空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
狼月
脳裏に映える、深淵の蒼月。
***
クロスベルに常駐する警備隊は二つの所属に別けられている。
一つはエレボニア帝国との国境を守るベルガード門、一つはカルバード共和国との国境を守るタングラム門である。
そしてベルガード門には警備隊司令が、タングラム門では副司令がその最高権力であり、その力は警察上層部にも十分な影響を与えられるほどだった。
そして今回特務支援課の四人が警察副局長に呼ばれたのは、正にその警備隊副司令官ソーニャ・ベルツが依頼をしたことによる。
ティオのそれとは異なる水色の髪を斜めに下ろし、レンズの下部分のみにフレームがあるという珍しい眼鏡をしたその女性将校は適度に副局長の機嫌を取った後、依頼先である支援課を見て言った。
「今回あなた達に依頼する仕事、それはとある魔獣による襲撃事件よ。ノエル」
ノエルと呼ばれた女性隊員が資料を渡してくる。ロイドはその隊員を見て懐かしいような印象を抱いたが、今はそんな感覚は後回しにする。
「事件が起こったのは自治州北東部にあるアルモリカ村、南にある聖ウルスラ医科大学、北西部にあるマインツ鉱山町の三つ」
「どこも市外ですね」
「市外の魔獣となると警備隊の専門ですし、私たちが役に立てるとは思えないのですが……」
エリィが言うように、警察も事件さえあれば市の内外問わず出張るが、魔獣による事件となると普段魔獣退治に携わっている遊撃士や警備隊に一日の長がある。警備隊のナンバー2がわざわざやってくる案件とは思えないのだ。
「あなた達にはこの事件の不可解な部分をあなた達のやり方で調査してほしいの。こちらとしても一種の気休めのようなものだから肩の力を抜いてやってちょうだい」
気休め。
それは警察官よりも得意としているこの種の事件において進展していないことを意味している。
つまりこれは今までに解決してきた同じような事件とは異なる何かがあるのだろう。ソーニャ・ベルツはそう判断し、警察に応援を頼んだのである。
「それじゃあよろしくね。副局長、失礼します」
「失礼します!」
ソーニャとノエル隊員は敬礼して副局長室を辞した。ロイドらは思わぬ要請に辟易しながらも後を追うように部屋を出て、ロビーに下りてきた。
「あ、皆さんお疲れ様ですー」
受付にはフラン・シーカーがおり、にこやかに挨拶してきた。支援を達成するたびに彼女の声を聴いているが、やはり直接会うのとは印象が違う。
彼女は普段も元気一杯だが、今日は特別にご機嫌のようだった。
「皆さん聞いてくださいっ、さっき私のお姉ちゃんが来てたんですよー!」
「お姉さん? フランにはお姉さんがいたのか」
「はいっ、とっても凛々しくて優しい、自慢のお姉ちゃんなんですよっ!」
その時四人の脳裏を過ぎるのは先の支援要請を受けたときにソーニャの傍に控えていた女性隊員。ノエルと呼ばれていた彼女はフランと同じ髪の色をしていた。
「じゃああのノエルって隊員がフランさんのお姉さんだったのね」
「お姉ちゃんと会ったんですか?」
「ええ、フランさんのことは一度も話しませんでしたが……」
えーっと残念がるフランは眉をハの字状にして言う。
「皆さんのことは手紙に書いたんで知ってるはずですけど、お姉ちゃん真面目だから公私混同を嫌うんです。私がお姉ちゃんって呼ぶのも許してくれないんですよ!」
いいじゃないですか、と思い出し怒りをするフランに苦笑いしながら四人は分室ビルへと戻る。その間の話の種はフラン・ノエル姉妹のことと、ランディの話である。
ランディは副局長室に入ってソーニャを見るととんでもなく驚いていた。ソーニャ自身にも個人的に話しかけられ、それに慌てる素振りを見れば食いついても仕方がない。
「あの人黙ってりゃ美人なのにめっちゃくちゃ怖ぇんだよな……訓練も鬼だしよ」
ため息と共に零れる言葉には実感が込められていた。
ランディはベルガード門、ソーニャ副司令はタングラム門に勤務していたので直接的な上司ではなかったが合同訓練等では世話になったという。
