掛け違いの輪舞曲(ロンド)   作:吉川すずめ

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獅子身中の虫

 とあるマンションの空き部屋。

 二人の刑事がカーテンの隙間から向かい側のビルを見張っている。

「今日も同じですね」

 若い刑事があくびをかみ殺しながらつぶやいた。

「ああ、もう何ヶ月も同じ動きだ。いい加減打ち込めばいいのに何やってんだかな」

 中年の刑事がもううんざりといった様子で適当に返事をする。

 この男たちは、捜査二課の指揮でオレオレ詐欺の犯行グループの拠点を監視している所轄の刑事だ。

「朝10時までに出勤して、そのあと誰も出入りがない。それで、夕方6時には全員帰っちまう。これの繰り返しだ」

「俺たちよりずっとホワイトな勤務環境ですよね」

「まったくだな」

 その日の午後6時すぎ。

 捜査二課長室。

 その男は、まだ三十代の若さで細身のスーツをおしゃれに着こなしている。

 捜査二課長だ。

 警視庁の捜査二課長は、キャリアのポストとされている。

「失礼します」

 オレオレ詐欺グループの捜査を担当している管理官が課長室のドアをノックした。

「どうぞ」

 課長が椅子から立ち上がって管理官を迎える。

「失礼します。いまの帳場ですが、明日打ち込みます」

 管理官は手短かに用件だけを報告した。

「分かりました。朝駆けですか」

「いえ、連中が出勤した頃合いを見計らって入ります」

「ということは、10時くらいですね」

「はい」

「捜査員が怪我しないようにしてもらうのと、飛ばれないようにしてください」

「了解しました」

 管理官は軽く敬礼をして課長室を出た。

「あと16時間か」

 再び椅子に腰を沈めた捜査二課長は、壁に掛けられた世界時計を一瞥すると、鞄を手にして部屋を出た。

「今日は歩いて帰りますから車はいりません」

 部屋を出てすぐのところにいる庶務担当管理官に声をかける。

「え、そうですか。かしこまりました。おい、今日は課長歩いてお帰りだ」

 庶務担当管理官が立ち上がって返事をして運転担当に指示を出した。

 捜査二課長は、ときどき歩いて帰ることがある。

 警視庁本部から捜査二課長の公舎までは、歩いても15分くらいの距離しか離れていない。

「まあ、公舎もそんなに遠くないから、たまには歩いて帰るくらいの方が健康にはいいんだろうな」

 庶務担当管理官も帰り支度を始めた。

「テワさん、明日は現場だ。アジトの打ち込みがある」

「え、ほんとですか! 楽しみ!」

「おいおい、遊びじゃないんだ。ちょっとは緊張してくれよ」

「あ、はい、緊張しました!」

 係長は苦笑するしかなかった。

「あ、それからな、この情報は誰にも言うなよ。もちろん家族にもだ。どこから情報が漏れるか分からないからな。俺たちの任務は、情報が漏れたらもう失敗だ」

「はい、分かりました!」

 その日、帰宅したテワタサナイーヌは、翌日の予定を山口や大輔に話したくて仕方なかった。

 しかし、係長から固く口止めされている。

 家族であろうと他言は無用だ。

「テワさん、なにか言いたそうですね」

 翌日のことを知っている山口はテワタサナイーヌの様子がおかしくて仕方ない。

「な、なんにも隠してないよ」

「そうですね。現場で会いましょう」

「へ?」

 テワタサナイーヌの目が丸く見開かれた。

「お父さん、知ってるの?」

「私も現場に行きます」

「なーんだ、じゃあ我慢することなかったんじゃない」

「そういうことですね」

 翌日、午前7時。

 都内の中層賃貸マンション。

 マンションから少し離れたところにSITのマイクロバスが静かに滑り込んだ。

 マイクロバスの中には突入用の装備に身を固めた隊員が目出し帽から鋭い眼光を放っている。

 突入前の緊張から言葉を発する者は少ない。

 その中にテワタサナイーヌの姿もあった。

 今日の突入はテワタサナイーヌともう一人の若い隊員が指名された。

 若いといっても場数を踏んだ中堅どころだ。

 初現場のテワタサナイーヌをリードするのに適任と認められた。

 テワタサナイーヌは、自分の指先が冷たい汗をかいているのを感じた。  

 緊張から末梢の血管が収縮して指先が冷えているのだ。

「拠点からSIT」

「SITです、どうぞ」

