真・そして私の覇業への道〜1
私の涙ながらの嘘八百を信じたラオウにより、拳王軍が退却していき、もう戻ってはこないであろう場所まで小さくなった背を見送った時、急に膝の力が抜けた。
地面に
そのまま私を抱きかかえたシンと顔を見合わせると、途端に渇いた笑いがこみ上げた。
それがそのまま、なにかしゃっくりのような嗚咽のような、よくわからない声になる。
臓腑を押し潰すような気迫と、今の今まで真正面で対峙していたところから解き放たれ、私は少し感情の動きがおかしくなっていたらしい。
笑いたいのか泣き出したいのか、それとも叫びたいのか暴れ出したいのか、自分でもまったくわからないまま、私はシンの首筋にしがみついた。
…瞬間、自分が震えているのがわかった。
ああそうか。私は恐怖していたのだ。
シンはそんな私を一度抱え直すと、自ずと近くなった耳元に、息を吐くように囁いた。
「よくやったな。【マツリ】」
…それは久しぶりにシンの口から聞いた己の名前だった。
・・・
「……シン、ちゃん」
「…いい、立ち上がるな。
こんな時くらい、おれに甘えろ」
『KING』の居城内の、私とシンの寝室で、私の世話をしようとする女官を追い出したシンは、ベッドに座らせた私の靴を脱がせながら、こちらを見上げて微笑んだ。
「…マツリ。なにか、欲しいものはないか?」
「ん?」
唐突に問われた言葉の意味を、一瞬理解できなかった私は、反射的に問い返す。
普段は目にしない、見下ろす角度のシンが、何故だか新鮮に私の目に映って、もう慣れた筈なのに一瞬ドキリとした。
「今、おれはおまえを、滅茶苦茶に甘やかしたい。
おまえは怒るかもしれんが…何というか、惚れ直した。
あのラオウを前に一歩も退かず、嘘八百並べて追い返しておきながら、直後に腰抜かしてる今のおまえが、おれは愛おしくてたまらんのだ。
なんでもいい、強請れ。
どんなものも、おれの力の及ぶ限り手に入れてやる。
愛している、マツリ。
おれの最愛、おれの女王。
…言ったろう?
おれは、惚れた女には尽くすタイプだと」
…欲しいものと言われても。
私たちが『KING』を立ち上げて周囲の街や村を取り込み、またエネルギーの有り余っている野生のヒャッハーを取り込んで有能な労働力としたことで、巨大な街となった『サザンクロス』は、シンが私を女王と仰ぐ、私のための街だった。
シンは最初は物語の通り、武力だけで組織を大きくしようとしており、街を作ると決めた時も、近隣から攫ってきた住民を、取り込んだヒャッハーに管理させて労働力にするつもりだったらしい。
『おまえの為だ』という言葉であくまでも押し通そうとするシンに対して、この時はさすがに私も怒り、『ユリア』として彼と共に出奔して以来、初めての大喧嘩に発展した…いやその話は今はいいが、結局は前述した通りの運営をすることで、『サザンクロス』は人やモノが安全に行き来する街となって、今や大抵のものはここで手に入るのだ。
だから、私の身の周りには必要なものは全て揃っているし、シンは私が欲しいと言わないうちからドレスも靴もアクセサリーも最高級品を揃えてくれて、つまりはこれ以上欲しいものと言われても、すぐには思いつかないということで。
ああ……でも。
「…強いて言うなら、シンちゃんが欲しいわ」
「………っ!?」
その言葉は割と考えることなく、するりと口から出てきた。
驚いたように私を見つめるシンに、その瞳を見つめ返しながら、更に言葉を紡ぐ。
「私も愛してる、シンちゃん。
あなたがそばにいてくれれば、私にそれ以上欲しいものなんてないの。
だから、あなたが一番欲しい。
これまではどこに居ても私は『ユリア』でいなければならなかったから、これからは『マツリ』に、『シン』をちょうだい」
『KING』の伴侶であり『サザンクロス』の女王である私は、『誰が聞いてるか判らないから』とこれまでずっとボロが出ないように、シンには私のことを『ユリア』と呼ばせてきた。
そしてそれに従ってくれたシンの、私に童貞臭い愛の言葉を囁きながらの『ユリア』呼びに、そう言ったのは私であるにもかかわらず、少しずつ傷ついていたのも事実で。
…心の底でずっと不安だったのだ。
シンは私を通して、やはりユリアちゃんを想っているのではないかと。
私は彼にとっても、ユリアちゃんの身代わりでしかないのではないかと。
だからさっき、シンの口から『マツリ』の名を呼ばれた時、もっと聞きたいと思った。
本当の名前を呼んで、愛していると何度も囁かれたいと思ってしまった。
「………それは反則だ、マツリ。
可愛すぎて、我慢できそうにない」
…だから、そんなささやかな望みを口にした後の、シンの行動は予想外だった。
腰かけていたベッドに私を唐突に押し倒し、覆い被さってきたシンは、突然のことに戸惑う私に、熱い吐息と共に告げる。
「おれが欲しいと言ったのはおまえだぞ、マツリ。
この後最低まる1日は、寝室から出られると思うなよ」
「へっ?
