空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
クロスベル市歓楽街にあるホテルの一室――ビップ御用達の高級な部屋である――で一人の男が眠っていた。豪快にいびきをかき、着崩したスーツはだらしない。
それもそのはず、大勝に気分が高揚し大酒を喰らい、そのまま寝入ってしまったからだ。当然それはベッドの上ではなく座り心地の良さそうなソファーである。
そんな一室の外では支援課の四人と男が呼んだコンパニオンの女性二人、簡単な事情聴取の最中だった。とはいえ重苦しいものではなく捜査とは到底思えないもので、故に女性もしぶしぶでなく尋ねに答えていた。
「……と、いうことですが?」
女性が立ち会った後でティオがぼやく。少女の瞳は他の三人に向けられていて、しかしその三人もその言葉に引き継ぐべきものが浮かばなかった。
月の僧院の捜査は無事ではないが終了し、一向はノエルの運転する導力車両で市内に戻っていた。ノエルの運転技術は疲れた身体に心地良く、与えられる振動についうとうとと舟を漕いでしまったほどだが、とはいえ陽が沈むのはあと二時間はあるだろう。怪我をアーツで回復した四人はノエルと別れて別な支援要請に取り掛かっていた。
差し当たって大事だったのがマインツ鉱山町のビクセン町長の依頼である。鉱員の一人が二週間戻らないので安全確認を行ってほしいというのだ。鉱員の名はガンツ、カジノで負け続ける男であり魔獣事件解決の夜に襲われかかった人物だ。
その腕前からカジノで大金をすって帰れないのではと思いカジノに向かってみると、驚いたことにガンツは大勝ちして今はホテルに泊まっているそうだ。そういうわけでホテルに向かった特務支援課は改めて本人に話を伺い、マインツに戻る気がないというガンツの態度に疑念を抱いたロイドによって近況の把握に走っているのである。
「そうは言っても、ねぇ……」
エリィもついと横目で男二人を見る。ロイドは思案顔で答えず、代わりにランディがカジノ、いやギャンブルに関して経験談を語った。
「一朝一夕でうまくはならねぇし、そもうまくいったとしても二週間で1000万ミラも稼げるなんて異常だぜ? ディーラーも百戦錬磨だ、ここぞの時には鬼引きが来るもんだが……」
どうやらそれも越えられちまったわけだな、と今回の事態の稀少さを肩を竦めながら言う。内心で俺もやってみたいと思っているが反応が予想できるので口にはしなかった。
「とりあえず町長に連絡をしよう、無事は確認できたことだし」
ロイドが話をつけるとビクセンは驚きながらも安堵し、しかし鉱員を辞めることに関しては明日直接赴いて話を聞くことにしたらしい。こればかりは口を挟めないので今回はこれで終了だろう。
ただ彼の魔獣事件後の態度と今の様子に違和感を覚えたのは確かだが、それは金の持つ魔力というもので説明できる。しかしロイドはどうにも釈然としなかった。しなかったが、それで答えが出るわけもない、足並みを揃えてホテルを辞した。
「ふふ、ごきげんよう、お姉さんたち」
そして、タイミングを計ったように天使がそこに現れた。
今日は陽射しが強く暖かかったからだろうか、普段の薄紫のドレスではなく薄手の白のワンピースの姿で現れたレン。当然フリルをふんだんに誂えた長袖だ。
そんな彼女はまるで全てがわかっているかのような笑みを浮かべている。
「こんにちは、レン。散歩か?」
「そうねぇ、散歩って言ってもいいけれど、でもお兄さんたちに会ったのは偶然じゃないわ。きちんと用があって来たんだもの」
そしてロイドは少女の視線が自分に向けられていないことに気づく。少女が注視する先にいるのはこちらも少女、ティオ・プラトーである。ティオも気づいたのか、不思議そうな様子で首を傾げた。
「レンさん、わたしに何か?」
「ええ、ちょっとお姉さんとお話したいことがあって来たのよ。内緒話だからお兄さんたちには聞かせてあげない」
立てた指を口元に悪戯っぽく話すレン、自然と笑みが零れるがその内緒話の内容はさておき方向性は尋ねておきたかった。
どうしても、レンという少女は特別にしか思えないことがある。
「レン、その話は今俺たちが捜査している事件と関わりがあると思うか?」
「お兄さんたちが今何の捜査をしているのかレンは知らないわ…………でもいつかは関わることになるでしょうね」
お兄さんなら特に、と意味深に告げ、レンはティオを連れてどこかへと消えて行く。残された三人は暫く少女が消えた先を見つめていたが次の行動を決めるために顔を見合わせた。
