掛け違いの輪舞曲(ロンド)   作:吉川すずめ

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ヘリポート

「課長、折り入ってお話ししたいことがございます」

 山口と大輔は、捜査二課長室にいる。

「分かりました。誰もいないところの方がいいですね」

 捜査二課長は背広を羽織り、庶務担当管理官にしばらく外出することを伝え、二人を連れて廊下に出た。

「氷鬼の件は、見事な事件指揮でした」

 廊下を歩きながら捜査二課長は山口を褒めた。

「恐縮です」

 山口が頭を下げる。

 捜査二課長は廊下を突き当たりまで進み、荷物用のエレベーターを呼んだ。

「ぽーん」

 軽快な音ともにエレベーターのドアが開く。

「乗りましょう」

 捜査二課長が先頭になりエレベーターに乗り込んだ。

 捜査二課長が押した行き先階ボタンには「R」と表示されていた。

 警視庁の中で屋上まで行けるエレベーターは、この一台しかない。

「ヘリポートか」

 山口の表情に緊張が走る。

「大輔君」

「……」

 大輔は、無言で頷いてスマートフォンを取り出した。

 間もなくして3人を乗せたエレベーターは屋上に到着した。

「折り入って話したいことというのは、どういうことですか」

 捜査二課長は、屋上へ出る引き戸を抜け、ヘリポートに通じる狭い通路をゆっくりと進んだ。

「課長と氷鬼の関係についてお教え願います」

 山口は、直截(ちょくせつ)に本題を持ち出した。

「それが山口さんの取り調べスタイルなんですね」

 捜査二課長は屈託ない笑いを浮かべた。

「彼女は、私にとって母親でした」

 捜査二課長はヘリポートに上がり、開けた視界を楽しむかのように周囲を見渡した。

「私は、ここが大好きなんですよ。ここにいると自分が日本の中心にいることを実感できます」

 ヘリポートの中心に立ち、ぐるっと360度回転する。

「皇居の美しい森と建物、国会議事堂、官庁街から丸の内のオフィス街までを一望にできる。まさに日本の中心です」

 捜査二課長は、晴れ晴れとした顔をしている。

「氷鬼が課長にとって母親同然というのは、どういうことですか」

 山口と大輔は、ヘリポートのお堀側に回り込む。

 ヘリポートのお堀側は、柵もない。

 外側へ身を投げることも可能だ。

 それを防ぐためだった。

「私は子供の頃から英才教育を施されて育ちました。特に母親は厳しく、どんなに私が努力していい成績を修めても決して満足してくれることはありませんでした。私は、常に母親から否定の言葉を投げつけられ、いかに自分がダメ人間なのかを思い知らされていました」

「そんな環境でしたから、母親に甘えた記憶も、母親から受容された記憶もありません。あるのは否定され、より高い目標の達成を要求されたことだけです」

「もっとも、そのおかげで東大に入り、こうしてキャリアにまでなれた訳ですから、その点では感謝しています」

「しかし、私には決定的に欠けているものがありました。母親に受容され、自分を肯定するという発達の過程で必要な作業です。私は自己否定感の塊だったのです」

「その反動でしょうか。私には特殊な性癖がありました。いわゆる熟女好きというやつです。常に熟女に甘えたいとうい衝動がありました」

「その欲求を満たすため、こっそりと熟女デリヘルに通い詰めていました。そこで出会ったのが氷鬼です。彼女は、私のすべてを受容してくれました。私が何をしても、何を言っても絶対に否定しませんでした」

「私は、初めて理想の母親に出会えたのです。氷鬼といる間は、子供に戻れました。子供の頃に満たされなかった母親からの愛を一心に浴びて、それまでの自己否定による屈折した自分がどんどん癒やされているのを感じていました」

 話しながら捜査二課長は、さりげなくヘリポートの端に行こうとしたが、山口たちに阻まれた。

「心配しないでください。飛び降りたりはしません」

 捜査二課長は、笑いながら山口の肩に手を置いた。

「私は氷鬼に入れ込みました。新橋のレンタルルームで氷鬼に会うことが私の生きる望みになっていたと言っても過言ではないでしょう」

「実にみすぼらしいことです。狭く安っぽい部屋の中だけでしか生きる意味を感じることができないなんて」

「ここからこの景色を見ることができるのも今日が最後ですね」

 捜査二課長は、ヘリポートからの景色を目に焼き付けるようにゆっくりと周囲を見渡し、ヘリポートから下りた。

「樋口さん」

 山口が捜査二課長に声をかけた。

 もう捜査二課長としてではなく、樋口という男になっている。

「樋口さんの生育歴と性癖は分かりました。でも、なぜ樋口さんが氷鬼に捜査情報を漏らすようになったのですか」

「さっきも言いましたが、私は氷鬼に入れ込みました。子供が母親に依存するように、氷鬼に全幅の信頼を寄せていたんです。今となっては、なんの根拠もない虚ろな信頼ですがね」

「子供が母親を信頼するのに理由なんてありません。樋口さんが氷鬼を信頼したのも空虚なことではないと思います」

 山口は、相手が被疑者であろうと全否定することはない。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると私も救われます」

 捜査二課長に笑顔が戻った。

「氷鬼に依存していた私は、自分のすべてをさらけ出すことに快感を覚えていました。自分の地位や職務倫理なんてどうでもいい。この人には自分のすべてを見せたい。そう願ったんです」

