前編
読者目線で見ていた時には、確かに何でかなーと思っていた。
己の敵にすら慈愛のまなざしを注ぎ、それが故に誰からも愛される女性であるユリアが、恋人のケンシロウとその瞬間までは友人関係であった筈のシンの告白に、『そう思われていると知っただけで死にたくなる』とまで言い放つほどに、彼を嫌っていた理由。
「…ねえ、シンちゃん」
「シンちゃん呼ぶな……なんだ」
「いつも言ってる事だけど、好きな女の子に嫌がらせで気をひこうとするとか、今どき小学生でもやらないと思うよ」
「…うるさい!
ただの幼馴染のくせに、おれの行動にいちいち口出しするな!」
「………チッ…………………童貞が」
「貴様今、一番言ってはならん事を言わなかったか!!?」
「気のせいです。
あと、キミの師匠が、授業が終わったら修練場に来るようにと」
「それを早く言え!!」
足音も荒くそこから立ち去る青年の名はシン。
愛に殉じる星『殉星』の宿命を持ち、後に南斗六星拳のひとつ、南斗孤鷲拳の継承者となるこの男は……この世界に転生して、彼の幼馴染としてその身近で育った私の目から見れば、ただの初恋と童貞拗らせた痛い若者だった。
☆☆☆
「ごめんなさいユリアちゃん。
いつもいつも、うちのバカな弟分が」
「いいえ…マツリさんのせいではありませんもの」
…弟分と言ったが、正確にはシンは私よりひとつ年上だ。
しかし幼い時分から、アイツがバカやらかしては私がフォローするという関係性をずっと維持してきた為、私自身もそうだが周囲も、シンを私の弟分であると認識している。
認めていないのはシン本人くらいのものだ。
しかも思春期を過ぎた頃からやけに私に逆らうようになってきて、若干手を焼いているのが現状だったりする。
そして同時期からずっと、誰がどう見ても好きで気になってるユリアちゃんに、持ち物を隠したり嫌いな生き物を投げつけたりといった童貞アプローチを続けるシンに、真っ当な苦言を呈するたびに喧嘩になるのが黄金パターン。
この反抗期はいつまで続くのやら。
そして童貞…もといシンが嫌がらせをして泣かせるたびに謝りに行くのが私というルーティンを確立した結果、同い年だった事もあって私とユリアちゃんはとっても仲良しになった。
もっとも、とある事情からそれが始まる前から、私とユリアちゃんは既に顔見知りだったわけだけど。
フフン、どうだ。羨ましいか童貞。
こうしてちょっと手を伸ばせば、ユリアちゃんのサラサラふわふわの黒髪に触り放題なんだぜい。
…アイツのストレートの金髪も、子供の頃は癖毛の私には羨ましくてよく触ってたもんだけど、ある程度体格差が出てきてからは嫌がられるようになった。
ちょっとだけ寂しいとかは思っていない、絶対。
「ふふっ。くすぐったいです、マツリさん」
見よ、こちらは嫌がるどころか、ちょっと恥ずかしそうに、尚且つ嬉しそうに見上げてくるユリアちゃんの、この清楚系美少女っぷりのなんと貴いことか。
刮目して同時に目ェ潰れろ
同性の私ですら道を踏み外しそうになるほど破壊力のある微笑みに私は、心の中で歯嚙みをして悔しがる
「ユリア」
と、唐突に彼女を呼ばう声が聞こえ、私たちはそちらに顔を向ける。
そのひとと目が合った瞬間、パアァという幻聴が聞こえ、微笑みの段階でさえ眩しかったユリアちゃんの笑顔が満開になった。
「ケン!」
「お疲れ様です、ケンシロウくん」
私が挨拶すると、ユリアちゃんの彼氏のケンシロウくん…この世界の主人公であり後の救世主、北斗神拳伝承者……になる予定の、今はまだ素朴で優しげな青年…は、少しだけ目を瞠った。
「マツリさん…?という事はシンが、また?」
……ほらみろ童貞。
既にケンシロウくんにまでパターンが覚えられてるじゃないか。
割とこの子(いや、彼も私たちよりいっこ上なんだが)、鈍感の部類に入る人種なのに。
まあ、だから比較的神経質で気の短いシンと、親友なんてやってられるんだろうけど。
「ええ。今回は机の中に、虫の入った箱が。
いかにも怪しげだったので、ユリアちゃんが開ける前に私が回収しましたが。
