居城をユダの副官のダカールさんに任せ、2人で向かったレイの暮らす村に、何故か懐かしい人の姿があった。
「やあ、久しぶりだねアイリ」
「え……シュウ様!?」
わたしは思わず駆け寄って、子供の頃によくそうしていたように、その人の胸に抱きついた。
年齢の離れたまだ若かった奥様が、数年前に核の病で亡くなられたあと、ひとり息子であるシバと共に旅に出てしまって、それ以来の再会だ。
「ユダか。南斗サミット以来だな」
「そうだな。
というか、いつまで抱きしめておるのだ。
アイリは今は俺の妻なのだから、旧交を温めるにしても、ほどほどのところで手を離せ」
「ちょっと!
シュウ様は兄の友達で、わたしも子供の頃にはずいぶんお世話になった方なの!
失礼な言い方しないでちょうだい!!」
シュウ様はレイの親友…ではあるが、年齢は結構離れている。
何せ2人が知り合った頃にはシュウ様はもう結婚していて、一人息子のシバも生まれていた。
わたしとレイも7歳離れているので、わたしにとってのシュウ様は、今思えば感覚的に、親戚のおじさんくらいのイメージだったと思う。
レイがシュウ様と話がてら、こちらの地方の南斗の修業場で、手合わせなりなんなりしている間、わたしとよく遊んでいたシバは、別れた時はまだ10に満たない子供だったが、彼もそろそろ思春期に差し掛かる頃だろうか。
……そうだ、そういえば。
「あの、シバは元気ですか?」
「ああ、勿論だ。
あいつも小さい頃、君に鍛えられたからね。
今日は連れてきてはいないが、帰って、アイリに会ったと言ったら、きっと羨ましがるだろう」
「帰ったら、ダイナマイトは火をつけたら投げろと、アイリが言っていたと伝えてください!」
「…今際の際の妻と同じ事を言うのだな。
それは一体どういう意味なんだ?」
え?奥様も同じこと言ってたの?今際の際に?
…ひょっとしてシュウ様の亡くなった奥様って。
「いいからさっさと離れぬか!
俺は踏まれるのと罵られるのは好きだが、放置と寝取られは好まんのだ!」
と、わたしの夫が割ととんでもない事言いだして、一瞬沈んだ思考の海から、強制的に引き上げられる。
「それ真面目な顔で言うなド変態!!」
「くろこっぷ!!!!」
反射的に繰り出したわたしの左ハイキックをもろに受けて、何故か嬉しそうな表情で倒れるユダは、やっぱり変態だと思った。
☆☆☆
「フフッ。
どうやら夫婦仲はいいようで安心したぞ」
さっきのやりとりから何故そういう結論が出るのかが全くわからないが、村の長老の家に運び込まれてすぐに意識を取り戻したユダにシュウ様が声をかけ、ユダが何故か自慢げにそれに答える。
「当然だ。俺とアイリは互いに深く愛し合っておるのだから」
「あーうん、その事には敢えて異は唱えないけどね」
最初は打算で結んだ関係ではあるが、今はわたしの事を誰よりも大切にしてくれるユダを、なんだかんだでわたしも好きになってしまっている。
夫への純粋な愛情に、懐いてくる大型犬に対する感情みたいなのが少なからず混じってるのも否定はしないが。
…唐突になんか背中からしっかりハグされたその頭の上から『見るな、減る』とか聞こえた気がするが気のせいだろう。
そもそもシュウ様は目がご不自由な上、わたしはただでさえスレンダー体型なのに、これ以上減ってたまるか。
…というか、原作で初登場した際の、デコルテ露わな薄いドレスに身を包んだアイリは、どことは言わないがそこそこ豊かだった気がするのだが、なぜ今のわたしはこんなにスレンダーなのだろう。
