空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
ルバーチェ商会会長マルコーニは体格に恵まれなかったが、その代わりに頭の回転は常人以上だった。故にその頭脳を使って他人を騙し蹴落とし今日の地位を得ていったのである。彼が会長の位を得たのも前会長に濡れ衣を着せて失墜させたからに他ならない。
そしてそのような行為を繰り返しているのだから当然恨みも多々持たれている。
それでも彼が健在なのは帝国派議員とつながりを持つなどといったその知能に衰えがないことに加え、ただ一人の絶対的な部下がいるからだ。
マルコーニ個人に好感を抱いていなくともその部下は慕われている。
マルコーニ個人に恨みを持っていてもその部下に潰される。
マルコーニが信頼を求める者は彼一人でいいのだ。
圧倒的な戦闘能力、配下を従える統率力、揺るがぬ意志。ルバーチェの物理的行動の全てを取り締まる男の名は、ガルシア・ロッシ。茶色のスーツにピンクのネクタイ、オールバックのように全体的に後ろに流された髪と赤い瞳。イアン・グリムウッドが熊ひげと称され慕われる存在なら、彼はキリング・ベアと称されて恐れられる存在だ。
そのガルシア・ロッシはマルコーニ直々の命で行っていた仕事に区切りをつけ、中間報告のためにルバーチェ本拠地へと戻っていく。裏通りを歩き彼の所属に辿り着く道に差し掛かったところで、しかし彼は無視できない存在に気づいた。
空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない
天を突く大男とはこのことだろうか。流石にゴーディアンほど大きくはないがそれでも規格外のサイズである。その大男はロイドらを見やり、果たして声を出した。
「……なるほどな、お前らが最近俺たちの準備を邪魔した奴らか」
「…………なぜ、そう思われるのですか」
「若造の粋がった目をしてやがる。気にいらねぇな、目的は何だ?」
裏通りを好き好んで通るものは少ない。多かれ少なかれ裏の事情を知っている者が通る道なのだ。そんな通りで警察の紋章を掲げた服を着た人物がルバーチェ商会の付近にいる、などという事実を彼は偶然だとは考えない。
「……いえ、ただ歓楽街にまで足を運ぼうとしただけです」
本心はどうであれロイドはそう答える。歓楽街への順路に裏通りを選んだことは嘘ではないのだ。しかしガルシアはそれを叩き斬った。
「だが、俺たちにも用事がある。そうだな?」
「………………」
「そう固くなるな。俺としても一度てめぇらみたいな蝿に忠告する必要があると思っていたんだ。寄っていけ」
そう言うなりガルシアはルバーチェのビルへと消えていく。四人は急展開に思わず顔を見合わせた。
「――どうするの」
「俺は行くことを勧める。逆に断るほうにデメリットがあるからな」
ランディは言う。ここでルバーチェの、おそらく幹部クラスであろう男の招待を拒んだ場合、今までよりもこの場に行くことは難しくなるだろう。相手が招待するという外見上下手に出ている今こそが話を聞く一番の好機であることも確かである。
「……危険はないのですか?」
「ない。やつが忠告と言った以上、そこがボーダーラインだ。アレにとってみりゃあ俺たちは蝿なんだからな」
ランディは視線をロイドに合わせる。
「ロイド、どうするよ」
あくまで最後はリーダーが決めることなのだ。
三人はロイドを見やり、ロイドは数秒の思考の末行くことを決めた。ランディの言葉が選択の全てだった。
***
ルバーチェ商会本社ビルの客間は赤い絨毯が敷き詰められた豪勢なものだった。部屋自体が広い上に絵画や高級酒などが周りを飾っていて部外者を萎縮させる。その中心に置かれているテーブルと三脚のソファー、その上座にどっかと座ったガルシアは背もたれに両腕を載せて足を組んだ。
長テーブルを挟むように設置されたソファにロイドとエリィ、ランディとティオが座っている。
