ラブライブ!WEST!!   作:ガテラー星人

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パート5 私の幼なじみ ☆☆☆

「おはよう、勇魚ちゃん」

 

 自宅に戻る前に、つい勇魚の家へ立ち寄ってしまった。

 玄関に出てきた幼なじみの笑顔は、物心ついた頃と何も変わらない。

 

「おはよ姫ちゃん! つーちゃんちはどうやった?」

「うん……私はつかさが好きなんだって、改めて実感した」

「そうなんやね。うちもつーちゃんが大好きや!」

「ふふ。それじゃ、また午後にね」

「引っ越し、手伝うことない?」

「業者さんにお任せだから大丈夫よ」

 

 昼過ぎにその業者が来て、家財は次々とトラックに運び込まれた。

 一年間を過ごした家が、綺麗に空き屋へ変わっていく。

 トラックが出発し、後には母の車だけが残った。

 

「それじゃ、お母さんは先に東京へ行ってるから。……心変わりなんてしないわよね?」

「しないわよ! 私が決めたことなんだから。

 きちんと勇魚ちゃんとお別れして、明後日には品川にいるから」

 

 娘の断言に母が安心していると、佐々木家も見送りにやってくる。

 母親同士が別れを惜しみ、勇魚たちが手を振った。

 

「おばちゃーん! お元気でー!」

「ありがとう勇魚ちゃん。ずっと姫水と仲良くしてあげてね」

「……ばいばい、おばちゃん」

「え、ええ。汐里ちゃんも、ばいばい」

 

 八年前よりは遥かに穏やかに、車は走り去っていく。

 家には既に鍵がかかり、もう姫水が入ることはない。

 フェリーは夜行なのでしばらく時間がある。手荷物を持って佐々木家にお邪魔した。

 

「勇魚ちゃん、夕方まで何しようか。春休みの宿題? それとも衣装デザインの勉強?」

「衣装の方!」

「ふふ、宿題はいいのね?」

「もー、うちも上級生になるんやから大丈夫!」

 

 部屋で勇魚が広げたスケッチブックは、一年間の努力と成長が如実に現れている。

 それに感じ入りながらも、姫水は昨日のつかさとのことを正直に話した。

 

「つかさも二年生になったら、今まで以上に衣装に関わりたいみたい」

「そうなんや、つーちゃんが!」

 

 勇魚は嬉しそうながらも、少し寂しそうでもある。

 

「ほんまは全部つーちゃんに任せた方が、Westaのためなんやろな」

「もう、そんなこと言わないの。

 本当にやりたいことをするのがスクールアイドルでしょう?」

「うん……そうやね!

 新入生にも衣装が好きな子がいたら、一緒に頑張りたいな!」

 

 

 一段落ついた後は汐里と遊んで、そのうち出発の時刻が近づいてきた。

 と、玄関のチャイムが鳴り、外に立っていたのは花歩だった。

 

「姫水ちゃん、自転車持ってきたでー」

「あ、ありがとう! 私から借りに行くつもりだったのに」

 

 姫水の自転車はトラックで運ばれていったので、花歩から借りる手はずだったのだ。

 今回は留守番の友達は、いやいやと手を振った。

 

「どうせならスタート地点も、八年前と同じの方がええやん。そろそろ出発?」

「そうね。勇魚ちゃん、準備はいい?」

「ええよ、行こう!」

 

 勇魚の母に行ってきますを言って、靴を履いて外に出る。

 自転車の前かごに荷物を入れていると、汐里が着いていきたそうにじっと見ていた。

 しゃがんだ姫水が優しく頭を撫でる。

 

「汐里ちゃん、今回はごめんね。大きくなったら一緒に行こうね」

「うん……」

「なら明日は私とどっか行こうか」

「はなちゃんと!? わーい!」

 

 花歩に抱き着く妹の姿に、二人とも安堵して。

 並んで自転車にまたがり、大きな声で唱和した。

 

『Go! WEST!!』

 

 

 *   *   *

 

 

 踏切を二つ通り、住吉大社の南を通り。

 毎日乗り降りしていたバス停も通り過ぎる。

 頑張れば自転車でも通えた高校だけど、それだと三人でのお喋りの時間はなかったから。

 バスで通わせてくれた親に感謝するばかりだ。

 

