空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
エリィがランディと合流したのはちょうど彼が話を聞き終えたところだった。
今回の依頼主、臨検官クワトロはもう時間がないということでホームへと向かい、エリィはランディからその間に話を聞くことになる。とはいえエリィは臨検官の仕事内容を知っているため、その補佐という箇所について聞くだけで十分だった。
帝国からの列車が停まった二番線へと進むために正面右の改札口を通る。ホームはこれより下にあるので下りの階段があった。
「―――つまり車両ごとに一人で臨検官の仕事を行えばいいのね」
「おう、注意事項は車内に入る直前に言うってよ」
階段を下りた頃には既に話し終わっている二人。それがエリィの理解力の高さからなのか、それともランディの説明めんどくせぇからなのかはわからない。
導力列車は青い外装に、頭頂部には帝国の象徴である黄金の軍馬が飾られていた。
ちなみに帝国行きの二番線はガレリア要塞まで32分、共和国行きの一番線はアルタイル市まで35分の行程である。三番線は貨物列車専用らしく、警備隊員がホームにも詰めていた。
「さて、内容は聞いているな。では最後に注意事項を伝えよう」
クワトロは列車入り口前に立ち、二人を睨んだ。
睨んだとは言ってもそれに敵意などはなく、ただ性格が固いことに加えて目つきが悪いというだけである。
「臨検では手荷物と入国申請書を確認してもらうわけだが、当たり前のことだが不審物及び危険物を持っていたら即刻拘束する。君は大丈夫かね?」
クワトロは若干の心配を含んでエリィを見た。もちろんその若干は二人には気づかれない。
「大丈夫です。警察官である以上、最低限の体術は心得ています」
「よろしい。そして臨検中に乗客は車両を移動することはできない。これは絶対で、多少のことも我慢を強いるので覚えておいてくれたまえ。何か質問はあるか?」
「移動を確認した客がいたらしょっ引いていいんスか?」
「それは注意で終わるだろうが、その時は私が改めて臨検を行おう」
ランディの質問にも答え、クワトロは列車を見た。
五編成の導力列車。後は担当を決めるだけだ。
「私が前二車両を行う。お前達は三号車と五号車から行って四号車で合流すると良いだろう」
クワトロの指示に頷き、エリィが三号車から、ランディが五号車から臨検を行うことになった。
「さてと、やりますか」
「ええ、油断なくいきましょう」
それぞれ車内に入る前に激励し合い、二人は導力列車に乗り込んだ。
「へぇ、内装も中々だな」
ランディはそう呟き、眼前に広がる光景を見つめる。
帝国製の列車であるので帝国の様式美を反映していることは外観から予想はついたが内装も見事だった。高級感溢れる内壁は帝国貴族の好きそうな模様だし、照明もその雰囲気を助長している。
「っといけね、さっさとやっちまわねぇとお嬢にどやされちまうな」
両脇に連なる座席に座る様々な乗客たち、男女比は僅かに男のほうが多いか。
これが全部好みの女性ならやる気が出るのにと詮無いことを考えながら、それでも口の上手い彼は手際よくこなしていく。ただ女性が相手のときのみ言葉数が多いのは彼らしかった。
一方のエリィは持ち前の社交性で難なく任務をこなしていく。
途中泣き出してしまった赤子をあやしてしまう当たりも彼女の彼女たる所以かもしれないが、恋の旅をしているらしい男性にナンパされて辟易する場面も彼女らしかった。
ランディにお嬢と呼ばれるのは伊達ではないのである。
そんな彼女は三号車の臨検を早々に終わらせて四号車へと向かう。
しかしちょうど四号車への扉を開けたところで後方から同様の音が聞こえてきたのをエリィは聞き逃さなかった。
反転して車両全体を眺める。ちょうど全員と話し終えた後だ、そこに彼女の知らない乗客がいるはずはない。