ランディの古傷を抉るような感覚に陥った三人はそこで会話をやめた。奇しくももう中央広場でありいつもの喧騒の中である。
行政区は市内の中でも人通りが少ないため、この道順だと中央広場はより一層栄えて見えた。見知った顔もいれば旅行客のようにたくさんの手荷物を抱えた人もいる。
階段を下っていく途中、ロイドの目の端に鮮やかな色が飛び込んできたが、それはすぐに人ごみに消えた。ロイドも手に持つ調書を気にしてすぐにそれを忘れた。
それが新たな風であるとも思わずに。
空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない
東通りの遊撃士協会はクロスベルタイムズにとってネタの宝庫である。警察の怠慢のおかげで絶えず依頼が飛び込むこの場所は、その依頼数に見合う実力を持った遊撃士が、依頼数に見合わない少数でそれを捌ききっている。
当然優先度が低い依頼には断りを入れることもあるが、それでもマイナス材料にはならないほど依頼者に満足を届けていた。記者としてはそこに入り浸っていたいくらいだが遊撃士の仕事の邪魔になることは絶対にしてはならない。
それはクロスベルタイムズの記者としてよりグレイス・リンという人間として犯してはならない境界線であった。
そんなグレイスはとある情報を得てその扉の前にいる。それは事実ならばクロスベルに住む市民ならば歓迎して止まない情報、すなわち遊撃士の増員である。
「空港のがそれらしき連れを見たらしいけど、直接会っておかないとね」
空港と駅には常駐の記者がおり、グレイスはそこから情報を得てここにいる。カメラ片手に気合を入れて足を踏み入れた。
「いらっしゃ、あらあなた?」
「どーもミシェルさん」
「あなたも大概早いわねぇ」
受付の男ミシェルは呆れたように言い捨て、グレイスはにっこり笑った。
「残念だけどもう出ちゃったわよ」
「もうですかぁ!? そりゃ遊撃士の慣習は知ってますけど……」
遊撃士は初めての土地であればまず自らの足で地理把握に向かう。自分の目で見て確認して、守るべき場所を刻み込むのだ。特務支援課が最初に行ったものと同じである。
「うぅ、お邪魔しましたぁ」
とぼとぼと踵を返すグレイスにやれやれと言った風にミシェルは言った。
「今日はマインツ方面に行くって」
「ありがとうございますっ!」
グレイスは足早に出て行き、ミシェルは中断していた作業に戻った。
思惑通りに笑みを浮かべて。
ビルに戻った特務支援課はノエルから受け取った調書に目をやった。それには時系列順に被害場所の詳細等が記されている。順番はこうだ。
二週間前の深夜、アルモリカ村複数家屋の農作物及び家畜に被害。現場には無数のイヌ科と思しき足跡あり。
一週間前の深夜、聖ウルスラ医科大学病院敷地内にて研修医の一人が負傷。被害者は複数の黒い犬型魔獣を目撃。
二日前の二十二時頃、鉱山町マインツにて採掘機械及び鉱員一人が犬型魔獣に襲われ負傷。魔獣の姿が確認されている。また現場に残された足跡はアルモリカ村のものと一致。
「これは……」
「ほとんどクロスベル全域ね」
「だが、おそらく同一犯なんだろう? 手広くってレベルじゃねぇな」
「犬型魔獣、いえ狼ですか……クロスベルの種類なんですか?」
「いえ、黒い狼は見たことはないわ」
「すっと新種か、外来種か。流石に自治州外の魔獣まではなぁ……」
クロスベルに存在するイヌ型の魔獣は西クロスベル街道に現れるバイトウルフという茶色の毛並みを持った種類だけである。稀に遺伝子の変異か黒い種が生まれることもあったが、それが徒党を組むほどに増加した例はないのでエリィは知らなかった。
しかし当然ながら警備隊は把握しており、その特徴と当初はその線で探っていたことが記されている。それでも確証が得られなかったのは、バイトウルフの生息地とかけ離れた場所も被害にあっているからである。
魔獣は通常の獣と同様に自分たちの縄張りを頑なに守っている。よほどの事態が起きたとしてもそこまで行動範囲を広げるとは思えない。
