空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
はっきりと覚えている、光の中で踏み込んだ一歩。そして気が付いた時には既に戦いは終わっていた。ゆっくりと目を開き、夜空のような塔の美しさに息を呑む。しばしその美しさに耽溺し、次の瞬間事態を把握して起き上がった。
「つぅッ!」
痛みが酷く思わず顔を顰める。すると気づいたのか、白い女性が駆け寄ってきた。
「大丈夫、ロイド?」
エリィ・マクダエルはそう言って飲み物を差し出してくる。勧められるままに飲み、酸味と甘味が喉を駆け抜けた。
「レモネード……」
「そ。疲れに効くし、それに……」
意識が明瞭になっていく。そしてロイドは当然の質問を行った。
「皆は、それに銀も……」
星見の塔第七階層。ここで行われた最後の試練を振り返り、エリィは口を開いた。
空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない
本棚に吸い込まれ無数の蔵書で埋められた銀に銃口を向けていたエリィは、そこでようやく止まっていた呼吸を開始した。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
自分自身何が最善だったかもわからず、ただ見た光景と同じように銃を撃った。それが奏功したのかロイドは無事で、銀は吹き飛ばされている。呆然とする一方で、眼前にいるロイドがトンファーを取り落としたことで動かなければという意志が芽生えた。
「ロイド……」
右肩を抑えて歩み寄る。崩れ落ちたロイドは意識を失っているが、幸い命に別状はない。
彼女は安心し、次いで他の仲間を見やる。ティオとランディはオーラレインによって傷は癒えているが、彼方で蹲るノエルは傷が開いていた。
大慌てで駆け寄りエニグマを駆動する。ティアによる回復で塞ぎきれる規模のようで安堵の心地となる。傷を塞ぐも、出血量が少ないのは爆発によって傷が焼かれたからなのだろうか。女性にとって痕が残ることは避けたかったがその心配も無用のようである。
どういう原理かわからないが、爆雷符での傷は大きくはなく心臓付近で炸裂することによる衝撃が脅威であるようだ。膝を着きそうになる精神的疲労がエリィを襲うが、しかし彼女がここで倒れるわけにはいかない。
とにかく全員を集めようと再び気合を入れて、
「――ふ、見事と言うべきか」
その声に身体が固まるのは防げなかった。
「銀……」
「何を驚いている、エリィ・マクダエル。貴様もあれで私を打倒できたと思っていたわけではあるまい」
「…………」
その通りだ。エリィは銀を倒したとは思っていなかった。それでも僅かな望みを抱いていて、しかしそれは見事叶わなかったようである。
「そう怖い顔をするな。そもそも我が目的は貴様らの殲滅ではない」
「……じゃあ、その目的は何?」
「――改めてお前達に依頼する。我が名を騙ったその何者かの企みを阻止してもらいたい」
「………………それは、脅迫状を送ったのが貴方ではない、ということ?」
銀は頷き、戦意を消失させた。
「イリア・プラティエを害する理由はこちらにはない。彼女自身気にも留めなかったのは、あれが本当に自分を狙ったものではないと理解していたのだろう。つまり、我が名を騙って別の目的を達成する者がいるはずだ。恐らくプレ公演か、本公演初日にな。捜査一課の網を抜けた場合を考慮して警備に当たってほしい」
「……確かに私たちはあれが本当の銀ではないと当たりをつけて捜査したけど、貴方自身はどうすると言うの? 自身の潔白を任せるほどに私たちを信用して」
「それを見極める為の試練だ。それに私は存外に忙しい」
暗にルバーチェとの抗争を示し、エリィは顔を歪めた。しかし銀は気にする様子もない。
「それでどうするエリィ・マクダエル、貴女の返答を総意と思おう」
「受けるわ」
「それでいい。しかし早いな」
「その代わり、一つ要望があるのだけれどいいかしら?」
