空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
「うん、良く似合っているじゃないか」
「……そりゃどうも」
「でももう一つ、はいこれ」
「眼鏡か」
「印象が大分変わるからね、キミ童顔だし、いいんじゃないかな?」
鏡を見てみると確かにそのほうがいいようにも見える。非常に癪だけれどこの分野では自分は門外漢だとロイドは自制した。
眼前にはニコニコと朗らかな笑顔を浮かべる少年。フォーマルとは言いがたいスーツを身につけたホスト風の彼は良い仕事をした、と満足そうである。
「うん、これでどこから見ても未熟な良家の息子だね」
「未熟で悪かったな」
ごめんごめん、悪気はないんだ。ワジ・ヘミスフィアはそう言って全く伝わらない謝意を述べた。
創立記念祭五日目、黒の競売会が行われる最終日だ。今まで手を出せなかったその場所に踏み込もうという特務支援課はミシュラム行きの船が出港する午後二時までに全ての支援要請を完了しなければならない。
最終日でもあって量が多かったが、事情を知っているエステルとヨシュアの尽力によりなんとか片付けることができた。二人と話すことができてロイドとしても安心である。
聞けばレンもまた最終日を楽しんでいるらしい、彼女が年相応に過ごしているのなら喜ばしいことだった。
港湾区から出る船は流石に豪奢である。ミシュラムは一等地、住む人々は皆有力者ばかりである。二年前に開園したミシュラムワンダーランドによって観光客も多いが、その人々は住宅地へは赴かない。陸繋ぎの場所だとて、そこは別世界のようなものだった。
船を待っている間も観察を怠らない。見るからに旅行客な人物でも、その目的がワンダーランドなのか競売会なのかは定かではないのだ。流石に子ども連れは除外するものの、これから行く先へのプレッシャーからか、見る人全てが怪しく見えてしまうので嫌なものだった。
中でも赤毛の遊び人風な青年には見事に騙されてしまったものだが、結果的にそれ以降は妙な硬さが取れたのも事実である。青年は、黒の競売会の参加者だった。
ミシュラムに着く。港からは一本道でホテルに辿り着き、そこから目的地によって出口が異なる仕様だ。
正面を真っ直ぐ抜けるとワンダーランドでみっしぃがお出迎え、左に抜けると住宅地であり本日の目的地であるハルトマン議長の私邸がある。右は封鎖されているがどうやらミシュラムの新しい目玉を建設予定であるらしい。
二階から客室であり、一階は様々な店が並んでいる。そのどれもが高級店、宝飾店に至っては一見様お断りである。服飾店はエリィは入ったことがあるらしいが、高級なだけあって質は上々らしい。
ホテルに泊まるわけではないが、しかし安心が得られる場所は欲しい。とにかく空室があるか尋ねてみるが、生憎完全予約制であり部屋を取ることは困難だった。
しかしそこに現れたのがワジ・ヘミスフィア。暇つぶしにホストをやっているという彼が部屋を提供してくれるというので、背に腹は代えられないと促され一室に入った。言ってみれば、その時点で彼が介入することは決定していたのかもしれない。
「それで? 全員揃って競売会にでも潜入するつもり?」
足を組んで備え付けの椅子に座るワジはいきなり核心を突いてくる。疑問系ではあったがそこには自信が含まれており、改めて彼の洞察力に驚かされる思いである。
しかしロイドらとしても安易に話すことはできない。大前提として、彼の目的を聞かなければ話すことはできなかった。
「ああ、僕はお得意のマダムに誘われちゃってさ。言ってみれば喧嘩中の旦那の代わりにエスコートするってだけのなんら面白くはない話だよ」
「いや、十分面白いっつーか聞き捨てならねぇ話だよ」
ランディの突っ込みも柳に風、涼やかな笑みを浮かべるワジは長い足を組み替え、両手の指を絡ませた。柔らかい仕草が中性的な容貌にマッチしていて旧市街の不良だとは思えない。どこか育ての良さのようなものまで感じさせる佇まいである。
「僕の話なんていいじゃない。こっちが聞きたいのはさ、こうして協力している相手の心の内だよ。黒の競売会は正規のルートでなきゃ早々入れないと思うんだけど?」
ワジは招待状の存在を知っているのか、それなしでは無謀だと諭してくる。ロイドは黙って懐から招待状を差し出し、現物を見てワジは感心したように声を漏らした。
「滅多に手に入らないものだと思うけど、どうやら本物みたいだね。いやほんと、一体どこから手に入れたんだい?」
「ちょっとした偶然だよ。それよりワジ、お前本当にそれだけか?」
ロイドの視線が突き刺さる。ワジはそれを正面から受け止め、しかし笑みは絶やさずに言った。
