ラブライブ!WEST!!   作:ガテラー星人

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パート2 千年の都 ☆

「さて、今日はWestaの勇魚ちゃんが練習に来るわけやけど」

 

 ここは織物の町、西陣。

 観光公害が騒がれる京都でも、このあたりは静けさが残っている。

 天之錦の部長である寿葵(ことぶき あおい)は、部員たちへ向かってとうとうと語った。

 

「練習自体は胡蝶が見るとしても、皆おもてなしの心を忘れたらあかんで。

 特にここのところネットでの京都叩きがひどい!

 こういう機会からコツコツと、京都人の親切なところを広めるんや!」

 

 力説する部長に、家元の娘・早蕨胡蝶(さわらび こちょう)は呆れたような目を向ける。

 今日は勇魚の指導のため着物姿だ。

 

「叩きなんて前からとちゃう?」

「最近ますます激化してるんや。

 やれ京都人は陰湿だの、腹黒いだの、裏があるだの……。

 私は観光客には親切にしてるのに!」

「言わせといたらよろしおす。しょせん性根の曲がった田舎者のひがみですえ」

「せやからそういうこと言うのやめよう!? 内心では私もそう思うけど!」

「あ、あはは……」

 

 後輩たちは苦笑するが、元大阪人の九条小梅だけは本気で笑っていた。

 

「まあまあ、有名税有名税! 世間の期待に応えるのもアイドルの仕事やで」

「くそっ、ええなあ大阪は。なんか人情あるイメージで……。

 私が梅田で迷ったときは誰も助けてくれなかったのに……」

(そうネチネチ粘着してるあたりが京都っぽいんとちゃうかなあ……)

 

 と思う小梅だが、相手が落ち込みそうなので黙っておく。

 壁の時計を見上げた葵は、ひとりの一年生へと指示を出した。

 

「というわけで竹緒(たけお)、そろそろ勇魚ちゃんを迎えに行ってや」

「はぁい、かしこまりましたぁ」

 

 

 *   *   *

 

 

「わ! 京都御所や!」

 

 今出川駅で降りた勇魚の前に、石垣と木々が延々と続いている。

 小学生の頃、一般公開に連れてきてもらったことがある。

 紫宸殿(ししんでん)の前に左近の桜と右近の橘。当時は意味もよく分からなかったが、近いのだからまた来てもいいかもしれない。

 

「えーと、天之錦の人が迎えに……」

「佐々木さーん、こっちや~」

 

 声に振り向くと、三つ編みの女の子が手を振っていた。

 嬉しそうに駆け寄る勇魚に、自己紹介したその子は白峯竹緒といった。

 

「たけちゃんやね! うちのことは気軽に勇魚って呼んでや!」

「さすが大阪の人、フレンドリーやねぇ」

「そう言うたけちゃんは、はんなりした感じやね。さすが京都の人や!」

「ふふ、京都に住んでるだけの普通の女子高生やけどね。あ、バス停あそこやで」

 

 市バスに乗って西に向かいながら、話は自然と来月のラブライブのことになった。

 

「天之錦はまだ出るかどうかも決まってへんねん」

「そうなん!?」

「胡蝶先輩が引退しはったら、日舞を教えられる人は誰もおらへんしねぇ。

 正直、もっとウケのいい曲をやりたいって子もいるし。

 かといって私たちが最大の特色を捨てたら、埋もれるだけとも思うし……」

 

 天之錦の三年生は、来週のライブが最後の花道だ。

 自分たちにもいつか来る世代交代に思いをはせつつ、勇魚は元気に笑う。

 

「どんな方向へ行っても、スクールアイドルは楽しいと思うで!」

「かもねぇ。勇魚ちゃんは他の県まで練習に来て偉いなぁ」

「えへへ、うちはスクールアイドルがとにかく好きやから!」

 

 

 風情ある石畳の道を通り、西陣今宮学院に到着する。

 部室の扉を開けた途端、勇魚の目は本日の師匠に釘付けになった。

 周りが制服の中、一人だけ着物姿でたたずむ、長い黒髪の和風美人。

 慌てて皆に挨拶してから、和菓子の折詰を胡蝶に差し出す。

 

