ある日の午後。
わたしの夫の血迷った発言から、全ては始まった。
「拳王軍と、同盟を結ぼうと思っている」
「…………………………は!?」
「か、勘違いするな!
レイを裏切るつもりでは断じてない!!」
ユダの纏めたヒャッハー集団は、現在UD軍という名(本来の綴りは“Judas”なのだが、ユダ的にはヒャッハーにもわかりやすいようにとの命名で、敢えて頭文字じゃなく真ん中使ったらしい……余計判りにくいわ!)で、この地域の町や村を支配している。
……などと言うと些か聞こえは良くないが、同じ小さな村でもある程度大きな組織の庇護下にあるそれと、そうでない場合を比べたら、住民の生活の安全度は雲泥の差なわけで。
わたしやレイの実家のある村や、レイがマミヤさんと暮らす村などは特に厳重に、UD軍の兵士たちが常駐して守っていてくれるので、野盗たちの被害を受ける可能性は確実になくなったと言っていい。
もっとも、二村とも最大の危機は既に回避された後ではあるのだが、だからこその予期しない事態には、できるだけ備えなければならないのだ。
…ところで、わたしも前世の記憶を取り戻して初めて気がついた事なのだが、一杯の水を巡って殺し合うくらい水が不足しているこの世界とはいえ、水は決してなくなったわけではない。
単に地下に潜ってしまったそれを、掘り出す技術も道具もないというだけなのだ。
何せ、かつては上水道がごく一般的に使われていた世界、いちいち汲み上げなければならない井戸などは、余程の田舎でもなければとうに廃れてしまっていたし、それに必要な重機など、数えるほどしか残っていない。
それを扱える人材も言わずもがな。
地下に水があると判っても、それを掘り出す作業を人力で行なうしかないのであれば、最低でも数十人の男手が必要になる。
が、そんな井戸を掘るという大掛かりな工事も、力を持て余している屈強な男たちを派遣すれば、ものの数日で片がつく。
ヒャッハーも人の子というか、感謝される事で悪い気はしないらしく、最初の頃こそ怯えていた村人との関係も、今は良好らしい。
僅かながら、ロマンスが芽生えた事例もあるとかないとか?
本人たちが幸せならばそれでいいけど。
今レイが暮らしているマミヤさんの村は、核戦争後に奇跡的に、使える状態でまだ残っていた重機を見つけたマミヤさんのお父さんが、やはり奇跡的にそれを使える技術の持ち主であった事で、そこから井戸を掘る事を思い立ち、それがひいては村づくりのきっかけとなったのだそうだ。
…そんなひとを、本来の話の流れなら、自分の夫が殺してしまっていたのだと思うと、背筋が寒くなるが。
原作と違い今もご夫婦共に健在であるその方は、レイとマミヤさんに村長の仕事はすっかり任せて、やはり近隣の町や村に夫婦で出向いて、井戸を掘るお仕事の監督責任を任されていると聞いた。
勿論出張の際は、我がUD軍から腕利き数人を、護衛兼重機運搬係として随行させている。
ユダの妻であるわたしの縁者(わたしの兄の義両親)である以上、この待遇は当たり前なのだそうだ。
ありがたいことである。
閑話休題。
先だって行われた南斗サミットに於いて、和平派が多数を占めたにもかかわらず、本来は南斗の最大戦力である筈の南斗鳳凰拳のサウザーが、聖帝を名乗って進軍に乗り出し、その威信を示す為の聖帝十字陵の建設に、子供たちを集め始めたのは、それからすぐの話だった。
それより少し前から拳王軍が勢力を拡げており、今はそのふたつの勢力が睨み合う事で、均衡を保っている状況だ。
「時流というものがあるのだ。
ある程度はそこに迎合していかねば生き残れん」
「同業大手大企業による吸収合併を苦渋の選択で受け入れる中小企業主みたいな言い方すんな」
一応つっこみはするものの。
わたし達のUD軍も、そこそこの武力で近隣地域を支配してはいるが、確かに奴らの勢力と比べたら、それはグレートデーンに吠えかかるポメラニアンのようなもの。
潰されない為にも、少なくとも敵対しない方向に持っていくのは、決して間違ってはいないのだが。
「というかなんで拳王軍?
南斗的には、聖帝軍の方が都合が良くない?」
「…サウザーは、同盟など受け入れまい。
アイツはひとの話を聞かない性格だ。
そもそも個人的に、俺がアイツを好かん」
「その理由!?」
確かに正史の物語において、南斗の乱れた原因が、ユダが拳王軍に与した事だった筈だが、それがそんなしょうもない理由だったなんて。
いや、でもこれはまずい。
ここでユダの言う通りに拳王軍と同盟なんか結んだ日には…まあ今更、ユダとレイが戦うような事態になりはしないだろうけど、何かの拍子に物語の強制力で、結局は南斗を崩壊に導く結果になりかねない。
「ほら、とりあえず同盟よりも、今は互いに不干渉って約束を取り付けた方が良くない?
