「あああ!!りゃあ!!」
「あたあ!」
「ぐはあ!!」
「ほああ!」
「ぬおおおおっ!!」
拳王様とケンシロウの戦いは、実に真っ当な感じに行われました。
……正直、ケンシロウまであの感じだったらどうしようかと思っておりましたので、わたくし場違いにも安心いたしましたわ。
まあ、以前お話しした時のケンシロウは常識的…という概念はこの世界にはほぼほぼ無いでしょうが、よくいえば生真面目、悪くいえばアドリブきかなそうな印象を受けました。
彼はあの手の事は苦手なのかもしれませんわね。
その辺は、一見真逆のタイプである拳王様と似ていらっしゃいます。
ほんとうの兄弟ではないはずなのに、兄弟として育つと似るところも出てくるのでしょうか。
ちなみにわたくしの弟は、子供の頃は双子かってくらいわたくしとよく似ておりましたが、ある程度大きくなってからは『あ、言われてみれば確かに』程度しか似たところがなくなりました。
バランの時ほどの急成長ではなくとも(あの子はずっと栄養不足だったのが、ちょうど成長期に差し掛かったタイミングで、急に栄養状態が良くなったせいだと思いますが)、やはり男の子は大きくなると可愛くなくなるし、そもそも可愛いという言葉に喜ばなくなりますから。
ちなみに子供の頃の弟は割とイタズラ好きで、わたくしがいつもそれを嗜める立場だったのですが、大きくなってからは可愛い、綺麗と言われ続けて調子こきまくっていたわたくしを、何度となく弟が嗜めるという感じに立場が逆転しておりました。
今思い出すと黒歴史ですわね。
本当にお恥ずかしい限りですわ。
…と、そんな現実逃避的なことを考えておりましたらば、数人の兵士の方々が大きな盾のようなものを手にして、わたくしのそばに駆け寄ってらっしゃいます。
「リア殿、ここは危険です!
どうぞ、我らの後ろに避難を!!」
…ああ確かに、やつらお互いの拳でいちいち吹っ飛び、その度に身体が激突した岩壁の方が砕けて、その破片が離れて見ているわたくしの方まで降ってきますものね。
ちょっと大きいものもありますので、確かに避難した方が良さそうです。
「うぬがどれほど強大になろうとも、このラオウを倒すことはできぬ!」
そう言って繰り出す
ですがケンシロウはそれらを腕一本でいなすと、一度間合いを離して構えをとりました。
そうしてから、一般の人類としては充分に長い脚で、拳王様に向けて蹴りを放ちます。
「甘いわ!どああ!!」
拳王様はその脚を片手で受け止めてそれを払い、バランスを崩して地面に倒れ込んだケンシロウの、顔面に向けて巌のような拳を落としました。
次の瞬間。
拳王様の拳が、今この瞬間まで、確かにケンシロウが倒れていた地面を砕きます。
拳王様がその拳を引き抜いた時には、まるでその肉体ごとすり抜けたかのように、本来ならば砕けているはずのケンシロウの肉体が、全くの無傷のまま、拳王様の背後に立っていたのです。
「でえい!!」
背後を取られ動揺しつつも、拳王様も止まらずに、裏拳でケンシロウに攻撃をしますが、ケンシロウはまたも滑るように移動して、なんならその激しい闘気ごと受け流してしまわれました。
「こ…この動きは……トキ!!?」
激流を制するは静水。
それを体現するが如く、本来なら全てを押し流す奔流のような拳王様の闘気が、ケンシロウの身体をすり抜けていくのです。
北斗神拳の奥義には、戦った相手の技をコピーできるというものがあった筈です。
恐らく今はタイミング的に、既に亡くなっていらっしゃるであろうトキ様と、手合わせなどして伝授されたのか……。
「ぬく!!お、おのれ…」
ですが、全てを打ち砕く剛の拳を誇る拳王様にしてみれば、威力をこのようにして受け流される事は、その誇りを傷つけられる事に他ならないのでしょう。
それも、己を凌駕するかもしれない素質を持つと認めていた実弟ではなく、侮っていた末弟に。
「北斗剛掌波!!」
それでも拳王様は、動揺しながらも次の一手を繰り出していました。
それは直撃すれば、その闘気のみで文字通りその身を砕く筈の拳。
かつてバランと出会ったあの略奪劇、それを内部から手引きしていた大男を、物言わぬ塵と化したあの技ですもの。
ですが、そこから転じて動いたケンシロウは、拳王様に向かって無造作に歩き出したかと思うとその左脇をすり抜け、次の瞬間、拳王様の左脇腹から血が
「おほう!!こ…これは!南斗水鳥拳!!」
この脇腹のダメージはさすがの拳王様にも大きかったものか、その傷を押さえて膝をつきます。
「既にやつの肉体は二度砕けているはず…」
そうして、まるで今の状況が信じられないとでも言うようにケンシロウを見つめてから、何かに気がついたように目を瞠きました。
「無より転じて生を拾う、究極奥義・無想転生…哀しみを知る者のみがなし得るという……うぬが哀しみを背負い、北斗千八百年の中で、最強の男になったというのか。
だが万人が認めても、このラオウだけは認めん!」
言って拳王様は、その目だけで30人は殺せそうな睨みを効かせて、ケンシロウを見据えながら立ち上がります。
…どうでもいいですが先ほどからずっと、この場で拳王様しか喋ってませんわね。
と、その時、立ち上がり次の攻撃の構えをとった筈の拳王様が、次の一歩を踏み出せずにその場に固まりました。
…よく見れば、その膝が小刻みに震えています。
「それが恐怖というものだ、ラオウ!」
あ、ここにきてやっとケンシロウが喋りましたわ。
「認めぬ!!おれは北斗の長兄!
