空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
聖ウルスラ医科大学びっくり体験コースが終了し、セシルを連れた五人は病院内を歩いていた。
「いやーにしても驚いたッスよ、ロイドにこんな美人のお姉さんがいたなんてっ」
「本当に…………なんで黙ってたのかしら……」
ご機嫌指数が対極のランディとエリィはそろって前を歩くロイドとセシルを見つめている。
ロイドは疲れたのか、ため息混じりに答える。
「だからさっき言っただろ? そんなタイミングなかったじゃないか……」
「……ただの怠慢です」
「ふふ、仲が良さそうで安心したわロイド」
先ほど付属のレストランにて弁解という名の自己紹介を済ませたロイドと他四人。もちろん話の中心はセシルの存在である。
ロイド曰く、言い出そうとしたらそんな雰囲気でなくなった、らしい。
確かに支援課ビルでは意気消沈し、道中も魔獣に遭遇、新たな遊撃士に驚愕し、と慌しい一日であるが、そんな事情など突然の抱擁に見舞われた三人には関係がないのだろう。
自己紹介の場でもセシルはロイドのことに興味津々であり、一方的に話しては勘違いをするという自身のペースに四人を巻き込んでいた。
ロイドも普段の皆を引っ張ろうとするリーダーシップが影を潜めており、それが誰かさんには不満なようだ。
ただその原因であるセシルの人となりは尊敬に値するようで、それはそれで納得しているという複雑な心境を呈している。
栗色の長い髪はウェーブを巻いていてその柔らかなイメージを強調し、グラマラスな体つきが包容力を抱かせる。
自然体であるにも拘らずパーツの一つ一つが優しさの相乗効果を引き出し、自然体であるが故にその人柄に安堵する。
セシル・ノイエスという女性は看護師としての才を天に与えられたような存在だった。
そんな彼らが向かう先はとある病室である。二階最奥に位置するその場所には、今回ウルスラ病院で起こった魔獣事件の被害者が宛がわれているのだ。
研修医のリットンという青年は一週間前の深夜、病院の屋上で襲われたらしい。深夜であるために目撃した者はおらず、また病院の屋上という魔獣が現れるはずのない場所での事件であるために、そもそも被害者の勘違いではないかという説もあるようだ。
「―――さて、ここね」
セシルが立ち止まり、振り向く。一般の患者もいるということから一応の注意を喚起した後に足を踏み入れる。ロビーと同じく清潔感に満ちた白い病室には四隅にベッドが置かれており、その周りを敷居であるアコーディオンカーテンが包んでいる。
入り口から最も離れたベッドに寝ているのがリットン研修医である。ちょうど医師が回診に来ていたのか会話をしていたが、医師のほうがこちらに気づき病室を出て行った。
どうやらリットンの世話をしていた医師らしく、仕事が多くなったと愚痴を零していたようだ。
リットン青年に謎のお礼を言われた後、ロイドらは事件の夜について聴取を行った。
リットンはその日、翌日締め切りであるレポートを必死になって終わらせた。
そのハードワークの後に休憩として屋上に行き、羽を伸ばしている時に呻き声を聞いた。振り向くと数体の黒い狼が迫ってきており、そこからの記憶はない。
なのでもしかしたら疲れのためにフラフラと外に出て襲われ、屋上まで逃げたところで失神したかもしれない。つまりはそういうことだった。
「被害者本人の記憶が当てにならない、というのは少し不安ね」
病室を出たエリィが言う。
リットンは確かに身体に損傷があり、襲われたことは確かだ。しかしその襲われた現場については確証がないどころか、場所を考えるにありえないのである。
「この次は一応被害現場、ということになるのでしょうか」
「まぁ最有力ではあるし、そういうことになるかな」
「最有力、なのか? いっちゃ悪いが奴さんの発言は曖昧に過ぎるぜ?」
ランディの言葉が四人の本心ではあるが、捜査官としては可能性のある場所には行くべきである。もとよりそのつもりだったのだから。
「じゃあ次は屋上ね、ついてきて」
セシルに案内されるままに三階へと上がり、いくつかの病室を過ぎ去った後屋上に出る。すぐ右側には寮の屋上へと続いておりシーツが干してあった。