「き、今日はよろしくお願いします! これ、つまらないものですが!」

(京都に和菓子を持ってくるなんて……)

 

 ええ度胸した子やなあ、と感心した胡蝶の目が、手提げ袋に書かれた菓匠の名を映す。

 大阪では一番あちこちで見る和菓子屋だ。

 

「ああ、千鳥屋宗家はん。あっこも歴史のあるとこやねぇ」

「うちもお店の人に聞きましたけど、大元は佐賀のお店で、四百年も経ってるんですよね! すごいです!」

「……へえ、ふーん」

 

 急に葵の眼鏡が光ったと思うと、小声で何か言い出した。

 

「まあ、四百年程度で大きい顔しはられてもねぇ?

 うちの校名にもなってる今宮神社のあぶり餅は、千年前の創業ですけど何か?」

「ち、ちょっと部長。何をいきなり張り合うてるんですか」

「あ、しもた」

 

 竹緒に言われて我に返る葵に、小梅は楽しそうに親指を立てる。

 

「ええでええで葵ちゃん、そういうとこ京都っぽい!」

「くうう、自分から嫌な京都人を実演してしまうとは……。

 ごめん勇魚ちゃん、京都を嫌いにならんといて!」

「え、なんで嫌うんですか? 千年前なんてめっちゃすごくて感動します!」

「ううっ、純粋な瞳が心に痛い」

「アホなこと言うてへんで、まずはお昼にしますえ」

 

 胡蝶の言う通り、ちょうど時計は正午を回ったところである。

 食べずに来るよう言われていた勇魚の前に、葵が重箱をどんと置く。

 

「勇魚ちゃんの分も作ってきたからね。これで名誉挽回ってことで!」

「わわ、ありがとうございます! 何から何までご親切に!」

「そうやろー? 大阪に戻ったらこの話を周りに広めるんやで」

「葵はん、みっともないからええ加減にし」

 

 胡蝶の苦言を聞き流しつつ、開けた重箱の中身はもちろん和食。

 たけのこ、ひじき、菜葉のお浸し、大根と蕗の炊いたん……。

 小梅が自分のことのように自慢した。

 

「これが! かの有名な京都のおばんざいや!」

「あの有名な!」

「その呼び方は観光客向けやけどね……」

「野菜も壬生菜とか聖護院大根なんやろ! さすが葵ちゃん!」

「いや、近所のスーパーのやつ……。ってさっきから小梅、ハードル上げるのやめてくれる!?」

「それにひきかえ……」

 

 着物で洋食を持ってきた友人に目を向け、小梅はブツブツと不満をたれる。

 

「なんで胡蝶ちゃんはハンバーグなんて食べてるんや……」

「やかまし。小梅はんもお弁当に湯葉なんて、相変わらず京都を勘違いしてはるわ」

「ええやろ好きなんやしー!」

「あはは、おいしければ何でもええやないですか!」

 

 すぐに場に溶け込んだ勇魚は、和気あいあいとランチタイムを過ごす。

 その口から語られるWestaの話に、小梅は湯葉を咀嚼しながらしみじみ言った。

 

「立火も桜夜も大変そうやなあ。

 私も引っ越さなかったら、そっちで必死にやってたんやろか」

「小梅先輩が残ってくれてたら、絶対うちと気が合ったと思います!」

「あはは、そうかもね。勇魚ちゃんと私、ちょっとキャラかぶってるけど」

 

 そう言って、小梅は天之錦の部室を見渡した。

 壁には祇園祭で買ったちまきが、厄除けのために吊るしてある。

 

「でも私は京都が好きやから! 胡蝶ちゃんにも会えたし、運命の赤い糸やったと思うで」

「小梅はんが好きなんは、家元の看板だけとちゃいますのん」

「もー、そんなんちゃうって! 胡蝶ちゃんの京都らしいとこ大好き!」

「そお? 胡蝶って割とキツいし、ズバズバ言ってくるけど……」

 

 葵のツッコミに後輩たちもうんうんうなずくが、本人はしれっとしたものだ。

 

「私、回りくどいのは性に合わへんねや」

「京都人らしからぬ言葉!