銀は眉を潜める。エリィはちらと倒れている四人を見て言った。
「犯罪者の依頼を素直に聞く警察官はいないわ。見返りとしてある程度の治療を頼みたいの」
「おかしな事を言うな、私がそれを聞く理由がない。仮に見返りをとしても、それは今貴様らを見逃すということで十分なはずだ」
「いいえ、貴方は私たちを始末できない理由があるわ。それに今の状態で三日後の警備をするのは心もとない。それでは貴方も不服でしょう」
冷や汗を隠してエリィは言う。強烈なプレッシャーを放つ銀と相対するのは今の状態では厳しかった。それでもこの交渉を成立させることは最重要、例え倒れても成さなければならない。落ちそうになる膝を叱咤して彼女は銀を見る。
長い沈黙の後、銀は言った。
「……随分と口が回るなエリィ・マクダエル、流石は現市長の孫と言ったところか。しかしその論理には穴がある。私は無理に貴様らに頼む必要はない、例えば遊撃士にでも依頼すれば民間人の命に関わるかも知れぬのだ、喜んで引き受けてくれるだろう」
「それで貴方がいいのなら好きにするといいわ」
「…………」
再び沈黙、しかしエリィは霞む意識の中最後の仕事を遂げたことを確信した。
「――いいだろう、甚だ不本意ではあるが治療には協力してやる」
「ありがとう……」
「礼の必要はない、約束は守る」
もう眠れ、と口にした銀に気づくことなく、彼女は意識を失った。
***
エリィの話を聞き終えたロイドは思わず自身の身体を見下ろした。特に変わった様子はない、とは言っても服はボロボロである。ただ戦闘中に受けた傷は綺麗に治っており痕も残っていなかった。
それがエリィの回復魔法によるものなのか、それとも銀の施した治療によるものなのかは判断がつかなかった。というよりおそらく銀の治療もアーツなので同じことである。
「気持ちはわからないでもないけど、私たちが無事に生きていることこそ彼が約束を守ったことの証拠だと思うけど」
「……まぁそうなんだけどさ。そんなことより他の皆は――」
そう言いかけたロイドはエリィに頭を小突かれた。疑問符が濫立するロイドにエリィはため息を吐く。
「自分の身体をそんなこととはなんですかっ……そうね、ティオちゃんとランディはもう目を覚まして屋上に行ってる、ノエルさんはまだね」
そうかと呟きロイドは改めて自分の状態を把握せんと目を閉じた。あちこちに動作命令を出して確認していく。すると不思議なことに何の問題もない、ロイドは立ち上がった。
「軽い……」
回復アーツは傷の治療に有効ではあるが、それはダメージを回復させているわけではない。簡単に言えば蓄積した疲労にはまるで効果はなく、更に本来は自然治癒で回復すべき症状を強制的に回復させるので最終的にはその反動が身体に跳ね返ってくると云われている。
あくまで戦闘中、緊急時の応急処置にすぎないのだ。そのデメリットがなければ病院には疾病患者しか来なくていい。
「それは私も思ったわ。多分銀が何かしたんだと思う」
ロイドは戦闘中の銀の変化を思い出す。東方に伝わる気を高めて戦闘力を爆発的に高める術、その気の応用というか本来の使用法は身体の回復にあるはずなので、おそらく自身の気を身体に送り込んだのだろう。
結果、こうして疲労すら取れている状態にある。
「感謝、すべきなのか……?」
「そうね、心のどこかで思っておけばいいと思うわ。それより何より重要なのは依頼の達成だもの」
そう言うなりエリィは顔を伏せて呟いた。
「それよりごめんなさい、私の独断で依頼を受けてしまって」
「気にする必要はないよ、俺だって多分受けていたはずだし、エリィが交渉してくれたおかげでこうして身体が良くなったんだからむしろ良かったんだ」
ロイドの言葉にエリィは顔を上げて微笑み、やがて階段からランディとティオが戻ってきた。
「ロイドさん、無事でしたか……」
「起きたか。すまねぇ、俺としたことが……」
「ティオ、ランディも平気なのか? 俺より傷は深かったはずだけど」
