掛け違いの輪舞曲(ロンド)   作:吉川すずめ

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奇奴等

 テワタサナイーヌは、足がすくみ腰が引けた。

 都内にあるSITの訓練施設で、まさに降下訓練を行おうとしてるところだ。

 降下訓練塔は、高さが約13メートルある。

 13メートルというのは、人が一番怖さを感じる高さだと言われている。  

 テワタサナイーヌはその頂上に立ち、下をのぞき込み怖じ気づいた。

 高さの恐怖と吸い込まれるような不思議な感覚に襲われている。

 初めて感じる種類の恐怖感だ。

「飛び降りるわけじゃないですよね」

 テワタサナイーヌが引きつった笑顔でSITの係長を見つめた。

「俺たちは空挺団じゃないからな。飛び降りることはない」

「よかったー」

 テワタサナイーヌは、安堵して視線を地上に戻した。

「ただ……」

「落ちることはある」

 そう言うと同時に係長は、膝に手を置いて下をのぞき込んでいるテワタサナイーヌのお尻を軽く蹴った。

「でぁうぉぬひょーっ!」

 もはや言葉ではない悲鳴を残してテワタサナイーヌが訓練塔の頂上から姿を消した。

 テワタサナイーヌは、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。

 だが、自分が置かれている状況は、はっきりと分かった。

「死ぬ」

 普段全身で感じている重力から解放された0Gの状態で死を覚悟した。

 飛び降り自殺など、高いところから転落するとき、よく「走馬燈のように人生が蘇る」と言われる。

「走馬燈なんて回らないじゃん!」

「え、待って、これが死ぬ前に考えた最後のことなんて嫌!」

「あ、ほんとだ、すごい勢いで思考が回る。これが走馬燈なんだ」

 テワタサナイーヌの視界に地上が迫った。

「お父さん!」

 最期の言葉が自然に出た。

「ぐるん!」

 最期の言葉を発した直後、目に入る景色が大きく回転した。

 自分は動いていないのに周囲の景色だけが動く不自然さに吐き気を催した。 そして、テワタサナイーヌの視界がブラックアウトした。

「あ、私、死んだんだ」

 暗闇の中、まだ残る吐き気を感じながら自分なりに死を受け入れた。

「死ぬって、痛くもなんともないものなのね」

 地面に叩きつけられた感じはまったくない。

「誰っ?! なにしてるの?」

 相変わらず視界は真っ暗だが、自分の体を誰かに運ばれているような感覚がある。

「持ち上げられてる? ううん、そうじゃないわよね。ストレッチャー? いや、そういう感じでもない」

 人為的なものかどうかさえ分からない不思議な外力により体を運ばれているようだ。

 人の声が聞こえる。

 なにかを話しているようだが、言葉として聞き取れない。

 まるで録音した音声を逆再生しているような奇っ怪な話し声だ。

「待って、この感じ、初めてじゃない。なんで?」

 テワタサナイーヌは、混乱した。

 いつこんな変な経験をしていたのだろう。

 思い出そうとするが見当がつかない。

 記憶の奥底に何かがあるような感じがするのだが、そこに手が届かない。

 テワタサナイーヌは、もどかしさに身悶えした。

 しばらく聞こえていた人の声が遠ざかっていく。

「かん! かん! かん! かん!」

 遠くから踏切の警報音が近づいてくる。

 いや、自分が踏切に近づいているのだ。

 その踏切の警報音は、電子音ではなく鐘を打ち鳴らすようなアナログなものに聞こえる。

 不意に自分を覆っていた真っ黒な霧が晴れ、視界にまぶしい陽の光が飛び込んできた。

「まぶしい」

 テワタサナイーヌは、反射的に手で目の上にひさしを作り光を遮った。

「なによこれ」

 光に目が慣れ、周りの景色が見えるようになり、テワタサナイーヌは思わず声を上げた。

 目の前には広い道路とそれを横切る線路がある。

 その踏切は警報音が鳴り遮断機が降りて、ちょうど列車が通過するところだった。

「いつの時代なの?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

 だが、今はいつものように「テワさん、めっちゃかわいいっす」と合いの手を入れる大輔もいない。

 目の前を通過している列車は、歴史を感じさせる旧式のものだ。

 道路も比較的広いとはいえ、舗装もされていない。

 踏切で止まっている車も写真でしか見たことがないような古いものばかりで、自分が知っている車種など一台もない。

 道行く人の服装も写真で見たことがあるオリンピックのころのような感じがする。

