「すまんがこの時期は人手が欲しくてね」
きこりのじいさんから言い渡されたのは、材木集めだった。なんでも良いのでとりあえず燃えるものを集めてきてほしいそうだ。
「ちょうど暇だったから良かったですよ。お互い様です」
枯葉がカラカラと鳴き、山々の紅いのが目立ってきた頃である。夏の格好で出かけると、鳥肌が立つ程度の風が吹いてくる。
だのに橋田といったら額に汗をカキカキ、じいさんが切り落としていった木々をひたすら集めていたのだった。
別に急いで集めなくても乾いた木などは本格的に寒くなっても採れるのだが、そうなってくると命の危険も出てくるのでなるべく回避したいらしい。
冬の間に用いられる幻想郷の燃料は、主に炭である。
木炭屋は木炭屋で里の端にあり、木こりは毎年この時期になると彼らから大量の材木を寄越してくれと受注があるのだそうだ。
というわけで、人手が欲しいのである。
「この辺りは人喰い妖怪も出るから重々気をつけてな」
コンコンと木を樵りながらそう言ったじいさんは、明日の天気の話をしているかのような風だった。
「いや、そんな。兎とかタヌキとかの可愛らしい獣が出るみたいな感じで物騒な話をザックリと言わないでくださいよ」
「いや悪ぃ悪ぃ。でもよ。気ぃつけな?俺らの仲間に息子食われたやつ居てっからよ。お前みたいに若いのはよく狙われるんだ」
「なんか対策とかないんですか?」
「ねぇな。神さんとか仏さんとかに祈るしかねぇわな。それか、食えない人間だってアピールするしかねぇわな」
そう言われて橋田は顔を青くして木こりのじいさんを見つめていた。
「そうビビるな。滅多に出ねぇから。怖いんならさっさと仕事片付けちまえばいいんだから。ほらほら」
じいさんは顔面蒼白の橋田を見て顔をしかめながら、筋骨隆々な腕で橋田の持っていた籠を軽く叩いて押した。
「そう…っすね。ちゃっちゃと終わらせます」
「頼んだ」
メキメキゴリゴリと音を立てて倒れていく木を眺めていたじいさんは、しっかり自分の計算通りに倒れていった大木を見て満足そうに笑っていた。
帰路である。
ボロボロになった服を見回し、ため息を吐きながら木こり小屋を後にする橋田の足取りは重い。
木こりのじいさんと喧嘩してきたのだ。
橋田に手渡されたバイト代が、契約時の言い値より少なかったからだ。
じいさんの言い分は、売った材木の値段が下がっていたからその分割り引きしろというものだった。そんな無茶苦茶な言い分通じるかとゴタゴタ言っていたら、最終的に取っ組み合いになってお互いの顔をボコボコ殴っていたのである。
最終的に満額出させたは良いものの、二度と顔を見せるなと追い出され、腫れた頰を撫で撫で帰路についているわけだ。
「こっちのセリフだくそじじい」
半ば強引に受け取った金を懐の中でチャリチャリ鳴らしつつ、橋田はそうぼやいていた。
そんな一件があって気分が落ち込んでいるからなのだろうか。
やたら帰路の林道が暗く、不安を煽るような色になっているように橋田は見えた。
まだ夜の帳が下りるには早い時分である。少しずつ橙に変わっていくお日様と、烏の鳴き声がいやに気になる。
「一言で言うなら『不気味』だな」
苦笑いを浮かべながら橋田は足を早めた。
さわさわと不意に草木が音を発した。風は吹いていない。
獣か何が動いたのか、それとも…
「やめろやめろ。帰る。早く帰るぞ」
ジャリジャリと踏む足を少しずつ早めていく。
一度不安に思うと、どうしようもなく更に不安が重なってしまうのが人間である。現に橋田は不安すぎて誰かがこちらを見つめている気がさっきからしてたまらないのだった。
