空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
腕を組んで橋を渡っていく。一見すればデートのような二人だが内心では緊張感が蠢いていてそんな気分は全く湧き起こらない。
左右両側の暗い水が手招きしているかのように感じられる、そんな二人。橋を渡り終えたところには暗い世界で輝きを放つ大豪邸、そんな中サングラスをかけている黒服の男が二人、正面玄関を挟んで門番の役割を担っていた。懐から招待状を出して渡す。本物と確認したところで男が誰何をしてきた。
オールバックの青年は、レイと名乗った。
玄関を抜けると橙色の光が空間を支配している。赤い絨毯の中央までやってくると、正面のホール入り口には黒服の男が立っており、現在環境整備の途中であると告げてきた。窺える内装は壇上と無数に陳列された椅子。おそらくここが競売会会場なのだろう。正面奥は透明ガラスで滝のような水の流れが見える。
豪華なシャンデリアが光を乱反射させる眩しい室内、左右には通路があり、それぞれ二階へと続く階段とそのまま建物裏側に抜ける通路、その反対方向に一部屋が存在する。左手は立食パーティーの会場、右手は休憩室のようだが、どちらも高級そうな長テーブルがあり使用人が控えているのは同じである。
弧を描くように裏側を一周する通路はそれに沿うように流水が施されていて安らぎを覚えると共に、どれほどの巨額が投じられているのかと驚愕させられる。競売会会場で見た流水はここである。
二階は客室となっておりそれぞれ四部屋が左右交互に配置されている。三階は長い廊下の突き当たりにそれぞれ一室、議長の私室と競りに出される品物の倉庫として使用しており、当然ながら見張りの男が存在していた。
「まずは立食パーティーに参加する、というのが通例みたいね」
エリィ・マクダエルはそう呟いた。現在参加者の大多数が左手のその場所にいる。競売における情報収集を行っているものは極少数で、どちらかと言えば交流がメインのようだ。
「立食パーティーか、あまり経験がないな」
「別に食べる必要はないわよ、あくまで怪しまれないように周りに気を配っていればいいと思うわ」
ロイドが若干不安そうにぼやき、エリィがそれを除く。心情がどうであれ行かなければ目立ってしまうのだ、ロイドは意を決して向かった。
「ふふ、安心して。話しかけられたら私が話すから」
「助かる」
エリィは少し楽しそうだ。本来彼女はこちらの世界を担当する存在だ、むしろ自分の居場所にいるようで十分リラックスできている。逆にロイドは決意こそあれど雰囲気に呑まれている。エリィに手を引かれるように僅かにリードされているのがその証明だ。
尤も今は腕に伝わる彼女の感触をほんの少しだけ感じる余裕ができて逆にそっちに気を取られてもいた。
白のテーブルクロスの上に雅やかな食器と料理が載せられている。参加者は思い思いの場所で会話を重ねており、静かだった他の場所と比べると街のようだった。
二人はゆっくりとまずは一周、参加者の顔を見て回る。概ね知らない顔でエリィも安心する。しかしソファーに座っていた二人の人物だけは見覚えがあり、その二人も同時にロイドらに気づいた。
「イメルダさん……」
「おや、お前さん…………来てたのかい、いっひっひ」
支援課のことを口にしようとしたのだろうか、僅かな間の後にイメルダは笑う。裏通りのアンティークショップの店主なら、確かにここにいても違和感はない。高そうな衣装を常に身につけていたしこちらの筋にも顔が利くのだろう。
「イメルダさん、私たちのことはどうか――」
「心配しなくても関わらないよ、あたしは暇だから来ただけさ」
彼女は横暴というか容赦のない人物だが嘘は言わない。ロイドは頭を下げ、素直に感謝した。
そしてその隣のソファーに座っていたのは偽ブランド商の逮捕時にバスに乗っていた黒髪妙齢の女性である。女性は二人に驚いた顔をしたが、しかしすぐにそれを戻して言った。
「あなた達もここに来たのね」
「はい、その節はお世話になりました」
「いいわ、むしろ出しゃばってしまったくらいよ。それにしても……」
女性はそのつり目で二人を見やる。その探るような視線はしかし嫌な気持ちを抱かせなかった。
「潜入捜査、それもクロスベルの暗部である黒の競売会になんて、中々剛毅な選択をしたものね」
「……私たちの身分は内密にしていただけるのでしょうか?」