日陰作りのために植えられた樹々を追い越し、転落防止用の柵の前まで来た。その先にあるのは豊かな緑と青い池である。
「ここが被害現場ね、左にあるのは研究棟だから許可なく入らないでね」
セシルが業務に戻るということで挨拶を交わし、四人は現場の検証へと行動するのだった。
***
「どこもかしこも、結局は高さがネックだな」
屋上へと侵入できそうな箇所は四箇所、それはどこも高さにして建物一階分の跳躍を見せられなければ不可能だという結論が出た。
狼型魔獣にそのような身体能力がある場合、それは既存種の枠を超えた存在になる。しかしリットンの怪我は命に関わるものではなく、そんな存在に襲われたにしては傷が浅かった。
「飛行系魔獣なら容易なんだろうけど、流石に狼に翼が生えていたらまずいよな」
「それは伝説の存在になりそうです、グリフォンとか」
「黒、という証言があるから神狼でもなさそうだし」
縁取るように柵に沿って歩く四人は、やがて病棟を越え職員寮の屋上へと入る。
干されたシーツを抜けてみると、そこからは寮二階のベランダが見えた。屋上に接する壁付近には大量の箱が置かれている。
「ここならいけるか?」
ランディはその全体を眺め、一角を見やる。そこには箱が置かれており、面する森林部も他の場所より高さがあるようだ。
否もなく二階へと降り、その場所を調査する。詰まれた箱の上部は乗って近づかなければ見えそうもない。
「ランディ」
「待ってください」
ロイドはランディとともに箱に飛び乗ろうとするがティオに止められた。
「お二人の足で痕跡が消されてしまっては元も子もありません。わたしが見ます」
そう言って箱に近づくティオはジッと何かを見ている。やがて、
「―――見つけました、獣の足跡です」
「なんで、ってそうか。鷹目のクオーツ」
鳥の視界により人間の死角をカバーできる。ロイドは感心し、ランディは絶対に使いこなそうと決めた。
見つかった証拠により、魔獣が屋上に現れたことは間違いない。そう結論付けた四人は森林部に目を向ける。
「すっとここからか、柵でも張れりゃいいんだが」
「そうね、セシルさんに聞いてみましょうか……あら?」
エリィは遠くを見ていた視線を下ろし、足元にある箱を見つめる。随分と時間が経っているのか、埃がその色を僅かに濁している。
「どうした、エリィ?」
「…………ねぇ、魔獣は本当にここから入ったの?」
ツツっと箱の表面に指をなぞらせ、呟く。
「この箱にはなんの跡もないわ」
森を抜けた魔獣の身体に凡そ付着している土や草、先ほど残っていた埃の絨毯の上の足跡。
それがないという事実は魔獣がここを通っていない証拠になるが、それは魔獣の存在と矛盾する。高さ的に考えて、ここ以外に魔獣が入り込める間隙はないのだ。
「……他に、何かないか?」
四人は手分けして柵の周りを探る。するとそれはすぐに見つかった。
「何かを引きずった跡、か……?」
「柵の主成分は鉄ですから、それなりの硬度のものでないと瑕はつきません」
「…………」
西側の柵に何かを擦ったような、塗装が剥げた部分がある。これが事件と関係があるのかはわからない。
「……魔獣がここを通って屋上に入ったことは間違いないんだ。何らかの対処を施してしかるべきだろう」
四人はセシルに報告するため歩き出した。
空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない
ランディ・オルランドはナース服に狂わされている。
眼福だ、などと言っているうちはいい。だが職務中にナンパを始めるようでは他三人の心証が悪くなることは容易に想像できよう。
そしてその愚行を戒めた看護師長に圧倒されるのも無理はない。
ナースステーションでセシルを呼んだ際にロイドは受付にいたナースにからかわれた。それに辟易するロイドを救う形でランディが割って入ったのだが、そこには隠された真実があった。ランディはただ合コンが開きたかっただけなのだ。
ナースのほうもまんざらではないようで話がとんとん拍子に決まると思われたが、そこにやってきたのが看護師長マーサである。貫禄に満ちたその態度にランディは意気消沈しナースは検温に走り、ロイドとエリィは苦笑を浮かべる。
