掛け違いの輪舞曲(ロンド)   作:吉川すずめ

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地獄の使者はトイレから

「じゃあ、行ってきます」

 アジトの入っているビルの屋上でテワタサナイーヌが降下準備を整えた。

 窓枠を外すのに必要な工具類と閃光弾を身に着けた。

 工具は思ったより重い。

 身に着けている装備品は、総重量20キロ以上はあろう。

 それでも、今回の突入は防弾の分厚いライナーが付いた重いヘルメットではなく、軽量化されたヘルメットにゴーグルなので、首に掛かる負担は軽い。

「いいか、ケツが引っかかったら助けに行くから心配するな」 

「だからセクハラだってば」

テワタサナイーヌが笑顔を見せた。

「SITから拠点、降下を開始する」

 SITの無線担当が作戦開始を宣言した。

 テワタサナイーヌがビルの縁を蹴ってひらりと宙に舞った。  

 正弦波のような弧を描いてビルの壁面に足を着く。

 両足にずっしりと装備品の重みがかかる。

 テワタサナイーヌは、ぽんぽんと壁面を蹴りながら、あっという間にアジトのトイレ脇にたどり着いた。

 トイレの窓はわずかに外側に開けられている。

 テワタサナイーヌは、両手をフリーにするため下に垂れているロープを右足にからめて足を踏ん張った。

 ロープにテンションが加わり、手を離しても体が固定されていることを確認すると、テワタサナイーヌは窓枠に手をかけ手前に引いた。

「ぎぎ」

「やべ!」

 窓枠が(きし)んだ。

 テワタサナイーヌは反射的に窓枠から手を引いた。

 息を潜め室内の様子を窺ったが、トイレに人が入ってくることはなかった。

「これくらいの音なら部屋の中まで聞こえないみたいね」

 テワタサナイーヌはドライバーを取り出し、窓枠を固定しているネジに合わせて回転させた。

「ぎぎ……」

ドライバーを回転させるとネジは鈍い音を立てた。

「お願い、誰も入ってこないで」

 テワタサナイーヌは、フェイスガードの中で額に汗がにじむのを感じた。

 ネジが一本外れた。

 テワタサナイーヌは、外したネジをポケットに押し込むと次のネジに取りかる。

 ドライバーを次のネジに当てようとした瞬間、テワタサナイーヌははじけるように手を引いて窓の横に身を潜めた。

 室内から足音が聞こえたからだ。

 その足音はトイレに近づいてくる。

「やっベー、ばれちゃった?」

 テワタサナイーヌは、レッグホルスターに納めたベレッタに手をかけた。

 いざとなったら犯人を撃つ覚悟はできている。

「かちゃっ」

「ジャキン」

 トイレのドアノブが回されるのと同時にテワタサナイーヌはベレッタを取り出して遊底を引き、初弾を装填した。

 男が鼻歌を歌いながらトイレに入ってきた。

「今日も売り上げ順調だよーっと」

 調子っ外れの歌を即興(そっきょう)で歌っている。

「こんなとこにぶら下がっておしっこの音を聞くとか最低だわ」

 トイレの外で身を潜めるテワタサナイーヌは緊張感と脱力感で複雑な心境にならざるを得なかった。

「あ、誰だよ、こんなに窓開けやがったの。あんまり開けんなって言ってんのに」

 おしっこを終えた男が窓の開き具合に気づいた。

 トイレの中から男の手がぬっと伸び、外側に開いた窓の取っ手をつかんだ。

「お、なんだ、ずいぶん建て付けが悪い窓じゃねえか。がたがたすんぞ」

 テワタサナイーヌがネジを抜いたため窓枠ががたついていた。 

「ったく」

 男がトイレを後にした。

「助かったー。窓も少し開けておいてくれたし、いい人じゃん」

 男は窓を完全には閉めなかった。

 完全に閉められたら外からは開けられない。

 そうなったら窓ガラスを割るしかない。

「じゃ、続きを遠慮なく」

 テワタサナイーヌは、ベレッタをホルスターに戻すと窓枠を取り外す作業を再開した。

「係長、窓枠取れたから引っ張り上げて」

 テワタサナイーヌは、細心の注意を払いながら窓枠を取りはずし、予備のロープに結着した。

「よっと」

 ぽっかりと開いたトイレの窓に足を入れる。

 音が出ないよう、慎重に体を進める。

「なかなか、これは、大変、だよ、っと」

「お、お尻通った」

 テワタサナイーヌは心の中で喝采をあげた。

「カラビナ、これがくせ者よね。がちゃがちゃ鳴るから気をつけなきゃ」

 カラビナをカバーしながら体を回転させて狭いトイレに滑り込んだ。

「かちっ、かちっ、かちっ」

 テワタサナイーヌは、無線機のPTT(通話)ボタンを3回押した。

 なにも通話しない。

 侵入成功の合図だ。

 これを5回にすると「アイシテル」のサインになる。

 ということはない。

「ぶつっ、ぶつっ、ぶつっ」

 受信側には音声のない通話が切れる音として聞こえる。

「うまくいったんすね」

「そうですね」

 山口と大輔の顔が紅潮している。

「拠点から各局、SITが侵入に成功した。間もなく突入を開始する。これから10秒のカウントダウンを行う。ゼロに合わせて主幹電源を切断せよ。テワさんは閃光弾の準備、電源が落ちるのに合わせて投擲し、中から玄関のドアを解錠、捜査員を受け入れるように」

