「外来人が出入り自由だと!?」
仕事が終わり、自宅で鼻毛をいじりながらダラダラしていた橋田は、この驚愕の記事を読んで飛び起きた。
寝耳に水とはこの事である。
「別に外の世界には全く未練もクソも無いが、出入り自由ならそれはまた考えものだぞ」
幻想郷と外の世界では通貨が違う。が、金が無くったって遊べるものは遊べるのだ。
図書館に行ってスマホを充電しながらネットサーフィンしたり本や新聞を読んだり、海に行って釣りをしたり、古本屋で立ち読みしたりと、やる事は数え切れない。
「実際どうなんだろうな、とりあえずこの宇佐見何とかって子に会ってみないとわからんが…。ていうかなんて読むんだ?この名前」
正直、食指が動かない。威風堂々とした少女の姿が映る記事の写真を見るに、橋田が苦手とするタイプである。
「まぁ、頻繁に出入りしているなら、いずれ会えるさ」
嫌なものからはなるべく逃げる。
凡人橋田の人生はそんな程度なものだった。
翌日である。
今日の仕事が終わり、帰りに本を借りて帰ろうかと思い、橋田は鈴奈庵に立ち寄った。
「アガサクリスQ?推理小説ファンの同人かな?」
「ご存知なんですか?」
一番目立つ位置に置かれていた小説を手に取って呟いた橋田を見て、本居小鈴は首をかしげる。
「ん?ああいや。海外の有名な小説家にね、アガサクリスティーって似たような名前の人がいるんだよ」
「へぇ〜」
小鈴は興味なさそうだ。
橋田が小鈴の方を向いた時には既に、手元に置いていた本の続きを読んでいた。わけのわからない絵文字(?)が並んでいる本だ。
「どれどれ…」
「あ!橋田さん、立ち読みはダメですよ!」
中身を開き、そのまま立ち読みしようとした橋田を小鈴が止めた。
「あ、ああ。すんません。いくらだい?」
「アガサクリスQの小説は、いま大人気なのでちょっとお高めです。こんなもん」
「結構足すねぇ。まぁ、人気の本ならそんなもんか。はい、どうぞ」
「まいど!」
「どらどら…」
代金を支払った橋田は、時計を見てまだ閉店の時間まで余裕があるのを確認してから、店の端にある椅子にヨイショと座り、じっくりと読み始めた。
店の中には本の虫が二匹、全く動く気配はない。
チコチコと鳴る時計の音と紙が擦れる音だけが、流れている時間を証明している。
針がどれだけ進んだのだろうか、店の玄関がガタガタと音を鳴らした。
「いらっしゃいませ!あー。あんたか」
「私、一応客なんだけど。これ返却ね」
入ってきたのは稗田阿求であった。
分厚い四角になった風呂敷を小鈴に渡した。
阿求は持ってきた本が重かったのか、手放して一息ついていた。
「あら、橋田さん。こんにちは。珍しいわね、こんなところで」
阿求はごく自然な動作で店の脇に移動しようとしたところで、移動先にいる橋田を見つけた。
「ああ、稗田のお嬢さんですか。こないだはどうも」
筆代をぼったくってから、何度か稗田家でアルバイトをしていた。橋田にとっては仲良くしたいお得意先である。
阿求の常連らしい行動を察知した橋田は、席を譲るために立ち上がろうとした。
立とうとする橋田を手で止めた阿求は、彼が読んでいた本を目ざとく見つけた。
「貴方もアガサクリスQの小説を読んでるのね。面白いかしら?」
「ええ。流行りに乗ろうかと思いまして…。まだまだ序盤ですからなんとも言えませんなぁ。ただ…」
橋田は本の表紙を撫でながら話し始める。
「文章の書き方がとても秀逸ですね。読みやすい。普段から字に触れている人が書いてるんでしょうな。知識も豊富だし、展開も丁寧だ。推理小説というのは伏線をどう書くのかが重要になってきますから、それがどう表現されるのかがこれから楽しみですね。まぁ、これは私の推測ですがね?この小説は鈴奈庵という貸本屋からの出版なんで、読み直して伏線に気がつくというよりも1回目でその伏線に気がつけるような細工がなされていると思いますよ。この作者はそう思える程度には腕が良い」
橋田は素直な感想を述べた。伊達に本が好きと公言しているわけでなく、それなりに評価が出来る程度には読み漁っているのだ。ただ、早口で言っているので若干キモい。
「そう。読者からそんなに褒めてもらえるなら作者は嬉しいでしょうね」
橋田の率直な感想を聞いた阿求は、鼻を膨らませ、口角をわずかに上げ、頰をヒクヒクさせていた。心なしか嬉しそうなのである。
その阿求の変化に気がついた橋田は、読書でいっぱいになっていた頭を一時中断して、少しばかり思考を巡らす。
「む。んー…?アガサクリスQ?アリス級?ア級?アキュウ?阿求?すんません、稗田のお嬢さん。貴女、アガサクリスQだったりします?」
「あ、え、えっ?なんでそう思ったのかしら?