そのよほどの事態が起きたのか、それともバイトウルフではないのか。犯人像が見えないことが停滞の原因だろう。
警備隊としては一度被害にあった場所を重点的に守ることしかできない。
「どうしますかロイドさん。警備隊の方が期待するわたしたちのやり方では、最初に何を考えるべきでしょうか?」
ロイドは調書を透かしてみるように片手で持ち、捜査官が事件を捜査することを端的に脳裏に上げ、呟く。
「―――事件には犯人と被害者が必ずいる。そして被害者にはそうなった理由が、犯人にはそうした理由があるはずだ」
「そうね、それで言うと犯人は魔獣。被害者は、家畜・農産物・人かしら」
「犯人と被害者の理由っつーのはわからねぇな」
「するとその理由を探してみる、ということですね」
「ああ。犯人の動機、及び襲われた理由は今のところ一番明確な被害者から割り出せると思う」
犯人の魔獣は黒い狼型であることのみで確かでなく、故に確定している被害者の情報から攻めることが一番の近道である。
捜査方針が決まったことでやる気の出てきた四人は席を立った。
「あら?」
ふとエリィがテーブルの上に置かれている調書を流し見た。最後に見たロイドが置いたままの状態だ。
各自情報は手帳に記したとはいえ重要な資料をそのままにしておくわけにはいかない。ロイドを見るとランディに絡まれているところだった。冷めた目で見つめるティオがかわいらしい。
仕方ないなと思いながらエリィは調書を取り、そして裏に小さく書かれている文を見た。
尚、昨日タングラム門警備中のノエル・シーカー曹長が白の狼型魔獣を目撃。
しかし襲ってはこず、そのまま立ち去ったことも記載しておく。
被害のあった順はアルモリカ村、聖ウルスラ総合病院、鉱山町マインツの順である。支援課の四人はその順番に訪ねることを決めていたが、その前にやることがある。
「そういえばこの四人で市外に出るのは初めてね」
百貨店にて陳列棚を挟んでエリィが言う。出発前の準備とはいえ買い物が楽しいのかご機嫌な様子だ。
「ああ、初見の魔獣ばかりだろうし、備えるものは備えないとな」
「もう、そんなことばっかり。今日は天気もいいし道中くらいは楽しく行きましょうよ」
ちなみにクロスベル市と自治州内の各地域の間には導力バスの運行がなされており、そのために行き来が楽になっているのもクロスベルが繁栄し始めた要因の一つだ。
事件の解決を最重要視するなら当然バスに乗ったほうがいいのだか、どういうわけか徒歩を選択した四人がいる。
遊撃士の慣習を知っているわけではないが、クロスベル市内と同様に一度は自分たちの足で歩くべきだという気持ちがどこかにあったのだろう。
「アルモリカ古道は随分歴史のある道らしいですし、楽しみです」
ティオも少しだけ笑みを見せてエリィにくっつきながら物色している。ランディはそれを微笑ましそうに見ていた。
「ん?」
二人を見ていたランディはふと目線を上げ、二階を眺める。百貨店の二階は専ら服飾の店舗が並ぶので今回は用がない。
ロイドも釣られるように二階を見て、見知った姿があることに気づいた。
「あの子は……」
アルカンシェルの前で会った紫髪の少女。彼女は連れの黒髪の少女の買い物に付き合っているのか次々と見せられる服を苦笑いしながら見つめている。
「ああ、ロイドのタイプの子だな」
「…………」
「つっこまないのかよ……」
「ああ、ごめん」
否定する姿を見たかったランディの期待に沿うことはできず、エリィに呼ばれて二人は歩き出した。
準備が整いいざ出発、というところでエリィが口を開く。
「ねぇ、ちょっとタングラム門も訪ねてみない?」
エリィは先ほどの調書に書かれていた文を話した。
「白い狼、か」
「被害者の目撃証言とは違うな。それに襲ってもこなかったみてぇだし」
「……ノエル・シーカー曹長。あの人ですか」
特務支援課の補佐を担当するフラン・シーカーの姉である彼女はあの若さで曹長にまで昇っているという。所謂若手のホープだ。
その彼女自身が目撃したというのなら是非にも聞いてみたいが……
「聞けるんですか?」
「……どうだろう」