「先ず始めに忠告、と言うほど俺は短気じゃねぇ。用件を言いな」
しかしその眼光ではその言葉は信用できない。それでも今は客の立場にいる四人は先に用件を言って然るべきなのだろう。ロイドは口を開いた。
「先日、アルカンシェルのイリア・プラティエさんとそちらの会長さんが拗れたという話を聞きまして、よろしければその詳細を教えていただければと」
「その件か、別に何もねぇよ。酒の席だ、会長だってもう忘れている」
「では、恨みなどというものもないと?」
「その程度だと言ったろ」
「……アルカンシェルの外国公演について打診したそうですが」
「商売の話だ。俺は芸術だとかは門外漢なんだが、得意先が是非にというので話をさせてもらった」
「――では、アルカンシェルの公演が中止してもそちらに利益はないのですね?」
エリィが口を挟む。それは虚を突いて反応を見るものだったが、ガルシアは妙な反応は示さなかった。単に理解できないという表情である。
「……何の話だか知らんが、うちは公演を打診したんだぜ。逆に止められるのは困る側だ」
そこでガルシアは目を細めてエリィを睨んだ。
「――脅迫か?」
「………………」
「――これを見ていただけますか」
エリィは沈黙し、ロイドは懐から脅迫状を差し出す。ガルシアはそれを受け取り、文面に目を通す。
「陳腐な文だな…………ん?」
「何か?」
ガルシアはにやけた顔で脅迫状を眺めていたが、突然口を閉ざした。それは何かに気づいた反応だったが、ガルシアは脅迫状を放り投げた。
「いや、ただの悪戯なんじゃねぇか?」
それからはまるで堪えきれないといった風ににやついている。先の反応の正体を教えるつもりはなさそうだった。
「で、それで終わりか?」
ガルシアは先を促す。しかし彼らとしてもこれ以上の用件はない。ただ、この機にできる限りクロスベルの闇を見てみたかった。
「できればこの件に関して、会長さんに直接お伺いしたいのですが」
「…………」
「そうだな、本人さんに聞けるならそれが一番だしな」
ランディもそれを感じ取っているのか同調する。それは確かな一歩、止まるべきサインを無視した行為。故に、
「ククク……カハハハハハハ――ッ! らァ!!」
テーブルを蹴り飛ばす。それは地鳴りのような大音を響かせ世界を変異させた。
「――ッ!」
ティオが思わず目を瞑り、ロイドも目を見開いた。
「――随分と親切じゃねぇかおい。まさか流れをぶった切らずに忠告の機会をくれるなんてよぉ」
ガルシアはその巨体を裏切らない高圧のプレッシャーを放ってくる。ビリビリと空気が痛くなる感覚に耐える四人に、凶暴な熊は自身の用件を告げた。
「てめぇらが会長と面会しようなんて10年早ぇ、ちっとばかし事業を阻んだからって付け上がりやがって――――教えてやるよ、現実ってのを」
ガルシアはその顔に侮蔑を表し、言葉で以って増強させ四人に叩き付けた。
「てめぇらがどうしようとルバーチェは変わらねぇしクロスベルも変わらねぇ! 腐った街を放り、更に腐らせる上層部! その腐った街に気づかずのうのうと生きる奴ら! クロスベルの現状を造っているのはそいつらに他ならねぇ! ……俺たちはただそれに乗っかっているだけだ、クロスベルというガラクタの、まだ使える部分を使ってやろうって俺たちを相手する前にやることがあるんじゃねぇのか?」
「――ッ!?」
エリィが声にならない反応を見せ、ロイドも歯を食いしばった。ランディはジッとガルシアを見つめ、ティオは哀しそうに目を伏せた。
「帰れ、互いにもう何もねぇだろう」
それは終幕の言葉。重い腰を上げて、四人は部屋を出ていく。そして最後、ランディが扉を潜ろうとした時、ガルシアは思い出したかのように呼び止めた。
「その赤毛、どこかで――」
「おいおい、俺は男にナンパされる趣味なんてねぇぞ?」
「ち、行け」
「おう、言われなくともそうすらぁ」
扉が閉まり、そこにはガルシア・ロッシただ一人。