やっぱりあの場面に到達するまでの間に数多の男たちの手でm…止そう、これ以上考えたら吐く。
「…そうか。
どうやら、あの噂は嘘だったらしいな」
「………噂?」
「ユダが居城に何人もの女性を囲っていると。
アイリは、わたしにとっても妹の、更には娘のようなもの。
その夫が不実な真似をしているのであれば、少し口を出させてもらおうかと思っていた。
今日、この村を訪れたのも、まずその事をレイに訊ねようと思ってのことだったが、先に君たちに会えて、結果的には良かったようだ」
レイとマミヤさんは今、何やらの用事で村の外に出かけていて留守で、帰ってくるのは早くて明日の昼過ぎになるらしい。
わたし達の訪問には、マミヤさんの弟のコウ君が対応してくれて、とにかく今日は泊まっていくように強く勧められ、今はマミヤさん達と暮らす家に、滞在する部屋を用意してくれているらしい。
初めて会った時はまだ子供だったのに、彼も今では随分しっかりしてきて、男の子の成長は早いなあと、なにげにしみじみ思ってしまった。
…まあ、コウ君は最初に会った時から、時折どことなく言動がおっさん臭いところがあるのだが。
そんなコウ君が、わたし達が今話をしている部屋に入ってきて、水の入ったコップをそれぞれの前に置いてくれ、ついでにわたしの方に視線を向けて、心配げに言葉をかけてくる。
「あの、城の女の人達って…もしかして『自衛団教室』の?」
「あ、うん。多分そう」
「ちょ、ユダさんものすごい風評被害受けてるじゃないですか。
そろそろちゃんと訂正してあげないと」
「そうなのよねえ」
わたしとコウ君のやりとりに、シュウ様の彫りの深い眉間に皺が寄る。
「…アイリは、何か知っているのか?」
その問いに、夫への誤解を解くべく、わたしは弁明の答えを返した。
「知っているも何も、居城に女の人を集めているのは、ユダではなくわたしなので」
「えっ?」
「…俺は反対したのだがな」
直前まであらぬ疑いをかけられていたユダが、少し不機嫌そうにそう呟く。
女性、特に美しい女性にとって、この暴力が支配する世界は地獄だ。
強い者の庇護がなければ、その尊厳も命も簡単に蹂躙されてしまう。
本来の生であればわたし自身が辿ったであろうその運命から、少しでも多くの女性を救いたいというわたしの、ほんのささやかな我儘だが、彼女たちには庇護されるだけでなく、自らの手で生活を切り開いていく技術や、自分や家族の命や尊厳を自分たちで守る為の、集団自衛的な知識を学んでもらっている最中なのだ。
(最初の頃はダカールさんに教官をお願いしていたのだが、どうもわたし達の最初の説明を誤解したらしい彼が、『殺られる前に殺れ』という理念で女性たちに『護身術』ではなく『暗殺術』を仕込もうとし、また女性たちに対しての態度も高圧的だったらしく若干評判が悪かった為、彼にはユダの副官の任に集中してもらう事にした。やはり適材適所というものがあるのだろう)
ちなみに今ここにいるコウくんと、そしてわたしの義姉となったマミヤさんも、何度か講義を聞きにきてくれており、村の自衛を『強い1人』だけに頼らない考えを、積極的に村全体に広めてくれているそうだ。
危険に備え、取り乱さず、皆で力を合わせること。
人命最優先で行動し、無茶をしないこと。
弱い者には、弱い者なりの戦い方があるのだ。
…もっとも現時点では、強い男に愛されて生き残る心得的なことが一番知りたいと、わたしに訊ねてくる人が大部分なんだけど。
…わたしの場合、生きるため幸せになるために、ただ必死だったとしか言いようがないんだけどね!
