝虫を返した。
シャチとペンギンがラチェットの側から後ずさる。
「海賊に匿ってもらわなきゃなんねェくらいのお訪ね者なのか!?」
「ちょ、引くなよ!!し、知らねェし!え!ええー?おい、そこのモコモコ、ホイールさんと話ししてたんだからフォローしろよ!」
モコモコした帽子のローにすがるラチェット。
「……さぁな……」
他の事に思案を巡らせている様子のロー。
「す……すげぇ曖昧に返されて不信感しかねェ……」
シャチとペンギンがヒソヒソ囁き合う。
「何も知らねェし心当たりもねェんだよ!一番ビビってんのはアタシなんだ!バーカ!なんだこの不幸のオンパレードは!?やっぱりウンコの呪い…」
そのときバタバタと足音を響かせながら部屋にひとりのクルーが駆け込んで来た。
「た、大変です!キャプテン!!」
部屋に入って来たクルーが慌てている。
「どうしたホグ!?」
シャチとペンギンがクルーの名を呼ぶ。
「ゴッツの容態が急変した!!呼吸がものすごく荒くて、ドロドロした血も吐いたんだ!!全身も土みたいな色どころか、ドス黒くなってきた!!キャプテン早く、早く来て下さい!!」
ホグと呼ばれたクルーが息をきらせながら言った。
空気が一瞬で緊迫したものになったのは、空気の読めないラチェットでも感じることができた。
「キャプテン………!?」
シャチとペンギンがローの反応を見つめる。
「…………今夜が山になるかもしれねェ……」
心なしか厳しい表情を浮かべるロー。
クルーに連れられて部屋を出て行く。
「今夜が山だ……?」
ラチェットがポツリと呟いた。
ペンギンが拳をギュッと握り締めている。
「思ってた以上に進行が早えェじゃねェか……」
「そんな……マジかよ……」
言葉を詰まらせながら唇をグッと噛みしめているシャチ。
そんな2人の横からラチェットが動いた。
ラチェットは工具を手にする。
手早く機器から基盤の一部を外した。
「ア、アンタ……」
シャチとペンギンが顔付きの変わったラチェットを見つめる。
「受けた仕事に意味が無くなっちまったら、こっちは海賊船に乗り損なんだよ……」
基盤を床に置いたラチェットは拡大スコープを右目に装着させた。