「冷静に考えて異常な事態よね」

 テワタサナイーヌは、自分が置かれている状況を理解しつつあった。

「これって流行の異世界転生ものでしょ。てことは、私ってばすごい能力を身につけて、この世界で大活躍ってことよね!」

 テワタサナイーヌは胸を高鳴らせた。

 きっとワクワクするような冒険が待ち受けているに違いない。

「転生した先が終戦後間もない日本だっていうのがちょっと不満よね。どうせなら戦国時代とか中世ヨーロッパとか、もっとかっこいい舞台がよかったんだけど。まいっか」

 電車が通過して踏切が開いた。

 テワタサナイーヌは、人の流れに従って踏切を渡り、広い通りから斜めに伸びるやや狭い道に進んだ。

「あ、駅だ」

 しばらく道なりに歩いたテワタサナイーヌの目に駅舎が映った。

「なんか映画のセットみたい。えっと、駅の名前は玉ノ井駅……」

 駅名を声に出して読み上げた。

「聞いたことない駅名よね。私が知らないってことは、ここは東京じゃないのかもしれない」

 物珍しそうにあたりを見回しながら歩いているテワタサナイーヌの目の前に男の人が迫った。

「うわっ、ごめんなさい!」

 ぶつかってしまった場合、よそ見をしていた自分が悪い。

「えっ?!」

 ぶつかると思った男性は、そのまま自分を通り抜けていってしまった。

「え、え、え? どういうこと?」

 テワタサナイーヌが振り返って男性を見た。

 男性は、なにごともなかったかのように背中を見せて歩いて行ってしまった。

「あのー、すいません。ここはどこなんですか?」

 近くを歩いている別の女性に声をかけてみた。

 テワタサナイーヌが声をかけたつもりの女性は、ぴくりとも反応せず、そのまま歩き続けている。

「ははーん、これはあれね。こっちの世界の人には私の姿が見えてないっていうよくあるあれだ」

 状況が分かってくれば異常な事態だろうがなんだろうが、さほど恐れることはない。

 この状況は楽しめる。

 だが気がかりなことが一つだけある。

「これって帰れるの?」

 元の世界に戻れるのかどうかが重要だ。

 帰れるとしたら、どうすれば帰れるのか。

 帰るまでの間、この世界で暮らすにはどうすればいいのか。

 確かめることがいくつかありそうだ。

「とりあえず歩き回ってみよう。どこかでコインでも拾えるかもしれないし」

 テワタサナイーヌは、玉ノ井駅を通り過ぎて線路沿いに足を進めた。

 しばらく行くと、丁字路に突き当たった。

 交差点を左に行くと踏切があって線路を渡る。

 右を見ると先の道路がYの字に分岐していて、その又のところに交番があるではないか。

「交番のお巡りさんに聞いてみよう!」

 同業者を見つけることができてテワタサナイーヌの足取りも軽くなった。

「こんにちは、お疲れさまです」

 交番の前で立哨している警察官に声をかけた。

 もちろん反応はない。

「そうだった、私の姿も声も誰にも気づいてもらえないんだった」

 テワタサナイーヌは急に心細くなった。

 この世界の住人とコミュニケーションを取ることができない。

 一人で暮らさなければならないのだ。

 衣食住はどうすればいいのか。

「くよくよしててもしょうがない。とにかく生きてく手段を探さないと」  

 心細さを紛らすため、立哨している警察官にもたれて辺りを見回した。

 よく見るとその警察官は大輔に似ている。

「大輔君がこんなところにいるわけないし、大輔君のお父さんは和歌山でみかん農家だからお父さんでもない。それにしてもよく似てるわね」

 テワタサナイーヌは、警察官の顔を惚れ惚れと見上げた。

「いい男は目の保養になるわ」

「ダメダメ、見とれてる場合じゃないんだった」

「さて、どこに行こうか」

 交番の周りは、ちょっとした繁華街のようになっている。

 繁華街といっても新宿や六本木のような感じではない。

 カフェーのような店が建ち並び、人が多いという程度のものだ。

 そして、なぜか男性の比率が高い。

「男の人が多いのはなんで?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「こっちに行ってみよう」

 交番の左手に伸びる細い路地を選んだ。

 そこが一番人通りが多く、賑わっているように見えたからだ。

 ゆるい上り坂になっている路地を進むと、両側にはタイル張りのしゃれた店が並んでいる。

 それらの店は、背の低い扉があるだけで外から店内の様子を(うかが)うことはできない。

 ときおり、道を歩いている男性が辺りを気にしながら背の低いドアの奥に消えていく。

