幻想郷に入るにはどうしたら良いのか。
簡単な質問である。
人々から忘れられれば良い。
意識の奥底にしまわれ、記憶の中から引き出し開けようともされない寂しい存在になるだけで良い。
答えるのは簡単だが実践はなかなか難しいだろう。
現代社会で生きている以上、必ず何者かに存在を知覚される。
生きている状態で忘れ去られるというのは必ずしも簡単ではないのだ。
また、幻想郷の存在を知る方法も多くはない。
外の世界から幻想郷に資料がやってくることはあれど、その逆は、忘れ去られたものがやってくるという特異性により極めて稀、ないし、あり得ないのだ。
だのに知る人は知っている。何故なのだろう。
もしかすると、外の世界と幻想郷を自由に行き来できる者が、餌欲しさにわざと情報を流しているのかもしれない。
「暇すぎる」
鼻毛を抜きながらごろんと横になっている橋田は、今更ながらに閑散期というものを思い知っているところだ。
毎年恒例の白玉楼の住み込みバイトも終わり、里での仕事もだんだんに減ってきた頃合である。
何処に営業かけても虚しい返事しか返ってこない。
幸いにして妖怪がらみの仕事が重なってきたおかげで財布の中身には余裕があるのが救いだ。
日課になった部屋掃除も隅から隅まできっちり終わってしまったし、向こう半年分の酒は貯蔵してある。
ものぐさ太郎な橋田が幻想郷に来て唯一成長した部分が部屋掃除と前準備である。
乾かしていた雑巾を片付け、茶菓子を広げて一息つこうかとしたところで扉が突然開いた。
「おおい、橋田。客来てるぞ?」
大家の息子が突然橋田の部屋の扉を開けて言う。
プライベートもクソもあったもんじゃあないのが長屋の常識だ。
「はい、はい!いらっしゃい…?」
大家の息子の横に立っていたのは、サラリーマン風の格好をした青年だった。
「あ、どうもはじめまして!先輩!」
とりあえず立ち話もなんだからと家に上げた橋田は、己の愚行にとんでもなく後悔した。
「客でもなんでも無い見ず知らずの人間を上げても良いことなんかなんもねぇな」
橋田はボリボリ頭をかきつつぼやきつつ、青年の為におかわりの茶菓子を準備していた。
「いやぁ、変なところに来ちゃいまして、おっかなびっくり歩いてたら声かけられましてね?僕と同郷の人が居るからって案内されたんですよ」
「はぁ。そうですか」
橋田とは違い、仕事をしていたらいつの間にか幻想郷へ来てしまったのだと言う。
出された茶菓子をバクバクと平らげる青年の姿には遠慮のかけらも見当たらない。橋田自身が遠慮がちな分、遠慮を知らない人間を見ると少なからず腹が立つ。
「まぁ、迷い込んじゃった以上ここで暮らすしかないんでしょ?電気とか普通になさげだし、大変っすよねぇ」
「まぁ、ね。そうらしいですよ」
物足りなさそうな顔で最後の一つを食った青年は、やおらスマホを取り出しポチポチしていた。
「チッ。充電切れそうだし、圏外だし、やる事無いっすねここ。充電器あります?」
「ないね。俺はもう捨てたよ。それ」
もう橋田は我慢しない。橋田はこの青年とまともに相手をする気がほぼほぼゼロとなった。彼の頭の中は、青年の対応をする事から、雑に扱ってさっさと追い返す方向にシフトしている。
「もったいないっすね。捨てたってどこに?」
「河童にやった」
「かっっっぱっっっっ!?マジすか?いるんすか?」
馬鹿にしたような青年の口調に橋田は眉を吊り上げながら話を続ける。
「妖怪だのなんだの、面白おかしい輩が普通にいるところだぞ。河童くらい平気でいるさ」
「ヘェ〜。橋田さんとこにいく途中で色々教えてもらいましたけど、マジにいるんですねぇ」
「そういうところだからな。言っとくが、妖怪には注意しなよ」
「えっ。でも橋田さんて妖怪相手に商売して儲けてるんすよね?」