「まさかな、警察なんぞに収まるやつらじゃねぇ……」
呟きは誰でもなく、自身に向けた言葉だった。
* * *
裏通り、ちょうどイメルダの店前まで来たところで四人はようやく足を止めた。ランディがほうと息を吐く。
「――やってくれるぜ。おい、お前ら平気か?」
「…………あぁ」
「……です」
「………………」
三人の生返事にランディはもう一度息を吐いた。声を張り上げる。
「しゃきっとしろ! とにかく安全に情報が得られたんだろうがっ!」
その大声に自分を取り戻した三人、ロイドはその流れを切らないように口を開く。
「そうだな、ルバーチェはおそらく白だろう。それより、ガルシアは脅迫状を見て何かに気づいたみたいだけど」
「ルバーチェが犯人じゃないというのはわたしも感じました。そしてあの人が気づいたのはやはり」
「あぁ、銀だろう」
ルバーチェの幹部ガルシア・ロッシは銀を知っている、つまりはそういうことだ。そして彼がどこで銀を知ったのか、それは今のクロスベルの裏の情勢と遊撃士リンの言葉を踏まえれば容易に推察できる。
「――行きましょう、黒月に」
「エリィ?」
今まで沈黙していたエリィが発言したことで三人は彼女に目を向けた。普段からは感じられない感情を湛えた眼がそこにある。
「今ある全ての情報が黒月を示している。もうそこにしか次への階段はないわ」
三人はそれぞれ何かを言いたかったが、それでも頷いて歩き出す。行き先は港湾区、歓楽街での確認など頭から抜け去ってしまっていた。
「あれ、どうしたんだい?」
そしてそんな彼らに声をかける一人の人物。バーから出てきた彼の名はワジ・ヘミスフィアといった。
「ワジ?」
「ワジさん?」
「……未成年がバーで何をしていたの?」
18歳で成人認定されるゼムリア大陸において、その年齢に達していない彼は飲酒を認められていない。それにもかかわらず酒の席であるバーから飄々と出てくるワジ。
「やだなートリニティでだって飲んでるじゃないか、ノンアルコールのカクテルだよ」
本当かどうかはわからないが、会話が成立しないほどの状態ではないし今は目を瞑ろう。彼らは構わず先に進もうとする。
「ルバーチェに行ったんだろう、どうだった?」
にこやかに話しかけるワジの言葉。今出てきたばかりの彼がどうしてそれを知っているのか、四人は唖然として彼を見た。
「あれ、当たっちゃった? カマかけただけなんだけど」
「く!」
普段なら、と思うロイドだが、おそらく普段でも彼は引っかかっている。
「最近ルバーチェは慌しいね、僕たちも旧市街で見回りをしているんだよ」
「ルバーチェが?」
「黒月だっけ、小規模だけど密輸ルートをいくつか潰されているらしくてね」
クロスベルの覇権を握っているルバーチェに勝負を仕掛けている黒月、ワジの言葉は黒月の巨大さを物語っている。
「で、君たちはどこに行くんだい?」
まるで全てを知っているかのような少年にロイドは何も言わない。そんな雰囲気を感じ取ったのか、今度は空気を読んだワジはそのまま反対方向へと消えて行く。
「大きなものに挑むなら、もっと足場を固めないと喰われるよ?」
ただ、そんな置き土産を残して。
ゆったりした空間に慌しい企業の連なりを持つ港湾区、クロスベル市の北東に位置するこの区画のその北東、ルピナス川を背負って立つ赤い建築物。それが黒月貿易公司である。
赤い風鈴に黒字で黒月と書かれたこの会社のロゴが風に揺れる中、特務支援課の四人はその堅い扉の前に立った。張り紙が一枚、来客はノックとのことである。
覚悟を決めてノックすると少しの間の後応答があり、警察の事情聴取である旨を告げるとあっさりと招いてくれた。狭く赤い階段は二階の部屋への扉と三階への到達点しかない。二階部屋は閉まっており、どうやら三階が開かれた場所のようだ。向かって左にも扉はあるが、正面右の扉の傍には構成員が立っている。ここが黒月貿易公司クロスベル支社長の部屋であるようだ。