故に―――
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」
この男性は車両を移動してきたのである。
「あ、あはは……」
男性も流石に無理があると悟っていたのか、あっさりと認め、同時に泣きついてきた。彼は自分が如何に無害な旅行者であるかを大仰に話し、沈黙を強請る。
しかしそんなものを彼女が許すはずはない。
「貴方には同行していただきます。二号車から来た以上、臨検官であるクワトロさんから逃げたということに他なりませんから」
「そ、そんな……」
「それに少々頭にきます。貴方には、私が不正を見逃すような女に見えているのですね」
じろりと睨みを効かすと男性は諦めたように深く深く腰を下ろした。まるで少しでも長くここにいたいというように。
その一方、ランディは四号車でエリィよりも仕事が速かったことを喜んでいた。
後にクワトロに聞いたところ、あの男性は旅行好きの元詐欺師で入国申請書に前科を記していなかったらしい。
前科のある人物は他国では行動を制限されることが多い、故にそれを嫌ったのだろう。
彼は始めにいた二号車が補佐の管轄でなかったことを不運だと嘆いていたようだが、元より臨検官が健在なら逃れられないので無駄な思考である。
クワトロに礼を言われた二人は少し意外な顔をしていたが、クワトロは帝国軍からの出向でここに来ている。最低限の礼もできない人物がこのような仕事には就けないのだ。
「せっかくお嬢より早く終わったと思ったのによ」
ランディがぼやくがエリィは悪い気はしなかった。彼に仕事が速いと認められているからである。
「まぁまぁ、無事終わったからいいじゃない。私たちも旧市街に向かいましょ?」
「ぃよし! この鬱憤、魔獣に払ってもらうとするか!」
調子を取り戻したランディに笑顔で頷き、二人は旧市街へと向かった。
空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない
メゾン・イメルダはライブハウスであるイグニスのすぐ近くにあった。外観は正しく無人であることを示している。
はっきり言ってしまえばボロい。
一階に入り口はないらしく、外に備え付けてある階段で二階へと上る。二階の高さまで上がるとすぐに扉があり、どうやらそこの扉がイメルダに投げられた鍵で開くようだ。
錆び付いていて固い鍵をなんとか開けて中に入ると一歩踏み出すだけで埃が舞い、部屋全体が靄にかかったようになる。
「……ロイドさん」
「言いたいことはわかるけど、これも任務だ。我慢しよう」
ティオが物言いたげな顔で見つめてくるが、ロイドは腕で口元を押さえながらそれを阻む。
正直に言って魔獣が出るのは当然で、瓦解しないかが心配なほどである。
「ティオ、探査してくれるか」
「……アクセス」
ティオはめんどくさそうに魔導杖を起動、建物内の魔獣の確認を行う。
奥の部屋まではわからないが、どうやら一部屋に一戦闘はしそうな雰囲気であるらしい。どのような魔獣であるかはわからないので用心する必要があった。
「そういえば、今なら俺も鷹目が使えるんじゃないか?」
ふとロイドはティオに尋ねる。
室内であるならばそう情報量が増えることもない。昨日はそんな余裕はなかったが、今なら練習に最適である。
ロイドはティオに手を差し出す。よこせのポーズである。
「ダメです」
「あぁ、ありが―――ってえぇ!? な、なんで?」
「これはわたしのです」
プイっと身体を翻してマントで身を固めるティオにロイドは唖然とする。
流石に無理やり奪うわけにはいかなかったのと今は任務中だと己に言い聞かせることとで自制したロイドだが、釈然としなかったのか後頭部を掻いた。
「いきましょう。迅速に駆除して戻るんです」
前衛のロイドを置いていこうとする後衛のティオ。魔獣がいる中、自分の存在理由がなくなってしまうのでロイドは慌てて追いかけた。