 賑やかなのにどこか淫靡(いんび)な匂いがするのだ。

 雰囲気だけでなく実際にテワタサナイーヌの嗅覚に男性の精液のような青臭い匂いがキャッチされている。

「やだ、私ったら精液の匂いが分かっちゃうだなんて!」

 テワタサナイーヌは、一人で恥ずかしがった。

「てことはよ、ここが赤線ってやつ?」

 そう思って見ると、店の前に女性が立ち道行く男性に声をかけている姿が目につく。

「うわー、やばいところに来ちゃった。どうりで男の人が多いわけだ。早く通り過ぎようっと」

 テワタサナイーヌは、足早にその売春窟を抜け出そうとした。

「ちょっと、そこのお嬢さん」

 もう少しで店が建ち並ぶ一角を通り抜けようというところで女性の声が聞こえた。

 どうやらこの世界では自分の声が周りの人に聞こえないだけで、周りの人の声は聞こえるらしい。

 テワタサナイーヌは、足を止めて声のした方を振り返った。

 声の主を見つけたテワタサナイーヌは息をのんだ。

 声の主がいたのは、水色のタイル張りで二階建ての建物だった。

 そこは、他の店と同じように背の低い狭いドアがあるだけで、看板もなにもない。

 そのドアが少し開き、店の中から女性が顔をのぞかせている。

 その女性の顔に驚いたのだった。

 まるで自分のように犬の顔をしている。

 テワタサナイーヌは、口の周りだけ人間の肌が露出しているが、その女性は顔面が全部獣毛で覆われている。

「でもおかしいわね。この世界では私の姿は誰にも見えないはず」

 テワタサナイーヌは、女性に向き合い右手の人差し指で自分の顔を指さし、小首を傾げた。

 それを見た女性は、にっこりと笑って小さくうなずき、店のドアを開けてテワタサナイーヌに手招きした。

「いや、まずいでしょ。売春宿に連れ込まれたら私も売春させられちゃうんじゃない?」

 たじろぐテワタサナイーヌの心中を察したのか、その女性は店の中から出てテワタサナイーヌに歩み寄ってきた。

 質素な生成りのワンピースを着こなす女性からは、売春婦らしさがまったく感じられない。

 そもそも、売春婦らしい風体がどんなものか知らないのだから当然である。

「大丈夫よ。子供に仕事はさせないわ」

 女性はにっこりと笑い、テワタサナイーヌの手を取って店に促した。

「え、ちょっと待ってください……」

 そう言ったものの体が勝手に動き、女性に続いて店の中に入ってしまった。

 店の中は、昼間だというのに薄暗く、小さなカウンター席が2席あるだけで、カウンターの奥には2階に続いているであろう狭く急な階段が延びている。

「お座りなさい」

 女性はテワタサナイーヌをカウンター前の丸椅子に座らせると、カウンターに入った。

「なにか飲む?」

「えっと、グラスホッパーってありますか?」

「なにそれ?」

 女性が怪訝(けげん)な顔を見せた。

「あ、そうか、この時代にはまだグラスホッパーは一般的じゃないんだ」  

 テワタサナイーヌは、ついいつもの癖でカクテルを頼んでしまった自分を恥じた。 .

「グラスホッパーって何? 教えて」

 女性はにこにこしている。

「えっと、カクテルの一種です。リキュールグラスありますか?」

「ええ、あるわよ」

「女性は吊り戸棚からリキュールグラスをひとつ取り出した。

「これに、ホワイトカカオリキュール、グリーンペパーミントリキュールの順に注いで、最後に生クリームをフロートさせればできあがり。見た目が三層になっててきれいだし、甘みとペパーミントの清涼感が相まって絶妙なんだから」

 テワタサナイーヌが鼻を膨らませて熱弁を振るった。

「へえー、お嬢さんまだ子供なのにお酒に詳しいのね」

 女性が感心したような顔で喜んだ。

「子供じゃないです。こう見えても30歳の人妻なんですよ」

 さっきから子供、子供と言われ、ついかっとなってしまった。

「え、あ、そうなんだ。そういうことなのね」

 女性の顔色が変わった。

 その表情には、何かを察したような(かげ)りが浮かんでいた。

「そういうことって、どういうことですか?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「その仕草、かわいいわね」

「ありがとうございます」

「はい、これ飲んで」

 女性はカウンターの下から瓶に入ったジュースを取り出して、氷で満たしたグラスに注ぎ、テワタサナイーヌの前に供した。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 そういえば喉がひりつくほどに渇いていた。