いや待って、そういう意味じゃ…!
いや言ったけど!確かにそう言ったけど!!」
この後めちゃくちy【以下自主規制】。
しばらく おまちください
…恐らくシンは、私が秘めていた心の揺れに、ずっと気がついていたのだろう。
寝台に引き倒されてのあんな事やこんな事の間、シンはこれまで呼べなかった分の埋め合わせとばかりに、何度も私の名を呼んでくれた。
最後に私をきつく抱きしめて、名を呼びながら私の裡に達した時には、私の中から、これまで抱いていた不安は、全て溶けて消えていた。
……ただ、御丁寧に私の名前付きで、その瞬間瞬間の私の状況や身体の反応を、いちいち実況されるという拷問のようなオプションは別に要らなかった。
人形を作らなくても、シンはやっぱり変態だと思う。
☆☆☆
あの恐怖の邂逅から半刻ほどまえ。
今は無理でもいつかはこの街に、核戦争前には当たり前にあった、花と街路樹をたくさん植えたいと、2人で話しながら歩いていたら、彼らは不意に現れた。
「おまえたちは…!?」
警戒を顕に私を後ろに庇おうとするシンの、服の袖を軽く引っ張って、先制攻撃を封じてから、私は彼らに向かって頭を下げる。
「大丈夫よ、シン。
…お久しぶりにございます、リハク様、トウ姐さん、フドウ様」
「うむ、マツリ。そなたも息災のようで何より」
彼らを代表して、最年長であるリハク様が私に言葉を返してくださり、私はもう一度頭を下げた。
何せ、厳密な階級自体は存在しないものの、ユリアちゃんの影として育てられた私にとっては、彼らは一応上司に当たる方々なのだ。
私の態度と言葉に、彼らの正体を悟ったシンが目を瞠く。
「!…では、この者達が、本物のユリアを守る五車の…」
「山のフドウ」
「海のリハク」
「その娘トウ」
…正確にはトウ姐さんだけは、南斗の巫女としての私の先輩というだけで五車の1人ではないけど、どちらにしろ南斗六聖拳伝承者の1人であるシンから見れば、同輩の部下くらいの位置付けになるだろう。
「…その五車星が何の用だ。
見ての通り、ここに『貴様らの』ユリアはおらぬ」
「わかっております。
ユリア様とケンシロウ様は、我らのもとで既に保護しておりますゆえ」
「あちらの城門の方に、炎のシュレン様と風のヒューイ様もいらっしゃいますね。
多分門の外の見張りをしてくださっているのでしょう。
つまり……とうとう、その時が来たと?」
「さすがに察しが早いな、マツリ。
そうだ。恐怖の暴凶星が近づいている」
割と子供の頃から知っているフドウ様が、普段あまりしない顔でそう告げる。
…まあこの方、初めて会った時はもっと恐い顔してたから、今の顔はキリッとしてるだけで、全然恐いとは思わないけども。
「なに…まさかラオウが?」
「いつかはこの日が来る事を見越して、『シン』が『ユリア』を奪って逃げたと、噂をわざと流したのはあなた方でしょう?