「競売会に興味はそんなにないんだよね。参加者も大物ばっかりだけど僕には関係ない人物さ、今回は他意は全くないよ」
「……そうか。こっちも借りがある、詮索はここまでだ」
ワジの言い回しは謎に満ちているがこちらに不利益を撒くようには思えない。ロイドは疑問を飲み込み、事態を収束させた。
そしてせっかくの他の参加者である。昨年も参加したというワジに競売会の実態を質問した。
招待状一通につきよくて三人といったところらしい。全員顔は出しており、人脈作りの場としても知れているそうだ。競りに関しては基本的な普通の競売会と同様で、しかし競売前の立食パーティーでは主催者であるルバーチェ会長のマルコーニやハルトマンが挨拶を行うらしい。
会場設営や警備等はルバーチェの管轄である。参加者はもちろんフォーマルな衣装が望まれている。
「とすると全員は無理か」
「そりゃそうだよ。三人ってのもなかなか見かけないんだから四人なんて論外さ。万一のことを考慮して二人ずつに分かれた方がいいんじゃない?」
「……普通にワジ君が参加しているけど、いいの?」
エリィの呟き、それを耳ざとく拾ったワジは意外そうな態度で笑う。
「嫌だなぁ、もう僕は今回の当事者と言っても過言ではないくらいだよ。作戦会議に口を出すくらい当然の権利じゃない。それに万が一の場合は助けてあげるよ? 僕経験者だから」
「お嬢、諦めな。実際問題無害ではあるんだ」
ランディが諭すようにエリィの肩を叩く。エリィは彼の言葉に従うようにため息を吐いて頷いた。
「するとロイドさん、誰が会場に潜入しますか? あ、ロイドさんは確定ですよ」
ティオが班分けについて言及する。リーダーであり人一倍この事案に拘っているロイドが会場行きなのは三人で決めていたことだった。
「ロイド、お前が決めな。いざって時は二人で何とかしなきゃいけねぇ。あらゆる状況を考慮して選ぶ、得意だろ?」
「ちょっと個人的なことを言うと私は中に入りたいんだけど……でも貴方の意見に従うわ」
「わたしは正直あまり内部に行きたくありませんが、ロイドさんに従います」
三者三様の言葉、うち二人はさりげなくもなく個人の意見を言ってきている。ロイドは二人に絞った。
「あれ、始めからドンパチやる気で行くの? 結構喧嘩っ早いんだね」
「ワジ、ちゃかさないでくれ」
「そんな、それは無理だよ。僕は部外者だから場を盛り上げることが役割なんだしさ」
先ほどは当事者だと言ったのはどの口か。思わず睨むと肩をすくめるワジ。しかし反省はしていないようだ。
結局彼を相手にするのは疲れるという事実を再認識したロイド、しかし彼の直前の言葉に判断が左右されたのは彼自身も気づかないことだった。
「じゃあエリィ、一緒に来てくれ」
「わかったわ。一応理由も教えてくれる?」
「こういう社交場に一番慣れているのはエリィだから機転が利くと思ったんだ。ランディもそういうところは慣れているかなと思ったけど、万が一の場合を考えたらランディのハルバードは持ち込みづらい」
黒の競売会はプライベートを尊重する場でもある。簡易な身体チェックこそあるだろうが、荷物を預けて調べることはルバーチェの構成員には難しいはずだ。ロイドのトンファーはランディのハルバードより小さいし分解も容易、エリィに至っては身体チェックすら回避できるだろう。
「ただ問題なのは」
「問題なのは……?」
ロイドは視線を下げ、自身を見下ろした。他も釣られて自分自身を眺める。ワジが面白そうに言う。
「その格好じゃお話にならないよね」
「……ああ、どこかで調達しないと」
「それなら一階に服飾店があるからそこに行きましょうか」
「善は急げ、だね」
ワジは颯爽と部屋から出て行く。その後姿を四人はただ見つめていた。
彼らの脳裏には今までで一番の笑顔を見せるワジ・ヘミスフィアの姿が焼き付けられている。
彼にとっては楽しければそれでいいのだ。そして彼の嗜好には、他人をいじってからかうという項目が含まれている。大手を振ってそれを行えるとあっては行動も素早くなるというものだ。ロイドは自分の未来を思って憂鬱な気分になった。
そして現在、ロイドはワジとランディに着せ替え人形にされた結果試着室からげんなりとして出てきた。白のシャツに紫の縁取りをした紺のスーツ、金色のボタンを要所につけている。上着は胸元には白のポケットチーフ、脇腹から下までが縁と同色になっていて通常のものよりいくらか派手である。首元には若葉色のタイを緩く花結びして遊びを出している。白の手袋に先ほど渡された黒の楕円眼鏡をつけて完成である。
「おお、上出来じゃねぇかっ」