 勇魚ちゃ~ん。後でこいつに泣かされそうになったら、部長の私に電話するんやで」

「だ、大丈夫です! 厳しくしてもらわへんと、うちだけ全国行っても応援席なので!」

 

 いつの間にか、重箱は空になっていた。

 葵は蓋を閉めると、来訪した下級生に真剣な目を向ける。

 

「私はこの前の地区予選で満足したから、それ以上を望む気はないけど……。

 でも、Westaの夢を少しでも後押しできたらええなと思う。

 絶対に問題点を何とかして、来週のイベントを一緒に盛り上げよう」

 

 勇魚も箸を置いて、居ずまいを正してしっかりと答えた。

 

「ありがとうございます! 必ず、一緒に楽しいステージを作りましょう!」

 

 

 *   *   *

 

 

 食休み後。体操着に着替えた勇魚の前で、胡蝶の雰囲気が変化する。ぴんと張った糸のように。

 

「――ほんなら、そろそろ稽古場へ参りましょか」

「は、はい! よろしくお願いします!」

『行ってらっしゃーい』

 

 自転車の鍵を借り、部員たちに見送られて外に出た。

 すいすいと漕ぎ出す胡蝶を、勇魚は驚きの目で追いかける。

 

「着物で自転車って乗れるんですね!」

「昔はみんな着物で生活してはったんや。今はなかなかねぇ。

 葵はんの家は呉服屋やけど、着物業界はピンチやーピンチやーていつも言うてはるわ」

「そ、そうやったんですか……うち、成人式は西陣織の着物にします!」

「ふふ、無理したらあきまへんえ」

 

 時々現れる町家のたたずまいに目を奪われつつ、小さな駐車場に自転車を停める。

 その先は左右にそびえる竹林の中を、細い小径が続いていた。

 

「この向こうや」

「な、なんや雰囲気が出てきましたね!」

「非公開のお寺さんやけど、話は通してあるから心配あらしまへん」

(胡蝶先輩、やっぱりすごいお人なんやなあ)

 

 風にざわめく竹林を過ぎると、古びた山門が見えてきた。

 小さな木戸を抜け、境内から本堂を回り込むと……。

 

「うわあ、能舞台や!」

 

 能は見たことがない勇魚も、この舞台のことは知っている。

 正方形のスペースに屋根があり、左側には通路が延びている。

 背景にあるのは松の絵だ。

 

「今日はここが稽古の場所や。ほな、まずは実際に見せてもらいまひょか」

「は、はいっ。ただいま!」

 

 本当に使わせてもらっていいのだろうか……と思いつつ。

 舞台に上がった勇魚は気合いを入れて、一人だけのライブを開始した。

 まずは歌だけ、ダンスだけ。夏休み中を費やしただけあってそれなりにはできる。

 でも二つを同時に行うと……

 

(空飛ぶ魚が跳ねていく~、ってここは右手をこうで、って次の歌詞はってあああ)

 

 いつものようにグダグダに終わり、木の床の上でしょんぼりうなだれる。

 顔の下半分を扇子で隠した胡蝶は、表情の分からないまま考え込んだ。

 

「ふうむ」

「ううっ、あかん子ですみません……」

「Westaの先輩方はなんて言うてはるん?」

「無心で踊れるくらいに、体に覚えこませたらええんやないかって」

「方向としては間違うてへんけど、三ヶ月くらいはかかりそうやねえ」

「そ、それやと困りますー! 何とか来週までにどうにかならないでしょうか!?」

 

 無茶を言ってるとは思うが、勇魚は涙目ですがるしかない。

 胡蝶の草履が、庭の上をしずしずと近づいてくる。

 

「文化祭で言うた通り、私も昔はそうやった」

 

 能舞台の端にたおやかに腰かけて、語る胡蝶の目は遠くを見つめていた。

 

「私は家元の宿命に生まれ、四歳の時から稽古漬けの毎日や。

 歌わず舞うのが体の芯まで沁みついてたんやもの。急に変えるんは無理やった」

「ど、どうやって克服したんですか!」

 

 それが今日、一番聞きたかったことだった。

 胡蝶は具体的には答えず、くすりと抽象的なことを言う。

 