「なんか知らんが成り行きでそうなっちまったんだよ。それに里の人んたちが言うほど儲けてもないさ」
「ふぅん」
青年は目を細めて、うろんげだと言わんばかりにいやらしい相槌を打った。
「とりあえず仕事とか住む場所紹介してくださいよ。なんかあるんでしょ?」
久々に烈火のごとく怒り狂った。
長屋の住人どもがわらわらと集まる程度にわめき散らし、ふうの空けてない酒瓶と一ヶ月生活するには問題ない程度の金を思い切り叩きつけ、引き戸を蹴飛ばして風通りを良くしたところで青年をぶん投げた。
二度と俺に顔見せんなと中指を立てて追い立てた橋田だった。
橋田の怒る姿をほとんど見ない長屋の住人どもは、なんだなんだと引き戸を直しながら事情を聞いてきた。
「橋田ぁ、そんな程度で沸騰するもんじゃねえぞおい。同郷だろ?」
いまだにフーフーと怒りを肩で示す橋田を笑い飛ばしながら、隣の大工がまぁまぁと何処からともなく団子を彼の口元に持って行った。
最悪の出会いから数ヶ月。
年の瀬が近づいており、仕事が忙しくなりホクホクの橋田であったが、最近里の住人からの視線が時おり刺すようなものになっているのを肌で感じていた。
橋田が茶屋の長椅子に座りながら饅頭を食っていると、ちょっと良いかい?と茶屋の婆さんが声をかけてきた。
兎にも角にも、日本人というのは老若男女問わず偏見を持ちやすい。
やれ外国人は危ないだの、年上は踏ん反り返ってるだけだの、若者は苦労もせず年上を敬わないだの、ご近所の何某さんは一家共々ウンヌンカンヌンなんやかんやエトセトラエトセトラ。凝り固まったイデオロギーの中で己らの存在感を示して生活している。
閉鎖空間で繁栄した民族独特の世界観なのだろうか。そう思いながら、目の前で落ち込む婆さんの話し相手になっている今日の橋田である。
というのも、近頃里の人間達からの橋田に対する信用度がなんとなく低くなってきている様子なのだ。
「外の世界の人間てのは、薄情なんだねぇ」
「橋田さんは…いやなんでもない」
原因は分かっている。あの無遠慮な青年だ。
件の青年は、この幻想郷で商売を始めたらしいのだが、その商売方法に問題があったのだ。
主なターゲットは若い男性らしい。
外の世界の商売をそのままこちらに持ってきたと本人は言うらしいのだが、話を聞くとどうにも怪しい。
支払いに困った若者達が親兄弟にすがりついてまで工面するようになっているというのがよく聞く話だ。
外の世界でよく聞いていた話だ。
全く現実的ではない金儲けの話を用意して、高い授業料を取るのだ。
信憑性を持たせるために、あえて激しい浪費をするのがコツである。
成金趣味の装飾品を買い漁り、服装は毎日新しいものを着る。食事や宿は豪勢に行く。
そんなことをやっていれば必ず目立つ。
噂の渦中で少しずつコミュニティを作り、屋根なき経営塾を立ち上げたのだ。
いったい何処にそんな資金があるんだろうかと橋田は考えたが、そういえば結構な額叩きつけたっけかとすぐに思い出す。
おそらくあの青年はあの金を元手に悪巧みをしたらしい。
聞けば聞くほど外の世界で流行った商材ビジネスを丸々取り入れたんだなぁと橋田はあごひげをゾリゾリ撫でながら感心していた。
「まぁ、アレはそのうち痛い目見るよ。婆さん婆さん、息子さんの金は勉強代だと思って諦めた方がいいよ。若いのは騙されて初めて世間から教えられるのさ。人生はそんなに上手くいかないってさ」
「はぁ…同郷のよしみでなんとかならないのかい?橋田さん」
「いやいや、全然同郷じゃあないよ。俺は名古屋でアイツは東京だよ。どっちかっていうと、東京モンは俺らを見下す存在なんだ」
「納得いかないねぇ…。やっぱり外の世界の人は情が無いんだねぇ…」