ほんの僅かな運命の綻びを破り、わたしを攫いに来てくれたユダには、マジで感謝してもしきれない。
避けてきた運命の事を考えると、身体の芯が冷たくなるけど、そんな時、震えそうな身体を抱きしめてくれるのは、いつだってこの両腕。
わたしにとっては、世界で一番安全な場所だ。
だからこそ。
ユダに救われたわたしだからこそ、これからはその強さに頼るだけではなく、彼の強さを支え補えるようにならなければ、この先もユダに愛され守られる資格なんかない。
……そんな事を思いながら隣の夫を見やり、目が合って微笑みかけてくれたのを皮切りに、その装飾過多な胸に凭れる。
「どうしたのだ、アイリ?」
「…考えたら、わたしの我儘を最初は反対しても、最後には聞いてくれて、そのサポートまで抜かりなくしてくれて、わたしは最高の夫を持ったなと思って」
「そのような事は当然だ。
アイリがしたいと思うことはなんでも叶えるのが、この俺の愛の証明なのだから」
そう言ってわたしを抱きしめたユダが、一瞬シュウ様に向けてものすごいドヤ顔をしたのをわたしは見てない。絶対に見なかった。
「…そうか。
かつて、わたしの妻が生前行なっていたのと、同じ理念なのだな」
何故かくすくす笑いながら言うシュウ様の、亡くなった奥様は核戦争前、2人が暮らした村の村長を務めており、野盗の被害を受けて婚姻の機会を奪われた女性たちの自立支援の為に、彼女たちが働く場としての村おこしの産業を立ち上げたのだそうだ。
また早い段階から核シェルターの設置を提言したのも彼女であり、そのお陰で『審判の日』に亡くなった村人は居なかったとも。
…今となっては確認する手段はないけど、きっと彼女、転生者だったんだろう…『オレ』と同じように。
そしてシバのあの最期に関しては、彼女にしてみれば我が子のことだけに、思うところがあったに違いない。
わたしにとっても、シバは弟同然。
彼女の最期の願いは、わたし自身の願いでもある。
だとすれば、彼や勿論その父親であるシュウ様のことも、彼らがなんとか死なずに済むよう、先を読んで動いていかないと。
などと決意を新たにしたところで、最初の頃と比べて、望むことがどんどん拡大していることに気づく。
最初に物語を思い出した時はひとまずはわたしの、そしてレイの幸せを願っていただけだったのに、今は『その手段』として選んだはずのユダや、レイの奥さんになってくれたマミヤさんと、その弟のコウ君。
そして今はシュウ様もシバも、みんな幸せに、そして何よりも生きてほしいのだ。
コウ君の死亡フラグを折った時のように、未来を先回りして変えることができるならば……
☆☆☆
あの日。
レイの執拗な情熱的なプロポーズにようやく頷いてくれたというマミヤさんの、二十歳の誕生日を祝う為に3人で向かった村への道中、わたしが運転する車の助手席で、後部座席に向けて声をかけた夫は、普段わたしに向けるのとは全く違う鋭い視線を周囲に向けた。
「…気付いたか、レイ?
あの岩山の陰から、尋常じゃない数の気配がする」
「ああ…だが妙だな。
あちらの岩陰からも、あの岩の大きさからは、到底有り得ない人数の気配がする。
一体どういう事だ?」
答えた兄も首を捻りつつ、周囲に警戒の目を向けるのに、わたしは心の中だけで納得していた。
マミヤさんの村を臨むこの岩山付近は、恐らくは『牙一族』のテリトリー(あくまでヒャッハー基準)。
あの集団は1人の男とその子らによって結成された組織であり、確か雑兵的な存在として、やたらこまかいのが大勢いた筈だ。
…あんまり考えたくないし、勿論原作では語られてない部分だけど、恐らくあれは度重なる近親交配の果てに生まれた存在じゃないかと思う。
長である『牙大王』が、最初に子を産ませたのは攫ってきた女性達なんだろうが、産ませてはまた孕ませを繰り返して、母体女性たちが使い潰されて早々に亡くなっていった後で、単純計算で1/2の確率で生まれているであろう女児たちが、ある程度成長した後は同じ運命を辿ったと思われるので。
つかそう思わないと、血族集団である『牙一族』が、男ばかりである説明がつかない。
多分『岩の大きさを越える気配』は、その雑兵的存在の奴らだろうと思う。
「アイリ、席を代われ。俺が運転する。
おまえは、身を低くして隠れていろ」
車を走らせながら運転手交代とか、サラッと難易度高い事を要求してくる夫に、とりあえず逆らわずに頷く。
ここが文明が破壊される前の普通道路であるなら相当な危険行為だが、いま走っているのは荒野。
多少のハンドルの乱れで、周囲に迷惑をかける事にはならない。
「レイは周囲を警戒して、奴らが襲ってきたらすぐに対応できるようにしておいてくれ。
できる限りそうならぬように、なんとしてでも振り切るつもりでいるが」
「わかった、ユダ。
おれ達2人だけなら車を停めて戦ってもいいが、アイリを危険に晒すわけにはいかないからな」
「そういうことだ」
もうすっかり意志の疎通ができている兄と夫が、視線すら合わせぬまま頷きあうのを見て、わたしは安心して助手席の下の方に身を潜めた……筈だった。