「や、はは、早く行くぞ」
小さく動かしていた足を、橋田は次にえいやと大きく踏み出した。
大きく出した右足が地面を踏んだ途端、橋田全体を大きな闇が通過して行った。
一瞬の出来事であった。橋田の目の前か、足元か、それともまた別の何処からか、突如として漆黒が現れ、そして消えていった。
「今のは…?」
意図しない出来事に目をしぱしぱさせ、闇が消えていった方を向きながら呆然と立っていた。
汗が吹き出る。
すると、
「ねぇ」
キンと通るガラス瓶を弾いたような未成熟で綺麗な声だった。
橋田はすぐに顔を正面へ向けた。
彼の前には小さな女の子が立っていた。
真っ赤で大きなリボンを付けた、金髪の少女であった。
鬱蒼とした林道にふさわしくない、質の良い白黒の洋服を着ていた。
「明らかに妖怪だよな。こんなん…」
薄暗い空間で無邪気な笑顔を向けている少女には底冷えする恐ろしさがあった。
彼女は表情を動かさないままこう言った。
「あなたは食べても良い人間?」
死ぬ。
少女の言葉を理解した瞬間。橋田は覚悟した。
妖怪には何度も会ってきたし、一緒に商売をしたりしていた。
しかし、そのどちらも橋田の安全が確保されていたからこそ出来た行いである。
今は何も無い。橋田を守ってくれる人も物も何も無い。自分で自分を守るしか無い。
橋田は額からじわじわと降りてくる汗を拭いながら、悟られないようごくごく冷静になって返事をした。
「どちらかというと食べられたくない方ですかね」
「ふうん」
ふわりと宙に浮くと、少女は橋田の右横に降りて橋田の腕をつかみ匂いを嗅いできた。橋田を掴む力はとても強く、振りほどけそうもない。
少女からはわずかに血の匂いがした。
身体が震えそうになるのを必死にこらえて橋田は言葉を続ける。
「良薬口に苦しって言葉をご存知ですか?」
「いいえ?」
「つまり私は貴女にとって苦い薬なんですよ。今貴女の体調はどうですか?」
いただきますと言わんばかりに大口を開けて橋田の腕にかじりつこうとする少女だったが、橋田の言葉に反応してピタリと止まった。
「何処か、お腹が痛いとか、頭が痛いとかありますか?」
少女は橋田から手を離しかぶりを振る。何処か心配そうな表情になっている。
「じゃあ大丈夫ですね。私を喰う必要はないですよ。薬は健康な時に飲むと逆に身体を壊しちゃいますから。死ぬほど身体が悪くて虫の息のタイミングで飲まないとダメなんですよ…」
「そーなの?」
少女は橋田の言葉を信じて良いかどうか迷っている様子である。
突然そう言われたら信じられないのは当たり前であるが、しれっと言う橋田を見ると、もしかすると本当なんだろうかと思ってしまう。
「そーなのです。じゃ、帰って良いですか?」
迷っているうちにさっさと逃げねばと、橋田は余裕綽々なふりをして少女を通り過ぎようとしていた。
が、当然がっちりと腕を掴まれて止められてしまう。
ゆっくりと振り返ると、少女はずっとうんうん考え込みながら手だけはしっかり伸ばして橋田が逃げないようにしていた。
「ええと。本当に薬なの?」
難しい表情をしながらそう言う少女を見て、橋田の冷や汗は少し引いた。
強気に出た方が良い。
そう思い、橋田は一歩前へ出る。
「え?食べます?」
「えぅ…でも」
さっきまで目の前の獲物を食おうと前のめりになっていた少女は、近づいてきた橋田から一歩引いてしまっていた。
しかしまだ腕を離さない。
「もしかして、私が薬だって信じてませんね?」
「そうだよ。だって今までそんな人間いなかったし」
「あちゃー…よく生きていますね。余程運が良いんだ」
「えぇ…」