「それは偏見だよ婆さん。俺だって外の世界から来てんだ。まぁ、俺も東京には偏見だらけだけどな」
ハッハッハと笑って橋田は婆さんの肩を軽く揉んで帰った。
幾日か経過して…。
いよいよ翌年まであと何日といったところである。
貸本屋から正月楽しむ分の本をたっぷり借りていたところで、後から入ってきた狸の頭領からこしょこしょと耳打ちされた。
「霧の湖に行ってみると良い。面白いものが見れるぞい」
何が見れるんです?と尋ねても、良いから行けとニタニタ子供がイタズラを隠しているかのようににやけているだけだった。
そこまでされると、気になるのは橋田の性分である。
妖怪に騙される事がよくあるが、大したものでもないし時には大笑いすることもあるので楽しみと言えば楽しみなのである。
若干警戒もしていたので念のために神社におもむき、霊夢に一声かけてから行く事にした。
博麗神社の貧乏巫女は、最近橋田が来ると団子をねだるようになった。顔を合わせるたびに手土産で団子を買ってきているからである。
親戚のおじさんのような扱いだ。
橋田の話を聞いた霊夢は、興味がまるでない風にハイハイと手を振って橋田を送り出した。
問題ないらしい。
さて、期待を少しだけ持ちながら霧の湖へとおもむいた橋田である。
冷たく湿気った雑草を踏みながら聞いた場所に近づくと、怒気をはらんだ甲高い少女の声が聞こえてきた。
「お前!嘘をついたな!!!」
「嘘だなんてそんな。貴女が勝手に勘違いしただけでしょうが」
何ヶ月か前に聞いた嫌味のある男の声が続いたのを聞いて、橋田は何となく察した。
おおかた、あの問題だらけの青年が妖怪にまで手を出したのだろう。
「そんなもの詭弁だ。お前は初めから嘘をついて私を騙したんだ!何が損はさせないだ。お前、私らに嘘を言ったらどうなるか分かってるだろうな?」
「何って何です?僕の肉でも食べますか?」
木陰から彼らの様子を覗いた橋田は思わず苦笑してしまった。
青年は完全に目の前の鬼を舐めきっている。
いかつい角が頭に2つ付いているとはいえ、見た目が可愛らしい少女だからだろう。青年はいやらしく目を細めながらわざとらしい感じで肩をすくめていた。
伊吹萃香は怒り心頭といった様子である。目を真っ赤にし、肩で息をしながら青年に詰め寄った。
「食ってほしいのか!?良いだろう!食ってやる!ただし!」
萃香は怒りに身を任せて青年の足を思い切り踏んづけた。
直後、腹の底まで響いた。鈍く低い轟音が木々を揺らしていたのだ。
もちろん地震ではない。
鬼が鬼たる力でただの人間の足を思い切り踏みつけたのだ。
ただ事ではない。青年の片足は甲から先が潰れ千切れていた。情け無い金切り声を上げながら青年は萃香の足元に倒れ込んでいた。
「私はお前の肉なんか食わない」
ひいひい言いながら這いずる青年を見下し、冷たい声で言った。
「お前を食うのは私の手下達だ!」
気がつくと、辺りに数匹の妖怪が湧いていた。何処からか呼ばれて集まったらしい。
流石に突然横を通られると、橋田もビビる。
ヒィと声を上げ尻餅をついたら当事者2名がこちらを振り向いた。
「なんだ、アンタか」
「ど、どうも、ご無沙汰してます」
萃香とは妖怪の中でも若干特殊な関係を橋田は築いている。
梅見の縁日で酒を振舞っていた彼女は、弱いくせして出す酒出す酒バカスカ飲みまくる橋田を気に入って声をかけてきてからの飲み仲間だった。時々仕事を受ける事もある。
「何処で聞いたんだい?里の人間がこんなところ、たまたま散歩していたわけじゃあないだろう?」
「はぁ、二ツ岩の頭領さんから聞きまして…」
「ああ、寺の…」
納得した様子の萃香の下で、うめき声をあげながら掠れた声で橋田に助けを求めている青年を見て、橋田はため息をつきながら口を開いた。