そしてティオは、さっとエリィの後ろに隠れた。
「おや?」
マーサはその動きを目端で捉え、覗き込む。そして見つけた小動物の姿に、病室では上げない大声で驚いた。
「ティオちゃんっ、ティオちゃんじゃないか!」
観念したのかティオもおずおずと横にスライドし、目を合わせないように少し俯いて応える。
「…………お久し、ぶりです……」
「ティオちゃん?」
エリィが不審に思ってティオを見るが、ティオの視界には映らない。マーサはそんなティオの態度を気にも留めずに話し始める。
「久しぶりだねぇ、随分と美人さんになって。ん、でもどうして警察の方と……」
「……今は、警察に出向して、いて…………そのうち、挨拶に、向かうつもりでしたが……」
「そうかい……いや、元気そうで安心したよ!」
そう言って笑うマーサにティオも笑いかけようとしたが、ぎこちなさは拭えない。
ロイドとランディが間に入って会話を打ち切っている間も、エリィがティオから視線を外すことはなかった。
マーサと別れ、曲がり角を曲がった後、ティオは立ち止まる。
「………………いずれは、話すつもりでしたが」
「えいっ」
「っ!? え、エリィさん……?」
ティオが話し始めようとしたところ、その背後からエリィが抱きつく。固い装備の隙間から感じられる柔らかな肢体と甘い匂いがエリィの鼻腔を打った。
そのまま体重を少しだけ預け、顔を耳に近づける。
「ティオちゃんあったかいわね」
「え? あ、あの……」
「でも顔色が悪いわ? そんなときはこうやってくっついていたほうがいいわよ。ね?」
エリィは同意を求めるが、突然のことでティオは頷くことはできない。
「……全くだ、なんならおにーさんもくっついてやろうか?」
「そうだな、みんなでくっつくか!」
代わりの賛同が後ろの二人から聴こえてきて、尚更ティオを混乱させる。
エリィがティオごと身体を反転させて向き直った。
「あら、女の子同士のスキンシップに混じる気?」
「だからこそだろうがっ」
「ランディ、同意した俺が言うのもなんだけどそれはダメだろ……」
息巻くランディと抑えるロイド、それを見て笑うエリィ。そして口をあけて沈黙するティオ。
「―――ねぇ、ティオちゃん。無理に言わなくていいのよ?」
「あ……」
絡んでいた腕に一層の力がこもり、ぎゅっと抱きしめられる。
「私たちはまだ出会ったばかり、話すタイミングは自分で決めなきゃ。こんな偶然の勢いなんかじゃなくて、ティオちゃんが私たちに聞いて欲しいって思ったときに、私は聞きたいな」
エリィの身体から甘い匂いが漂い、ティオの心は静まり返る。
人の体温とその優しい匂いは、忘れていた誰かの温もりを思い出させてくれる気がして、彼女はそっと目を閉じた。
「長いこと生きてんだ、誰だって秘密はあるさ」
「俺たちは仲間だけど、お互いにまだまだ知らないことはたくさんある。自分を、仲間を、時間をかけて少しずつ知っていくことが重要だと思うんだ」
「私はティオちゃんの言いたくない過去よりも、好きなもののほうが知りたいかな」
ティオは三人の言葉を全体に沁みこませるようにゆっくりと頷いて、
「…………そうですね、ネコとアイスが好きです。それとぬくも……いえ、なんでもありません」
心を少し、解かせた。
* * *
マーサから聞いたセシルの居場所、それは三階の304号病室である。どうやら三階は個室が多いらしく、故にそれなりの患者のみが入室しているようだ。
扉の前まで辿り着くとなにやら話し声が聴こえる。セシルの声も聴こえたので間違いないだろう。
「失礼します。セシル・ノイエス看護師はいらっしゃいますか?」
「はい? あ、ロイドね、ちょっと待って。シズクちゃん、いいかしら?」
「セシルさんのお知り合いですか? 大丈夫です」
「いいわよ、ロイド」
了承を得たので中に入る。
病室にいたのは備えられた花瓶の水を取り替えているセシルと、ベッドに上半身だけ起き上がっている黒髪の少女。大体10歳程度だろうか、清楚な顔立ちと閉じられた瞼が静かな雰囲気を醸し出していた。
「セシル姉……えっと」
「ふふ、とりあえず自己紹介してくれるかしら」
セシルの言葉に従い四人は自己紹介をする。するとセシルが促し、少女もしてくれた。