「ええ、その点は安心してちょうだい。味方だとは言わないけれど、ね」
そう纏めて、女性はキリカ・ロウランと名乗った。共和国の出身であり、今回は個人的な用事でクロスベルに、そして黒の競売会に参加している。
「キリカさんはどうしてここに?」
「市場調査よ、好事家の知り合いが多くてね」
そしてキリカは黒の競売会について語り始めた。
摘発されることのない上流階級御用達の裏の催し、それは各国が扱いの困る曰くつきの品物を自国でなく他国で処理できるという利点にこそ意味がある。
違法になりうる行為、その証拠品。それらがこの場ではなかったことにされてしまう。だからこそクロスベルの二大宗主国は黙認し、クロスベルの上層部も手を出すことはできない。ルバーチェも安定して多額の資金が得られる。参加者はミラさえあれば望みの品が手に入る。
どの立場の人間にとっても得にしかならないのだ。
「く……」
ロイドは歯噛みする。エリィも目を閉じて現況を嘆いた。
これは国家規模の力が介入している事案である。一課ですら手を出せないことは知っていたし、高い壁であることも理解していた。それでも見逃せずにここまで来て、しかし改めてその壁の高さに直面している。
招待状を手に入れ中に入り、それでうまくいけるんじゃないかという気持ちになっていた。しかしそれほど容易ならば既に誰かが行っているはずだ。自分が特別ではないと、一流ではないと知っていたはずなのに、予期せぬ幸運に現実の痛みを緩和されていただけだった。
「でも、不自然さは否めない」
「え?」
二人は同時に声を漏らし、キリカは微笑んだ。
「ここは完璧な仕組みで回っているけれど、畢竟異質なことは避けられない。異質で異様、そして異常だということは、あってはならない構造で賄われているということに他ならない。なら、あなた達の行動がジャックポットである可能性もある。でしょう?」
ただ、無駄になるかどうかは終わってからの話で、これからには未来がある。なら、自分たちにできることを、できる以上のことをすればいい。
元よりこの潜入は実力的にはできる以上のことなのだ。なら今も、できる以上のことをやってやればいいのだ。
「ありがとうございます。キリカさん」
「励みになりました」
「話しすぎたわね。色々なものを見てくるといいわ。それがきっと糧になる」
ハルトマンとマルコーニがやってきてそれぞれ挨拶を行った。すぐに二人は人だかりの中に消えていく。
ロイドは二人の姿を見るのは初めてであり、クロスベルの壁ともいえる二人を目に焼き付けた。
部屋を離れ休憩室に入るとそこにはワジがおり、椅子に座ってワインを楽しんでいる。
「お酒はダメでしょ」
「だからノンアルコールのカクテルだってば」
「嘘だろ」
エリィがグラスを取り上げ、ワジは不満もそこそこに肩を竦めた。
「無事に入ってこれたみたいだね」
「おかげさまでな」
「ワジ君、連れの方はいらっしゃらないの?」
「いるよ、そこに」
ワジが指差す場所、そこには修羅場が形成されていた。ワジがエスコートした女性とその伴侶、そして伴侶の浮気相手である。
「こ、これは……」
「ふふ、これぞってやつだよねぇ」
絶句するエリィにそれを楽しげに眺めるワジ、あろうことか誘惑の横槍すら入れている。もう何でもありだった。
「で、なんて名前で入ったの? まさか本名じゃないよね」
「ああ、レイって名乗ったよ」
「レイ? どっから引っ張ってきたの?」
ワジの些細な質問、しかしロイドには答えることはできない。なんとなく、というのが一番だが、何故かそれを言うのは憚られた。
ワジもそんな空気を読み取ったのか、いつのまにかエリィから取り返していたワインを口に含む。
「いつの間に……」
「いいじゃない、僕の飲酒なんて些細なことだよ。それにノンアルコールだし」
あくまでそう言い張るワジを置いて二人は移動を開始した。むしろあんな展開を見せる場所に留まっていられるのは凄い。
二階の客室に行っても意味はない、競売開始まであと少し、それはあの落ち着くのか落ち着かないのかわからない水の場所で潰すことにした。
「綺麗、なんだけど……やっぱりねぇ」
エリィも複雑な心境だ。市民の血税の結晶であるこの情景は確かに美しい。美しいがそれでも、ここはクロスベルの発展を阻害するハルトマン議長の邸宅である。素直は感想故にそれはとても複雑なものだった。
「――大豪邸の中佇む二人、って言葉の割にはいい雰囲気じゃないな、お二人さん」
「え」