「ティオすけが行っちまったが、どうする? 戻ってくる時間もわかんねぇから後は三人か?」
「そうね、正直レンちゃんの話は気になるけど他に支援要請もある。今回はティオちゃん抜きで頑張りましょう」
「そうだな、あと残っているもので今日中にできそうなのは――」
「今日は厳しい戦闘があったからそこまで負担のかからないものにしてね」
エリィが条件付けをしロイドは捜査手帳を眺める。
書かれている依頼は三つ、東クロスベル街道の手配魔獣と中央広場のレストランの見習いシェフからの料理相談、そして龍老飯店に滞在している旅行客の探し人である。そのうち手配魔獣は条件から棄却、料理相談の内容は珍しい料理の紹介の上期間が長い。よって龍老飯店に向かうことにした。旅行客の滞在期間の都合もあるので妥当と言える。
三人は東通りに向かい、食欲をそそる店に足を踏み入れた。
* * *
彼らが依頼を終了させてビルに戻って来た頃にはティオは既に戻ってきていた。キーアに話を伺うと、どうやら自室にこもっているらしい。
夕飯の支度は既に終わらせているそうなのでキーアに呼びに行ってもらい遅めの夕食を取った。ティオは考え事をしていたのか、会話の流れに乗り切れておらず反応が遅れていた。
それがレンとの会話によるものだと三人は気づいていたが、だからといって少女が伏せた話の内容を安易に聞くことはできなかった。
そして翌日、一通の通信が事態を加速させる。
それはキーアとロイドが共同で朝食を作り、全員がそれに舌鼓を打とうとした時だった。セルゲイは早朝にビルを出て警察本部に向かってしまったため五人と一匹が会していたが、不意にロイドのエニグマが鳴る。それは引きこもりのヨナからの緊急のものだった。
「ヨナ、珍しいな」
「そんなこと言ってるってことはアンタら知らないんだな? 警察はてんやわんやなのに暢気だな」
「……どういうことだ」
「――昨日の深夜、黒月が襲撃された」
「な!?」
予期せぬ展開に思わず大声が出る。顔を顰める様子が見て取れるような呻き声を聞きながらロイドは他の三人に目配せした。三人も彼の反応で何事か感じ取ったらしい。ただキーアもいるので悪戯に反応はしなかった。
「どういうことだ?」
「どういうことも何も、ボクが知ってるのはそういう事実があったってことだけだよ。事件の捜査は一課がやってるみたいだし、まぁルバーチェ辺りがやらかしたんだと思うけど」
「…………わかった。ありがとう、ヨナ」
「へっ、今度なんか奢れよな!」
通信を切る。四人の視線に晒される中ロイドは事件の発生を告げ、次いでキーアに朝食を残すことを詫びた。
逆にキーアから励ましを貰った四人はツァイトにキーアのことを頼み、すぐさま港湾区へと向かう。一応端末を覗いたが、そこまで手が回っていないのか支援要請に変化はなかった。
「まさかルバーチェがここまで極端な手を打ってくるなんて……」
エリィが眉間にしわを寄せて言う。それは黒月襲撃事件を知った四人が四人とも思ったことだった。
「被害はどの程度なんでしょうか」
「さぁな。ただ黒月も共和国の一級の組織だ、奇襲だとしてもそこまでの人的被害はないだろう」
「ツァオが何の保険も用意していないとは思えないし、逆にこれを利用してルバーチェを潰せると踏んで過剰な抵抗をしなかったかもしれない。どちらにしてもツァオは無事なはずだ」
「――銀は、応戦したのかしら……」
「……わからない」
銀の存在の有無は戦況に著しい変化を齎す。未だ現場にも辿り着けていない段階ではそれすらもわからなかった。
全損は免れた、と言えばいいのだろうか。
建造物としての形を保っている黒月貿易公司クロスベル支社はしかし確かな騒乱の跡もまた残している。窓ガラスは割れ、扉も破壊痕が荒々しく刻まれていた。既に侵入規制もなされており警官が入り口を固めている。
その警官はロイドの警察学校時代の旧友であるフランツだったので特別に入ることを認めさせ、四人は中に入っていった。赤い壁面に無数の弾痕と刀傷があり、観葉植物は半ばから折られていた。支社長室のある三階までがその惨状、つまりはルバーチェの侵攻はここまで押し寄せてきたということである。
その支社長室に目をやると明かりが漏れており、僅かに会話が聞こえてくる。取調べの最中なのだろう。ロイドは一つ息を吐き、ノック。そのまま返事を待たずに扉を開けた。
「お、お前ら……」
「おや、みなさんでしたか」