メゾン・イメルダは二階から入ると正面と右手に部屋が一つずつあり、左手には下へと続く階段がある。
木製であるために歩くたびにギシギシと音を奏で、所々破損しているのでいつ穴が開くか不安である。
まず二人は正面の部屋へと入った。ロイドの身長を越える棚が一つだけの簡素な部屋である。その棚にも目立った物は収納されていない、どうやら前入居者の残り物のようだ。
ティオが袖を引っ張る。
「います」
小声でそう言い、ロイドは棚の裏側に目を凝らした。
小さい、しかし通常より何倍も大きな水色の身体。ジオフロントでも確認したネズミ型魔獣ジェラルム・ポーである。
何をしているのかわからないが、顔を床にこすり付けて鼻をフンフン鳴らしている。
気づいていないのなら都合がいい。ロイドは静かにその後ろを取り、床が軋んだ。
「チッ?」
「うわっ、でも遅い!」
音に反応したジェラルム・ポーと、音に驚いたロイド・バニングス。
勝敗は体勢の差、既に攻撃の意志を持っていたロイドはそのままトンファーを振り下ろし、床に叩き付けた。
ジェラルム・ポーは痙攣しながらも起き上がろうとするが、そのままロイドは二撃三撃と続け、光と共にその姿を縮小させる結果は変わらなかった。
「ふぅ、焦ったよ」
「仕方ないです。次にいきましょう」
冷や汗を拭ったロイドにティオは労いの言葉をかけるが、ふと気づいた。
発生した魔獣が全てあのような存在だった場合、自分の出る幕はあるのだろうかと。
二階の二部屋を掃除し終えた。見つけた魔獣は先のジェラルム・ポーと穴熊魔獣のダート・ナーの二種類である。
この間はロイドしか働かなかった、というわけではなく、むしろティオの独壇場であったと言えよう。
それはもう新しく出てきたダート・ナーの特性にある。この魔獣はとにかく臆病な性格で警戒心が強く、また集団で行動することが多い。故に二階のもう一部屋にはこの魔獣が三匹おり、その三匹が同時に二人に気づいたのだ。
奇襲が使えない状況でロイドは魔獣がティオに向かわないよう身体を張ろうとしたが、その三匹は戦闘形態へと変形した魔導杖の放つ魔法弾に揃ってひっくり返ってしまった。
それはこの二種の魔獣に共通することだが、とにかく魔法耐性が低いのである。アーツと同じ位置づけにある魔導杖の攻撃は彼らにとって鬼門であった。
故に実際はロイドよりもティオのほうが前衛として出るほうがいいくらいだが、ティオの年齢とロイドの思考回路を考慮するとその配置はありえない。
提案したティオは不満顔でいたが、ロイドは頑なに否定していた。
さて、そのまま一階へと下りた二人だが、その長い廊下で本日二体目の新種に遭遇する。赤い、足の長い羽虫の魔獣は二人に気づくとその鋭い口を突き出して迫ってきた。
ロイドはトンファーをクロスさせ、突きのような形で向かってくるその口を挟みこむ。しかし僅かに滑り、ロイドの頬に浅く突き刺さった。
「ティオ!」
「ヤ・カー、昆虫の魔獣ですっ。吸い付かれると血を抜かれますので注意を!」
「あぁ! せいっ!」
そのまま持ち上げてバランスを崩した後に弾く。ヤ・カーは錐もみ状態で後退したが持ち直し、こちらを警戒している。
羽虫独特の音が鼓膜に響く。ロイドの頬から血が流れた。
「はぁっ!」
そして追撃するロイド、左のトンファーを盾のように顔の前に構え、そのまま横薙ぎに狙う。それを上昇する形で避けたヤ・カーに、ロイドは右腕を掬い上げるように振るい魔獣の腹を打ち据える。
昆虫型故の脆さか、軽い感触と共に不気味な色の体液を撒き散らしながらヤ・カーは地に落ちる。そのまま光を伴い魔獣は消滅した。
「ロイドさん、今治します」
ティオが頬の血を見て言ったがロイドは腕で拭い断る。しかしティオは構わずアーツを詠唱し、傷を癒した。
傷の消えた頬を撫でながらロイドは問う。