橋田の質問にギョッとなった阿求は、若干緊張した雰囲気を出しながら橋田に聞き返した。
「いえ、なんとなくです。単純にアガサクリスQって、sの発音の後にkの破裂音がくるのが二回もあるので言いにくいんですよ。そういう発音が面倒な時、人間ってよく無理矢理縮めてそれをニックネームにするんですが、私が雑にアガサクリスQを略すと『アQ』になったんですよねぇ。なのでそうなのかなと。『アキュウ』だと、仮にアクセントの違いはあったとしても、口の形は開いた状態から閉じるものへ自然に移っていきますから言いやすいですし」
「へぇ〜」
橋田の雑学に感心したような声を小鈴が出した。読めない本の作家の話よりも、身近な雑学の方が興味あるらしい。阿求の方をチラチラと見ながらニヤニヤしている。
「まぁ、たわけの戯れ言ですよ。忘れてください。稗田のお嬢さんだったら、そのまま稗田阿求で出されますよね。なんたってもう出してるんだから。ハッハッハ!」
橋田は自分の推論を否定して笑い声を上げた。
「そうね。ほほほほほ…」
阿求もそれに乗っかって、上品に笑っていた。ちなみに否定はしていない。
そうしているうちにまた、店の入り口から人の気配がしてきた。
「邪魔するぞい」
「あ、いらっしゃいませー」
「今日も今日とて、外来本の買取を頼みにきたんじゃが」
「良いんですか!?いつもありがとうございます!」
丈の高い女性が入ってきた。小鈴の反応を見るに、どうやら常連らしい。
少々古臭い喋り方をするが、厚着している上からでもわかるほどのモデル体型な美女だ。腰から上がすらりと伸びていて良いプロポーションである。
袴や上着などは男性的なファッションセンスだが、立ち居振る舞いが堂々としているのも相まって、彼女くらいの背丈だと良い感じになる。なにかの女頭領かと思うくらいだ。
何故か頭に木の葉をくっつけているが、そんなことどうでも良い。
彼女は眼鏡をかけているのだ。眼鏡は良い。とても良い。素晴らしく良い。最高だ。幻想郷では普段から眼鏡をかける習慣無いのか眼鏡っ子は貴重な存在なのだ。橋田は眼鏡をかけている女性が大好きだった。
が、
「む。獣(けも)臭い」
橋田の声はしっかり女性に聞こえていた。
「おぬし、よく人から失礼な人間だと言われんか?」
「ああ。すんません。なんとなく貴女から臭っ…じゃない、すんません、すんません。忘れてください。ほんと」
「ふん。まぁええじゃろ。儂はそんな器量の乏しいのではないからな。しかし若いの、よく覚えておくが良い。口は災いの元じゃぞ?」
持ってきた本を小鈴に渡した女性はズイッと橋田に詰め寄り、脅すような顔で諭した。
「ご厚意、痛み入ります。こないだも、話の途中で相手の手にあったタコが気になったのを口に出してしまって怒られた事がありまして。ハハハ。なんとか改善したいのですがね…」
「タコ?ああ、頭が痛くなるほど下手な琵琶を引く輩とはおぬしのことじゃったか?」
女性は橋田の話を知っていたのか、自嘲気味に笑う橋田に聞いてきた。
「む。そうですが…もしや貴女は妖か「ああ!なんとなんと!堀川のから聞いとったがこんな偉丈夫じゃったかー!いやはや良い男じゃ!腹もこんなポヨポヨしておるしのぉ!ハッハッハ!」
妖怪なんですか?と聞こうとする橋田の口に手を当て、腹を思い切り掴みながら遮った。
「儂は今人間に化けとるんじゃ。不用意にバラそうとするでない」
コショコショと橋田の耳元で己の正体を明かす二ツ岩マミゾウは、若干の冷や汗をかきつつ、橋田の腹から手を離した。
「あ、き、気をつけます」
「して、おぬしは外来人らしいが、あの娘と知り合いでないのか?」
「あの娘とは?宇佐美なんとかって子ですか?」
前日に読んだ記事に出てきた名前を口に出した。
「そうそう、そんな名前だったか。外の世界の人間は、長い時間幻想郷に存在するのが稀だと聞いてな。もしやと思ったのじゃが…」
「私の知り合いにあんな若い女性はいませんなぁ。まぁ、会ってはみたいですね」
「ほう…。いや、変なことを聞いたな。失礼した」
そう言いうマミゾウは、清算が終わった小鈴の元へ戻っていった。
受け取った金の勘定が終わり、店を出かかるという時に、マミゾウはまたコショコショと橋田へ言った。
「あの娘に会いたいなら、香霖堂に行くと良いぞ?よくそこに出没するらしい」
「なるほど、香霖堂…。けったいな店主がいると噂のあそこですか」
「らしいな。よくわからんが」
「まぁ、いつか行ってみます。ありがとうございます。教えていただいて」
「いやぁ、なんのなんの!代わりにじゃが…」
礼を言う橋田から頭を離し、嬉しそうな顔で言葉を続けた。
「儂らも手伝って欲しいと思った時には、おぬしの店を訪ねれば良いかのう?」
「ええ。美女と金持ちの依頼なら、代金次第で断りませんよ」
橋田はいつもの調子で営業をする。
「そうかそうか。それならいつか頼むぞい。いつになるかわからんが」
「心よりお待ちしております」
「うむ。良い心がけじゃ」
金の入った袋をチャラチャラ鳴らし、ホクホク顔でマミゾウは出て行った。
鈴奈庵が閉まり、橋田は阿求もといアガサクリスQの二巻目を持ちながら帰路に着いていた。
「ふぅ。眼鏡なのは良いが、獣臭くてかなわんのが残念だったなぁ。あ、いかんいかん。壁に耳あり障子にメアリー…。付喪神が何処で聞いとるのかわからんからな。陰口は言うもんじゃあない」
橋田は首をこきこきしながら、また別の事を思い出していた。
「しかしまぁ、香霖堂か…暇を見つけて行ってみるか」
まだまだしばらくは仕事が入っている。
とはいえ、今日みたく昼過ぎに終わる日だってあるのだ。
しかし、橋田は会いたいようで会いたくない。のんびりと行こうじゃないかと楽観的に行くのであった。
雷鼓とマミゾウに交流があるのかは知りませんが、たぬきと付喪神は相性が良いらしいです。