後方から突如聞こえてきた言葉に二人は振り返る。そこには船の中で会った赤毛の青年が、まるでバカンスにでも来たかのような服装で立っていた。
七分丈のズボンなどパーティー会場で見るものではない。陽気さを際立たせるラフな薄紫の上下にエリィのそれと似たようなエメラルドのネックレス。極めつけは水色のサングラスである。
レクター・アランドールと名乗った青年は場の雰囲気を欠片も気にせずにいた。
「正装に着替えるくらいの配慮はあったんだな」
「いや、貴方が言う台詞じゃないですよね」
感心するように頷くレクターにロイドは苦笑する。
「貴方も何もそんな格好で来なくても……」
「いやいや、ハルトマンのおっさんは自宅のように寛いでいいって言ってたぞ。なら自宅のように気楽な服装で来るべきだ。な」
豪快に笑って二人の肩を叩く。だが急に目つきを変えて叫んだ。
「そして俺はっ、お前達よりもここを楽しむっ!」
背中から取り出したるは釣竿である。リベールの竹で作られたそれを肩に担ぎ辺りを見回すレクターは小橋に当たりをつけて振りかぶった。
「ちょ……っ!」
「うりゃ!」
呆気にとられる二人をよそにレクターは鼻歌交じりにヒットを待っている。まさか他人の敷地内で釣りをするなど思ってもみなかった。
「というよりそんな釣れるわけが――」
「お? お、おお、おおおおおおおおおおおおっ!」
ため息とともに吐き出したエリィの言葉を食うように声を上げたレクターはそのまま竿を引き上げた。糸の先には大振りな魚が捕まっている。
「嘘……」
「おいおいこりゃパールグラスだろー、いきなりの大物だぜぃ!」
「か、観賞用の金魚とかじゃないのか……」
ぴちぴちと跳ねる薄紅色の魚、1アージュはあるだろうか。釣れるとは思っていなかったのに、更に大物を釣り上げてしまうなんて言葉も出ない。
レクターは流石に持ち運べないと悟ったのか釣果を放した。当然である。
「こりゃ予想外の大物が釣れるかもなぁ、お互いに」
「え?」
突然の言葉にエリィが疑問符を浮かべる。ロイドは暫し彼の様子を眺め、ふと思いついて質問した。
「あなたも、何か狙っているんですか?」
「ほう、よく見抜いたな、お前」
一瞬にして様子を豹変させたレクター、その発する空気に二人も緊張を高めて眼前の男を見た。
暫しのにらみ合い、レクターは竿を肩に担ぎ背を向けた。
「俺には目的があるが、お前さんたちには関係ないことだ。でもま、せっかくだ。見抜いた褒美をやろう」
赤毛の青年が振り向く。そこには薄ら笑いが浮かんでいた。
「レクター・アランドールと俺は名乗ったが、実は偽名でな」
「……っ」
「俺の本当の名前は――――銀だ」
「…………」
「…………」
「………………ん? 驚かないのか? 伝説の凶手だぞ?」
目を細めて残念な人を見つめるような視線を向けてくる二人にレクターは不思議そうな顔をする。しかしそれも当然のことだった。
「あの……銀、ですか? “ギン”」
「おうよ、お前らとは一度やりあったな!」
「それは“イン”ですよ、レクターさん。共和国読みです」
沈黙が降りる。三人もいる中で言葉を発するものはおらずパーティーの喧騒すら聞こえない。
ただ水の流れる音だけが聞こえ――――そしてレクターは逃げ出した。その逃げ足だけは銀に迫っていた。
「なんというか、凄い人ね」
どう評価していいのかわからない、と表情で語るエリィ。
ミシュラム行きの船上でもそうだ。彼は自分が帝国宰相の代理で競売会に向かうと言ってきた。結局それは行きがけに読んだ小説をアレンジしただけという仕様もない落ちであったが、それまでの演技を見抜くことはできなかった。演者の才能はあるのかもしれない。
「よく見抜いた、とか言ってたけど、自分からヒント出したからなぁ」
お互いに、などと自分を指した言葉を言っているのだから完全に自滅か、もしくはここまでのやりとりを期待していたのか。
結局ロイドは口を開いたわけだが――
「――大物が釣れるという言葉は競売の品だとしても……どうして私たちが銀と戦ったことを知っていたの?」
「………………」
ふとエリィが零した疑問。ロイドは答えられず、ただ彼が去っていった先を見つめていた。
* * *
そろそろ競売会の開始時刻だ。ロイドとエリィは再び正面ホールへと向かう。
「……っ」
そして不運なことにロビーにて警備を指揮しているガルシアに遭遇する。ガルシアは二人に気づいていないようだが、しかし妙な気配を感じて部下に指示を出していた。その嗅覚が反応したのか次第に目を細めていく。ここで引くのはまずい、二人は覚悟してゆっくりと歩み寄った。