ランディが楽しそうに笑う。ロイドも袖元や後ろを確認し、こんなものかと出来栄えに納得した。ワジはおとがいに手をやりながら思案顔である。どこからどう見ても……と言った割にはまだ何か気になるようだ。
「ワジ?」
「んー、髪型変える?」
ロイドは癖っ毛である。程よく曲線を描いて後ろに流されているそれは特徴的で、ランディも他にこの髪型をしている者を知らなかった。
いや、彼には心当たりはあったが、記憶の中の人物は二人とも髪が長いし色も違ったのでやはり知らないでいいのだろう。
「よっし、そこは俺に任せてもらおうか!」
ランディが腕まくりをして店員に話しかける。ロイドは何も言わなかった。
一方エリィは慣れているのかてきぱきと合わせていく。ティオに意見を聞きながら選択はすぐに終わったが、やはり女性であるのでロイドよりは時間がかかる。結果的にロイドは髪型までを変えたので終わりは同時だった。
「へえ、似合ってるじゃないか」
ワジが感嘆の声を上げる。視線の先のエリィは持ち前のスタイルを前面に出した華やかなものだった。
紫色のイブニングドレスに白のぺティコート、白いロングタイプの手袋には金色の腕輪の装飾が等間隔に数個配置されている。金をあしらえたエメラルドのネックレス、頭には普段の黒のリボンではなくドレスに合わせた紫のリボンをネックレスと同じ素材の髪留めで留めている。髪型も変わり、一つに纏めたそれを右肩から正面に流している。紫がかった白のヒールは常よりも高い。
示し合わせたわけではないがロイドと色の系統が合っている。
「エリィさん、すごく綺麗です」
「ありがとう、ティオちゃん」
「ロイドさんは……別人です」
「そうかい……」
ロイドは自身の髪を撫でる。ワックスで固められたそれは所謂オールバック。なんとも落ち着かないロイドだが他者には好印象のようだ。おそらく新鮮だからだろう。
「これでいいかな。キミも髪型変えたみたいだし」
「ええ、私は集まる方の分野を考えればロイド以上に気をつけなくちゃいけないから」
エリィは留学を繰り返していたために国を越えて交友関係がある。整った顔立ちから覚えられていることも多かっただろうが髪型を変えるだけで案外わからないものだ。
「次は荷物だな。ロイドは最悪そのままでも十分動けるだろうが……」
問題はエリィである。社交場であるためにドレスの下に服を着るということは難しい。鞄を持っていくとはいえ、着替える時間があると考えるのは浅慮過ぎる。
「本当は動ける服装がいいけれどそうも言っていられないから、私は靴だけでいいわ」
破ればいいし、と心の中で呟く。柔らかいスカートは翻るかもしれないが、そもそもそんな大事にならなければ杞憂に終わるのだ。
「俺たちもなるべく近いところに待機するつもりだ。つっても開けた場所の上に住宅地だからな、あまり距離は稼げないかもしれねぇ」
「わたしはなるべくサーチを持続させておきます」
「よし、それじゃ最後の確認だ」
それぞれもしものためにエニグマを見せ合う。スロットに入れるクオーツは変更のたびに公開していたが念には念を入れておきたい。ロイドはクオーツを取り出した。
「まずは俺から。ティオから使用許可をもらえたから空のスロットには天眼を入れる。後はライン1に行動力2・攻撃3・命中2、ライン2は回避2・HP3・防御3だ」
「私は中心に回避3を。ライン2に駆動1を入れて、後はHP3・省エネ2・EP2・行動力2・移動2」
「わたしはHP3・EP2・行動力2・省エネ2・精神2・駆動・天秤珠です」
「俺は攻撃3を中心に、ライン1に炎傷の刃、ライン2に行動力2・移動2・命中3、ライン3に防御2と魔防2だ」
「僕は精神2を中心にライン2が攻撃2、ライン1に省エネ2・情報・命中2・HP3・EP2だね」
全員が言ったのは確かだが、しかし一人多いことに全員が気づいていた。四人の視線が集中する。
「ワジ、何でお前まで」
「え、僕だってエニグマ持ってるし」
「そういうことじゃないんだけど……」
エリィはそこまで言いかけ、やめる。既に笑顔な彼に対し言うだけ無駄なことに気づいたからだ。ワジの行動に困惑されっぱなしの四人だが、実質無害なのでここは鞘に戻すことにする。
「鞄にはトンファーを入れておく。エリィは何かあるか?」
「靴以外は特にないわね。銃は足にホルスターを付けておくし、エニグマもそこに入れるから大丈夫」
一瞬胸元にエニグマを隠すエリィの姿が浮かんだのはその扇情的な衣装のせいである。ロイドは他者にわからぬ謎の首振りを行い、
「ま、男って生き物はそうだよね」
しかしワジには見抜かれていた。
「ロイド?」
「ロイドさん?」