「わたしはプロテクターが破損してしまって魔導杖の使用が難しくなってしまいましたが大丈夫です」
「俺たちは先に休ませてもらっちまったからよ」
二人の言葉に安堵するロイドだが、しかし振り返ると自分の至らなさに頭が沸騰してしまいそうだ。拳を握り締めて耐えるもその言葉は口から零れる。
「ごめん、俺がもっとしっかりしていればこんなことにはならなかったのに……リーダーとして失格だ」
二人は顔を見合わせ、そして同時に手を振り上げてロイドの頭を小突く。反論される前に続けた。
「ったくお前はすぐそれだ。いい加減聞き飽きたぜ」
「全くです。しかも大抵ロイドさんの責任ではない時に出てくるんですから始末に終えません」
「ふぅ。ロイド、それちょっと直したほうがいいわよ? こう疲れている時に聞くと気持ちが沈んじゃうわ」
「え、えっと……」
困惑するロイドに三人は息を揃えて言葉を連ねる。
「大体あの戦いにどうしっかりすれば何とかなったってんだ。言ってみろ」
「ちょっと伝説の凶手を甘く見すぎでは?」
「私たちへの過小評価も入っているわよね、それ」
「あ、あの――」
「つまりっ!」
そして口を揃えて。
「――お前はもっと楽にしろよ」
「リーダーという名前に締め付けられすぎです」
「その前に仲間、なんでしょ? ロイド」
「あ…………」
その言葉をロイドは心にしみこませて、静かに、しかししっかりと頷いた。
***
ノエルが目を覚ました。彼女のほうも身体に異常はないようで、ロイドとは異なった方法で体の確認を行っていた。
破れた警備隊制服を恥ずかしいのか悔しいのかよくわからない表情で見つめた後エリィと何かしらの会話を交わし、改めて支援課の輪に加わる。
「すみません、お力になれず……」
はっきり言ってその言葉にどう返せばいいのかわからない。贔屓目に見ても役に立ったのはロイドとエリィくらいのものであるが、それでもティオはアナライザーで重圧をかけランディはSクラフトを浴びせている。
時の偶然かもしれないが、遊撃として遠近両用の彼女は一撃も浴びせることが出来なかった。
「いや、曹長がいたからこそ今こうして無事でいられるんだと思うよ。単純に数の問題としてじゃなく攻撃に厚みも出たし展開も大分良くなっていたはずだ」
「つーか相手が悪かっただけで十分戦闘能力はあるんだからよ、あんま気にすんなって」
ランディはそう言って笑い、ノエルはそれに釣られてぎこちなく微笑んだ。
市内まで警備隊車両で送るという申し出を快く受けた特務支援課はノエルとともに星見の塔を下っていく。
その夜空のような世界は異世界で、しかし銀との邂逅は現実味に欠けるものではなかった。脳裏に強烈に焼きつく暗殺者の姿、それを共有した五人はそうしてこの遺跡から立ち去った。
* * *
「おじいさまはアルカンシェルのファンだからリーシャさんにも期待していると思うわ」
そう言ってエリィは眼前の少女に笑いかける。
その少女、月の姫の衣装を纏って緊張に顔を強張らせているリーシャ・マオは、あはは、と小さく笑った。プレ公演当日、今は控え室前の通路で気持ちを落ち着けているところである。
「期待に応えられると良いんですけど。それより、銀という人が言ったように本当に何か起こるんでしょうか」
頷くエリィに今度はロイドが問いかける。
「イリアさんには伝えなくてよかったのか?」
「あの人には――イリアさんには余計な心配は抱えずに輝いていてほしいですから」
そう言って遠くを見つめるように少し視線を上げるリーシャは、まるで空にある太陽を見上げるように呟いた。
「この劇団には強引に誘われてしまいましたけど、でも嬉しかったんです。クロスベルに来るまで、私は決められた道しか歩いていませんでしたから。だからあの人の演技を見て惹きつけられたんです。ああ、こんな風にただ上を向いて力強く輝ける人がいるんだって。決して届かないものに憧れるようなものです」
「…………」