 無線担当が応答する。

「所定方針通りの配置につけ」

「SIT了解」

「配置下命!」

 無線担当が叫ぶ。

「了解!」

 全員が大声で応答する。

 この一言が現場モードへの切り替えの合図になる。

 突入に必要な器材を持った隊員が静かにマイクロバスを降りる。

 マンションのエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。

 ここまでほとんど物音一つ立てずに行動している。

 動き出したエレベーターの中は静寂が支配している。

「緊張してますか」

 突入を担当する若い隊員が静寂を破った。

 テワタサナイーヌが小刻みに震えているのを見つけたからだ。

「緊張してる。怖くはないけど震えがとまんない」

 テワタサナイーヌは、声も震えている。

「そんなもんです。でも心配しないでください。降下し始めたら震えがぴたっと止まりますよ。俺もそうでした」

「そういうものですから」

 山口の口癖を思い出した。

「そうなんだ。ありがとう」

 テワタサナイーヌに笑顔が戻った。

「ぽーん」

 エレベーターが最上階に到達してドアが開く。

 隊員は静かに階段に向かう。

 あらかじめ借り受けていた鍵で屋上へ上がる階段室のドアを開ける。

 時折、エレベーターの動く音が聞こえる以外は物音一つしない。

 屋上に出ると、下見でマークしておいた手すりを目安に降下用のロープを展張した。

 テワタサナイーヌと若い隊員は、すでにハーネスを着け終え、自動小銃、閃光弾などエントリー・ツール一式を身に着けて準備を整えた。

 あとは突入の無線指令を待つばかりだ。

 マンションの屋上は、周囲の騒音が集まり想像以上にうるさい。

 そんな中にいても自分の心臓の音がヘルメットの中に響く。 

 ひりつくような喉の渇きを覚える。

「そういえば、こんな喉の渇きってつい最近もあったような気がする」

 テワタサナイーヌは、得も言われぬ不安感に襲われた。

「テワさん」

「……」

 テワタサナイーヌは、反応しない。

「テワさん」

「あ、はい」

「だいぶ緊張してるみたいですね」

「ううん、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて」

「そうですか。なら大丈夫ですね。今日は、俺が窓ガラスを割りますから、テワさんが閃光弾を投げ入れてください」

「了解」

 テワタサナイーヌは親指を立ててウインクした。

 緊張している自分を奮い立たせる意味もあった。

「拠点からSIT」

 拠点からの無線が鳴った。

「SITです、どうぞ」

「突入部隊は降下を開始、対象の上階で停止、別命を待て」

「SIT了解」

 無線は全員が傍受している。

 特段指示を受けるまでもなく全員が行動を開始した。

「テワさん!」

 係長が呼んだ。

 ロープをセットして手すりを乗り越えようとしているテワタサナイーヌが振り返る。

「突入は失敗してもいい。死ぬな」

「これまで2回死に損なってるんだから大丈夫。任せて」

 テワタサナイーヌは、係長に笑顔を向けた。

 そうは言ったものの、今のテワタサナイーヌはイヤホンから流れてくる無線通話を聞く余裕もない。

 バディの若い隊員と目でタイミングを合わせる。

 震える膝に力を入れ、屋上の縁を軽く蹴りテワタサナイーヌが宙に舞った。

 ロープを支える右手を緩めると体が降下を始める。

 緩めすぎはスピードがつきすぎて危険だ。

 適度にロープの緊張を調節しながら壁を蹴って降下する。 「ほんとだ、さっきまでの震えが嘘みたい」

 若い隊員が言ったように降下を始めた途端、体の震えがぴたりと止まった。

 震えている場合ではないのだ。

 テワタサナイーヌは、ちらっと下を見た。

 地上は遥か下で道行く車がミニカーのようだ。

 テワタサナイーヌの脳裏に訓練塔からの落下シーンが蘇る。 「ぐるん」

 また景色が回転した。

 テワタサナイーヌは吐き気を催した。

 視界が暗転を始める。

「だめ! そっちに行っちゃ!」

 暗闇の中に引きずり込まれそうになったが、そちらへ行ってはいけないという危機感がテワタサナイーヌを思いとどまらせた。

「止まれ! テワさん、止まれ!」

 無線の叫び声で視界の黒い霧が晴れた。