「馬鹿だなぁ。妖怪には気をつけろとあれほど言ったじゃあないか」
「それ、妖怪の私の前で言うのかい?」
橋田の独り言に、にやけながら萃香は言う。
「はぁ、すんません。つい思った事が出てしまいまして」
「良いさ、本音を言う人間は珍しいからな」
青年が逃げないように腕を蹴飛ばして切り離す萃香は笑いながら橋田にそう返した。
「た、助けて…助けてくれよ!なぁ!」
手も足も千切り取られ、患部から濁流のように血を流す青年は、橋田の方に顔を上げ、しゃがれた声で懇願をはじめた。
「ちなみにさ、これアンタの仲間?」
「いや、親しいわけじゃあありませんよ。鬱陶しかったし、食っちゃっても良いかもしれません」
「そうかい」
萃香は周りの妖怪達にゴーサインを出すと、待ってましたと言わんばかりに青年へ群がった。
「それにしてもあんた、人間同士なのに情ってもんが無いんだね」
下半身からじわじわと食われていく青年を眺めながら萃香は橋田に尋ねる。
橋田は青年から目を背け、今にも吐きそうだと言わんばかりに口元を抑えていた。
「こういう奴は生かしといても良い事無いんですよ。あ、博麗の巫女には内緒にしといてくれますか?」
「もう知ってるから遅いよ」
「えっ」
「あ、いや、忘れろ。まぁ、そういうもんなんだよ、霊夢と私らは…んっん!これ言うなよ。私が言ったって。聞かれちまったら…まぁ…答えても良い」
失言を取り消せないし、話せば話すほど墓穴を掘るので、諦めて素直に話すことにしたらしい。
「でも後から釘刺されるかもな。アンタも私ら妖怪相手の商売はほどほどにな」
「気をつけます。ありがとうございます」
「と、言ったそばからなんなんだが、仕事頼んでくれないかい?」
「なんでしょう?」
「宴会用の酒が欲しいんだ。里の安酒で良いから10樽くらい仕入れちゃくれないか?もちろん金は払うよ」
「10樽…飲みますなぁ」
「何日か連チャンでやりたいからね。あの人数であのメンツだとそんなもんすぐ無くなるから心配しなくても良いよ」
「いや、用意できるかどうかですよ。とりあえず聞いてみますけど、足りない分はそちらで用意してもらう形で良いですか?」
「ああ、構わないさ。できるだけ頼むよ」
骨だけ残して綺麗さっぱり妖怪の腹のなかに収まったものを見て、萃香は満足そうに答えたのだった。
「仕事は順調のようで何よりだわ」
萃香に頼まれた酒を納品していると、橋田の横にいつのまにか彼を幻想入りさせた少女が立って言った。
「あの青年はなんで連れてきたんですか?」
「私が入れたわけじゃあないわ。アレは勝手に入ってきたのよ」
「えっ。でも外の世界からこっちに来る為には」
「そうね。どうにか苦心して外の世界から忘れ去られたみたいだけれども、入ってからはダメダメみたいだったわね。貴方を見習っていればもう少しは生きながらえたかもしれないのにね」
「はぁ。そんなもんですか」
「いい餌だったわ。それなりにヘイト高めてくれたのは大きいわね。恨みつらみを食べて生きている妖怪もいるし、最近皆んなが飢えてたみたいだからちょうど良かったのよね」
「おかげさまで里の人達は外来人に対して偏見が強くなって仕事しづらくなりましたがね」
「人の噂も七十五日よ。そのうちまた普通に戻るかもしれないのに怒らないでくださらない?」
「はぁ、すんません」
ボリボリ頭をかきながら橋田は謝る。妖怪と話すと大抵これをやる。もはや癖である。
「それで、何の用ですか?」
「貴方に用事はないわ。私は宴会に呼ばれて来ただけよ」
橋田がまばたきをしたら、少女は消えていた。
「よく分からん人だなぁ…いや、よく分からん妖怪だなぁ」
しっとり冷えた空気は年の暮れをはっきり伝えていた。