下手に傘下に入って、要らない戦いを呼び込むのは避けたいし」
とりあえず、そう提案してみる。
わたしの兄レイにとって、ラオウは死神だ。
できることなら関わらせたくない。
というか、わたし同様この時代で幸せを見つけた兄を、そもそもケンシロウと知り合わせたくない…というのは些か言い過ぎだろうか。
そっちはきっかけのひとつは潰してあるし、大丈夫だとは思うけど……
「確かにそうか。
だが拳王の方にはそれでなくとも一度、挨拶には出向かねばならん。
…俺たちの結婚式の前に、村に襲撃をかけてきた賊どもを覚えているな?
あやつらの
このまま何も言わずにおけば、俺たちUD軍が、拳王軍と敵対する意志を示したと誤解されかねん」
あー…と、ユダの言葉を聞きわたしは納得する。
物語の中でのラオウは、ここで仮面の男と称されるジャギに対して、弟としての情は抱いていなかった筈だから、それを知るわたしには及びもつかなかった考えだが、彼ら兄弟の関係性を知らないユダからすれば、確かにその結論に至らざるを得ないだろう。
だから、ユダ的にその話を糸口とすることで、拳王軍に恭順するから、うっかり手にかけてしまった弟のことは目こぼししてほしい、という方向に持っていくつもりだったらしい。
だが、それだとどうしてもこちらが下手に出る事になり、結局は傘下に入らざるを得ない。
今だけならそれで生き残れても、物語終盤で台頭してくるのは、『南斗の将』率いる勢力。
対して、UD軍の将は南斗紅鶴拳の継承者であるユダと、その妻たるわたしは南斗水鳥拳継承者であるレイの妹で。
バリバリに南斗のバックボーン背負ってるわたし達が、将来的に南斗の将と敵対する勢力に与するとか、控えめに言ってもかなり避けたい事態だ。
……よし。かくなる上は。
「…ユダ、わたしの事を愛してくれているわよね?」
「ん?突然なんだ?
そんな事決まっているだろう。
俺はアイリを、心から愛しているぞ?」
「だったら何故、わたしを奪おうとした男を返り討ちにした事くらいで、その男の兄なんかに対して、下手に出ようとするの?
あなたにとってのわたしの価値はその程度なの?」
「……っ、それは」
「…そうね。わかっているわ。
UD軍全体とわたし一人の価値なんて、比べようがないものね。
わかっているけれど…少し、残念だわ」
「そんなことはない!
俺にとってアイリはこの世界の太陽!
アイリを失ったら俺は生きていけん!!
……そうだ。
拳王の弟が俺のアイリを奪おうとして、こちらにもそこそこの被害が出たのだ。
やつに対して、どう責任を取るつもりだと、詰め寄ったところでおかしな話ではない」
「むしろその件をきっかけとして交渉に持ち込み、こちら側への不干渉を勝ち取れれば、傘下に入る事なく今後、少なくとも拳王側に対しての警戒を、当分はせずに済む事になるわ。
勿論、そこはあなたの口八ちょ…交渉術次第という事になるけど」
「フッ、忘れたか?
俺は妖星、智略の星の男。
その程度の交渉、難なく進めてみせよう!
アイリ、おまえへの愛の証明の為に!!」
「ユダ……!!」
わたしはうっすらと涙を浮かべながら、ユダの胸に飛び込んだ。
ちょろい。
…ユダは後日、拳王の遠征先に乗り込むと、『拳王軍とUD軍は互いに不干渉』という契約を、見事に勝ち取ってきた。
「確かにこの時代、他人の女を奪おうとするなら、殺される覚悟で挑むのが筋。
それで殺された弟のことに、おれが責任を負う義理もないが、同時にその件で、うぬに対する遺恨も別段、感じぬわ。
望みがその程度で良いのであれば、その口車、敢えて乗ってやろう。
だがこれより後、二度とおれの前に姿を見せるな」
交渉は成功したものの、ユダは拳王には嫌われたようだ。
騎乗のままそう言ってユダに背を向けた拳王の姿とそのオーラは、『…正直、メッチャ怖かった』らしい。
それでも立派にお仕事をしてきた夫を、とりあえず褒めちぎって撫でておいた。
…この後、何事もなければそれでいい。
けど、もしもこの後、物語の通りに拳王が動くのであれば、先にこの契約を破る事になるのは拳王の方だ。
そうなっても、兄とラオウが会うことにさえならなければ、兄の死の運命は回避できるはずだが…さて、この後わたし達はどう動くべきか。