「ティオ、なんでこんなかすり傷を?」
「ヤ・カーの唾液は血の凝固を妨げる特殊な分泌物を持っていますので。血が止まりませんがそれでも?」
「……なるほど」
確かに放っておくと事だなと納得し、ロイドは改めて周囲を見やる。長い通路は一定距離を置いて左右に扉を擁している。突き当たりは右への曲がり角になっているようだ。
二人は一度奥まで確認してみる。すると曲がり角の先は木箱が積まれていて進めないようになっていた。そこは諦め、過ぎた部屋を一つずつ点検することにする。
二人は人がいないことを前提とした戦法に切り替えることにした。ロイドが扉を開けてすぐに身を翻し、入れ替わったティオが魔法弾を放つという所謂ぶっ放しである。
それが奏功したのか、扉の前周辺にいた不幸な魔獣はその一撃で痺れ、次いでロイドの打撃で昇天する。
唯一ヤ・カーだけは魔法耐性が火属性のみ弱点であったので、こちらは逆にロイドのトンファーのほうが効き目があった。というか一撃で砕けてしまうほどに耐久力がないので任せてよい。
とにもかくにも一部屋ずつ見ていった結果相当な魔獣がいたが、どちらも狭い一室での戦闘だ、小回りの効くロイドとティオという人選が当たって損害なく駆除ができていた。
「―――よし、これで全部だな」
「ですね。ですが……」
入ることの出来る部屋は全て入り、魔獣の掃討は終了した。現在は確認の為もう一度ずつ部屋を回ったので二階入り口の前まで戻っている。
埃っぽい空間で汗を掻くと肌に染み付く。一度入り口を見てから額を拭うと服が汚れ、顔を顰めるロイド。そしてそんな場所を一刻も早く抜け出したかったティオだが、その彼女はまだ納得のいかない顔をしている。
「ティオ?」
「……実はまだ魔獣の反応があるんですが、侵入経路がないんです」
「てめぇら何してる?」
心当たりといえば先の曲がり角であるが、そこには木箱の山がある。魔獣駆除を頼まれた身が果たしてあの環境をぶち壊していいのかティオには判断がつかなかった。
なので彼女はロイドを見る。事情を理解したロイドは一瞬目を閉じて考えたが、すぐに目を見開き言った。
「この要請が完了したらイメルダさんがやってくるかもしれない。そうなるとまだ魔獣の反応があるのに帰るわけには行かない」
「……ですよね」
「……おい、聞いてンのか?」
「かといって器物損壊はしたくない。だから面倒だけど、一つずつどかしていこう」
「……………ですよね」
ティオは大きく息を吐いた。めんどくさいですと呟くティオにロイドは微笑みながら頭を撫でる。
「大丈夫、俺がやるからティオは休んでていいよ」
「…………それはありがとうございます。でも子ども扱いはしないでください」
「えっ、手伝ってくれるのか?」
「頭の手の話です……」
「おい! 聞こえてんだろッ!」
わかっていたとはロイドは言わず、ごめんと謝って手を下ろした。
ティオはロイドに撫でられた場所をさすっている。
それは感触がくすぐったかったのか、いやだったのか、ロイドはその表情から前者だと判断した。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい」
「行こうかじゃねぇよ、てめぇら何してるって聞いてンだよッ!」
「あぁヴァルドか」
「お久しぶりです」
今気づいたという風に顔を向けるロイドとティオ、ちなみに全くの嘘だ。旧市街の事件では戦ったりもしたのだが、何故か妙な親近感を持っている二人である。
「何すっとぼけてんだてめぇら……バニングスにいたっては俺を見てるじゃねぇかッ!」
「あぁ、でも話の途中だったし」
「イグニスの近くですからね、来るんじゃないかって思ってました」
「ぶっ殺されてぇか、おい!!」
「それでヴァルド、どうしたんだ。こんな埃っぽい場所に」
「えぇ、こんないたくもない埃っぽい場所に来るなんて、何かあったんですか?」