「そんなん、今までの自分を壊すしかないやないの」

「え……」

「あんたはんも、最初にできひんかったのは単に不器用なだけと思うけど。

 その後いつまでもそのままなのは、それで固まってしもうたからかもね」

「癖になった……みたいな感じですか!」

 

 確かにスポーツでは割と聞く話だ。

 胡蝶の流し目が、上から下まで勇魚を観察する。

 

「あんたはん、素直すぎて何事も一直線て感じやからねえ」

「ううっ、確かに猪突猛進すぎるって昔から言われてました。

 どうしたらこんな自分を壊せるでしょう! 性格を変えたらいいでしょうかっ!?」

「落ち着きや。

 そんなん来週までに変えられるわけないし、あんたはええ子なんやから変える必要もない。

 少しばかり、心を揉みほぐすだけで十分や」

「も、揉みほぐすんですか……」

 

 何をされるんやろ、とドキドキしてきた勇魚だが、胡蝶が命じたのは至極まっとうなメニューだった。

 

「まずは座禅やな」

 

 

 *   *   *

 

 

「そわそわ動かない!」

「はいっ!」

 

 本堂に移動して、固い床の上に正座する。

 お坊さんの木の板代わりに、閉じた扇子が後ろから勇魚の肩に触れる。

 

「心を無にするんや。雑念を捨て、自然と一体に」

「無……む……むむむ」

 

 外にある小さな石庭を眺めながら、勇魚の心は無我へと沈む……

 ……のは束の間で、二分後には足がもぞもぞし、三分後にはケーキのことを考え始めた。

 

(あのモンブラン、おいしそうやったなあ。あ、イチゴのタルトもええかも!)

 

 ぺしん、と扇子で肩が叩かれる。

 正座のまま飛び上がった勇魚の背後で、深々と溜息が聞こえた。

 

「五分もじっとしてられへんの……」

「すすすみませぇん! も、もう一度お願いします……」

「もうええ。あんたみたいな騒々しい子には向いてへんかった。

 無の境地は諦めるから、そのままの姿勢で話を聞きや」

「はいっ!」

 

 ぴんと張った勇魚の背筋に、胡蝶はやんわりと雑談を始めた。

 

「文化祭のときのあの子、おもろい子やったねぇ」

「花ちゃんですね!」

「姿勢を崩さない」

「はいっ」

 

 慌てて前を向くが、花歩を誉めてもらえたのは嬉しい。

 にこにこしている勇魚のうなじに、しかし浴びせられたのは冷や水だった。

 

「あんたはんはどうなん?

 あの子みたいに目立ちたいとか、唯一無二になりたいて気持ちはありますのん?」

「それは……」

 

 正直に言って、ない。

 なので最近みんなが、誰かに勝ちたいとか負けたくないとか言ってばかりなのは、少し距離を感じなくもない。

 

「うちは、みんなで仲良く楽しくやれたらそれでいいです……。

 こんなんやから、いつまでも出来るようにならへんのでしょうか」

「芸の道は人それぞれ。もっと自信をお持ちやす。

 一人くらい純粋に楽しむ子がいた方が、見る人も安心するものや」

 

 ほっと息をつく勇魚の方こそ、胡蝶の言葉に安心させてもらえた。

 少し軽くなった心で、そのまま質問を返す。

 

「胡蝶先輩はどうなんですか? って、先輩は最初から唯一無二のお人でしたね!」

「そんなんとちゃいますえ」

「え……」

 

 胡蝶は後ろに立つのをやめて、勇魚の目の前に正座した。

 古い石庭を背景にした姿は、まるで千年前から飛んできたようにも見える。

 

「私は早蕨流の跡継ぎ。先代から受け継ぎ、後代に伝えるのが役目や」

 

 個人よりも上位のものに殉じるように、彼女は言った。

 

「上方舞は江戸中期の起こりやから、そないな長い歴史でもないけれど……。

 それ以前の能の伝統、あるいは祇園の芸妓さんに伝わる座敷舞。

 そういった大きな流れの一部に私がいて、それでええんやと思ってる」

「先輩……」

「まあ、悩んだことも一度や二度ではないんやけどね。

 でも結局この道を選んだのは、やっぱりこの伝統が、私には大事なものなんやろなあ」

 

 そんなこと、勇魚は考えたこともなかった。

 京の伝統に比べたら、スクールアイドルの歴史はたったの七年ほどだけど。

 A-RISEからμ'sを経てAqoursへ繋がり、そして未来へ向かう流れの中に、確かに自分もいるのだ。

 少しくらい、そういう視野を持ってもいいのかもしれなかった。

 

「う、うちも受け継いでいきたいです!

