けど、そんなのは間違っている。
わたしは絶対に幸せになる。
哀離〜タイトル詐欺という悪徳〜
「フッ…確かに美しい。
この俺にふさわしい美しさだ!」
その男の顔を見た瞬間わたしは…『オレ』は、思い出した。
かつて生きてきた世界と、当時の自分のことを。
そして今いるこの世界が、その人生で子供の頃に読んでいた、漫画の世界だったという事に、それと同時に気がついた。
いや待て。だが何故こいつがここにいる。
『オレ』の記憶が確かなら、『わたし』の前に現れるのは、この男ではない筈だ。
☆☆☆
漫画『北斗の拳』は、戦争によって荒廃した暴力が支配する世界で、一子相伝の暗殺拳・北斗神拳の継承者であるケンシロウが、関わる人々を救っていく物語である。
まあ後半以降からはほぼ身内の戦いとなっていくがそれはさておき。
暴力が支配する世界が舞台であるこの物語で、力無き者は当然のように蹂躙される。
女たちの存在など言わずもがな。
平和な世界ならば幸福をもたらすであろう美貌も、この世界では不幸しか呼ばない。
美しい女は捕らえられ穢され、獣のような男たちの所有物とされる。
時には物品の代わりに売り買いが行われて、所有する男が入れ替わるものの、その扱いは変わらない。
所有者の気分次第で命を落とすことさえ珍しくないのだ。
そんなこの物語に、ユダという敵キャラが登場する。
南斗六星、南斗紅鶴拳の使い手。
裏切りと知略を司る妖星を宿命に持ち、南斗六星拳を崩壊に導く男。
そして、主人公ケンシロウとの友情を育みながらそれ故にその宿敵ラオウに命の期限を切られた同じ南斗六星のレイの、最後の敵となる男。
そのレイが最後に愛した女性であるマミヤの、心と身体に消えない傷を与える男。
この時代の女にとっては忌まわしい『美』に執着するナルシストである彼だが、心から美しいと感じたこの男女の前に敗北を喫し、『自分より強く美しい』と認めたレイの胸でその命を終える。
…といったこれらは、物語の通りに進めば、恐らくは未来に起こりうる事態である。
先述したマミヤという女性は、男勝りな女戦士という役柄として登場する。
その彼女はレイやケンシロウと出会う以前、やはりこの時代の美女の宿命として、男の所有物として一度捕らえられており、その経験が彼女を戦いの道へと進ませるのだが、その彼女を捕らえた男こそがユダだった。
その過去が彼女を死の運命へと導き、その運命からはレイの献身と愛により免れる事となる。
…そして、今『わたし』の前に現れた男こそが、そのユダなわけなのだが。
つまり、ユダが捕らえにくる女性は、物語の通りならば『マミヤ』でなければならない。
間違っても
『アイリ』じゃない。
☆☆☆
一応、アイリという女性についても説明しておこう。
物語での彼女は、この時代の美女の不幸を体現する存在である。
結婚を間近に控えた幸せの絶頂の時期に、アイリはそこから叩き落される。
攫われ、穢され、売り飛ばされて、転々と所有者が変わる中で、抗えない運命に翻弄される事に疲れ果て絶望した彼女は、目に薬を浴びて世界から己が光と心を閉ざす。
だがずっと彼女を探していた兄がとある野盗一味の恨みを買った事で、彼に対する人質として探し出され、その結果として兄のもとに戻ると同時に、兄と行動していた主人公ケンシロウの手で、その目にも光を取り戻す流れなのだが、その彼女の兄というのが、先述したレイなのである。
そして彼女を攫った男というのが、実は主人公ケンシロウの兄の一人、ジャギだ。
レイとアイリの両親はその時に殺されていたが、物語では婚約者の行方については語られない。
恐らくはやはりジャギに殺されたか、そうでなければ己の命を惜しんで婚約者であるアイリを見捨てて逃げたのだろうが、どちらにしろ、彼女を守る事はできなかったという事だ。
だがしかしこれはあくまで『北斗の拳』という漫画の中で描かれている『アイリ』だ。
今ここで前世の記憶が蘇って混乱している『アイリ』はまだ14歳、婚約者どころかまだ彼氏すらいない。
更に漫画のアイリは無抵抗で従順、運命に流されて生きる無力な女性(それでも途中から戦うことを知る)だった筈だが、今の『わたし』の趣味は鍛錬、特技は乗馬。
バイクや車の運転もお手の物だ。
まだ幼い時分に、7歳離れた兄に護身術を教えてもらってからすっかり身体を動かす事が好きになって、教えたのは自分のくせに兄が『おまえのおてんばにも困ったものだな』と苦笑いするようになったのはいつからだったか。
多分今、村でわたしに勝てる男は、もう兄くらいしかいないだろうという程度には、わたしは強くなったと思っている。
超絶美少女(自称)であるにもかかわらず喪女街道をひたすら突き進んでいる理由は、今の今まで思い出しもしなかったが、前世が格闘漫画好きの(享年)42歳児だった事が性格と行動に影響した結果なのだろう。
けどそれでも、それは村の中だけの話。
兄を含め、達人レベルの技を持つ男たちに敵わないことは、充分に理解できているわけで。
少なくとも今ここでわたしに顎クイしている、真っ赤な髪のド派手な化粧をした男に、わたし程度の腕で勝てるはずがない。
てゆーかなんで『アイリ』なんだよ!