「…………はっ!?」
そしてヴァルドは気づいた。二人の馴れ馴れしい理由、それがこの汚い環境に馴染んだ者同士のシンパシーであると。
二人に無視され続けたヴァルドは大きな動作を繰り返している。それによって舞い上がった埃は彼の一張羅を見事に染めていた。
ヴァルドは唖然とするも、気を取り直して用件を告げる。この面の皮の厚さがサーベルバイパーのヘッドの証である。
「うるせぇんだよ」
「イグニスがですか?」
「違ぇよてめぇらがだよ! ……こんな場所で何してる」
ロイドは魔獣駆除、と簡潔に述べる。するとヴァルドは何を思ったか得物を取り出し階段を下っていった。
「ヴァルド、どうした?」
「どうしたじゃねぇ。ここは俺たちの縄張りだ、そこを荒らすヤツは魔獣だろうが容赦しねぇ」
「…………すごい意識ですね」
ヴァルドが消えていったのを見計らってティオが呟く。なんというなんというか彼女には理解できない思考回路で動いているのだろう。
もしかしたら彼はテスタメンツのことも『青坊主』という魔獣だとでも思っているのかもしれない。
本当にあるかもしれない……
ティオはそう思ったが、ロイドの言葉に意識を戻す。
「よくわからないけどヴァルドを先行させるわけにはいかない。俺たちも行こう―――ってうわぁ!」
言葉尻を捉えるように爆音が鳴り響く。それは何かを破壊したような音で、二人はすぐに理解した。
「……器物損壊で逮捕ですか?」
「…………」
何も言えないロイドだった。
ヴァルドを追って曲がり角の先へと進んだロイドとティオ。辿り着いたそこは構造的には立派なもので、きっちり三部屋ある。一階右手に向かい合うように二部屋、階段を上って一部屋である。物々しい音が聞こえてくるのは二階の大部屋だろうか。
「ヴァルドはあの部屋だな」
「探査するまでもないですね」
そして、もし魔獣がいるのならそれは大物だと二人は直感した。
果たしてそれは現実となる。部屋の付近まで来た二人はヴァルドの苦悶に満ちた声を聞き、ドアを蹴り開けた。
「ヴァルドッ!」
「ぐ……くそがぁ……!」
二人の視界には奥へと追い詰められて膝を着いている血塗れのヴァルドと、それを囲むヤ・カーの群れ。そしてそれを統括する巨大なヤ・カーである。
「スペリオルヤ・カーです! 火属性が弱点、他ヤ・カーと同じっ!」
「了解!」
エニグマを起動させクラフトを使う。一瞬でヤ・カーの中心に到達しアクセルラッシュを放つ。
周囲にいた二体のヤ・カーは砕かれ光となるが、まだヤ・カーは三体、更に大物もいる。
「ティオ、ヴァルドの回復を!」
「了解ですっ」
迂回してヴァルドの側に向かったティオはアーツの詠唱にかかる。その前にロイドは仁王立ちした。
「……おい、必要ねぇ……!」
「死にますよ」
「っ……!」
青い光が放たれ、ヴァルドを包む。光が消えた後ヴァルドは立ち上がろうとしたが、力が入らないのか失敗した。
「てめぇ、どういうことだッ」
「傷は治っても血は足りません、じっとしていてください!」
ティオは続けて詠唱に入る。今回は詠唱時間を長くとらなければならない。ヴァルドに構っている暇はなかった。
「はぁッ!」
ロイドは右のトンファーでヤ・カーを弾き砕く。その隙を狙ったのかもう一体が左から攻めてくるが、両刀のロイドにとってそこは隙ではない。
振りぬいた右を戻す反動で左のトンファーが動き、ヤ・カーが到達する前に頭を飛ばす。そしてすかさず右を出し、もう一体も迎撃する。
しかしこれは避けられ、振りぬいた右肩にヤ・カーの刺突が突き刺さった。
「ぐッ!」
ヤ・カーの口は鋭いが、小さい。血がジャケットに染みこむのを鋭い痛みとともに感じながら、ロイドは咄嗟に左手のトンファーを放し、空いた手でヤ・カーの口を掴む。
細い節ばった感触のそれを強引に引き抜く。発声器官がないのか、音もなくぐらつくヤ・カーを開放された右手で消した。