おれに後退はない!!あるのは前進勝利のみ!
無想転生など微に砕いてやるわ!」
「おれにも後退はない!
ラオウ、今こそ野望果てる時だ!!」
そうして、互いの身体から噴き出す闘気が、今にもぶつかり合うというその瞬間……
「ケ────ン!!!!」
…それはまるで、天上の調べのように美しく響く声でした。
その場の全員が反射的に、その方向を振り返ると。
風に靡く、艶やかな長い黒髪。
透き通るような白い肌。
咲きたての薔薇のように赤い唇。
すらりと伸びた長い手足と、完璧なバランスの曲線を描く嫋やかな肢体。
居城に集められた美人揃いの女官達の中にすら、これほど美しいひとはいないであろう、女神のような女性が、涙を溜めて立っているではありませんか。
「な…何故来たんだ、ユリア……!」
思わずといった感じで呟いたケンシロウの言葉で、わたくしはその方の正体を知りました。
いえ、そうかもしれないと薄々は感じておりましたが、あまりにも眩しく神々しくて直視できず、確信が持てなかったのです。
いや〜…さすがはこの世界のヒロイン。
こんなん、もはや人外の美しさやん。
などとわたくしは呆けておりましたが…
「ふ…ふはは!そうか、あの女!
よくぞこの拳王を謀ったものと思っていたが、あの時の涙どころか、言葉全てが嘘八百だったか!!
ユリアを死んだ事にして、己が身代わりになる事で隠していたとは、さすがのおれも思いもよらなんだわ!
更に、南斗軍を率いてこの拳王に楯突いておるであろうあの女が、そこまでして必死に守ろうとしているユリア!
うぬこそが、
天はやはり、このラオウを望んでいるのだ──!!!!」
…よくわからない台詞を叫んで、歓喜の表情でユリアに突進していく拳王様を、誰も止める事はできませんでした。
なんとなれば先ほど戻ってきた黒王が、すぐさま拳王様のもとに駆け寄っていって、拳王様は捕らえたユリア様を抱えたまま、軽々とその背に飛び乗ると、居城に真っ直ぐ駆けて行ってしまわれたのです。
わたくしを含め、その場に残された誰もが、その後ろ姿を呆然と見送るしかできませんでした。
☆☆☆
あの後。
我に返った兵士の皆さんに連れられ、居城に戻ったわたくしが、駆け寄ってきたザク様に告げられたのは、拳王様がお倒れになったという報告でした。
正確には居城にたどり着いた途端に、倒れるようにお休みになってしまわれたとの事です。
ケンシロウとの戦いで手傷を負っておりましたし、ユリア様を連れ去った時は、はたから見てもテンション上がりすぎてましたから、後からドッと来たのでしょうね。
問題はまだ傷の手当ても何もできていなかったとの事で、それはこれからなので、できればわたくしにも手伝って欲しいとのこと。
つか起きているうちは手当てをしても何かと文句を仰いますし、意識がないというのであれば却ってうるさくなくてやりやすいのではないかと思うのですが、まあ言わないでおきましょうか。
それはそれとして…実はわたくしにはこの瞬間、ひとつ思い出した事がございました。
確か、ユリアを奪って居城に戻ったラオウが、直前のケンシロウとの闘いの傷を負ったまま眠りについて、その手当てをユリアがした事で『羨ましい』的な発言をした部下が1人、犠牲になるシーンがあったはずです。
この居城にはいつかの厩番の男のような、なんでいるかわからない人材もそこそこ在籍しておりますが、バランが去った後に戦場での拳王様の雑用を任された、確かウサ殿という方のことを、『口数ばかり多いがろくな仕事をせぬ』と以前、拳王様がこぼしておりました。
…バランはわたくしが仕込みましたから、彼に比べたら行き届かない面が目立ってしまうのは仕方のない事でしょうけども、元々弁を弄する小者がお嫌いな事もあり、拳王様は最初から、彼を良くは思っておられぬ筈。
で、今考えるとあのウサ殿、あのシーンでラオウに本気の裏げんこつ落とされた部下にそっくりだった気がいたします。
つまり、あの場にユリア様が残されていて、手持ち無沙汰で拳王様の手当をしていたなら。
更に拳王様の寝所の支度を、その側でウサ殿が整えていたなら。
ただでさえケンシロウとの闘いでその身に恐怖を刻みつられ苛立っていた寝起きの拳王様に、あのひとが余計なことを口走って神経を逆撫でする展開になる事必至なわけです。
手当てするのがユリア様でなくわたくしならば、その光景などいつものことですし、ぶっちゃけウサ殿ができることであれば、わたくし一人で事足りますから、2人とも拳王様が目を覚まさぬうちに追い出しておきましょう。