どうやら休前日に仕込まれたもののようで、開けるまでに既に2日経過しており、意図した事ではないのでしょうが、発見した時には若干蠱毒状態になっていたので、南斗の上層部に連絡して適切な処理を行なってもらいました。
その際アイツの師匠にも連絡が行くようにしておいたので、今頃はこってり説教食らってることと思います」
「…さっき、修練場で正座させられてたのはそういう事だったのか……。
まったく、あいつはいつもいつも、一体何がしたいのやら…」
「割と何にも考えてないと思います。
…毎度の事ながら、御迷惑をおかけして申し訳ありません」
「マツリさんのせいではないだろう」
苦笑しつつ、さっきユリアちゃんが言ったのと全く同じことを言ってくるケンシロウくんは、物語の中の無口で無表情で無愛想な最強拳士の面影はなく、ユリアちゃんのそばで優しく笑ってる顔からは、むしろ気弱な印象すら受ける。
もっとも本人曰く、
『幼い頃に己の力に驕った結果、命を落とすところを助けてくれた人に、一生消えない傷を負わせてしまった』
事を自戒としていて、自信はあっても表に出さないようにしてるんだとか。
…方向性としては微妙に間違ってる気がするけど。
そういうところが核戦争終結後の世界になってからの、
『ケンシロウでは、ユリアを守れない』
という印象に繋がって、シンがジャギの悪魔の囁きに耳を傾ける理由になっちゃったんじゃないのかなぁ。
私が言っても仕方ないから言わないけど。
正直な話今のケンシロウくんを見る限り、ユリアちゃんは彼が力をつけるまでの間は、ラオウのところにいるのが一番安全だと思う。
女に手を出す事になんの呵責も覚えない小悪党どもが、まさかユリアちゃん欲しさに拳王に喧嘩を売るなどと、命知らずな真似はしないだろうし、ラオウはユリアちゃんが否と言っている間は、その誇りにかけて決して手を出すことはないだろうから。
ラオウはレ○プなんてしない、と原作者が言ってたそうだし。知らんけど。
あのオッサンも大概初恋拗らせてるからね。
今、トウ姐さん(海のリハクさんのお嬢さん。華やか系の美人でボン、キュッ、ボンの超グラマー。羨ましくなんかない)がめっちゃアタックかけてると、南斗の女官の皆さんの間で専らの噂だが、まあそれは余談だ。
それはさておき、だがシン、おまえはダメだ。
何がダメってユリアちゃん本人は大嫌いのところまでいってたとしても、シンが最愛のケンシロウくんの親友という事もあって、そこにある程度の情けが入る余地があるところに問題がある。
優しいユリアちゃんは、自分の為に手を血に染めていくシンに心を傷め(多分だが相手がラオウであれば、ここまでのショックは受けないと思う)、それが身体を損なう引金になったに違いないからだ。
ユリアちゃんには、若干だが癒しの力がある。
後のトキほどに病状が進んでしまっていたなら治しようがないだろうが、初期段階での進行ならば、その気があれば抑えられた筈だ。
そうしなかったのは、シンに連れ去られた時点で彼女が絶望しきっていたからで、さすがに少年誌で連載されていた作品故に描写はされなかったが、その時に手を出されていた事が想像に難くない事を思えば、理由は明らか。
つまり、原作でユリアちゃんを死なせたのはやはりシンだったのだと、私は思ってる。
…この世界が核の影響で一変し、暴力が支配する世界になってしまう事は避けようがないにしろ、出来ればシンがユリアちゃんを奪い去る展開は阻止したいと思っているのだが…現状では如何ともし難いようだ。
・・・
「ところでマツリさん、新作はまだ書かないんですか?」
「………鋭意制作準備中です」
「うふふ、楽しみに待ってますね♪」
「……新作?」
「女の子同士の内緒話ですよ、ケンシロウくん」
「そ……そうなのか。済まない」
…実は前世の私は、『攻めの反対語は?』と聞かれて迷わず『受け』と答えるタイプの人種だった。
この世界には私の求める萌えがないと諦めていた時、たまたまシンにいつも通りのパターンで小言を言い、何がスイッチだったか忘れたがいつもよりキレられて暴言を吐かれた事があり、その腹いせにアイツ受けのBL小説をこっそり書いて溜飲を下げてたらそれが癖になった。
萌えがないなら作ればいいじゃない、というよくわからない天啓が降った一瞬だった。