 異常な事態の連続で喉の渇きを感じる暇もなかった。

 テワタサナイーヌは、差し出されたジュースを一気に飲み干した。  

 ジュースが喉を滑り落ちる感覚が心地いい。

「あなた、いつの時代から来たの?」

 女性が唐突に質問を発した。

「いつのって、え、これって言っていいやつなんですか?」

 まさかいきなり核心を突く質問が来るとは思っていなかったテワタサナイーヌは、聞くべきでないことを聞いてしまった。

「ふふ、分かるわ。いきなりこんなこと聞かれたらびっくりするわよね」

「はい、びっくりしました。ところで、そういうことってどういうことなんですか?」

「驚かないでね。あなたは幽霊なのよ」

「はい?」

 驚くなと言われても無理だ。

 変な声が出た。

「正確に言うと生き霊。だって、あなたは30歳の人妻なんだから死んでないんでしょ?」

「はい、死に損ないですけど、一命を取り留めて生きてます」

「その死に損なったのって、いくつのとき?」

「よく覚えてないんですけど、ずいぶん小さいときだったような気がします」

「そう。大変だったのね。たぶん、今のあなたがその死に損なったときのあなたなんだと思う」

「うそっ! 私は30歳のはずです」

「そう、意識だけはね。でも、私の目に映っているのは、小さいかわいい女の子」

「そんな……」

 テワタサナイーヌは絶句した。

 自分の目の高さも動作も何一つ変わっていない。

 身長が低くなったと感じる要素はまったくない。

 それなのに、この女性の目には小さな子供として見えているというのだ。

「あのね、信じられないかもしれないけど、人間ってみんな潜在的に時間を行き来することができる能力を持っているの。でも、ほとんどの人がその能力に気づくことはなくて。ていうか、自律的に制御できる能力じゃないからどうしようもないんだけどね」

 テワタサナイーヌの大きな目が更に大きく見開かれた。

「なにか命に関わるような強烈なできごとに直面したとき、その能力を覚醒させる人がごく希にいるというわけ。そして、その行った先の時代では姿や声も認識されることがないっていうのが一般的なところ。でも、これもごく希にその人たちを感じることができる人がいて、こうしてお話ができるっていうわけ」

「そのごく希にいる人っていうのがあなたなんですね」

「そういうこと。ところで、お嬢さん、お名前は?」

「山口早苗といいます。あなたは?」

「私は葵奴(あめ)。葵に奴と書いて『あめ』と読むの」

「名字はないんですか?」

「ないわ。あなたは未来の人だから名字ももらえているみたいだけど、今の時代、私みたいな奇奴等(きめら)は名字すら与えてもらえない存在。こんな見た目でしょ。気持ち悪がられるのよ。私みたいな半獣人は、昔から奇奴等(きめら)と呼ばれて社会の最下層に位置づけられ、奴隷や見世物にされてきたの。あなたも生まれた時代が悪かったら見世物だったわね」

「あ、私も見世物ですよ。でも、そんなに嫌じゃないです。私みたいな半獣人は、昔からいたんですね」

「いたわよ。でも、ほんとにめったに生まれてこないから、ほとんど伝承の世界って感じ」

「え、でも私は生まれたときは普通の人だったのに、ある日突然犬になっちゃったんですけど」

「ほんとに? それは初めて聞いたわ。たいていは生まれたときから半獣なのよ。もしかしたら、あなたは私とは違う種類の奇奴等(きめら)なのかもしれない」

「なんでめったに生まれないんですか? 突然変異とかなんですか?」

「突然変異じゃないわ。私のような奇奴等(きめら)は、奇奴等(きめら)の母親からしか生まれない。そして、奇奴等(きめら)になるのは女性だけと決まっているの。奇奴等(きめら)から生まれた男性は奇奴等(きめら)遺伝子を持つけど、普通の人との間では普通の子供しか生まれない。もともと少ない奇奴等(きめら)奇奴等(きめら)遺伝子を持つ男性が結ばれるなんて奇跡的な確率でしょ」

 葵奴(あめ)は、冷蔵庫から瓶ビールを取り出してグラスに注いだ。

「でも、私のお母さんは奇奴等(きめら)じゃない普通の人だって聞いてます」

「そうなんだ。そうなると、あなたは突然変異で奇奴等(きめら)になった珍しい例なのかもしれない」

 葵奴(あめ)はビールで満たされたグラスを煽り、大きく息をついた。

 

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