売れない営業マンが幻想入り   作:池沼妖怪ブレインロスト

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婚活女子は嫌われる

「おお…これが天衣無縫…」

 縫い目の無い羽衣という矛盾だらけの物体を手にして、橋田は感極まっていた。

 

 橋田の今日の仕事は呉服屋の手伝いだった。

 滅多に見られない掘り出し物があるという宣伝を出したので、客が押し寄せるかもしれないから手伝って欲しいとの事だった。

 そんな馬鹿な。呉服屋に人が殺到するなど聞いた事がない。などと橋田は思いながらも了承したのだった。

 

 そして今に至る。

「いくらでも触って良いけど、目だけは絶対に離さないでくれよ?本当に貴重なんだからね」

 雇い主の若旦那が橋田に注意をする。

 橋田自身は反物に詳しくはないが、これほど最上級という言葉が似合う物は無いというのは手に取って分かった。

「いやぁ、こんな素晴らしいのを手伝いごときが触って良いなんて恐縮ですね」

「中途半端に着物の知識があるやつより、全くない人間の方が信用できるのさ。取り扱いが分からない人間の方がネコババしないんだよ」

「なるほど」

 橋田は透ける羽衣越しに若旦那を見て頷いた。

 

 この若旦那、一言で言ってしまえばイケメンだ。

 呉服屋のボンボンらしいといえばらしい。

 肌は色白で良く手入れされており、鼻は良い具合に高く、目は細い。

 すらりと伸びた背は、平均より一段高く。しかし威圧感がない。

 結っている髪は多少の遊びがあり、垂れている前髪が色気を出している。

 女遊びも人並み程度は出来る、余裕のある男だった。

 外の世界にいれば、雑誌モデルや俳優業などをやってそうだ。

 老若男女問わず、隠れファンも多い。

 中肉中背、ボサボサヘヤーで、その日暮らしの橋田とは比べようもないくらいの色男である。

 まさに月とスッポン。

 橋田的には食えるスッポンの方が好きなので良しとする所ではあるが。

 

「しかしまぁこんな見事なもの、何処で手に入れたんです?」

 橋田は見ても飽きない不思議な物体をいじくりながら、当然の疑問を口に出した。

「そ、それは…」

 普段は余裕を振りまいている若旦那が突然うろたえはじめた。

 橋田は鈍感でないし、また正義感に溢れている出来た人間でもないので、入手先をこれ以上聞くのはヤボだと判断した。

「ああ、まぁ、教える必要はないですよ。なんかヤバイのが来るとか、そんなのじゃなけりゃ私はどうでも良いです」

「ヤバイのかい?ああ…ん…まぁ…来ない…かな?」

 なんとも歯切れの悪い答えが返ってくる。

「若旦那。私はボディーガードでもなんでもないんで、若旦那を出せと言われたら何のためらいもなく出しちゃいますよ?」

 若旦那の反応をいぶかしんだ橋田はそう言った。

「あ、ああ。分かってる。大丈夫だよ。その羽衣さえ返さなければ…」

 若旦那は最後まで言わずに言葉を切った。

 橋田が若旦那の方を向くと、口を押さえて、しまった!という顔をしている。

 どうやらこれは盗ったものだったらしい。と橋田は判断した。

 