トンファーを拾い直し、残った魔獣に身体を向ける。
「………………」
スペリオルヤ・カーはその巨体を動かさない。終始警戒していたロイドだがそれが動くことはなく、黙って仲間がやられるのを見守っていた。羽音だけが響き、虚ろな眼球がロイドを映す。
不気味だ、まるでこちらを敵と認識していないかのよう。しかし状況はこちらが優位。ティオの詠唱もある、ロイドは決定打を受けないことを念頭に置いていた。
「ッ!?」
そしてそれがこの攻防の最大の勝因だった。
いきなり羽音が大きく鳴ったと思った瞬間、既にスペリオルヤ・カーはロイドの顔目掛けて口を突き出していた。その予想外の速度にロイドは腕を振り上げることもできずに咄嗟に首を捻り回避する。
ヤ・カーを越えた大きさの口がロイドの頬肉を抉り、次いでバランスの崩れた身体の中心に鞭のような足が迫ってくる。
それはトンファーで受けたものの、人間と虫の最大の違いは手足の数である。両手でそれぞれ一本ずつの殴打を防いだ後、体勢の悪さか後方に弾かれる。そのまま尻餅を着き、慌てて上半身を持ち上げたところに突進を仕掛けてきた。
あくまで顔を狙ってくるのは虫の本能か、それを持ち上げた上半身を戻して横に転がることで避けるロイドは手が床板と身体に挟まれる瞬間に全力で床を押しのけ、身体を持ち上げる。
その回転のまま一歩踏み出しスペリオルヤ・カーの側面を打つ。
高速振動する羽に腕を裂かれながらも放った一撃はちょうど昆虫の胸に当たる部分を痛打する。
耐久力の低さは大きくなっても変わらないようで、その一撃は思いのほかダメージを与えたようだ。顔からの出血がひどいロイドはそこでようやく息を吐くことができた。
「っはぁ……!」
しかし立ち直ったスペリオルヤ・カーが再びその羽を動かし、向かってくる。鋭利な口が向かってくるのを視認しながらロイドは右手のトンファーを首の前に突き出して構える。
「来いッ!」
その言葉に応じるようにスペリオルヤ・カーが刺突を繰り出し、ロイドはそれが眼球に突き刺さる一歩前に掲げていた右腕を振り上げた。トンファーがスペリオルヤ・カーの口と十字を描くように移動しその軌道を上へと修正する。
既に屈んでいたロイドの頭を掠めたのを確認する間もなく、腰を捻って左手のトンファーで魔獣の腹を狙う。
しかしそこには無数の手足、絡めるようにトンファーは防がれ、そしてロイドは勝った。
「ティオッ!」
ティオの詠唱が完了し、スペリオルヤ・カーの中心から紫銀の糸が生まれる。
その数三本、その糸の辿り着く先にあるのは糸と同じ幻想の刃。それは次の瞬間、時を遡るようにスペリオルヤ・カーへと放たれる。
「カオスブランドッ!」
言の葉に従い幻の刃が魔獣を襲う。上位属性の魔法を前に耐え切れるほどの力はこの魔獣にはありはしない。
死神色の光の爆発によりスペリオルヤ・カーの身体は硬直し、開放されたトンファーにエニグマの駆動に伴った導力が集う。
「スタンブレイクッ!」
電撃を付与した一撃を見舞い、更にとどめの振り下ろしを放つ。スペリオルヤ・カーは跳ね飛ばされ地に落ち、そして、
「うらぁッ!」
いつの間にか動いていたヴァルドの木刀に潰された。
光を立ち上らせて消えていくスペリオルヤ・カーに、ヴァルドは得物を肩に担ぎ、鼻息を鳴らした。
「フン」
「ヴァルドさん……」
「……………………」
魔獣駆除の任務はこれで終了である。
その後強がりで足早に去ったヴァルドの姿に、追いかけてきたエリィとランディが驚いたのは言うまでもない。驚きの理由はもちろん、彼の足が笑っていたからである。
しかしヴァルド的には彼の矜持は守られたのでいいのだろう。
ロイドと彼の傷を治し終えたティオに臨検補佐の任務を終えた二人が合流したのがちょうど太陽が真上に昇った時である。
特務支援課は再び四人となり、昼食の後鉱山町マインツへと足を運ぶことになる。