 頭上を走るニュートラムや、貯木場の水面。

 あのときは初めての風景にはしゃいだが、今はもう見慣れた光景だ。

 右に曲がり、前回よりずっと早く、フェリーターミナルに到着した。

 

「勇魚ちゃん、あそこへ行ってみましょう」

「うんっ!」

 

 ターミナルの北の、釣り場になっている岸壁へ行く。

 タイミングも計算通りで、真っ赤な夕日を眺めることができた。

 八年前、ただ泣くしかできなかった勇魚は、今は誇らしく隣の姫水を見上げる。

 と、その向こうの大きな橋が目に入った。

 

「晴先輩は、あの橋を自転車で通ってるんやね」

「あそこに階段があるわよ。登れるんじゃない?」

「行ってみよう!」

 

 南港大橋に登り、改めて港と沈む太陽を見る。

 高いところから見る風景は、自分たちの視野まで広くなったように感じた。

 

 

「名門大洋フェリー!」

 

 ターミナルに入った勇魚は、看板の社名を見て感動の声を上げる。

 

「すごいで姫ちゃん、ここは名門なんや!」

「残念だけど、昔は名古屋と門司を繋いでいたからその名前みたいよ」

「あ、名と門やったん……。えへへ」

 

 照れ笑いの勇魚にくすくす笑いの姫水は、乗船手続きを済ませて待合室へ行く。

 平日とはいえ、春休みとあって混雑していた。

 最初は楽しく喋っていた勇魚だが、六時を過ぎてしばらく経つと元気がなくなってくる。

 

「どないしょ、お腹すいてきた……」

「も、もうすぐ乗に船れるから、あと少し我慢してね?」

 

 船内でバイキングが食べられるというので、お昼は少なめにしてしまったのだ。

 姫水に励まされつつ耐えていると、乗船開始の放送が流れた。

 

 すぐに長い行列ができ、さらに待った二人はようやくタラップへ踏み出す。

 既に暗くなった海上に、巨大な船が白く浮かび上がっていた。

 きょろきょろ見回しながら乗船し、女性用エコノミー室へ向かう。

 

「わー! こういう部屋なんや!」

「行きはね。帰りは個室を取ったから」

 

 広い部屋に20人が雑魚寝し、自分のスペースは寝られる広さだけだ。

 勇魚としては、こんな賑やかな方が面白い。

 隣のお姉さんに挨拶していると、胃が盛大に音を立てた。

 

「え、えへへ、姫ちゃ~ん」

「はいはい、もうレストランは開いてるみたいよ。先にご飯にしましょうか」

 

 

 バイキングで鰹のタタキやハンバーグを口に運びながら、勇魚は申し訳ない気分である。

 

「ごめんね。ほんまは出港してから食べたかったやろ?」

「まあその方が旅情はあったけど、八時を過ぎちゃうしね。旅は楽しくいきましょ」

 

 優しく微笑む幼なじみは、今日も上品に春巻きなどを食べている。

 

(姫ちゃんは、ほんまに大人やなあ)

 

 今回の旅行の手配も、全部一人でやってくれた。

 これから女優で稼ぐからと、旅費まで出してくれた。

 体育祭ではまぐれで勝ったけれど、あれ以降は競おうとすら思ったことはない。

 それでも近くにいられたから、安心しきっていたけど……。

 

(でも姫ちゃんはプロに戻って、これからは自分の意志で、大人の世界を渡っていくんや)

(うちももっと頑張らないと、姫ちゃんに置いてかれてまうで!)

 

 

 食べ終わった頃に船は動き出し、大阪港を後にした。

 お風呂から夜の海を見たり、同じ部屋の子供とトランプで遊んだりしていると、姫水のスマホでアラームが鳴る。

 

「そろそろ明石海峡大橋を通る頃ね」

「わ、行こ行こ!」

 

 三月下旬の夜はまだまだ冷え込む。

 デッキに出て思わず身震いしたが、前方に見える大きな橋に寒さも吹き飛んだ。

 すっかり夜も更けた海上で、ライトアップされ、明石と淡路島を繋いでいる。

 

「そういえば花歩ちゃんは、前に淡路島へ行ったんだったわね」

「そうやね! 今頃何してるんやろ」

「一生懸命、作詞の勉強でもしてるんじゃないかな?」

 

 話している間に、橋は頭上を通り過ぎていった。

 船内に戻った勇魚は、既に大いに満足している。

 