捜査一課のアレックス・ダドリーとツァオ、そして側近のラウがそこにいた。ダドリーは突然の乱入者に絶句し、ツァオはまるで来ると知っていたかのように平静を保っていた。
「ダドリー捜査官、すみませんが自分たちもツァオさんにお聞きしたいことがあります。許可をいただけますか?」
「何を馬鹿なことをッ、いいからさっさとここから――」
「――ええ、皆さんにでしたら喜んでお答えしましょう」
ダドリーが烈火の如く退室を命じようとして、それを遮るようにツァオが笑みを浮かべて口を開く。その言葉に思わずツァオを見たダドリーは暫くツァオとにらみ合い、やがて感情をかみ殺すように踵を返した。
「――この場は任せる。後で報告しろ」
「ありがとうございます」
ロイドとすれ違い様に言葉を交わしダドリーは消えていく。
おそらくツァオから大した成果を得られなかったのだろう。ならばとツァオが望むように自分は消え、後を気に入らない集団に任せる。自身の感情よりも捜査の進行を考えた行動だった。それができるからこそ、彼は捜査一課のエースとして信頼されているのだろう。
尤も、自分の実力不足で他者に頼ることになったと彼は自戒するだろうが。
「ふふ、お久しぶりですね。本日はどのようなご用件で?」
ツァオはいつものように机に両肘を宛がい微笑んでいる。隣に控えるラウも屹立した状態で微動だにしない。その変わらない姿に改めて難敵だと理解した。
「先ずは、昨夜未明に起こった事件についてです。ルバーチェに侵攻されたとのことですが……」
「ルバーチェだとは言っていないんですけどね、まぁそのとおりですよ」
隠しても仕方ない、というように肩を竦める。
「ここに来るまで至るところにその痕がありました。ですがここには何もない…………結論から聞きますが、撃退したのですね?」
「もちろんです。我々としても過剰な行為をせずに潜り抜けるというのは何とも難しいものでした、とだけ伝えておきましょう」
あくまで必要な対処しかしていない、とツァオは言う。それがどの程度だったかはルバーチェ側の損害を見なければわからないが、しかし先に打って出たのがルバーチェである以上彼らから被害状況を聞くことは叶わないだろう。
ツァオは涼しげに言ってのけたが、彼の言う過剰な行為とそうでない行為の境界線を知ることはできない。だが黒月には、ツァオにはこの部屋を無傷で切り抜けるほどの力があることだけはわかった。この綺麗過ぎる部屋にはルバーチェは入り込めなかったのだ。
「ああ、そうでした。これは皆さんにサービスとしてお教えしましょう」
不意にツァオが口を開く。思い出したような口ぶりだったが、おそらく始めからそうするつもりだったのだろう。
「彼ら――ルバーチェの構成員の力が上がっているようですよ。それも不自然なほどに」
「え?」
ツァオが視線で指示し、ラウが一歩出る。
「我々黒月の構成員は皆独自の東方武術に秀でています、肉体の戦闘力だけならルバーチェを一蹴するほどに。しかし今回我々は彼らに一歩及ばなかった。それは武器の使用という点だけの問題ではなく、純粋な身体能力でも肉薄されていたからです」
襲撃に現れたのはルバーチェの木っ端の構成員、ガルシアも来なかったらしい。
しかしその構成員の力が図抜けていた。両手で運用するはずの重機関銃を片手で振り回していたという。肉体的な変化は特に見られなかった、しかしその膂力は別人と言っていいほどだったのである。
「…………」
「ただ、関連性があるかは知りませんが統率は為されていなかったようですね。まるで物語にいる狂戦士のようでした」
「……狂戦士、ね」
ツァオの言葉にランディはぼやき、沈黙するロイドの肩を叩く。
それによって思考の海から抜け出したロイドは最後に今後のことを尋ねる。その答えは予想していたよりも危険なものだった。
黒月を出る。ゆっくりと歩を進めて距離を空けたところで向かい合い得られた情報の確認、検討を行う。それが本来進めるべき手順だ。
当然支援課はそれを行おうとし、しかしそれは再びの通信に阻まれる。通信はフランからで、その内容は緊急性の高いものだった。
「ビクセン町長!」
「おお、待っておったよ!」
昨日に引き続きのホテルのビップルーム、そこで支援課はビクセン町長と再会した。彼が市に来たのは偏にガンツの心配をしたためであるが、どうやらそれは杞憂とならなかったようだ。
「それで、ガンツさんは……」
「この通り、眠っておる」