 Aqoursみたいにラブライブの歴史に名を残せるなんて思えへんけど、それでも後輩に何かを繋げていけたら――」

「――そう」

 

 嬉しそうに微笑んだ胡蝶は、優雅な動きで立ち上がる。

 

「多少は揉みほぐされたみたいやね。

 ほんなら、効果のほどを試してみましょか」

 

 

 *   *   *

 

 

 再度能舞台に戻っての実演は、勇魚にはあまり違いが分からなかった。

 が、胡蝶の目には違ったようで、満足そうな笑みが浮かぶ。

 

「多少良くなってきはったね。あと一息や」

「ほんまですかっ! 次は何をしたらいいでしょう!」

「せっかく私がいることやし、少し日舞をやってみまひょか」

「やったー! 実はちょっとやってみたかったんです!」

「別の癖がついたらあかんから、ほんまに少しだけやで」

 

 まずは手本をということで、胡蝶が扇子を開いて雅に舞う。

 すり足は床を滑るように動き、扇は生き物のように宙に軌跡を描く。

 相変わらずの美しさに、勇魚は今日の目的も忘れて見とれていた。

 

「とまあ、これが一番簡単な舞や。あまり構えず気軽にね」

「はいっ。やったるでー!」

 

 扇子を渡され、さっそくお手本を再現しようとする。

 とはいえ落ち着きのない勇魚と、流麗な京舞は相性が悪い。

 悪戦苦闘していると、胡蝶が背後からそっと手を添えた。

 

「そこの腕の動きは、こう」

「は、はいっ」

 

【挿絵表示】

 

 しばらくは、教えられた通りに舞っていたが……

 できるようになるにつれ、胡蝶の指示も細かくなり、体も近づいてくる。

 背中に触れる着物の感触に、お香のいい匂いも相まって、何だかドキドキしてきた。

 固くなる弟子を不思議に思った胡蝶は、横から顔を覗き込んで納得する。

 

「なんや。純朴そうに見えて、結構色気づいた子やねえ」

「すすすすみませんっ! あの、実は地区予選でお会いしたときから、素敵な先輩やなあって……」

「あれまあ、どないしましょ。年下の女の子から口説かれてもうたわあ」

「はわわわわ、ちゃうんですぅぅ!」

 

 ドツボにはまるばかりの勇魚に、胡蝶は我慢しきれずクスクス笑い出した。

 その端正な人差し指が、つつ、と勇魚の頬をなでる。

 

「ほんま、可愛(かい)らしい子。

 そちらがその気なんやったら、一口食べさせてもろてもええんかな?」

「えええええ!?」

「と、冗談はこれくらいにして」

 

 顔から湯気を出してへたり込む勇魚を残し、舞台を降りた胡蝶は庭で振り向いた。

 

「十分揉みほぐされましたやろ。今度という今度こそ、上手くいくはずや」

「は……はい!」

 

 慌てて立ち上がる弟子を、師匠の手が穏やかに制する。

 

「まず深呼吸して」

「すー、はー」

「落ち着いて、よく周りを見るんや。

 今いるこのお寺はん。洛中の風景。永々と続く都の姿を」

 

 言われた通りに、自分の置かれた状況を感じる。

 歴史のありそうな能舞台に、苔むした庭。

 二人以外に誰もいない、静まり返った古寺。

 壁の向こうに竹林が揺れる中で、黒髪をふわりと舞わせた先輩が、優しく微笑んだ。

 

「この都に積もる千年の想いが、きっと力になってくれますえ」

 

 やれそうな気がしてきた。

 勇魚がおよそ持っていなかった、わびさび、幽玄、そういった精神が……

 自分を壊せなくても、新たに足されることで、別の世界が見える気がした。

 

『それは一面の花畑――』

 

 気がするじゃない、やれる!