「初めまして、シズク・マクレインです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく…………マクレイン?」
「どっかで聞いたな」
「ランディさん……」
「シズクちゃんは遊撃士のアリオスさんの娘さんなんだけど、もう会っているわよね?」
風の剣聖アリオス・マクレイン。ジオフロントで世話になった人物である。
四人が目を丸くしうろたえていたところ、シズクが口を開いた。
「お父さん無愛想ですからお気を悪くされませんでしたが?」
シズク・マクレインは良く見ると髪の色が酷似しているし、物静かな性格も親譲りと思えば納得がいく。しかし彼とは異なり、年齢のせいか難しい物言いなどはしてこないようだ。
「いや、随分お世話になってるよ」
「そうですか、よかったです」
そう言って笑うシズクにロイドは儚い印象を受けた。病院にいる以上何かを患っている、その印象は失礼であると心の中で自分を殴る。それでも表情には出さず、表面上はにこやかでい続けた。
「―――それで、シズクちゃんが事件の夜に何かを聞いたんですって」
一段落したところを見計らってかセシルが話を変える。それは四人にとって知らない事実であった。
シズクは事件の夜、悲鳴のような声が聴こえ窓を開けた。すると獣の足音や息遣いが聞こえてきたという。魔獣が現れた痕跡を見つけ出したばかりだったが、その証言はそれに頑丈な鎧を与えた。
しかし、もう一つの証言は事件の糸を再び絡ませる。
「それと、キィンっていう甲高い音が聞こえた気がしたんです。普段は聞こえないんですが、その日だけは聞こえて……」
「甲高い音。音ってことは鳴き声のようには聞こえなかったんだね?」
「そう、ですね。わたしが知らないだけかもしれませんが……」
言葉端を捉えただけの質問だが、これは彼女の感性によるもので、方向性を見極めるには重要である。それは予想される彼女の病状も関係していた。
「ありがとう、重要な証言だったよ」
ロイドは礼を言い、セシルとともに部屋を出る。
少し離れた後に聞いた話でシズクの病状を知ることができた。
彼女は眼が見えない。それは数年前の事故によるためだそうだが、人間の感覚の大部分を司る視力がないという重圧によく耐えていると言える。
眼を閉ざした状態の訓練など数えるほどしかしたことがないロイドだが、その苦しみをあんな小さな少女が耐えているという現状は心に陰を落とすとともに活力を与えてくれる。
改めてセシルに魔獣の侵入経路を説明し、外部治療用の移動式鉄柵を設置してもらった。これで安心だと零す事務員を尻目に、しかし四人は煮え切らない表情をしていた。
「―――よかったよ」
「え、どうしたの?」
「最初の仮説が外れて、さ」
そんな中ロイドは一つの可能性が消えかかっていることに安堵する。それは彼が感じたことの証明であり、彼の自信にも繋がった。
しかし同時に捜査官としての職務に陰鬱な気分となる。
人を疑うことが仕事、そう理解していてもロイドはやはり人を信じていたい。性分である故に捜査官に向かない自分を改めて理解したが、彼の中にある譲れない思いのために捜査官としての自己を確立させる。
自分のやるべきこと、その為には捜査官としての自分がいるに越したことはないのだ。
「最初の仮説ぅ? そりゃ何の話だ?」
見ると呟きに反応したのか三人が顔を向けている。ロイドは後で説明する旨を告げ、セシルとともにそこから離れた。
正面玄関前で改めてセシルにお礼と別れの挨拶を告げ、特務支援課は聖ウルスラ医科大学を後にする。
消えかかる太陽に鳥のシルエットが重なる。清涼な緑を暗い緑へと変える森林はどこか物悲しく、恐ろしくも見えた。
光が消えた後の森は人間の世界ではない。足早に去ったほうが良さそうだ。
ちょうど導力バスが停留所に停まっていた。エステルとヨシュアの二人の尽力によって運行が再開したようだ。
この長かった一日を終えるためには最後のミーティングを行わなければならない。四人は何かを言い出すこともせず真っ直ぐに帰路へと就いた。
その後姿を、セシル・ノイエスは暫くの間見つめていた。
僅かな、しかし確かな変化を心の中で確信しながら。