漫画の世界に転生って、普通はチート満載の強キャラになるのが常識だろ!
この後男達の慰みものとなって、一度視力を失って、そこから救い出された後、たった一人の兄を失う?
そんな人生が待ってるとか酷い!
せっかく前世ならハァハァペロペロな美少女に生まれてきたのに、それ故に幸せになれないとか酷すぎる!
美しさの代償なんて言葉で納得できるのは、ブスと前世の『オレ』並のキモオタだけだよドチクショウ!!
…ぜえはあぜえはあ。
いやとりあえず落ち着け『わたし』。
「…待って!
抵抗はしませんから両親に手は出さないで!!」
とりあえず、娘を離せとこちらに詰め寄ってくる両親を手で制すると同時に、両親に向かって伸ばそうとした彼の手を、しがみつくようにして抑えて訴える。
漫画と状況が違うとはいえ、これはマミヤの場合を参考にしていい事態だろう。
抵抗したが最後、背中から開きにされて人生終了だ。
そんな終わりを現世の両親に迎えさせたくない。
「…いいだろう」
一見清楚で大人しそうな美少女が、自分の目を真っ直ぐに見返してそう告げた事にいくらか驚いたのだろう、ユダはあっさりと腕を下げた。
これでいい。
この男は美しい女を集めて侍らせるのを好むが、どれほど美しくとも人形のように従順な女に心を動かされる事は実はない。
そんな女でいては、肌に傷ひとつついた瞬間に捨てられ、部下達に下げ渡された挙句、死ぬまで犯されるのがオチだ。
彼が真に美しいと思い心を動かされるのは『強く美しい』者。
芯に強いものを秘めたマミヤ然り、最後の生命の灯火を光り輝かせて彼と戦い勝利したレイ然り。
レイに対してはその嫉妬や憎しみは、己自身消化しきれない恋慕に似た感情の、明らかな裏返しだったではないか。
「…ありがとうございます。
どうか質問をお許しください。
あなた様は、先ごろ南斗紅鶴拳を正式に継承なされた、ユダ様でいらっしゃいますね?」
とりあえず両親には家の中で控えているよう指示して、わたしはその男と向き合った。
客として扱うなら家の中に招いて茶くらい出すべきなのだろうが、この訪問はそんな穏やかなものではない。
下手に出てはつけ上がらせるだけだ。
それにもう少ししたら兄が帰ってくる。
ならば、兄がわたし達を見つけやすい外にいた方が何かと都合がいいだろう。
わたしが原作通りの弱っちい、怯えるだけしか出来ない女であったならば、そのまま連れ去られているのだろうが、そうでないと判ればこの男は、わたしの話くらいは聞くはずだ。
「フッ、知っていたか。その通りだ」
原作登場時に比べると確実に若い綺麗な顔が、わたしに向かってニヤリと不敵に笑う。
幼い頃から超イケメンの兄がそばにいたわたしにとっては、見惚れるほどの代物ではないが。
「ではわたしが、同じく南斗水鳥拳を継承した、レイの妹であるということは御存知でしたか?」
そのレイの名を出した瞬間、その頬に緊張が走ったのをわたしは見逃さなかった。
だがユダはそれを隠そうとしてか、先ほどよりも口角を上げて、形だけの笑みを深くする。
「勿論知っている、アイリ。
だからこそ、おまえを手に入れようとここに来たのだ」
わたしが原作通りの『アイリ』であったなら、掌中の珠の如く大事に守られていただろう『アイリ』の存在を、ユダが知る事はなかったろう。
だがアクティブに動き回っていた今のわたしは、兄の修業仲間や友人には大概顔を知られている。
わたしの事は、何度も兄を訪ねて行った南斗の修業場で見かけていたのだろう。
多分、修業中のレイの技に見惚れた己を恥じ、レイに憎しみを抱いた出来事の、今は直後あたり。
妹のわたしを奪い取る事は、彼にとってはその意趣返しという意図に違いない。だが。
「まあ…!