「姫ちゃん、来て良かったね!」

「うふふ、まだまだ序の口よ。明日も面白い場所がいっぱいあるんだから」

「わー、めっちゃ楽しみ!」

 

 体が冷えたのでもう一回お風呂に入って、部屋でくつろぐうち消灯時間になった。

 船のエンジン音と大部屋の人の音で、静かな寝室とはいかなかったが、勇魚は気にせず眠りにつく。

 隣に横たわる幼なじみが、どうして旅へ誘ったのかなんて考えもしないまま――。

 

 

 *   *   *

 

 

(勇魚ちゃん……)

 

 目が覚めてしばらくの間、姫水は勇魚の寝顔を堪能していた。

 やっぱり天使だとは思うけど。

 現実感を取り戻し、つかさ達とも深く関わった今は、前みたいに神格化はしない。

 勇魚だって普通の女の子だ。

 

(いつ確認しよう)

(私が勇魚ちゃんとどうなりたいのか。私だけのものにしたいのか)

(それとも、誰か他の人と結ばれても許容できるのか)

(今……?)

 

 結局、帰りの船まで延ばすことにする。

 目的のある旅だけれど、それはそれとして観光自体も楽しみなのだ。

 幸せそうに寝ている彼女の、ほっぺたをそっと突っついた。

 

「勇魚ちゃん、起きて。海が見えるわよ」

 

 

「海の真ん中やー!」

 

 昨日は真っ暗で見えなかったが、今朝は周囲全てが青い水面だ。

 遠くには別の船と、その向こうにうっすら陸地が見える。

 

「あれが九州みたいね」

「すごーい! ほんまに寝てる間に着いたで!」

「お腹は空いてる?」

「ちょっとだけ」

「今は軽めにしておきましょう。今日の食事時間は少し変則的になるけど、許してね」

「ええよ、そういうのも旅の楽しみやね!」

 

 自販機に焼きおにぎりを見つけ、珍しさにはしゃぎながら軽く食べる。

 そうこうしている間にフェリーは着岸。

 部屋で仲良くなった子に挨拶している勇魚と、それを微笑ましく見ている姫水は、同時に新門司港へ降り立った。

 

「初九州やー!」

「私も!」

 

 バスで門司駅へ行き、電車で門司港駅へ。

 先日復元工事が終わったばかりの、大正時代の駅舎を出る。

 そこは門司港レトロ地区である。

 

【挿絵表示】

 

 『バナナの叩き売り発祥の地』の碑に笑ってから、海辺を少し歩いた。

 

「わあ、港町って感じやねえ」

「うん、でも少し独特ね」

 

 他と違うのは、海峡の向こうがすぐ山口県ということだろう。

 海が狭く感じると同時に、レトロの名の通り、煉瓦造りの建物がそこここに見える。

 

 展望台や大正モダンの洋館を見学してから、朝食兼昼食のため喫茶店に入る。

 お楽しみの九州グルメは、門司港名物の焼きカレーだ。

 バナナジュースを飲みながらわくわくと待っていると、こんがり焼けたカレーが運ばれてきた。

 

「おいしー!」

「勇魚ちゃん、昔からカレー好きよね」

「うんっ! 次の合宿でも、また晴先輩の作ったカレーが食べたいで!」

「ふ、ふーん」

 

 姫水は少し複雑な顔で、カレーとご飯をかき混ぜた。

 

「東京に泊まりに来たら、私もカレー作ってあげるわよ? 岸部先輩より絶対おいしいのを……」

「もー、姫ちゃんは負けず嫌いやな!」

 

 続いて観光用のトロッコ列車に乗り、終点の一つ前で降りた。

 ノーフォーク広場へ行くと、錨のモニュメントの向こうに巨大な吊り橋が見える。

 

「あれが関門橋よ」

「うわあ、本州と九州を繋いでるんや。スケールめっちゃすごい!」

 

【挿絵表示】

 

 遊歩道を進むと、横の海を貨物船や漁船が行き来していく。

 山に挟まれた海峡は、大阪では見られない風景でなかなか新鮮だ。

 橋の真下でいっぱい写真を撮ってから、反対側へと抜けた。

 

「さて、これで福岡観光はおしまい」

「ええ!? まだお昼やで、もう帰るん!?」

「ふふふ、あそこの建物からエレベーターで降りるわよ。看板は見ないようにしてね」

 