彼女はそんな太陽に憧れて、しかしそこに到達することを欠片も信じていない。彼女が見た太陽の美しさとは絶対に手の届かない不変のものであるという特異性にあると同時に、仮に辿り着けるとしても、彼女自身がそこに行き着くことを許されていない存在であるという自己の絶対性に由来してもいた。
しかしそんな諦念から来る羨望をロイド・バニングスは許さない。
「手が届かないなんてないさ。月の姫は確かに太陽の姫の光を受けて輝くのかもしれない。でも君の演技はイリアさんのそれとはまた違ったものだと思う。いつかきっと、君自身が輝けるはずだ。イリアさんもそう思ったからこそ君を誘ったんだと思う」
肩に手を置き、瞳を見る。
「今回俺たちも壁にぶつかったけど、きっと解決してみせるから、全力を出して頑張ってほしい」
そこにあるのは真っ直ぐな意志と感情だ。リーシャはそこに不思議な安心を覚え、そして頷いて微笑む。少し前にあった硬さが影もなく取れ、そこには美しい少女がいた。
直に開演、リーシャは再度礼を言い、舞台に上がる為にその場を離れた。残されたのは清清しい表情のロイドと清清しくない表情のエリィである。
「さて、俺たちも待機しよう」
「はぁ……これで無自覚だなんて性質が悪い」
「へ?」
なんでもありません、と話を打ち切り、
「そんなことより、あんな約束したんだから絶対に解決しないとね」
劇団アルカンシェルの新作舞台『金の太陽 銀の月』プレビュー公演である今日、特務支援課は二手に分かれて秘密裏に警備を行っている。
劇場内にはロイドとエリィ、劇場前にランディとティオ、そしてツァイトを配置した今回。人選の理由は様々であるが、ツァイトが応援に駆けつけているということで意思疎通の可能なティオが外にいることが適任と決まったことが一番の理由だ。
またアルカンシェルが人気だとはいえ男二人で来ることは少ないため、万が一見つかった場合でも男女ペアのほうが誤魔化しやすいという理由とリーダーであることから内部のペアは決定、ランディも納得している。
二階客席には捜査一課のアレックス・ダドリー捜査官を配して万全を期していると考えられる捜査一課だが、見る限りそこまで捜査官の数は多くない。もしくはそれほどにまで擬態が完璧であるのだろうか。
劇団員控え室にも人員は送られており、この状況では隙はないように見える。おそらく捜査一課もこちらの存在に気づいているだろうが、対処を時間の無駄と考えているのか接触の気配はない。それならそれで独自に動けると開き直っているロイドはおそらくセルゲイに毒されている。
三階における貴賓席にはエリィの祖父であるヘンリー・マクダエル市長が秘書のアーネスト・ライズとともに席についている。護衛警官が一人と少ないのはアーネストが剣術を嗜んでいるかららしい。武器の携帯も特別に許されているそうだ。
場内が暗くなり、舞台が始まる。そこから先のことは二人には祈るしかない。とにかく状況の推移に鋭敏にならなければいけない現状、舞台を見たら引き込まれる危険があった。それでも状況確認のためにと小まめに眺めていく。
支配人とも情報交換を密に行い、事あるごとに劇場内を徘徊する。変わったこともなく空振りに終わる度に安堵し、舞台を眺めては息を呑む。流石のダドリーも時が経つに連れてアルカンシェルの波に飲まれていっているようだった。
佳境に入る。客席を含む全体が一つの世界となって物語の行く末を見守り、その一部に警官が含まれていたその時。
ロイドとエリィは控え室からロビーへと戻り、そして慌てた支配人の姿に急転を理解した。怪しげな人物が二階客席に向かった、そう知らされ即座に右側階段への扉を駆け抜ける。
そして前方上部、客席への扉の前で立ち止まっている人影を視認して走り出し――
「グレイスさん!?」
「あら、やっほー」
見知った人物に唖然とする。なんでもクロスベルタイムズに贈られた記者用のチケットを別件調査中に使われてしまったらしく、故に彼女は清掃用のバケツに潜み、こうして機を窺っていたとのこと。
