「……」
年の頃にして40歳くらいに見える小ぎれいな女は、連行されようとするとき山口と目を合わせ
その口は無言のまま何かを伝えるように動いた。
都心のどこにでもあるような狭い雑居ビルの一室。
部屋の中は、黒いヘルメットを被り、その下は目出し帽で顔を覆い、漆黒の戦闘服に身を包んだ特殊部隊と私服の刑事でごった返し、殺気立った雰囲気が漂っている。
特殊部隊は、ベレッタ92バーテックを構え、いつでも撃てる態勢だ。
その特殊部隊員は、ひとり異彩を放っている。
ヘルメットに犬の耳のような突起が付いているのだ。
目の部分が丸くくり抜かれた目出し帽から、緑の大きな瞳が真剣なまなざしであたりを窺(うかが)っている。
顔は見えないが戦闘服の上からでもはっきりと分かる女性らしいふっくらとした丸みを帯びた体格から、その特殊部隊員が女性であることは明らかだった。
いかつい男たち中に、その女と若い男数人が立ち尽くし、それぞれが刑事たちに取り囲まれ生気を失った蒼い顔をしている。
「ほら、いくぞ」
両手錠をかけられた女は、捜査員に促され玄関から外に連行され姿を消した。
山口は、連行される女を追って足を踏み出そうとしたが大きくかぶりを振り思いとどまった。
こうして「氷鬼」と呼ばれ、グループのトップに君臨し恐れられていた女帝が逮捕されたことにより、被害総額100億円以上といわれる国内最大規模の特殊詐欺グループは壊滅した。
「まったく、今年の夏はっていうか、この部屋はほんとに暑いわね」
テワタサナイーヌは、ブラジャーにほどこされた刺繍まで透けて見えるほど薄手のブラウスの胸元を大きく開け、自分のイラストが描かれたうちわであふれんばかりの乳房に風を送り込んでいる。
テワタサナイーヌ、本名山口早苗(旧姓天渡)は警視庁犯罪抑止対策本部に所属する警察官だ。
階級は警部補。
同期の中では一番の出世頭だ。
養子縁組をした父山口博、そして、夫である山口大輔と同じ所属で勤務している。
通常、家族が同じ所属で勤務することはないのだが、この山口一家に限っては特例として一緒に勤務することが許されている。
テワタサナイーヌは、とても変わった風貌をしている。
髪はミディアムくらいの長さで緑という珍しい色だ。
さらに普通の人の耳たぶの付け根あたりから薄茶色の獣毛で覆われた耳が緑の髪を割って生えており、天に向かってぴんと立っている。
人間の頭に犬の耳が生えている状態を想像すれば分かりやすい。
鼻は、高くもないが低過ぎもせずきれいな形をしている。
その鼻のてっぺんは褐色で常に湿っている。
つまり犬の鼻だ。
形は人間のそれだが、犬並みの嗅覚を持っている。
獣毛の中に、眼球がこぼれるのではないかと思うほど大きな瞼が開いている。
その瞳は髪の色をより深くしたようなエメラルドグリーンだ。
じっと見つめられると吸い込まれそうになる不思議な眼力を持っている。
ふっくらと柔らかな唇からは、左右一対の犬歯が顔を出している。
首から下もほぼ全身が獣毛で覆われているが、毛の長さは短く短毛種の犬のようだ。
テワタサナイーヌは、ヒトとしては規格外の異形といえる。
彼女は、幼少期に継父から熾烈な虐待を受け、瀕死の重傷を負ったところを付近住民からの通報で駆けつけた山口に助け出され、九死に一生を得た。
この事件により、テワタサナイーヌの両親は親権を剥奪され、彼女は児童相談所により児童養護施設に入所することとなった。
その後、テワタサナイーヌは児童養護施設から高校を卒業し、警視庁の警察官に採用されることとなる。
やがてテワタサナイーヌは、葛飾警察署で山口と上司部下の関係として勤務する。
そして、山口が犯罪抑止対策本部に異動すると、それを追いかけるように早苗も異動となった。
そこでテワタサナイーヌは、猛威を振るう特殊詐欺被害をなくすため、犬のような風貌を最大限に活かした広報啓発を行うため、本名である天渡早苗を一時的に捨て、テワタサナイーヌとして活動することとなった。
犯罪抑止対策本部、略称「犯抑」では、白バイ乗務の経歴をかわれ、私服で犯人の追尾を行う「カゲ」の要員に抜擢された。
テワタサナイーヌがカゲとして勤務しているとき、オートバイで逃走する犯人を追跡中、交差点で事故を起こして生死の際を
その事故がきっかけとなり、自分と山口の関係を知ったテワタサナイーヌは、自分から山口の養子になりたいと申し出て、山口姓となった。