ええ、これは人助けなのですわ。
単に空気が読めないだけのとりたてて罪のないひとが、これから理不尽な暴力に晒される事がわかっていて、見殺しにするわけにはいきませんもの。
……拳王様のお部屋にわたくしが参りますと、案の定ユリア様が、拳王様の傷の手当てをされようとしていた、まさにそのタイミングのようでした。
彼女に簡単な挨拶をしたあと、ひとまずわたくしの部屋で休んでいただくようザク様にお任せし、ただニヤニヤ見ていただけのウサ殿を部屋から追い出して、わたくしはケンシロウにつけられた拳王様の傷の手当てを、ひとりで行なったのでした。
「……リア?」
手当てがひと通り完了し、拳王様のお身体に毛布をかけようとしたところで、突然名前を呼ばれました。
「…お目覚めになられましたか、拳王様」
「これは、うぬが?」
起き上がりながら、布を貼り付けただけの脇腹に手を当てて、拳王様がわたくしに問いかけます。
一瞬、起きて大丈夫かと思いましたが、先ほど見た時、不思議なことに脇腹の、結構深いと思っていた切り傷が、もう塞がりかけていました。
いくら拳王様が化け物だとしても、前回の戦いの時に負った傷は、結構治るまでに時間がかかったのに。
「……はい。
ほかの方々も手伝いを申し出られましたが、わたくしの一存でお断りいたしました」
ユリア様が手当てしようとしていた事は、言わずにおいた方がいいでしょう。
心惹かれた女の情けは屈辱であるという、よくわからない怒りポイントがある筈ですものこの方。
「…拳王様の弱っているところなど、見ていいのはわたくしだけだと……今だけは、自惚れたかったのですわ」
ふと、自嘲的な言葉が思いがけず口から出て、そんな自分自身に驚きます。
拳王様は溜息をひとつ
「…まだ、おれに捨てられると思っているのか?」
「ユリア様…かねてから想いを寄せられていた方なのでしょう?
手に入れた今、代わりはもう要らない筈ですわね?」
「まだわかっておらぬようだな。
おれは、うぬを代わりとして扱った事などないわ」
うそつき。口から出ようとしたその言葉を、危ういところで押し留めていると、拳王様の頭が、いつも通りわたくしの膝に乗ってきます。
「…手放さぬと言ったであろう。
誰が来ようが、うぬはこれまで通りおれの女だ」
呆れたことを平気で口にする拳王様に、わたくしも溜息混じりに答えました。
「……欲張りでいらっしゃるのですね、拳王様は」
☆☆☆
「…拳王様、これからどうなさるおつもりですか」
「これから、か…。
まずは、この肉体に生じた恐怖を拭い去らねば……」
「そんな事ではございませぬ!
リア殿のことを、この先どうなされるおつもりですか!」
「…リア?どうするとは、どういう事だ」
「ユリア様というあの方は、確かに美しい女性です。
ええ、奪ってでも手に入れたくなる、そのお気持ちも、男としてよくわかります。ですが!」
「これまであれほど献身的に、拳王様に尽くしてきたリア殿をあっさり捨ててまで、拳王様が得なければならぬお方であるとも、我らにはどうしても思えぬのです!」
「聞けば、あのユリア様の世話を、リア殿にお命じになったとか!
それは、身も心も捧げ尽くしてくれた
「拳王様が要らぬのであれば私にください!
一生かけて幸せにします!!」
「……最後何かおかしな事言ったやつがおるがそれはさておき。
リア本人だけでなくなぜ貴様らまで、おれがあやつを捨てる前提で話をしておる」
「………は?え?で、ではなぜユリア様を…」
「無論、ユリアが天を握った男にふさわしい女だからだ」
「で、でも、それではリア殿は」
「うぬらの言う通りリアもまた、おれにとっては得難き女よ。
ユリアを手に入れたとて、おれはリアを手放す気はない」
「ええぇ〜〜………?」
「ウッヒョヒョ、両手に花じゃないですか拳王様。
このウサもあやかりたいもんですな」
「貴様は黙ってろ!」
「ぷぎゃ!」
…上層部でそんな会話がなされていたなどとわたくしが知るよしもなく、けれどユリア様を居城に迎え入れて以来、幹部の皆様や他の女官さん、はては一般兵士の方々の、拳王様に対する視線がやけに冷たくなった事だけは、朧げながらわたくしにも感じ取れておりました。
あとウサ殿は、拳王様ではなく幹部の皆様からの袋叩きにあったそうですわ。
変えられない運命ってあるものですのね。