 幼なじみにそう言われて、勇魚は顔を伏せてついていく。

 かなり深く潜り、エレベーターから出てみると……

 

「え、トンネル?」

「そう、関門トンネル。ここから歩いて山口県に行けるのよ」

「ええー!? ほんまに!?」

 

 『↑下関』と床に書かれた先には、向こう側が見えないほど長いトンネルが続いている。

 海の底を通る道を、勇魚は大はしゃぎで歩いていった。

 生活道路としても使われているようで、自転車を押したおばさんと挨拶してすれ違う。

 

 歩くこと15分。本州に到着した二人は、エレベーターで地上に出た。

 海辺には幕末における馬関戦争での大砲のレプリカ。平家滅亡の壇ノ浦の記念碑に、少し離れれば武蔵と小次郎の巌流島……

 歴史を感じつつ、先ほどとは反対側から橋を見上げる。

 

「私は中国地方に来るのも初めてね」

「そうやったん? うちは修学旅行で広島行ったで!

 あ、よく考えたら、昨日は寝てる間に瀬戸内海通ったんや」

「うん……瀬良さんが住んでた島の近くも通ったかもね。どこだかは知らないけど」

 

 勇魚の思考を先回りして、姫水は光の名を挙げる。

 ロープウェイ乗り場へ向かいながら、ぽつりと本音が呟かれた。

 

「私は勇魚ちゃんなら、瀬良さんにも負けないと思うんだけどな」

「ちょっ。姫ちゃん、ひいき目がすぎるで~」

「確かに才能では瀬良さんに誰もかなわないわよ。

 でもアイドルってそれだけじゃないじゃない。勇魚ちゃんはこんなに可愛くていい子なのに」

「も、もう姫ちゃ~ん」

 

 勇魚は照れているが、姫水は至って真面目である。

 この一年、自分のことで精一杯で、勇魚の人気を上げられなかったのは断腸の思いだ。

 本人は気にしないとはいえ、後輩に追い抜かれでもしたら姫水は耐えられない。

 今後は一番のファンとして、外から思いきり応援しないと。

 

「次のアキバドームでは、オレンジ色のサイリウムを山ほど持っていくわね。

 あ、勇魚ちゃん専用の応援幕も作らないと」

「普通に応援してくれればええから!」

 

 

 火の山ロープウェイで登った山上から、眼下に広がる関門海峡を楽しみ。

 海遊館と一文字違いの海響館で、ペンギンのショーに歓声を上げる。

 赤間神宮や日清講和記念館も行きたかったが、夕方にはフェリーに戻らなければならない。

 時計はもうすぐ三時。勇魚と手を繋いで、最終目的地のカモンワーフへ向かった。

 

「ここで鯨料理を食べて締めにしましょう」

「あはは、うちは共食いやね!」

 

 優しい勇魚と動物好きの姫水だが、それはそれとして生き物を食べることに躊躇はない。

 食い倒れの大阪人らしく、鯨の刺身や竜田揚げを大いに味わった。

 楽しく食事をしながらも、姫水ははっと気付いてしまう。

 

(鯨を食べる……つまり勇魚ちゃんを食べる……?)

(って、何を考えてるの私はっ)

(いやでも、これからそうなる可能性もあるんだから……)

 

 旅行を満喫しすぎて、うっかり目的を忘れるところだった。

 目の前で味噌汁をすすっている幼なじみは、いつものように愛らしい。

 この無垢な笑顔を悩ますようなことを、本当にするべきなのだろうか。

 

 だが姫水は、揺れる心を固定し直す。

 みんな今まで、それぞれの想いにしっかり向き合ってきたのだ。

 最後に残った自分だけが、逃げるわけにはいかなかった。

 

「……腹ごなしに、このへんを一回りしましょうか」

「うんっ!」

 

 

 *   *   *

 

 

 散策の後は船で門司港に戻り、お土産と、夜食用のドーナッツを買って観光は終わった。

 フェリーターミナルに向かうバスで、勇魚は屈託なく笑いかけてくる

 

「おおきに姫ちゃん、最高に楽しかった!」

「私もよ。付き合ってくれてありがとう」

「姫ちゃんとの時間がずっと続けばいいのにって、ちょっと思ったで」

 

 息をのむ姫水に、勇魚は慌てて手を振る。

 

「で、でもうちらは離れてても友達や! 東京と大阪で、それぞれ頑張ろうね!」

「うん……勇魚ちゃん……」

 