橋田が空いている方の手で顔を覆い大げさな動作を取った。
「人間の中には一定数、妖怪にとって毒にも薬にもなる人間がいるんですよ。おおよそ人間全体の32%くらいですかね。それに当たらなかっただなんて、貴女はよほど幸運だったってことですね」
「そ、そんなの見分け付かないじゃない!嘘よ!」
「ごくごく簡単な見分け方はあるんですがねぇ…。はぁ…仕方がありませんね…本当は怖いからやりたくなかったんですけど、貴女のためを思って特別に教えてあげますよ」
「お、おお。お願いします」
頭をボリボリかきながらオーバーかつ残念そうにため息をつく橋田を見て、少女は彼の腕からおずおずと手を離し聞いた。
それを見た橋田は自分の腕を少女の鼻先へと持っていく。
「ほら、この臭いですよ。わかりますか?」
「にお…?ただの人間の匂いじゃない」
「そうじゃあない。私の臭いですよ。独特でしょう?」
「え?」
「え?」
少女はぽかんとほうけた顔で橋田を見ていた。
橋田の方も想定外の反応だというような素振りをしている。わざとらしく腕を組みながら唸っていた。
「分からないんですか?人間マイスターの貴女が。分からないとは…うーん困ったな」
「ど、どういう匂いなの?」
くんくんと必死に臭いを嗅いでいるが、少女は一向に分からない様子である。
橋田は自信満々に答えた。
「ゲンナリの葉の臭いですよ」
「ゲン…?」
「ゲンナリです。漢字だと、減るに生ると書きます」
「そ、そんなのがあるなんて聞いたことないよ!!」
当たり前である、橋田のハッタリなのだから、そんな人間がいるのかどうかというより、そもそもそんなもの存在しないのである。
「ああ…そうかもしれませんね。新参者と妖怪にはあまり出回らない話ですから…。里の人間達はみんな知ってるみたいですよ。私もつい最近知りました」
「そ、そーなのかー…」
頭をボリボリかきながら話す橋田を見ながら少女は必死に臭いを覚えようと嗅いでいる。
しかし分からない。脂の乗った美味い人間独特の匂いはすれど、橋田の言う独特な臭いが分からないのだ。
皆目見当つかないまま、いつまでも嗅いでいる少女は少し泣きそうになっていた。
「もう分かったでしょう。よろしいですか?よかったですね、死なずに済んで。それじゃあ」
弱々しく掴んでいた少女から優しく腕を離し、橋田は別れの挨拶をした。
「あ…じゃ、じゃあ。ありがとう。教えてくれて…」
「くれぐれも、ゲンナリの葉の臭いがする人間を食べようとしちゃダメですよ。消えて無くなっちゃいますから」
90度にお辞儀をし、踵返して橋田は林道を下っていった。
少女は橋田を見送るしかできなかった。
少女から離れてしばらく。
「まぁ、良薬なんて言っても、効くか効かないかなんて治ったとしても分からないがね」
里が見えてきたところで、橋田はそう呟いた。
医者嫌い独特のセリフである。
橋田は落ち着いた心臓の音を聞きながら、ゆっくりと家に帰っていった。
後日、稗田阿求に会う機会があった橋田は話のタネの1つとして彼女に聞いてみた。
「え?ゲンナリの葉ですか?よくご存知ですね。あれは人食い妖怪が食むと歯がボロボロになってしまうといわれる退魔の葉です。幻想郷だと…今は旧地獄くらいにしか無いんじゃあないかしら?何百年も昔は里でも育てていたみたいですけど…。どうしてそんなこと聞くんです?」
阿求の説明を聞いて目を丸くした橋田は、直後に大笑いしていた。
橋田がそんな出来事もはるかかなたの記憶になってきた頃、人食い妖怪に会った時は、大声で『げんなり、げんなり、げんなり』と唱えると、その妖怪は去っていくぞ。
そんな噂が里の中で流れていた。