 今までとは違う感覚の中、手足と同じように喉を動かしていく。

 

『花はそこから動けないから 魚たちを憧れの目で 見送るしかないけれど』

 

 現実は魚の方こそ、見事に開いた花を水底から見上げるばかり。

 でも心が浮上する。揉みほぐされ、空気を十分に含んで、真っすぐに水面を目指す。

 ようやく歌とダンスが一体になったまま、サビも一気に走り抜け――

 

『咲き誇る花は もう見失わないね

 フラワー・フィッシュ・フレンド!』

 

 

 ライブを終え、数回息をしてから、勇魚は靴下のまま庭に飛び出した。

 心を抑えきれずに胡蝶へ抱き着く。

 

「できました、先輩!」

「おめでとうさん、よう頑張ったねぇ」

「ほんまに……ほんまに、ありがとうございます! 何てお礼を言うたらええのか……」

 

 涙があふれかけるが、着物を汚してはいけないと慌てて顔を離す。

 鼻をすすり上げ、勇魚は胸に起こる気持ちを正直に話した。

 

「うちには誰かに勝ちたいとか、特別になりたいって気持ちはないけど……。

 でも、できなかったことができるようになるのが、こんなに嬉しいって初めて知りました!

 もっともっと上手くなりたい! 上達して、できることを増やしたいです!」

「うん――芸の世界で、それは何よりも純粋な気持ちや」

 

 胡蝶も微笑んで、勇魚の頭を優しく撫でた。

 椿のかんざしを抜いて、今だけ花丸代わりに弟子の髪に差す。

 

「なんや私も、初心を取り戻せた思いやねえ」

 

 

 *   *   *

 

 

「いやー良かった良かった」

 

 学校に戻ってきた二人の笑顔に、葵は心から安堵した。

 

(これで勇魚ちゃんの中では、京都のイメージはうなぎ登りやろ!)

 

 なんて思われるとも知らず、部員たちにもお礼を言っていた勇魚は、思い出したように胡蝶へ尋ねる。

 

「そういえば胡蝶先輩は、どうやって今までの自分を壊したんですか?」

「うーん、壊されたいう方が正解かもねぇ。そこの葵はんと小梅はんから」

「え、私たち?」

 

 きょとんと自分を指さす二人に、胡蝶は思い出し笑いを扇で隠した。

 

「ま、今日はええ時間や。続きはまたのお楽しみにしまひょ」

「はいっ、来週また会えるのがめっちゃ嬉しいです!

 ほな今日は失礼します。皆さんほんまにお世話になりました!」

「またねー」

「楽しみにしてるでー!」

 

 部員たちに手を振られ、勇魚は喜びを抑えることなく、スキップして帰っていった。

 足音が遠ざかったのを見計らい、眼鏡を直した葵が胡蝶にひとつ尋ねる。

 

「良かったのは間違いないんやけど、やっぱり不思議や。

 座禅して禅問答して日舞するだけで、根深かった問題が解決するものなの?」

「敢えて言うなら、それに加えて雰囲気作りが上手くいったんやろねぇ」

「雰囲気?」

「竹林に古寺、能舞台に石庭。

 そういった場所なら、何か特別なことが起こりそうな気がしますやろ。

 幸いあの子は、素直にその気になる性格やったから」

 

 小梅が大いに納得して、ぽんと手を打つ。

 

「なるほど! ただの湯豆腐でも、京都で食べればみんな有り難がるようなもんやな」

「人聞きの悪い……ちゃんとしたとこはちゃんとした豆腐使ってるっての」

「いやいや、誉めてるんやって。それが京都のブランドってこと!」

 

 言い合っている二人に笑いながら、胡蝶は後輩たちへ向き直った。

 もうすぐ部を受け継がせる、自分の初めての弟子たちへ。

 

「それも京の先人たちが、十重二十重に積み重ねた結果や。

 私たちも糸の一本を紡げるよう、来週のライブは気張りますえ」

『はいっ!』

 

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