「できないというのは、物理的にログが存在しないのか、技術的に不可能なのか、社内ポリシー的に実行不可能なのか、いずれですか」
山口は、落ち着いた低い声で電話の相手方に詰め寄った。
「係長が普段以上に落ち着いてるときは怖いんだから逆らわない方がいいよ」
山口の電話を聞いていた大輔が背中を向けたまま耳をそばだてた。
山口は相手にいくつかオプションを示しているものの、交渉するつもりなどなく、すでに手段は決めているはずだ。
ただ、その手段がなんなのか。
それが大輔には計り知れなかった。
「そのようなご要望は初めてですし、そういった捜査機関からのご要望にお応えするこることはできません」
電話の相手は、木で鼻をくくったような態度が透けて見える話し方で答えている。
山口は、世界で最も大手の検索エンジン運営会社の日本法人法務部門と電話でバトルしているところだ。
相手の話し方からは「世界一の企業に日本の警察ごときが何を言うか」と見下した態度がにじみ出ている。
「前例がないからできないというのは、日本の役所が使う常套手段です。悪いご冗談はやめましょう。もし、ご対応できないというのであれば、その理由をご教示ください。そうしていただければ、こちらのオーダーを実現する方法も一緒に考えられると思います」
「私どもが警察と一緒に対応を考えるということはありません。警察にどう対応するかは、私どもが決めることです」
「そうですか。検討の余地はないということですね。残念です。では、その理由をお聞かせ願いますか」
「はい、私どもは米国に本社を置く外資企業です。ですから、日本の法律に縛られるものではなく、アメリカの法律と本社が定めたポリシーに従う義務があります。今回のオーダーは、本社のポリシーにより対応できかねます。理由は以上です」
「なるほど。では、そのポリシーとやらを拝見したいのですが」
「それはお見せできません」
「それも本社のポリシーですか」
「おっしゃるとおりです」
「今回のお願いが、それほど難しいものだとは思えません。一定の時間的な幅で特定のワードを検索したログのご提出という実に簡単なものです。そのワードがトレンドに載ってくるようなものでしたら膨大なログになると思います。しかし、今回お願いしているのはそういうワードではありません。ご協力願いませんか」
「何度言われましても、対応できないものはできません。あまり無理難題をおっしゃられますと、今後ほかの業務に関してもご協力できなくなります」
「それは脅しですか。御社は、そのようなポリシーで意思決定をなさっているという公式見解でよろしいですか」
「あ、いえ、申し訳ありません。いまの発言は取り消させていただきます」
「ありがとうございます。では、ご検討いただけるとういことでよろしいですね」
「いえ、それはまた別の話です。できません」
「あくまでも本社のポリシー、ということですね」
「おっしゃるとおりです。私どもには判断権がないということです」
「なるほど。御社は米国本社の意向に拘束される、と。それでは、日本国の法律により意思決定の必要をなくして作業していただくことにします」
山口が切り札を出した。
「は? 弊社は米国の法律に拘束されております。日本の法律に縛られることはありませんが……」
相手が戸惑いを見せた。
「何か勘違いをなさっているようですね。御社は、日本国の法律に基づいて登記されている会社法人です。治外法権を持っている外交使節団ではありません。ですから、日本国の法律に拘束されます。任意の捜査協力要請であれば、御社の社内ポリシーに従って判断されればよいこと。しかし、日本国の法律に基づく命令、つまり裁判所の発する令状には従わなければなりません」
「え、ええ、まあたしかに……」
電話の相手は徐々に歯切れが悪くなっていった。
どうやら本社のポリシーと米国の法律に拘束されると言っておけば、警察が引き下がると思っていたようだ。
「そ、それにログは米国のサーバーに記録されています。いくら裁判所の令状があっても私どもでは何もできません」
「それは、皆さま方の判断ではできないということですよね。そのために裁判所から令状をもらいます。記録命令付差押えという手続きがあります」
「う……」
相手が言葉を失った。
「法務ご担当でいらっしゃいますから、ご存知ですね」
「も、もちろんです」
「ご存知でいながら、あえてその手段を検討の俎上にあげず『できない』とおっしゃっていたわけですね」
「申し訳ありません。その手続きを乱発されますと混乱を来す可能性が高いもので」
「御社が本社のポリシーと米国法を盾に取らなければ記録命令付差押えを乱発する必要もありません」
「申し訳ありません。記録命令付差押えを実施されますと社内的に問題が多いので、通常の差押えでご協力させていただきます。まず、該当するデータが存在するかどうかを調べる必要があります。特定させるための条件をご指定ください」
相手方が折れた。
ほぼ全面降伏だ。
山口が提示した「記録命令付差押え」というのは、目に見えないデータを差押えたいとき、しかも、そのデータがオンライン上にあり、目の前のマシンからリモートで接続しなければ見ることができないものであるときに裁判所が記録命令付差押許可状という令状を発付するものだ。
これであれば、物理的には海外にあるサーバー上のデータでも国内からリモートでアクセスしてCDやUSBメモリなどの電磁的記録媒体にコピーしたり、紙媒体に出力印字する方法で差押えることができる。
山口は、被害の分析で特定した被害者の住所、受け子の待機場所としてあぶりだされた都立横網町公園とその中にある東京都慰霊堂を検索ワードに、検索された時間帯として、被害に近接した数時間を指定して担当者に伝えた。
「係長、完全勝利っすね」
山口に背中を向けていた大輔が振り向き、親指を立てて見せた。
「いえ、私の一人勝ちではありません。交渉の結果、向こうも記録命令付差押えを回避して、通常の差押えによる対応が可能となりました。お互いに無用の負担を避けることができたのですから、双方にメリットがあってよかったんです」
山口は、SITに派遣され訓練に明け暮れているであろうテワタサナイーヌのデスクを一瞥し、大輔に笑顔を見せた。
「テワさん、訓練楽しそうですね」
「そうっすね。デスクワークより活き活きしてるっす」
テワタサナイーヌは、山口の養子となり山口の家で同居している。
山口と同居するとき、なぜか彼氏の大輔も連れてこられた。
山口と大輔は、毎日嬉々として訓練に向かうテワタサナイーヌを見ている。
「お母さんは、早苗はいつも危ない仕事ばっかりやらされるって心配してるみたいっす」
「そうですね。実の娘のように成長を見守ってきましたからね。無理もありません。テワさん本人は至って能天気に楽しんでいるようですが」
山口が紅茶で満たされたカップを口に運んだ。
「テワさんに淹れてもらう紅茶の方がおいしいです」
山口の独り言が漏れる。
いつもはテワタサナイーヌが紅茶を淹れてくれるのだが、訓練で留守にしているので自分で淹れている。