 そちらの心も再度固定する。

 離れがたい気持ちは増すばかりだけれど、それで未来を投げ出すようでは、どのみち勇魚の隣にいる資格はない。

 船が大阪に戻った後は、何があろうと東京へと発つ。

 その前に、今こそ最後の決着を――。

 

 帰りの船は和室の個室。並んだ布団を勇魚は素直に喜ぶが、姫水は変に意識してしまう。

 デッキに出て、一緒に散歩しつつ勝負の場所を選ぶ。

 五時になり、船は夕方の福岡を出港した。

 ここと決めたベンチへ勇魚を誘い、座って話している間に、他の客は船内へ戻っていく。

 

 周りの海は静かで、世界には自分たち二人だけに思えた。

 

「ねえ、勇魚ちゃん」

「なーに、姫ちゃん」

 

 こちらを信じ切っている笑顔に、ごくりと唾をのんで――

 藤上姫水は、ひと思いに跳躍した。

 

 

「キスさせてくれない?」

「!!?」

「あ、いや、待って。話を聞いて」

 

 熟考した末の言葉のはずなのに、いざその時がくるとしどろもどろだった。

 必死で気を落ち着かせ、姫水は一生懸命に説明する。

 

「あなたが私に向けてくれるのが、純粋な友情であることは重々知ってる。

 でも私の方もそうなのか、自分でも分からないの」

「姫ちゃん……」

「あなたと恋人になりたいのか、友達のままでいたいのか。

 病気だった頃は、唯一の現実だった勇魚ちゃんなのに。

 現実を手に入れたら、逆に近すぎて分からなくなった。

 それを確かめるために、その、キスさせてもらえないかな……?」

 

 そんなことのためにファーストキスを渡せなどとは、我ながら無茶苦茶だと思う。

 だが本当に、これしか思いつかなかったのだ。

 完璧だった少女は消え失せて、ただただ両手を合わせて頭を下げる。

 

「お願い勇魚ちゃん、幼なじみのよしみで!」

「う、うん……ええよ。幼なじみやもんね」

 

 優しい勇魚ならそう言ってくれると、最初から分かっていた。

 普通の幼なじみは、こんなこと絶対頼むわけがないというのに。

 罪悪感に胸が痛みながら、本当にいいのね? などとは今さら聞かず、彼女の体に手を触れる。

 

「そ、それじゃいくわよ、勇魚ちゃん」

「ど、どんとこいやで!」

 

 早くしないと乗客が通りがかるかもしれない。

 焦りつつも、顔を近づけていくにつれて、姫水の心は落ち着いていく。

 生まれてからずっと、家族も同然だった女の子。

 その一線を今だけ越えて――

 

 何もない海の上で、二人はゆっくりと唇を重ねた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 どれくらいそうしていたのだろう。

 長いようで、でも重ねてきた時間に比べれば、ほんの一瞬。

 唇を離し、姫水はおずおずと相手の顔を見た。

 

 いつも通り。

 勇魚の表情はそれだけだった。

 少し照れ笑いを浮かべて、恥ずかしそうにもしていたけれど。

 いつか晴に見せた上気した頬や、浮足立った様子はどこにもなかった。

 

「えへへ……何や、こそばゆい感じやね」

「勇魚ちゃん……」

「……やっぱりうちは子供で、キスはまだ早かったみたいや」

「そんなことない……。あなたはいつだって、私よりずっと大人だった」

 

 首を横に振る姫水も、やはり穏やかだった。

 誰よりも愛しい人であることに、何ら変わりはないけれど。

 その愛おしさは、激しい慕情ではなかった。

 

 鈍感だった自分が、つかさに恋してもらえて。

 花歩や夕理の想いを間近に見て、そして今、直接勇魚に確かめられた。

 胸に広がる温かさの中で、彼女の両手を強く握る。

 

「あなたを尊敬してる」

「うちもや」

「あなたが笑うだけで幸せになれる」

「うちも!」

「勇魚ちゃん、あなたは私にとって――」

 

 あの日に行けなかった海の上で。

 ようやく認識できた現実を、姫水ははっきりと口にした。

 

「世界中の誰よりも何よりも、一番大切な友達よ」

 

 

 幸せに包まれながら、二人で笑い合う。

 この世には、恋より愛より強い友情だって、きっと存在するはずだ。

 

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