 しかし、そのときの自分の落下速度を感じて戦慄した。

「落ちてる!」

 テワタサナイーヌは右手の握力が抜け、ほとんど自由落下の勢いで落ちていた。

「くそっ!」

 右手をありったけの力で握りしめブレーキをかける。

「がくん」

 急停止したテワタサナイーヌは、ロープの弾力で上下に振動した。

 背中を冷たい汗が流れる。

 浅い呼吸を荒く繰り返している。

「助かった……」

 深呼吸をして自分を落ち着かせようとした。

「テワさん、どうした」

 無線で係長が話しかけてきた。

「すみません、下を見たら急に目の前が真っ暗になって……」

「そうか。無理するな。交代を出すぞ」

「ありがとうございます。大丈夫です。いけます。いえ、いかせてください」

「大丈夫なんだな。命より重要な任務なんてないんだぞ」

「はい。もう大丈夫です」

「了解した。任務を続行しろ」

「はい」

 バディの隊員が追いついてきた。

「突然落ちるからびっくりしました」

「ごめん。自分でもびっくりした」

「じゃあいきましょう」

 二人は下降を続け、目的階の上に到達した。

 ここで一旦停止して、無線の合図で突入する。

 それとタイミングを合わせて玄関から捜査員が突入して検挙する手はずだ。

「拠点からSITあて、10秒後に突入を下命する。準備せよ」

「了解」

 テワタサナイーヌは、心の中でカウントダウンした。

「5、4、3、2、1」

「突入!」

「カウントずれたじゃん」

 自分のカウントが1秒ずれたことを突っ込みながら、テワタサナイーヌは壁を軽快に蹴って宙を舞う。

 バディとともに階下のベランダに飛び込む。

 バディがエントリー・ツールでガラスを打ち破った。

 そこからテワタサナイーヌが閃光弾を投げ入れる。

 大音響とともにまぶしい光が室内を包み込んだ。

「警察だ! 動くな!」

 ゴーグルで目を保護した二人が自動小銃を構えながら室内に飛び込み威嚇した。

「……」

 室内は静寂が支配している。

 物音一つしない。

「がちゃがちゃ」

 外から玄関の鍵を開けようとする音が室内に響いた。

「くそっ」

 バディの隊員が叫んだ。

 部屋の中はもぬけの殻だった。

「空振り?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「はい、空振りです」

 隊員が悔しそうに床を蹴った。

 玄関が開き、捜査員がなだれ込んできた。

 その中に山口の姿もあった。

 山口は室内の様子を確認することもなくテワタサナイーヌのもとに駆け寄った。

「テワさん、大丈夫か!」

 玄関前の廊下でテワタサナイーヌたちの突入状況をカメラでモニターしていた山口は、テワタサナイーヌが危うく落下しそうになったのを見ていた。

「あ、お父さん。うん、大丈夫」

 テワタサナイーヌは、自動小銃の構えを解いて胸の前に把持した。

 テワタサナイーヌの無事を確認した山口は、改めて室内の様子を確認した。

 室内には、事務机が4脚、椅子が乱雑に散らかり、壁に沿ってホワイトボードが放置されている。

 流し台の前には青い大きなポリバケツがあり水で満たされている。

 その中に工業用の大きな電動ミキサーが突っ込まれている。

 バケツの中の水は白濁し、細かい繊維のようなものが浮遊しているのが見えた。

「水溶紙を溶かしたんですね」

「そんなことまでするの?」

「これくらいは普通にやります。そして、おそらく携帯電話は、ここです」

 山口はキッチンに歩み寄り、電子レンジのドアを開けた。

「わ!」

 テワタサナイーヌが驚きの声を上げた。

 電子レンジの中には、真っ黒に焦げた携帯電話がいくつも転がっていた。

「絶対にデータが復元できないようにするため、電子レンジで焼くんです」

「でもさ、昨日までこのアジトは使われたたんでしょ? なんで打ち込みの日に空っぽになっちゃうの?」

 テワタサナイーヌは、憤激やるかたないといった様子で山口に詰め寄った。

「それは私にも分かりません。内偵捜査がばれたのかもしれません」

「そうじゃないとしたら、たまたまアジトを引っ越すタイミングだったとか?」

「その可能性も否定はできませんが、水溶紙を溶かしたり携帯電話を焼いたりして、それをそのまま残しているところを見ると、慌てて引き払ったのではないかと見るのが自然です」