「そして、私が警視庁の捜査二課長だと明かしたのです。すると氷鬼は、驚きもせず『そう、大変なお仕事して偉いわね』とほめてくれました」

「ほめられて嬉しくなった私は、知っていることをどんどん話したくなりました。そうすれば、もっと氷鬼にほめてもらえると思ったんです」

「思った通り、高度な秘密になればなるほど氷鬼は私をほめてくれました。氷鬼に秘密をばらすことが私の快感になり、素晴らしいエクスタシーを与えてくれたのです。それ以来、氷鬼に求められるまま、特殊詐欺のアジト急襲予定も漏らし続けました。いや、正確には求められるままではありません。私から積極的に漏らしたのです。自分から進んで氷鬼にとって良いことをすると、より一層ほめてもらえることが分かったからです」

「間違った学習をしてしまったんですね」

 山口は捜査二課長の中の子供が母親の愛を求めて悲鳴をあげているように感じた。

「警察は、責任者のもとにあらゆることが報告として上がってきます。私のところもそうでした。各帳場(捜査本部)での捜査状況、そしてアジトへの打ち込み予定もです。だから私は氷鬼のアジトに関する打ち込みの予定だけを彼女に教えました。他のグループなぞどうでもよかった。氷鬼のアジトさえ守れば私はほめてもらえたんです」

「あっ!!」

 山口と大輔が声を上げた。

 ヘリポートを下りた捜査二課長がやにわに走り出し、管制室の前を横切って屋上の柵を乗り越えたのだ。

「しまった、管制室の前を横切れば外に飛び出せる」

 山口は歯噛みした。

 しかし、大輔はさほど慌てた様子がない。

 柵を乗り越えた捜査二課長は、屋上の縁に仁王立ちになり髪をかき乱した。

「さあ、もう誰も俺に手を出せないだろう! 俺は自由だ!」

 捜査二課長が両手を天に向けて広げ雄叫びを上げた。

 ついさっきまでの落ち着いた態度はどこにもない。

「社会正義の実現だ? くそ食らえ! 俺はそんなもんどうでもよかったんだよ。俺はママにほめられたかった。それだけのために今日まで生きてきたんだ」

「だが、それも叶わぬ夢となった今、もうやってられるか。終わりだ、こんな茶番!」

 捜査二課長は、じりじりと後ずさった。

 山口は動けない。

 今動いたら捜査二課長は飛び降りる。

 なんとか思いとどまらせることはできないか。

「たん!」

 山口が額に汗を浮かべ思案していると、上空で何かを蹴るような音がした。

 黒い影が宙を舞う。

 その黒い影は正弦波を描いて捜査二課長に襲いかかった。

 テワタサナイーヌだ。

 テワタサナイーヌは、捜査二課長の背中から体当たりをした。

 二人はもつれるように庁舎の内側に転げ落ちた。

 その直後、屋上の建屋から4人の私服警察官が駆け出してきた。

「樋口、地方公務員法違反で逮捕する」

 私服警察官は監察だった。

 捜査二課長に逮捕状を示し、両手錠をかけた。

 地上の喧噪を拾い上げる屋上に手錠をかける乾いた機械音が響いた。

 テワタサナイーヌは、大輔から捜査二課長が屋上に上がるという報せを受け、SITの装備に身を固め3人を追って屋上に上がっていた。

 そして、捜査二課長が飛び降りることを阻止するため、管制室の上にある電波塔に上がり、いつでも降下できる体勢を取り、3人のやりとりを窺っていたのだ。

 捜査二課長が、柵を乗り越えたのを見たテワタサナイーヌは、音もなく降下を開始して待機した。

 ついに捜査二課長が飛び降りようとする様子が見えたところで、電波塔を蹴って振り子のように捜査二課長めがけて襲いかかったというわけだ。

「くそったれ! 死なせろよ! 俺なんて生きていたってしょうがねえ男なんだからよ! まあいいよ、どうせクビになったって役所が再就職を世話してくれるからよ。お前達と違って俺はエリートだからな。どうだ悔しいだろ、これがキャリアのうまみってやつだ」

「死なせないわよ。自殺は最悪の証拠隠滅でしょ。SITは、犯人を生かして刑事責任を全うさせるのが任務だから」

 テワタサナイーヌがマズル伸ばし牙を剥いた。

「あの狂気と悪意が人間の本当の姿なのかもしれませんね」

 監察に連行されながら山口たちに向かって吠え続ける捜査二課長を見送る山口がつぶやいた。

 




エピローグ

「それにしても後味の悪い事件でしたね」
 久しぶりに家族4人が揃った食卓で山口がため息をついた。
「ほんとね。まさか捜査二課長がね」
 テワタサナイーヌが缶ビールを煽った。
「あ、ところで大輔くん、大輔くんのおじいさんてどんな人だったの?」
 テワタサナイーヌは、なぜか急に聞きたくなった。
「俺のじいさん? いやあ、俺が生まれたときにはもう死んじゃってたからあんまりよく知らないんだよね。おやじから聞いた話では、若いとき東京で仕事してたけど、なんか色々あって実家に帰ってきたらしいよ」

「ぐるん」

 テワタサナイーヌの視界が回転した。(完)


 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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