「しかしダドリーさんにまで嗅ぎ付けられていたとは……流石一課ってところかしら、でもそれならどうしてダドリーさんがここに?」
自分で言って自分で混乱しているグレイスに二人は嫌な違和感を覚え、ロイドは尋ねた。
「――グレイスさん、あなたはどうしてここに?」
「ん? んー、言ってもいいけど、いいの?」
ちらとエリィを見るグレイスだが、エリィは頷いた。グレイスは咳払いを一つ。
「実は市の予算が私的に使われているらしいのよ、あの秘書に」
「………………え?」
「エリィ!」
エリィは呆然とその言葉を受け止め、傍らからの大声に我を取り戻す。
「結構な額よー、それに帝国派議員との繋がりも見え隠れしているし相当な裏を持っているみたいね。てっきり一課もそれ絡みでいるんだと思ったんだけど、違うの?」
そして。
そして二人は改めてこの状況の異常性に気づいた。
バケツなどという古典的な手段で隠れていた彼女を一課が見逃すはずはない。つまり彼女の存在に気づいていながら一課は無視していたのだ。それ自体については自分たちのような例もあるのでいいだろう。
しかしここで重要なのは、グレイスがここに来た理由を、単なるプレ公演の取材と決め付けているのならば。
「おじいさまっ!?」
「行くぞッ!」
グレイスを置いて客席の扉を開く。薄暗い場内を駆け抜け貴賓席への最短ルートを突き進む。反対方向の扉を抜けすぐにある階段を段飛ばしで駆け、豪華な装飾の扉を開いた。
「ッ! ちィ!」
倒れ伏す警官とヘンリー市長、そしてその首に短剣を突き刺そうとしていた男――アーネスト・ライズ。アーネストは侵入者に気づきヘンリーの身体を抱き起こして跳躍、距離を取った。
「おじいさまっ、アーネストさん」
「アーネスト、あんた……っ」
「おやおや、不思議なところで会うもんだねエリィ」
それぞれ得物を構え睨む二人にアーネストはあくまで余裕を崩さない。しかし計画を悟られたことで動揺はあるらしく、その顔には苛立ちが見えた。
「アーネストさん、どうして」
「どうして、それを君が言うかエリィ? 君も理解しているはずだこのクロスベルの呪いをっ!」
「――ッ」
「この二者代表というルールにおいて改革を成し遂げるには市長と議長という二つの椅子が同じ方向を向かなければならない。そして私は、議長閣下と同じ方向を選んだのさ! 市長の椅子も用意してくれるというのでなッ!」
その眼には狂気が見えている。照明を落とした部屋の中でもその暗い輝きは尚歪に存在を主張していた。
手に持つ銃が震える。
彼がどんな過程で以ってそんな結論に至ったのか知る由もないことが悔しく、またそんな結論を出してしまったかつての家庭教師が苦しく、その後の祖父の落胆を思うとやりきれなかった。
「――直に一課も来るぞ、どうする気だ?」
ロイドが問う。しかしその問いはアーネストに選択を急がせることになり状況を悪化させる。
「――ふむ、では優秀な一課が来る前に消えてもらおうか」
市長を横たわらせその首元に短剣を突きつけたままアーネストは銃を抜く。正規の物ではない輸入品である。その銃口を、彼はまず青年に向けた。
「エリィ、彼を死なせたくなければ私に協力しなさい。ここから逃げ果せた後は議長に支援を請い、改めて市長の座に着くとしよう」
「アーネスト、さん……」
「ん? いや、彼を殺してエリィに協力させたほうがいいのか? そうだそのほうがいいな、ここで逃げた後は協力の条件にならないしな。ではエリィ、市長を死なせたくなければ彼を撃ちなさい」
様子がおかしい。ロイドは思ったが、しかし彼の言葉は現状において強力だ。市長を人質に取られている今その要求を覆す要素はない。エリィは信じられないものを見るようにアーネストを見た後、ロイドを見た。そこには拒否の意志しか見られない。
だからロイドはエリィの銃に手を添えて自分に向けさせた。
「そうだ、良い判断だよ!」
アーネストはまるで子どものように感情を高ぶらせている。目の前の光景が面白くて仕方ないようだ。
「ロイド……っ」
「大丈夫だ。カウントするから零になったら撃て」