この部屋の主であるガンツは高級感溢れるベッドに横たわり意識を失っている。
支援課が呼ばれた理由、それは正に彼による騒動のためだった。今日もカジノでギャンブルに明け暮れていたガンツだが、一人の青年との勝負を契機として興奮し、ついには暴れだしてしまったそうだ。
支配人が急いで遊撃士に連絡を取ろうとしたところを居合わせていたビクセンが支援課を要望、警察本部に変更してフランが彼らに伝えるという結果になった。急いで歓楽街に向かった支援課だが、その時には既に騒ぎは鎮圧されており、いたのは憔悴しきったビクセンと支配人、それと気絶したガンツに疲れ果てた巡回中の警官だった。
ロイドらは警官から仕事を引き継ぎランディと協力してガンツをホテルへと運んだ。幸いけが人はなく、ガンツにしても業務妨害の責任が生じるだけだったのは幸いか。当の本人は暴れている途中で糸が切れたように倒れてしまったそうだが。
「興奮して頭に血が昇って目が回っちまったのか」
ランディがガンツの顔色を見ながら呟く。しかし彼の顔色はむしろ血色がなく、呟いた本人も納得していないようだ。持病もないそうで、鉱員として当たり前の健康状態だったらしい。
「そうなるとアルコール中毒か、もしくは急病か。エリィ、病院の手配は?」
「一応連絡はしたわ、でもどこまで緊急かわからないからまだ様子を見ておくようにとのことよ。このまま意識が戻らないなら改めて導力車の要請を出すわ」
「ティオ、何か変な反応はないか?」
「…………その」
ティオが口ごもる。全員の視線を受けた少女は少しの間の後に口を開いた。
「微量ですが、何かが違う気配があります…………まるで星見の塔や月の僧院のような――」
「上位属性の気配ってことか?」
「かもしれません。ですが本当に小さくて断定できないので……」
「…………」
ロイドはガンツの身体チェックを始めた。服の上から手を滑らせ所持品を調べる。財布に宝石などいかにも成金というようなものが出てきたが、懐に入っていた袋を見つけた途端空気が凍りついた。
「――ッ!?」
「それは……!」
縁取りのある縦に長い六角形は一粒が爪ほどの大きさ、それは四つの碧い錠剤だった。
「……町長、持病はないんでしたよね」
「そ、そのとおりじゃが、いやしかし、それは……っ」
ビクセンは必死に言葉を探そうとしたが出てこず、膝を折って空の女神に祈った。彼でなくとも、今回の騒動の後に得体の知れない錠剤が見つかれば予想できてしまうだろう。
支援課の四人は一様に顔を顰め、覚悟するようにエリィは呟いた。
「薬物中毒……」
その言葉は少女の胸のうちにある出来事を想起させ、少女の瞳を強制的に閉じさせた。
「ちょうどいい時に来たな、お前ら」
ガンツから回収した碧い錠剤を持って戻ってきたロイドらはセルゲイに言われて執務室へと移る。そこには弁護士のイアンが数枚の資料を持って立っていた。
イアンは目を細めて彼らを眺め、所定位置に戻ったセルゲイに対して視線を向かわせた後に口を開いた。
「今日ここに来たのはセルゲイ警部に頼まれた資料を持ってきたからなんだが、なにやら君達も別な用件を抱えていそうだね」
「わかりますか?」
残念なことに経験豊富だからね、とイアンは頷き手元の資料をセルゲイによこした。それに目を通すセルゲイに説明するように太く声を響かせる。
「――八年前大陸で起こった連続誘拐事件、その被害者の中にキーアと呼ばれる少女がいないかどうかという話だったが、集めた情報の中にはいなかった」
それが幸福なことなのかどうか、いや、幸福なのだろう。イアンはそう言って口を閉ざす。
突然の報告にロイドは目を丸くし唖然とした。エリィもランディも同様に反応し、ただティオだけがじっと目を閉じていた。
連続誘拐事件、それは当初誘拐ではなく失踪という言葉が使われていた。それは余りにも範囲が広く、もし誘拐ならば犯人が同一人物だとはとても思えなかったからだ。
主に共和国方面で起きたこの事件は次第に大陸全土に及んだ。そこで事態を重く見た各国諸組織は共同戦線を張り、高名な遊撃士の指揮の下その誘拐組織を特定、殲滅した。そう、これはレンが連れ去られた連続放火事件でもある。
誘拐されたという可能性からその事件を思い起こしたセルゲイがイアンに調査を頼んだわけだが、今回は空振りに終わったようである。
尤も、イアンの言うようにそれが幸福であるのは確かなことでむしろ喜ぶべきものなのかもしれないが、少女の情報が得られなかったという現実は変えようがなかった。