女性二人が首を傾げる。不思議そうな瞳に居た堪れなくなった彼は咳払いで雰囲気を戻し、今回の潜入におけるポイントを話していく。
正規ルートで潜り込めるとはいえその場で警察特権を行使できるかと問えば不可能だ。大々的なこのイベントを二人の力で即座に中止に追い込むことは極めて難しい。身分自体も知られてはならず、かといって参加するわけにもいかない。実情を知る、というのが妥当な線であろうか。
しかしその中でチャンスがあれば見逃す手はない。黒の競売会が正しく黒である証拠品の入手とまで言わないが、後々警察当局が圧力に圧し潰されない程度のものは欲しい。虎穴に入っているのだ、虎の子を見つけるくらいは望んでもいいだろう。
かと言って無理をすることはできないのが現実だ、軽い気持ちでプレッシャーを抑えるなら、やはり今回は立ちはだかる壁の詳細を知るだけ、という程度の気持ちで臨むべきだろう。
「空が暗くなってきたな……」
何とはなしにロイドは窓から外界を眺めた。
西日は翳りを見せ、次第に世界の様相が真逆に引き寄せられていく。太陽に正の要素を見出すのは人の性か、これからの時間が闇に閉ざされることに少しの不安を覚える。
それでも窺える景色には別の光が見えた。人々を魅了するワンダーランドが発する希望の光、そこにすがり付いて気持ちを整えるのも悪くない。
いつしか全員がそれを眺めていた。この雰囲気だけはワジも崩そうとはせず同様に景色に酔っている。
敵地への侵入という脳内麻薬を誘起させるようなこれからに酔えないのだから、酒にも酔うことは許されないのだから、今だけは、この不思議な景色に酔ってもいいのだろう。
「あ――」
ティオが声を漏らすと、山彦のように音が聞こえてきた。それは少女の音とは違ったが、息の長い音は限界まで伸びて炸裂する。
大輪が咲いた。
「綺麗……」
エリィが感嘆を発し、ランディもしみじみと見つめる。いつの間にかグラスを持っていたワジはそれを肴として楽しんでいた。
「みんな」
ロイドが口を開く。仲間は視線を合わすことなく空の花を視界に収めていて。
「壁は高いけど、それでもこの花火が見えるんだ。ならきっと、それは乗り越えられる高さなんだと思う。いや、俺たちならきっと、壁を越えられるはずだ」
返答はない、それでもロイドは満足だった。
花火が終わるにはまだ時間がある。この花火が終わらないうちに今日の行動を開始しよう。
その姿を、美しい花に見守ってもらえるように。
* * *
「ここがミシュラム……」
闇に紛れるようにソレは姿を現した。いや、不意に現れたというのが正しいか。ごく自然に外界に溶け込んでいるその姿はおそらく真正面から見ても気づかない人間がいるほどだろう。
それほどまでの完璧な陰業、それは生来の特性もあるだろうが、しかしそれを開花させる訓練を行ったからこそである。住宅街の一角で身を潜め、その豪邸を窺う。
「あの犬は……」
今回の任務の主戦場は黒の競売会会場のハルトマン邸、その詳細は図面により確認したものの直に見なければわからないこともある。
競売会開始まで猶予はあるが、既にそこは厳戒態勢に近い状態になっていた。ルバーチェの構成員がところ狭しと動き回り、その指揮を担当するのはガルシア・ロッシ。その戦闘能力は計り知れず、なるべくなら争いたくはない相手だ。
そして人間の感覚から外れた分野を担当する黒の猟犬も控えている。これは以前の魔獣被害事件の反抗手段である。最優先で気をつけるべきはこれらであった。
匂いを消して入ることは可能だ、しかしその無臭すら訓練されている可能性はある。故に気づかれないためには体臭を消し、かつ周囲の匂いを染み付かせる必要があった。そしてそれには時間がかかるのである。
「…………」
陽も翳ってきた。それが地平線に沈めばいよいよもって開幕である。姿を隠す闇が支配する夜の時間こそ黒の競売会の時間であり、同時に得意とする時間でもあった。
その時間まではここで気づかれないようにじっと待つことにする。すると当然思考が動き始め、ふと市内の少女のことを思った。
「大丈夫、かな」
姉気質の彼女が近くにいるので大丈夫だろうが、問題はお調子者でもある彼女が無茶をやらかさないか。こればっかりは離れているのでどうにもできない。
彼女らと共にいる時の自分の役割はストッパーのようなものだから、それがない今どうしているのかが気になる。
「…………うん」
気になるから、今回の件を早く終わらせようという気持ちになった。任務の終了が自身に委ねられていないとしてもそんな気分にさせられた。
こんな前向きさはうつったのかなと、金色の太陽のような存在を思い微笑んだ。