会話を重ねながら致命的な話題にいかぬようにうまく答えていく二人だが内心では冷や汗が滝のように流れている。ふとガルシアはロイドの持つ鞄に目をやった。二人の心臓が跳ね上がる。
そのままガルシアが鞄に手を伸ばしたところで、彼方から助け舟がやってきた。エリィの幼馴染であるマリアベル・クロイスである。
彼女は二人を知人だと紹介し休む為の部屋を所望した。ガルシアも上客の登場に場を治めて部下に案内させる。示された部屋に入り数秒したところで二人は長い息を吐いた。
「ふふ、まさかこんなところで会うなんて奇遇ですわねエリィ。それとあなたも」
目力強くロイドを睨むマリアベル。危機を救ってくれた彼女に今はロイドも返す言葉がない。
「……ベル、あなたもしかして常連なの?」
「まさか。私はミシュラムの責任者ですから毎年誘われていますけどいつもお断りしていたの。でも流石にずっととまではいきませんから仕方なく」
心配そうなエリィに顔がほころぶマリアベルは朗らかに答えた。
何でもそれとは別に競売会に彼女お気に入りのアンティークドールが出品されるそうである。なんとしても競り勝ち、然るべき手続きの後持ち主から譲り受けるそうだ。黒の競売会自体を肯定しているわけではない彼女らしく後腐れない処置である。
そのまま少しの会話を行い、三人で部屋を出る。マリアベルという後ろ盾のおかげか、何事もなく会場に入ることができた。
既に参加者は席を陣取っている。前のほうにはイメルダとキリカの姿がある。上を見上げると二階があり、そこではレクターが猫と戯れていた。
後方の列に座った三人はそのまま競売開始を待っていたが、そこにワジがやってくる。軽薄な空気は消えており、神妙な様子だった。
「見張りの犬が眠っている。心当たりはあるかい?」
「…………あるにはある。でも別な可能性のほうが高いな」
「行きましょう」
マリアベルに別れを告げ、二人はホールを出た。ワジもついてくるが気にする時間はない。
連続魔獣事件で使われた犬だろうが、それが無力化されているとしたらそれは侵入者に他ならない。三人はすぐに三階の競売品倉庫に向かった。見張りの男が倒れ伏している。扉に聞き耳を立て状況を軽く把握、突入した。
「銀……ッ!」
「やっぱり」
「へえ、これが噂の――」
赤いソファーが中央に配置される室内で、窓際で三人に囲まれている漆黒の銀がいる。しかしそれも一瞬、銀の腕が動いたと同時に男達は意識を刈り取られて落ちた。剣を収め、銀がこちらを見やる。
「なるほど、妙な気配がすると思えば貴様か、ワジ・ヘミスフィア」
「僕を知っているんだ。流石に共和国伝説の凶手は情報が早いね」
「銀、貴方の目的は何なの?」
エリィが問う。銀は暫し考え、そして背を向けた。窓からは月明かりが差している。
「……お前達でも十分だろう。私は帰らせてもらう」
「どういうこと?」
つい、と銀は左手を指した。そこには別の部屋に続く扉がある。
「黒月に届いた謎の情報によるとそこには爆弾があるそうだ。どんなものかは定かでないがな」
「爆弾……?」
訝る三人を置いて銀はそのまま窓を突き破り消えていく。相変わらずの身体能力だった。
「どうするの?」
ワジが問いかけ、ロイドは頷いた。
そこは様々な品物が無造作に置かれていた。競売の品の数々で種類は豊富、中には子どもでも知っている有名な作品すらある。三人はその異様な光景を眺めつつも、銀の言う爆弾に気を取られて感想を抱けなかった。
「爆弾、そのままの意味じゃないわよね」
「そりゃここで大爆発したらクロスベルは終わりだからね。まあそれが目的かもしれないけど」
あっけらかんと言ってのけるワジに辟易しつつ、やはり目に付くのは正面に置かれている大きなトランクである。これだけが他の品と違い丁寧に、周りに物もなく置かれていた。
「鍵は?」
「ピッキングで。一応二人は離れてくれ」
「ロイド、アースガード」
「わかってる」
エリィに促されロイドがエニグマを駆動、アースガードを詠唱する。これでよほどの威力でない限りは地の加護が守ってくれるはずだ。
針金で錠を開ける。数秒の試行錯誤の後カチリと音が鳴った。
「……いくぞ」
ロイドはゆっくりと両手を引き上げた。歪な金属音が響く中、中身が開け放たれる。
そして――
「え…………?」
――そこには、一人の少女が眠っていた。