そんな情熱的な告白を受けたのは初めてですわ。
不束者ですが、喜んでお受け致します。
では慣例通り、交際期間を1年、婚約期間を1年設けた形にして、結婚式はわたしが16歳となる2年後という事でよろしいでしょうか?」
その程度の浅い考えなど遠くのお空に飛ばす勢いで、わたしは爆弾を投下した。
恥ずかしげに頬に手を当てるフリをして軽く揉み、白い肌に薄っすらと血の気を帯びさせる。
そうして少しだけ困ったように微笑めば、そこにいるのは突然のプロポーズに戸惑いながらも、嬉しげに頬を染める可憐な美少女の姿だ。
「え……結婚?いやちょっと待て、それは」
違う、と言おうとするユダの言葉を遮り、今度は悲しげに目を潤ませてその顔を見上げる。
「…違いますの?
まさか14歳の小娘を愛人に据えようとか、そんな鬼畜な事を仰るおつもりではないのでしょう?
そんな事をすれば世間からロリコンの謗りを受けて、社会的に人生終了のお知らせですわよ?
それにそんな事は、絶対に兄が許しません。
兄の前でそんな事一言でも仰ったら、その瞬間にあなた、兄の手で三枚おろしにされましてよ?」
ユダがマミヤを連れ去ったのは彼女が二十歳となったその日だった筈。
つまり、ユダは決してロリコンではない。
そんな言いがかりをつけられるのは本意ではない筈だ。
それに…
「…けれど正式に婚約が成されたとなれば、その兄とて文句のあろうはずがありません。
むしろ兄として友として、あなた様を遇する筈。
なりたくありません?
レイの『
ユダがレイに憎しみを抱くのは、叶わぬ相手に心を奪われてしまったが故。
だがその想う相手に、形は違っても大切なものとして認識される事が叶う。
身を焦がすほど激しい恋を胸に秘めた者が、その誘惑に、はたして抗し切れるだろうか?
「アイリ!俺と結婚してくれ!!」
わたしの悪魔の囁きを耳にしたユダは、わたしの手を取ると、それを己が胸に引き寄せて、言った。
「はい、ユダ様!!」
こうして婚約は成された。
目の前に現れた男と、思い出した前世の知識。
そこから導き出される、己の運命。
それらを考え合わせた結果、わたしは短い時間の中で決断した。
この機を逃せば、
そうして巡り合ったケンシロウとの友情が、ひいてはその死を運命付ける事になる。
つまり
何年後かは知らないが、その時婚約している筈の男は、ジャギの手から
そもそも見も知らぬそんな弱い男に操を立てる気などない。
ならば、男の所有物として生きる結果が同じだとしても、この男の方が306倍マシだ。
だからその手を取った。
この世界では、美しい女はそれだけで不幸を宿命づけられる。
だがそんなのは間違っている。
せっかく超絶美少女として生まれ変わったのだ。
わたしは、絶対に幸せになってやる。
☆☆☆
さすがは裏切りの星と呼ばれる妖星の宿命を持つ男だった。
レイに義弟として可愛がられる為に、ユダはきっとわたしを最低限でも大事にしてくれるだろうというわたしの目論見は、意外な形で裏切られた。
「アイリ…意志の強さを表すように光り輝くおまえの瞳は、ダイヤモンドより美しい宝石だ。
いや、おまえの存在こそが至宝だ。
空に輝く太陽だ。
ああ、アイリ、俺の女神。
その瞳に俺を映してくれ」
「やめれ気色悪い!」
「ああ…その冷たい、軽蔑しきった視線がたまらない。
もっと睨んでくれ。そして罵ってくれ。
いや、いっそその足で俺を踏んでくれ」
あの性格だし、隠れMなのはわかってた。
それにユダに捨てられたら、一気に転落人生なのもわかってたから、彼がわたしに飽きないよう、その辺を軽くつついた態度で、気をひくようにしていたのは確かだ。
だが、どうやらわたしはやりすぎたらしい。
ジャギの村への襲撃も無事回避され、結婚式を挙げる頃には、ユダはレイへの淡い想いなどどこへともなく消しとばして、わたしに夢中になっていた。
そしてもはや隠す事もなくなった堂々としたドMとして、今もわたしの足元から、期待を込めた眼差しで見上げている。
「なんだ、またやってるのかユダ。
アイリは優しい子だ。あまり困らせるなよ」
「ああ、アイリは優しい。この世の天使だ。
アイリが罵るのも踏むのも、俺に対してだけだ。
その栄誉を与えられる事を、俺は誇りに思う」
「助けて兄さん!!
わたしを、主に社会的な死から!!」
わたし達のそんな様子を見て困ったような、それでいて優しい笑みをそのイケメン顔に浮かべるレイは、先日婚約が決まったばかりだ。
商人の護衛を頼まれて同行した先の村で、一目惚れをして数ヶ月かけてようやく口説き落としたという、わたしの義理の姉になる女性の名前は、マミヤというらしい。
…今のわたしは、多分
この世界で一番幸せな美女だろう。
すいませんでした。