気がつけばノート一冊丸々使って7作目まで書いたあたりで、それをうっかりユリアちゃんに見られてしまい、結構なハードコアだったので絶対にドン退きされると思ったのに、
『続きが気になるからもっと読ませて欲しい』
と
南斗六星の最後の将にしてこの世界のヒロインを、私のうっかりのせいでほんのり腐らせてしまった事は、この世界における私の最大の、しかも取り返しのつかない失敗である。
閑話休題。
☆☆☆
「お疲れ様、シンちゃん。
…その様子だと、本当にこってり絞られたみたいだね」
ユリアちゃんがケンシロウくんと一緒に帰った後、私が南斗の修練場に足を運ぶと、ちょうどそこから出てきたばかりのシンと目があった。
心なしか、さっき会った時よりも窶れたように見え、顔色も若干良くない。
さすがに心配になって側まで駆け寄ると、シンは少しだけ躊躇った後、徐ろに口を開いた。
「…そんな事より。おまえは知っていたのか?」
「………何を?」
「ユリアが……南斗正当血統の女だという事をだ」
ああ、それか。
ひょっとして師匠の説教の中に、ユリアちゃんに懸想している事も含まれていたのだろうか。
いずれは判る事だと思っていたし、それを知ったところでシンの気持ちは変わらないだろうと思ったから、せめてもう少し夢を見せてもいいかと、黙っていたのだが。
「…なれば、それは北斗との絆を結ぶ存在。
それが故に、南斗とは結ばれ得ぬと。
おまえは、その事を知っていたのか?」
その口調に、責めるようなニュアンスが混じる。
それにほんの少しムカついて、私は彼をまっすぐ睨み返しながら言った。
「逆に聞くけど、キミは
ただ南斗に庇護された孤児たちだとでも?」
ユリアちゃんには実兄と異母兄がおり、どちらも稀有なる拳の才の持ち主だ。
生まれたのが南斗正当血統、つまり母系の家でなければ、どちらも立派な南斗の継承者となったのであろうというくらい。
「…本来補佐に当たるべき【白鷺】が傍を離れたことが大きいのか【鳳凰】に若干キナ臭い動きがある上に、北斗の次期継承者がまだ決定していないので、公にはできない事実だけどね。
ユリア
だから、上層部でも見守るしかないってわけ。
私としては前者であって欲しいけれど。
後者であれば、ケンシロウくん以外で決定してしまえば、ユリア
もっとも私には前世で見たこの物語の知識があるから、そうはならない事を知っている。
そもそもほんの幼子だった頃に、なんの考えもなしに口にしたその知識の断片のせいで、私は今この場所にいるのだし。
…辺境の片田舎の小さな村に生まれた私が、まだほんの幼児の頃に南斗に引き取られたのは、うっかり口にした僅かな原作知識により、私こそが『そう』だと思われたからだ。
何代か前の先祖に正当血統に生まれた男がひとり入っていた事が、その誤解に説得力を与えてしまったらしい。
何せ『本物』のユリアちゃんは、『母親の胎内に一切の感情と言葉を置き忘れてきた』と言われるくらい、何に対しても反応を示さない、人形のような少女だったので、その力を有していると、周囲に認識されるのが遅れたのだ。
後から『本物』が現れた事で私は本来なら用済みだったけど、だからといって放り出す訳にもいかず、偶然同い年でもあった事でいざとなれば身代わりにすべく、同じ教育を受けさせられて今に至る。
『本物』と同様、その正体は上層部以外には秘匿され、トウ姐さんを筆頭とする南斗の巫女の1人という扱いになっているが、実は私はユリアちゃんの【影】なのだ。
その事実は勿論、ユリアちゃん本人には知らされていない事だが。
「……そうか。
…おれは、とんだ道化だったというわけだ」
シンは自嘲するようにそう言って、哀しげな表情を浮かべて笑った。
その日を境にユリアちゃんへの嫌がらせ攻撃は終了したが、シンが彼女を見る瞳の奥に、どこか仄暗いものが混じっているのを、私は懸命に見ないふりをし続けた。
やがてシンは正式に南斗孤鷲拳の継承者に決定し、【紅鶴】の取りなしにより【鳳凰】がその活動を沈静化させて、北斗の継承者の選定が大詰めを迎えた、それから数年経った、ある日。
世界は、核の炎に包まれた。
つづきます。