お陰で、本物のユリア様は全くのノーマークで、着々と表舞台に立つ準備を進めているけれど、それでもサザンクロスの『ユリア』が本物でないことは、実際にラオウと顔を合わせてしまえばすぐにわかってしまう」
心配そうに、主に私に向かって言うトウ姐さんは、以前と比べてちょっと痩せた気がする。
確か私たちが出奔する頃、体調を崩して巫女の仕事もお休みしていた筈だから、もしかしてまだ本調子ではないのかもしれない。
「ここまできて、ここの『ユリア』が偽物であると、奴に知られるわけにはいきません。
シン様。どうかマツリを、我らにお引き渡しください」
そしてリハク様が、私ではなくシンにそれを告げると、シンはハッとして、反射的に私を腕に抱きしめた。
「…そうですね。頃合いかもしれません。
そろそろ逃げ回るにも限界を感じていたところです」
「なんだと……!?」
リハク様を睨みつけるシンの腕の中から私がそう言うと、シンは一瞬、信じられないものを見るような目で私を見下ろした。
ので、慌ててフォローを入れることにする。
まったくもう。可愛いやつだよ。
「勿論、その提案には頷けませんが、シンと共にこのサザンクロスを築き上げた時から、ずっと考えていたのです。
サザンクロスを、一旦『ユリア』の墓標にしてしまおうと」
「それは……まさか」
「シンに連れ去られてすぐに『ユリア』は病を得、更に愛する人と引き離された絶望も加わったことで、旅の途中にて儚くなったのです。
ここにいる私は、その亡霊。
シンが『ユリア』を亡くした事を受け入れられずに『ユリア』だと思い込んだ、そんな彼をずっと恋い慕ってここまでついてきた、幼馴染の女なのです」
それは、本来の物語に倣った壮大な嘘。
詳しくは描かれなかった話だが、サザンクロスを急襲したラオウが、シンの口からユリアが死んだと聞かされた時に、シンが腹いせに殺されなかったことは、その後のケンシロウとの再会と戦いがあったことでわかっている。
つまりは、私たちがラオウと対峙して生き残る為の、一番確かな道筋である筈。
ただ、今それを知っているのは、多分私しかいないけれど。
「…リハク様。私は、シンから離れません。
たとえ暴凶星の怒りにこの身を引き裂かれたとしても、最後まで身も心も、シンと共に在りたいのです」
言いながら、私を背中から抱きしめるシンの腕に、そっと手を添える。
見上げて合わせた視線に微笑むと、仕方ないな、と唇だけがそう動いたのがわかった。
「……『ユリア』。
おれも覚悟を決めたぞ。
死ぬ時は共に。おまえ1人を死なせはせん」
「シン……!」
この期に及んで呼ばれた名前がそれだったことに、少し心が傷んだけれども、それを悟られまいと私はシンに向き直り、その胸に顔を埋める。
シンは改めて私を抱きしめ返し、私の耳に口づけを落とした。
くすぐったいけど嬉しい。シン、大好き。
「……盛り上がってるところ悪いんだが。
ラオウの軍勢が、本当にもうすぐそこまで来ている」
…と、ちょっと言いづらそうな感じでシュレン様が話に入ってきて、私たちは慌てて身体を離し、居ずまいを正す。
なんか先にいた3人から、ほっとした空気が流れたのは気のせいだろうか。
「…2人とも、本当にそれでいいのだな?」
一旦咳払いした後、リハク様が確認をするのに、私とシンは頷いた。
「ああ。我ら2人、ユリア殺しの汚名、敢えて被ろう!」
「ユリア
私たちはたとえ星となっても、きっと心はあなた方と共にあると」
…そして、話は冒頭に戻る。
いや戻らんでいいんだが、一応。
☆☆☆
こうして、拳王軍の来襲という禍をやり過ごし、生き延びた私たちは、この顛末を見届ける為に残っていた風の旅団と繋ぎをつけて、ユリアちゃんに
(本当は手紙を書きたいところだったけど、この時代文字を書けるような紙が結構貴重であることと、文書として残した場合、万が一拳王軍やその他敵対勢力の手に渡れば、ユリアちゃんが危険になると考え、敢えて言葉で伝えてもらうことにした)
私たちが生きていることと、今後『KING』は南斗の将に恭順するということ。
ついては『サザンクロス』を南斗の将に譲渡する意志があること。
ユリアちゃんが今後、将としての活動をするにあたり、既に拳王軍の襲撃を受けたあとのサザンクロスを拠点とすれば(元々サザンクロスの女王は私が名乗る『ユリア』であると周知されているから)私を影武者として立てることができ、今まで通り本物のユリアちゃんの存在を隠せるという提案を。
そして、再会の日はやってきた。
「ユリアちゃん!」
「マツリさん…よく、無事で」
運命が…激しく動き始めた事を、この時の私はまだ知らない。