「ていうことは、ばれちゃった……」

「ということです」

「はあああ」

 気が抜けたテワタサナイーヌがその場にへたり込んだ。

「ん?」

 座り込んでしまったテワタサナイーヌに視線を合わせようとして山口がしゃがんだところ、きらっと輝く物が目に入った。

 キッチンの戸棚の縁と床の境目に金属製のボタンのようなものが落ちていた。

 山口はそれを手に取り上げ驚いた。

「この校章は私の……」

 そこに落ちていたのは、山口が卒業した高校の校章があしらわれた制服のボタンだった。

「なんでこんなものがここに?」

 理由は分からないが、このアジトに関係する人物の中に自分の母校と関わる者がいる。

 偶然ではあってもいい気持ちはしない。

 その日の捜索差押えの「差し押さえるべき物」にはボタンは含まれていない。

 山口は、現場の指揮官に断って、そのボタンを預かることにした。

 そこに残しておいてはいけないような気がしたのだ。

 捜査本部では、その日の失敗に関する反省と検討が行われていた。

「今日の視察班は、間違いなくアジトへの『入り』を確認したんだな」

 捜査二課の管理官は落ち着いた雰囲気の中にも怒りを顕わにしているのが見て取れた。

「は、はい」

 アジトの張り込みを担当していた2名の刑事は、すっかり意気消沈している。

「それじゃあ、なんでアジトが空っぽだったんだ。一度入った後、出たのは見たのか?」

 管理官がたたみかける。

「いえ、その、あの拠点からだとすべての出入りが確認できるわけではないので……」

「だからどうした」

「今日もいつもどおり奴らが入ったんだろうと思って、そう報告してしまいました」

「そんなことだろうと思ったよ。つまり出入りを現認していなかったんだな」

「はい、申し訳ありません」

「済んでしまったことは仕方ない。あの拠点の位置からでは視察にも限界がある。全部見えなかったとしても無理はない。だがな、嘘はつくなよ」

 事情を理解した管理官からは怒りが消えていた。

 物事を合理的に考えられる男なのだろう。

「ということはだ」

 安物の椅子に腰を下ろした管理官は頭の後ろに手を組んで宙を仰いだ。

「厄介なことになったな」

 管理官が他の誰にも聞こえないようにつぶやいた。

 その日の夕方、捜査二課長室に管理官の姿があった。

 アジト急襲失敗の報告と、重要な進言のためだった。

 普段、閉めることのない課長室のドアを閉め、質素な応接セットに課長と管理官が向かい合わせに座る。

「今日のガサはすみませんでした」

 管理官が頭を下げた。

「いえ、捜査は水物です。気にしないでください。それより、重要な相談というのはなんですか?」

 捜査二課長は、アジト急襲失敗をさほど気にしている様子ではなかった。

 失敗したのは初めてではなく、ここ最近、急に増えてきている。

「向こうの警戒が厳しくなってきているんでしょう。こちらも慎重に進めないといけませんね」

「その慎重にというところなんですが、どうもこちらの情報が漏れているような気がします」

 管理官が沈痛な面持ちで切り出した。

「なんですって? 内通者がいるっていうことですか?」

 捜査二課長がソファから腰を浮かべて驚きの表情を見せた。

「はい。残念なことですが、これだけ繰り返し急襲に失敗するとなると、どう考えても内通しかありません。ですから、ここは今オレオレ詐欺を担当しているメンバーを全員入れ替えてください。もちろん私も含めてです」

「いや、そんなに大がかりなことをしなくてもいいんじゃないですか」

「ダメです。一部だけ残したら、そこから漏れる可能性を残すことになります。全員総入れ替えしてください」

「うーん、一晩考えさせてください」

 捜査二課長は即答を避けた。

 大がかりな入れ替えを行った場合、課内に動揺が生じるのではないか。

 それを懸念してのことだった。

 結局、捜査二課長は管理官の進言を受け入れ、人員の総入れ替えを断行した。

課内(うち)にスパイがいるらしいぞ」

 懸念したとおり、課内は疑心暗鬼状態となり、非常にぎすぎすした雰囲気になってしまった。

 

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