警備隊が常より各地の警備に力を入れている現状、彼女もどこかに行っているかもしれない。
タングラム門に行った所で彼女がいなければ無駄足だ。ここは一度警備隊に連絡を取るべきだろう。
ロイドはエニグマでセルゲイを呼び出す。しかしいくら待っても出る気配がない。
被害順では一応最後になるので、今日は後回しと言うことで先のとおりにアルモリカ村に向かうことにする。
中央広場から東通りへ、遊撃士協会の前を通り、旧市街に向かう階段を降りずにそのまま東クロスベル街道へと進んでいく。
ふと左手に小さな地蔵が見えたが、生憎お供え物はなかったので参拝はできなかった。
そして特務支援課はクロスベル市を出る。
空気が変わった気がした。
東クロスベル街道とは言っても始めは只管に直線が続くだけである。クロスベル市を一歩出た途端にその下はルピナス川が流れており、そこは鉄橋の上である。
左手端にはバスの運行状況を伝える時刻板が立てられており、そこから内側は石畳が敷き詰められていた。
周りが川であるが故に見渡すと遠方まで景色が広がり、青い地とそれに寄り添う緑、それらを包む空で世界が創られていた。
遮るもののないこの地点では風が少々強い。流れる髪を自然と手で押さえ、エリィはロイドに尋ねた。
「ここからアルモリカ村まではどのくらいかしら」
「そうだな、俺も歩いたことはないから正確なところはわからないけど一時間半ってところかな」
「バスだと片道30分みたいですね」
ティオが見た時刻表にはバスの運行が二時間毎になっている。仮にバスが今出たのなら歩いたほうが速い。
「しかし、ほんとに大丈夫かよ……」
ランディは気持ち良さそうに目を細めているエリィとティオを眺めながらぼやく。
彼としてはバスでも徒歩でも何でも平気だが、彼女らにとっては大問題ではないかと考えていた。ロイドをチラと見ると彼はあまり心配していないようだ。
それを見ると杞憂に終わるかと思えてくるが、ランディはロイドの今までを思い返して頭を振った。彼だけがロイドの問題点に気づいているからこその行動だった。
そんな彼の不安を余所に歩みを進めるロイド、エリィ、ティオはまるでピクニックにでも行くかのような軽やかな足取りだが、ふと会話が途切れ辺りを見回す余裕ができた時に違和感に気づいた。
いや、違和感などという物々しい表現が適切な現象ではない。単に認識不足による結果である。
「えっと……?」
「……え?」
エリィとティオが同時に言葉を上げ、ランディは訝った。
「なんだ、どうした?」
「いや、俺には二人の気持ちがわかるよ。まだ鉄橋だったのか、だろ?」
「……あー」
ランディはなるほどというように声を出した。彼は既にその現象に飽き、慣れていたが話に夢中の三人は気づかなかったのだろう。
東クロスベル街道のこの鉄橋、実はひたすら長いのである。これだけ長い橋を作ることの難しさなど理解する気もない利用者にとってはそれは面白みにかけるものでしかない。しかも普通はバスによる移動なのでここまで時間はかからない。これは徒歩の彼女らにしかわからない驚きだろう。
「ま、俺を会話に混ぜない罰だな、暫く退屈にしてろい」
ランディは鼻を鳴らして三人を追い抜く。やっと気分の乗ってきた彼だが、ティオは呟いた。
「……でももう終わりみたいですね」
今ランディが踏みしめた地面は石畳だが、その下にあるのは鉄の塊でなく土だった。
「………………」
「ごめんなさい、でもそのとおりね」
ランディに少し申し訳ない気分だったエリィは謝りつつもティオの指摘が面白く笑ってしまう。
スタスタと前に行くティオとエリィを見送ったランディの肩にロイドは手を置いた。
「……頑張ろう」
ちくしょう荷物一番持ってるのが誰だと思ってるんだ。ランディは心の中で愚痴った。
しかし彼の見せ場はこの先にある。空の女神は誰にも平等なのだ。
「ふふん」
「……?」
不意に笑ったランディを不思議そうにティオが見ていた。その額は軽く汗ばんでいる。
うららかな陽気は心地良い、しかしそれも程度によるのだ。特務支援課に所属して以来、初めての挫折が待っていることをティオは知らない。