「テワさん、お疲れさま」
ほどなくしてアジトに着いた山口がテワタサナイーヌを労った。
「あ、お父さん。万事うまくいったわ」
テワタサナイーヌがウインクで応えた。
「若林君」
「掃除のおばさん!」
犯人の女と大輔の声が重なった。
山口は、犯人の女性が自分の旧姓を口にしたのを聞いてどきりとした。
そして、山口の後からアジトに入った大輔の言葉でその女性が掃除のおばさんだったことに気づいた。
「掃除のおばさんが私の旧姓を知っている?」
自分が呼ばれたとは限らないのだが、その女の声には聞き覚えがあり、自分を呼んだのだという確信があった。
「この中の責任者は誰だ」
捜査員の一人が大声を出した。
「私」
女が軽く手を上げて答えた。
「分かった。それじゃあ今から捜索差押えをやるからな。これが裁判所の令状だ」
捜査員が女に捜索差押許可状を示す。
無言のまま令状を読んでいた女が、納得したように領いた。
「まさか掃除のおばさんが犯人だったとは、予想外すぎて笑うしかないっすね」
「絶対に捕まらない自信があったから、私たちの捜査協力にも面白がって応じたんでしょう」
「係長は分かってたんすか?」
「なにがですか?」
「掃除のおばさんが犯人だったって」
「まったく想像もしませんでした。大輔君がこのビルに出入りする彼女を見つけたときも、事件との関係を疑うことはありませんでした」
山口は捜索差押えの立会人になっている女の顔を見つめている。
「声に聞き覚えがあるし、顔も記憶にあるような気がするんだが……」
思い出せそうで思い出せない。
「名前は」
捜査員が女に人定事項の質問をした。
「平野、平野智恵子」
山口は衝撃を覚えた。
さっきまで思い出せずにもやもやしていた記憶の糸が、一瞬にして一本につながった。
「竜ヶ峰高校の?」
山口が女に問いかけた。
「ようやく思い出してくれたね。そう、同級生の平野よ。30年も昔のことだからね、思い出せなくても無理ないか」
女は嬉しそうに山口を見上げた。
「なんで智恵子さんがこんな犯罪を……」
「お金は裏切らないもの。大学を出てからずいぶん騙され、裏切られてきたわ。男に騙され、仕事で裏切られ。でも、お金だけは裏切らなかった。人は平気で裏切るけど、お金は額面どおりに私に尽くしてくれた。私がこの世で信じられるのはお金だけだったのよ」
山口は返す言葉が見つからなかった。
「若林君は高卒で就職しちゃった変わり者。その若林君が警視庁で働いているのは知ってたし、私のグループを追いかけてるのも知ってた。若林君にだけは絶対に捕まりたくなかったから、私も必死に逃げたわ。捕まったら若林君との思い出もぶち壊しじゃない。でも、とうとう捕まっちゃった」
女はまっすぐに山口の目を見つめて話し続ける。
「若林君は覚えてるかな。卒業式の日、私が制服の第二ボタンを欲しいって言ったら、若林君はちょっと戸惑ったけどその場でボタンを外してくれたことを」
「覚えています」
「覚えていてくれたんだ。ありがとう。あれは私の宝物だったから毎日持ち歩いていたんだけど、いつのまにかなくなっちゃって。大事な宝物をなくした罰かしらね、捕まったのは」
女は自嘲気味に肩をすくめた。
「そのボタンなら……」
そう言いそうになって山口は言葉を飲み込んだ。
そのボタンは、今まさに背広のポケットの中にあった。
「私の人生、どこで掛け違えちゃったんだろう……」
女が大粒の涙を落とした。
「午後2時10分、詐欺の疑いで緊急逮捕する」
女の両手に冷たい手錠がはめられた。
女が連行されたあと、山口はアジトの窓を確認した。
「やはり鉄板でしたね」
山口は、背後に立つテワタサナイーヌを振り返って鉄板を軽くノックした。
「これじゃ蹴っ飛ばしても入れないね。逆にはじき返されちゃう」
テワタサナイーヌも鉄板を叩きながら安堵のため息をついた。
もし、あのとき山口が突入を止めなければ、この作戦は失敗していた。
後の取り調べにより、平野智恵子はオレオレ詐欺グループの首領で「氷鬼」と呼ばれていたことが分かった。
氷鬼は、グループのナンバー2を自分が偽名で借りた高級マンショに住まわせ、自分はそこの清掃人という立場で監視していたのだった。
「ねえねえ、お母さん。知ってた? お父さんが高校の卒業式の日、同級生の女の子に制服の第二ボタンをあげたの」
事件の処理が終わり、帰宅したテワタサナイーヌは山口の妻である弥生に駆け寄った。
「え、急にどうしたの? もちんそのことなら知ってるわよ。あの人が隠しておけるわけないじゃない」
弥生は穏やかな笑みを浮かべている。
「知ってたんだ。嫉妬しないの?」
「しないわよ。だって同級生から言われてボタンをあげたんでしょ。別に構わないわよ」
「お母さんったらすごい。心が広いなあ。私だったら嫉妬の炎がめらめらしちゃうとこだけど」
「それも早苗ちゃんの性格なんだからいいのよ。私と早苗ちゃんは違う人間。同じことでも感じ方が違って当然」
「そっか、いいんだよね」
「そう、いいのよ。大輔君たちはまだ仕事が残ってるみたいね」
「そうみたい。なんでも、これからが本当の大仕事なんだって。よく分かんないや」
「今回は本当によくやってくれました。ありがとうございます」
犯抑の副本部長坂田警視長が山口と大輔を笑顔で迎えた。
「大役を終えたばかりで申し訳ないんだが……」
坂田が副本部長室のドアを閉めた。
「参事官が部屋のドアを閉めるとは珍しい」
ほとんどのことにオープンの坂田は、部屋を閉め切って話をすることが滅多にない。
よほど漏れてはいけない話なのだろう。
そう予想できた山口と大輔は、自然と背筋が伸びた。
「ここからは監察と一緒にやってもらいたい」
坂田の口から出た意外な言葉に二人は顔を見合わせた。
「監察ということは、内部の不正、ですか?」
山口が細切れに言葉を発する。
「今回の事件、捜査二課を通さず山口さんの指揮でやってもらいました。なぜか分かりますか」
「氷鬼の逮捕でおおよそ察しは付きました」
大輔は、二人の会話が理解できずきょとんとしている。
「監察は、もう材料を揃えているということですか」
「ああ、山口さんたちが捜査をするのと平行して、独自に動いていた」
「もう
「ほぼ固まっている。ただ、あとひとつ確証が欲しいそうだ。そこで山口さんたちに決定的な供述を引き出して欲しいという依頼がきた」