「天女から盗んだんですか?すんません旦那。私、盗品の転売屋はお断りしてるんですよ。申し訳ないが、この仕事辞めさせてもらいますよ」

 橋田は羽衣を箱にしまって店から出ようとする。

 帰り支度をしている橋田の表情は、普段のニコニコばかりのものからは想像もできない、恐ろしい無表情だった。

 若旦那はその表情に怯えながらも橋田を止める。

「い、いや、違うんだ!待ってくれ!これは盗ったわけじゃあない!落ちてたんだ!」

「落ちてたって、地面にか?」

 橋田は一度敵とみなすと、その相手には恐ろしく冷たい態度をとる。

 彼の評判も普段外で見る温厚な人柄も知っていた若旦那は、そのギャップにひどく恐怖した。

 まだ商売経験の浅い人であるから、そういう人間も少なからずいるのだと知らなかったのもあるだろう。

 震えた声で若旦那は答える。

「いや…その…川辺の木の…枝に…」

「この事、大旦那さんは知ってるんですかねぇ?」

「落ちてたとだけは…」

「木の枝にって、それ、天女さまが行水してたんと違うんじゃないですか?」

「い、いや、断じてそれはない!何回も確認したんだ!あの羽衣以外置いてなかったし」

「じゃあ忘れもんじゃないか?幻想郷の神様とか仏さんとかってわりとおっちょこちょいだしな」

「さぁ…?」

「さぁ?ってあんた…」

「とにかく!これは盗んだものじゃあないんだ。忘れ物なら忘れた輩が悪いだろう?仮に落とし主が取りに来たら、それは渡せば良いんだから。だから、良いんだ」

 若旦那が羽衣を橋田に押し付けた。橋田に言われてようやく羽衣の危険さに気がついたらしい。

「呑気なもんだ。じゃあこれは若旦那が管理していてください。私は離れて別のもんの売り子やるんで。こんな爆弾持たせないでください」

 橋田は羽衣を若旦那に押し戻し、ほかの反物のコーナーへ移っていこうとした。

「い、今の倍だそう」

 ピクっと橋田の動きが止まった。

 橋田が振り返ると、汗びっしょりの肩で息をしている若旦那がいた。心なしか口角が上がっているように見える。

「安心した顔してんじゃあねぇ。そんなので人様の命が買えるかよ。10倍だ」

「そ、そんなのは法外だ。ウチと縁を切りたくなかったらもう少しまけてくれ。せめて3倍」

 橋田が凄むと、若旦那の額からまた汗が吹き出していた。

 しかし若旦那も商売屋の息子だ。金についてはがめつい。

「8倍」

「3倍が限界だね。我が家はそこまで裕福じゃあないんだ」

 橋田は若旦那の顔全体をジッと見ていた。

 若旦那はそれに負けじと睨み返してはいるが、威迫に負けてどうしても視線があちらこちらに向いてしまう。

 瞬きも増えてきたし、汗もなかなか引かない。

 

「…分かりました。5倍で手を打ちましょう。これ以上は下げられん。経費で出せない分は若旦那の懐からいただきます」

 そしてついに橋田がそう口にした。

「ぐ…ま、まぁ、そのくらいで命と今の地位が買えるなら安い。分かった。契約成立だ。はぁ…この話は他言無用だよ?」

 若旦那は苦虫を噛み潰したような顔でそう答えた。

「私が本格的に命の危険を感じたら、即逃げさせてもらいますよ?契約料もきちんといただいた上でだ」

「う…し、仕方がない。今回だけだぞ!?」

 若旦那が橋田に指差して言った。

「はぁ…元はと言えば若旦那が悪いんでしょう。どうなっても私は知りませんからね?」

「あぁ…ああ。よろしく頼むよ。私は父に君の手間賃について話してくるから」

 若旦那はそう言うと、そそくさと奥の部屋へ行ってしまった。

「さて、お仕事しますかね」

 若旦那を見送った橋田は、いつも通りの笑顔に戻り、鼻歌なんぞを歌いながら開店の準備を始めたのだった。

 その姿は命の危険があるものを取り扱う者のようには見えなかった。

 

 

「そこの人間。この羽衣を何処で手に入れましたか?」

 開店してしばらく。

 呉服屋の宣伝が効いたのか、本当に客が多かった。

 誰もが羽衣を眺め、圧倒され、値段を見て驚愕し、渋々他の反物を買っていく。

 そんな客足も途絶えてきた昼中であった。

 ピンクのフリフリシャツに紫の髪をした美女がやってきて、橋田に声をかけたのだった。

 明らかに里では浮く格好である。基本的に人外の格好は里では浮いたものだと橋田は理解している。

 

「さぁ?ここの若旦那が拾ったって聞きましたが」

 橋田は素直に答えた。危険なので人外は騙すだけ損なのだ。

「これは我々のものです。お前たち人間には飾るくらいしかできない無用の長物なのだから、今すぐに返しなさい」

「そりゃもちろん。と言いたいところですが…貴女は本当に天界の方で?」

「見て分かりませんか?」

 美女は己が着ている服や羽衣をピンと張って強調した。

 着ている服は、装飾以外に縫い目の無いものであるし、何より羽衣を着けている。

 つまり、今貴様が持っているものと同じものを私は着けているんだ、馬鹿じゃないのかと言っているのだ。

「そりゃそうなんですがね?ただ、確信が無いんですよ。私は天女様の専門家ではありません。空飛べる輩なんか数えるのが馬鹿らしいほど居ますし、大地を揺るがす程度は朝飯前にやる人間も知っていますから。申し訳ありませんが、これは商売人として譲れないのです」

 

「何をしたら信用してくれるのかしら?」

 美女はため息混じりに質問した。

「そうですねぇ…この見事な羽衣が何処のものかを教えてくれたら、もしかするとと思うかもしれませんね」

「そんな事ですか。それは私のものではありません。天界で作られ、厳重に管理されていたものです。愚かな部下が不慮の事故で手離してしまったので取りに来たわけです」

「その不慮の事故とは?」

 橋田は身を乗り出して聞いてみる。

「言う必要がありません」

 美女はツンと顔を背けた。

「そうですか、残念です」

 残念そうにハァと橋田はため息をつきながら羽衣を包み、美女へ渡そうとした。

 やっとかと美女は安堵の息をつき、腰に手を当てる。

 