大丈夫だともう一度呟きカウントを開始する。
「3……2……――1!」
刹那、銃撃音が響く。
「ぐぁッ!」
アーネストの手から銃が零れ落ちた。途端になだれ込む無数の警官、その指揮を執っていたダドリーは一番にアーネストに迫り渾身のショルダーチャージを放ち壁に叩きつける。短剣が地に落ちる音が響く間に他の警官が市長を保護した。
「やってくれたなアーネスト・ライズ!」
ダドリーが仁王立ちし、銃を向ける。その眼には煮えたぎった怒りが燃えていた。しかしアーネストはその鬼気迫る彼に対し尚笑い、
「シィ――ッ!」
「何ッ!?」
手刀の形を取った一閃でダドリーの銃を弾き飛ばした。突然の強行に反応できないダドリーに構わず一挙動で体勢を立て直したアーネストは警官の隙間を縫って駆け出す。
反応した時には部屋を飛び出していたアーネストに咄嗟に迫ったのは出口付近にいたロイドとエリィだ。次いでダドリーが顔を赤らめて走り出す。常人では考えられない恐るべき速度で走っていくアーネストに二人は追いつけないと判断、エリィがエニグマでランディに通信をかける。それを待ってましたとばかりに即行で受け取ったランディは、同時に劇場を出てきたアーネストに奇襲をかけようと迫った。
その速度に常人だという意識を取り払いパワースマッシュに変更、敢行する。流石にこれを避けることはできなかったアーネストはその衝撃に足をふらつかせ、しかし尚も逃げようと足掻いたところでツァイトのボディプレスに沈黙した。
ようやく追いついた三人と待機していた二人と一体が集合し、劇場前にて一連の犯人の逮捕に成功した。
奇しくもそれは新作舞台のフィナーレと同時刻、アルカンシェルは新作を無事に終了させ、特務支援課は市長の安全をなんとか勝ち取った。
* * *
「――市長暗殺の阻止、ですか。ふふふ、大層な成果を上げたものですね」
クロスベルタイムズを眺めてツァオ・リーは椅子の上で笑う。彼の期待に応えた特務支援課に頭の中で礼を言いつつ、これからのことに思いを馳せる。
アーネスト・ライズは今回の事件に対してまるで記憶があやふやであるらしい。本人が放った証言に関しても首を傾げる一方であり聴取もままならないそうだ。またそれと同じく異常な身体能力という説明のつかない事象に関しても明確な証言が取れず、薬物反応もない。現在は彼の最近の人間関係を漁っているところである。
「真相は藪の中、ですか……」
「――ふ、戯言を」
空間から透けてくるようにその姿を現したのは黒衣の暗殺者、銀。依頼者に対しても正体は明かさない彼はツァオの優秀な駒の一つではあるが極僅かな不安要素をも抱えている。
とはいえ契約は絶対なので心配はしていませんがね……
ツァオは表に出すことなく、先の発言に続いた。
「おや、戯言とは心外ですね」
「貴様のような狐が何も掴んでいないなどという言葉が信に足りるとでも?」
「そうですねぇ、確かにある程度は掴んでいますが全てとまでは。それよりも銀殿、今回は随分ご執心だったようですね。いえ、契約分は働いていただいていますのでそれは良いのですが、何か事情でもあったのかと」
銀は沈黙し、微笑を返した。
「特にはない――――用がないなら行くぞ」
「いえいえ、これが次回の内容です。目を通しておいてください」
資料を受け取り現れた時と同じように消えていく銀。そんな彼の残像を見て、ツァオは眼鏡を押し上げて嗤った。
***
黒月の屋根上に姿を現した銀はそのまま連なる建物の屋根を伝って移動を開始する。その速度は先日のアーネストと同等か。いやこれでは銀に失礼だろう、彼以上の速度で以ってクロスベルを駆ける。
やがて目的の位置に着いたのか、歩みを止めた銀は、
「――ふぅ」
外套を脱いで一人の少女に変異した。
「…………」
物陰に飛び降り、そのまま歩いていく。いざ目的の場所に入ろうとしたところで声をかけられた。
「あらリーシャ、早いのね」
「あ、イリアさん」
そして、二人は内部へと消えていく。