「それで、お前達は何かあったか? 黒月にも顔を出したんだろう?」
セルゲイが話の時間軸を今日に戻す。ロイドは黒月襲撃に関する情報と同時、ガンツから回収した謎の薬物についても言及した。流石にセルゲイも面を食らったのか煙草を灰皿に押し付け組んだ手に顎を任せる。そのまま言葉を慎重に選びながら話し出す。
「クロスベルでは薬物事件なぞ起きない。それは齎す影響が大陸全土に及びかねないからだ」
仮に違法薬物がある地方で撒かれた場合、その近隣諸国は厳戒態勢を取るだろう。巨大な大陸に身を寄せ合っている以上それはその地方のみの話ではなく次第に範囲を広げる可能性が非常に高い。
そのため薬物事件に関しては各国間の関係を除外して事件の終結に尽力する。共和国や帝国もそれを理解しているからこそこの関連の事件には目を光らせ事前の鎮圧に努めている。だからこそクロスベルでは、いやゼムリア大陸では薬物事件など起こらない。
「だがしかし、現物がある以上そうも言ってられんな。とりあえずは成分調査からだが」
違法薬物でなければそれで終わる話である。この件はウルスラのヨアヒム医師に頼むことを決めた。
「ふむ、少しいいかな」
イアンが言葉を挟む。彼の元にも似たような案件が寄せられたらしく、とある証券マンと貿易会社の経営者の話だったが、この二人にもガンツに似た要素が見られているとのことだ。それを聞いたセルゲイは再び煙草を取り出し紫煙を吐き出す。
「早期ならと思うが、最悪の場合既に流布されているかもしれん。先生には再度その二人の調査をお願いしたい」
「わかっています。これはクロスベルにとって由々しき事態かもしれませんから」
深刻な雰囲気になった一室に、不意に穏やかな声が聞こえてきた。キーアの声である。どうやら来客らしく、その人物は一言述べてから執務室に入ってきた。
「セルゲイさん、お話が――――イアン先生」
「おお、ダドリー君」
「お前、ちょうどいいところに来たな」
ダドリーはイアンの存在に驚いた声を上げたがロイドらの姿を確認すると眼鏡を押し上げ唸り、気を取り直したのか普段の彼に戻った。イアンは自分がここにいてよいものか尋ねたが、ダドリーも信を置いているのか問わなかった。
「それで、何の用で来たんだ?」
「はい。実はクロスベルで違法薬物が流れているようなのです」
捜査一課は違法薬物の噂を耳に入れたことで捜査を開始したが、本日付で上層部から中止を命じられたのだという。願いが叶う薬、という何とも胡散臭いフレーズの噂だったが、そんな噂が立つこと事態が異常なのだ。
ダドリーは中止を決定した上層部に疑念を抱き、上からの圧力を柳に風とばかりに受け流すセルゲイを訪ねてきたのだという。
「……前から思っていたが、やはりお前は一流の捜査官のようだな」
「い、いきなり何です?」
「いや、運というかそういうものを持っているのも一流の条件だと改めて思い知らされただけだ」
突然の褒め言葉にダドリーは困惑するがセルゲイは自己完結して話を切り、顎で促してロイドに錠剤を取り出させる。
「これはッ……!」
「今日回収した品です。本人の名誉は守ると約束したので詳細は言えませんが」
「仮にこれがその願いが叶う薬だとして、上層部が中止を言ってきたとなると出所は考えるまでもないな」
歯を食いしばる音が聞こえる。それは紛れもなく、クロスベルを代表する捜査一課の一員から発せられていた。ただそれだけで、ロイドはダドリーを信じられる思いがした。
「――捜査一課は動けない。ならこの件は特務支援課が動くぞ」
「セルゲイさんッ、こいつら新米にこんな重大事件を――!」
「無意味な反論をするな、お前だってそれをわかって来たんだろうが」
「く……!」
セルゲイの言葉にダドリーは口ごもる。彼がここに来た理由を考えればセルゲイの言葉は当然のもの、しかし彼自身口惜しくないはずもなく、わかっていても反論が出てしまったのだろう。それは今までクロスベルを守ってきた自負から生まれたものだった。
「まぁ不安がるのもわかるがな、こいつらは偶然とはいえ今まで手出しできなかった黒の競売会も壊したんだ。その運に免じて、もう一度チャンスをくれてやってもいいんじゃないか?」
「…………」
ダドリーは目を閉じなんとか平常心を取り戻そうとしている。冷静に、客観的に状況を鑑みれば正しいことがわかるのだ。ただそれを邪魔する自身のプライドを抑えることに必死だった。
本日二度目のプライドを殺した決断、それは彼にとっての転機にもなることだった。