 無線に山口の声が響く。

「了解、お父さん」

 テワタサナイーヌは心の中で応答し、PTTボタンを2回押し、ジャケットに吊した閃光弾のピンを抜いた。

 あとは電源が落ちるのに合わせてレバーを作動させて部屋の中に投げる。

 イメージトレーニングは完了した。

 センサーにかからないところまで前進待機している捜査員は、固唾をのんで無線に聞き入っている。

 山口は腕時計を見た。

「10、9、8……」

 山口のカウントダウンが始まった。

 テワタサナイーヌの閃光弾を握る手に力が入る。

「5、4、3……」

 右手をトイレのドアノブに添える。

 部屋の中から複数の男の声が聞こえる。

 男の声に混ざって時折女の声もするような気がした。

「女がいる?」

 テワタサナイーヌは小首を傾げた。

「…… 0! 電源落とせ! テワさん、閃光弾!」

 山口が叫んだ。

「なんだ、停電か?!」

 部屋の中から男の声がした。

 テワタサナイーヌはトイレのドアを開け、閃光弾を部屋の中に向かって投げ込んだ。

「どん!!」

 大音響とともにカメラのフラッシュを強力にしたような閃光が部屋を満たす。

「わーっ!」

 部屋の中がパニックになった。

 外で待機していた捜査員が一斉に階段を駆け上り、アジトの前に集結した。

 停電しているので人感センサーは働かない。

 テワタサナイーヌが中から玄関を開けたら一斉になだれ込む手はずだ。

 テワタサナイーヌはLEDライトを点け、トイレから躍り出ると真一文字に玄関に走った。

「なにこれ?!」

 ライトに照らされて暗闇から浮かび上がったのは玄関ドアではなく、ドアをぐるっと囲むように建て付けられた鉄板だった。 「二重ドア!」

 外からの侵入を困難にするための細工だ。

「どこかにドアがあるはず」

 テワタサナイーヌは、ドアを探した。

「あった!」

 ちょうど陰になっている面にドアがあった。

 ドアには内側から3つの鍵がかけられている。

「おい、早く電気つけろ!」

 部屋の奥から男の怒声が響いた。

 閃光は退いたがまだ部屋の中は真っ暗だ。

 窓には内側から目張りがされているため、外の光がまったく入らない。

 さながら暗室のような暗さだ。

「おい! 誰だっ!?」

 テワタサナイーヌのライトに気づいた男が叫んだ。

「気にしないで。怪しい者じゃないから」

「うそつけ! お前、どこから来たんだ」

「地獄からの使者でーす」

 テワタサナイーヌがしらばっくれた。

「もー、なんでこんなにたくさん鍵をつけるのよ」

 テワタサナイーヌは、イライラしながら一枚目のドアを開けた。

 一枚目のドアを開けると、目の前に玄関のドアが現れた。

 ライトでサーチすると、やはり内鍵が3つ付けられている。

「すごい警戒だこと。防犯対策ばっちりの家として紹介したいくらいだわ」

 内鍵を手際よく開けると、ドアノブをひねり外側に押し開いた。

 廊下から明るい日中の光が部屋の中に差し込む。

 テワタサナイーヌはきびすを返すと部屋の中に飛び込み、右足を大きく蹴り上げた。

「ぎゃっ」

 男がもんどり打って床を転げ回る。

 自分を追いかけてきた男に回し蹴りを食らわしたのだ。

 テワタサナイーヌのハイキックが男のこめかみにヒットしたのだからたまらない。

「警察だ! 動くな!」

 テワタサナイーヌは、素早くレッグホルスターからベレッタを抜いて両手で構え、大声で威嚇した。

 その声は、まるで大型犬が吠えたかのような迫力があり、廊下にいた捜査員にまで聞こえた。

「ぶん」

 低い音がして部屋の電気が点いた。

 主幹電源が回復したようだ。

「警視庁だ!」

 部屋の中に捜査員がなだれ込んできた。

 アジトにいた犯人グループは、全部で6人。

 そのうち女性がひとり。

 テワタサナイーヌに回し蹴りをされ、床にはいつくばっている男以外は、全員唖然(あぜん)としている。

 部屋の中には水を張った大きなポリバケツと電子レンジ、そして大型のミキサーが複数台置かれていた。

「電源を切って正解だったわね」

 もし電源を切っていなかったら、犯行に使っていた携帯電話を破壊され、水溶紙を溶解されるところだった。

 大型のミキサーは、携帯電話を物理的に粉砕するためのものだ。

「なんで……」

 犯人グループの女がつぶやいた。

 

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