 と、突然、橋田が思いついたかのように美女へ語り出した。

「ところで、全く関係ない話なんですが…近頃、婚活なんてのが外の世界ではブームでして…」

「それ以上は言わないで。何処で知ったかは分からないけど…。つまりお前は何が言いたいのですか?」

 予想外の話をされて驚いた美女は、慌てて橋田の話を止めようとした。

 橋田はいつもの笑顔を崩さず、綺麗に包装された羽衣を美女に渡しながら言った。

「別にたかりたいわけではないのです。ただ、これを無償で返してしまうと、大旦那さんの怒りを買うことになって私の生活が苦しくなってしまうわけですよ」

「はぁ…人間というのはやっぱり欲の塊ね。個人的には一発ズドンと落としてやりたい気分だわ」

 額に手をついてやれやれとする美女へ、照れたように頭をかきながら橋田は反応する。

「いやぁ、下賤な身分でお恥ずかしいです」

「わかりました」

 ごそごそと美女が懐へ手を入れ、あるものを取り出し、橋田へ押し付けた。

「それは天界でのみ採れる桃です。人間が食べればたとえ一つでも、十数年程度は長生きできるようになるでしょう」

「これと交換ですか?」

「足りなければ貴方の分くらいなら余分にくれてやっても良いですよ?」

「ああ、結構です。旦那様に渡してきます。少々お待ちを…」

 橋田は立ち上がると、そのまま奥へ行ってしまった。

「驚いた。人間のくせに長寿が恋しくないなんて」

 永江衣玖は、仙桃に興味を示さなかった人間を生まれて初めて見た事に驚愕したのだった。

 

 

「いやはや、色をつけもらうってのも気分良いなぁ」

 呉服屋のバイトが終わり自宅へ戻った橋田は、パンパンに膨れ上がった財布を眺めてニヤついていた。

 

 実を言うと、橋田は人間の中も極少数派の一部にカウントされる事をしていた。

 外来人だというのもそうなのだが、もう一つある。

「しかしまぁ、この新聞はやっぱり購読して良かったなぁ」

 取り出したのは、『花果子念報』という名の新聞だった。

 橋田は里で出回っている新聞より、この花果子念報の方が好みであった。

 文が苦手というのもあるが、それよりも天狗が書いた記事というのもレアだし、里で人気の『文々。新聞』みたく評論など入れず、そのままの事態を書いてある公平な記事だし、何よりネット記事風のフォーマットなので現代人の橋田は読みやすかった。

 梅の花見の縁日で、河童の屋台が鍋敷きに使っているのをもらい、この新聞を知ったのだ。

 流石に天狗の新聞を読んでいるのがバレると何を言われるか分かったものではないので、里の人間には内緒で購読している。

 寝る前に料金を玄関に置いておくと、朝起きる頃には新聞に変わっている。

 この不思議な購入システムも橋田が気に入ったものの一つだ。

 

 さて話は戻る。

 橋田が取り出した花果子念報の記事には、『羽衣婚活伝説』と題目があった。

 内容は、一部のヤンチャな天女が婚活のために羽衣をわざと置いておき、気に入った男が手に取ったら無理矢理婚約を迫ろうとするもので、天界はその身勝手な天女に手を焼いているというものだった。

 この記事を見るに、若旦那は天女のお眼鏡に叶う顔立ちではあったそうだ。

 記事の中には人間の里の長者が注意喚起する描写もあったが、そんなもの聞いたこと無いし、若旦那が誰にも会わずに拾ったと聞いたのもあって、記事の内容は半信半疑であった。

 しかし、羽衣を置いて待っていたところに何かしらのハプニングがあった可能性や、実は若旦那が迫る天女を出し抜いていたなどという可能性も否定出来ない。

 記事を信用するなら、取り返しに来る天女は下級のものだろうし、最悪博麗の巫女を頼ればなんとかしてくれるかもと、比較的安全に見える博打を打ったわけだった。

 結果、記事の中でインタビューを受けていた永江衣玖が店に訪れ、何事もなく返却することができた。

 更には、実際に婚活の道具として使われてしまっているのが本当だと知り、橋田は大満足だった。

 高官であろう衣玖が来たのには内心驚いたが。

 

「この新聞のおかげで儲けさせてもらったし、今日は天狗の好物も一緒に置いといてやるか。んー…天狗の好物ってなんだ?小さい子供くらいしか知らんぞ…」

 橋田は、まぁとりあえず、と里で売っている一番高い酒を一升ほど、玄関に置いてから床についた。

 願わくば花果子念報の記者である姫海棠はたてとやらが酒好きである事を、と思いながら、橋田はゆっくりと夢の世界へ落ちていったのだった。

 

 翌日、酒と代金はしっかり無くなっており、本日分の記事が置いてあった。




花果子念報の羽衣婚活伝説という記事は、東方求聞口授の中に出てきます。
久しぶりに読み返して、この話を書きたくなりました。

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