「ようこそ、黒月貿易公司へ。歓迎しますよ」
そう言って出迎えたのは紫の髪を正面で分け、眼鏡をかけた理知的な印象を抱かせる男性。東洋風の青い衣装を着ている。彼は切れ長の目で四人を見据えた。
「初めまして、特務支援課捜査官のロイド・バニングスです」
「これはどうも、黒月のクロスベル支社を任されていますツァオ・リーと申します。そちらはエリィさん、ティオさん、ランディさんでよろしいですね」
「……よく、ご存知で」
「実はクロスベルタイムズを読みましてね、あなたがたのファンになってしまったのですよ」
笑みを絶やさずに言ってのけるツァオ。その人当たりの良さには裏の顔が丸見えで、それが故に侮れない。細身ながら締まった体つきは武術も嗜んでいそうだがそれ以上にその頭脳が武器のようだ。入ってすぐの左手には対談用のソファーがある。促され、ロイドとエリィが座った。
「すみません、何分大人数での来客は少ないもので。四人が座れるものがあればよかったのですが」
「いえ、お気になさらず。本題とは関係のないことですから」
相手のペースに流されないよう努めるロイドの言動は固い。それは本人も自覚しており、当然ツァオも気づいていた。ツァオは膝の上で手を組み、前に乗り出すようにして尋ねる。
「それで、当社にどういう用件でしょうか。何か商法に反することでもありましたか?」
「いえ、単純な質問です。黒月貿易公司は東方人街に本拠を置いているそうですが」
「えぇ、そのとおりです」
ツァオはあくまでにこやかに。
「では、銀という名前に心当たりは?」
「銀、ですか。東方人街の都市伝説にある凶手の名前ですねぇ」
顎に手を添え、思い出すように口にする。白々しい演技だった。
「その銀の名前で、ルバーチェ商会に脅迫状が送られたそうで」
ロイドは偽りの情報を口にした。黒月とルバーチェが抗争している現在、仮に銀がクロスベルにいるのならばその雇い主は黒月に他ならない。話さないであろう情報を何とか搾り出そうという苦肉の策だった。
「――時にロイドさん」
しかし、ツァオ・リーには通じない。
「ルバーチェ商会が銀と何度も交戦していることはご存知ですか?」
「え」
唐突の切り返しにロイドは対応できず、歪に嗤うツァオの言葉を止められない。
「銀はお金次第で誰にでも雇える、符術と体術を扱う究極の武闘家です。狙った獲物は必ず仕留め、その正体は誰にもわからない」
懇意にしている組織はあるそうですが、と。淡々と、取るに足らない些事のように口を動かす。
「その銀ですが、最近東方人街を離れてどこかの自治州に行ったそうですよ。その組織内の新しい契約主に従って」
「あなたは……」
エリィが怒りに震えながら声を出し、ツァオは哂った。
「あぁそうそう。アルカンシェルの脅迫状についてでしたか」
「な!?」
一度も口にしていない名称が突然ツァオから発され、今度こそ全員が息を呑んだ。ツァオはそれに満足したようで、聞きたかった言葉を期待通りに口にした。
「我々は脅迫状などという手法は使いませんよ…………犯罪ですから」
「てめぇ……」
「ルバーチェ商会とも自治州法に触れない程度の正しい商戦を繰り広げていますし、もし本当に銀殿が脅迫状を送ったなら、それは銀殿個人の問題ですね」
いきり立つランディに構わずツァオは続け、そして一人舞台を終えた。
「さて、他に質問はありますか?」
彼らは何も言えない。望みの情報は得られたにも関わらず、それでもそこには歴然とした壁に対する敗北感があった。
ここで何か言っても負け惜しみにしかならない。ならばと最後の抵抗で礼しか言わずに席を立つロイドとエリィ。そして四人が退室しようとツァオに背を向けた時、彼は止めの一撃を見舞った。
「さっきも言いましたが私はあなたがたのファンですので期待しているんですよ」
「――このクロスベルで、どこまで足掻いてくれるのかをね」
ぎり、と歯を食い縛る音がした。