空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
「――つまり、クロスベルは今瀬戸際だということだね」
両手を組み、それに顎を預けたディーター・クロイスはそうして眼前にいる四人の若者を見据えた。
彼の瞳に映る四人は一様に固い表情を崩さない。そんな緊迫に包まれている彼らをリラックスさせようと、敢えて余裕を振りまきながら笑う。
「まぁでもIBCの玄関はよほどの攻撃でもない限り破られることはないよ。今は安心して休んでいてくれたまえ。エリィ、何ならシャワーを浴びてきてもいいんだよ?」
「お気遣いありがとうございます、おじ様。ですがそうも言っていられませんから」
そんなディーターの心情を察してか、いくらか表情を緩めたエリィはそう言って断る。肩を竦めたディーターは少しだけ真面目な表情で最後に声を発した。
「わかっていると思うが、この先どうであれもうこんな安全な場所はないと思って間違いないはずだ。難しいとは思うが、その安息を察することも必要な技能。持って一時間かそこらだろう、その時まで心身を労わることだ」
ティオ、ランディが迫り来る導力車に気づくとともに、その運転手も彼らに気がついた。それは高級な導力車の中でも特に高価な赤いリムジン。IBC総裁ディーター・クロイスの移動手段である。
彼らはクロスベルの異常に気づき向かっていたところだった。IBCの頑強さは想像がつく上にエプスタインの支部もある、避難場所としてこれ以上のものはなかった。
すぐに彼らを乗せたリムジンは加速しロイド・エリィを発見、収容の後IBCに辿り着く。ガラスの要塞は警備隊の侵攻を確かに防いでいた。
「キーアちゃんとシズクちゃんはもう眠ったわ」
エリィがマリアベルの私室から出てきて告げる。現在マリアベルは少女たちに付き添っている、荒事に向いていない彼女ができるのはこれぐらいだった。
「もう遅い時刻ですからね、無理もありません」
「ああ、よく頑張ったと思うぜ」
IBCビル十六階、見晴らしのいい展望スペースで特務支援課の四人は今後について話し合っていた。
現在市内は警備隊により封鎖されている。市外に散らばっていた遊撃士ももう少しで戻ってくることだろう。導力ネットワークの範囲外であるため連絡が取れないが、はっきり言ってクロスベルの遊撃士の質は警備隊のそれを凌駕している。少人数とはいえ戻ってきさえすれば鎮圧は可能だろう。
他力本願だが、その時まで彼らは耐え凌げばいい。
エプスタインにあった機材によってエニグマのエネルギーも回復できた。ところどころ破損した武器に関しても専門の人材が残ってくれていたことで解決している。後は来るべき時までに心と身体を整えるだけだ。
「IBCの支援が得られるのは願ってもないことですね。ディーターさんは今まで楽観視していた罪滅ぼしだと言っていますが……」
ディーター・クロイスはIBC総裁という発言力を持つ立場にいながらクロスベル市の自力を信じて政治への不干渉を決めていた。それこそが今回の騒動を招いたと自戒している。
ロイドらにしてみれば見当違いの悔恨だが、それもこれも彼の信じる正義やクロスベルへの思いによるものであり、それを感じられて嬉しい発言でもあった。
「ディーターさんみたいな人がいるならこの事件を解決した後のクロスベルにも希望が持てるよ。今の腐敗した上層部の失脚も、教団との関わりを証明できれば簡単だからな」
「ま、それもこれも全てはこれから次第ってことだが」
ランディは呟き、改めて現在の立ち位置を確認する。
教団の目的であるキーアの身柄は死守しているが、彼らを囲むクロスベル市は現在ヨアヒムによって操られた警備隊員によって封鎖されている。導力ネットも制圧したのか通信もかけられない状況だ。
彼らにできることはキーアの死守のみ。市内の奪還に関しては外に出ている遊撃士が戻ってくることで完了できるだろう。
つまりは時間との勝負、IBCの強固な壁がどこまで時間を稼げるのかということが焦点となる。
「っかしヨアヒムの野郎はどうしてそんなにキー坊にこだわるんだ」
「レンちゃんも、守りきれないなら世界が終わるって言っていたけれど……キーアちゃんには私たちの知らない何かがあるのかしら」
「キーアの能力が目的かもしれませんが、世界から情報を得るという力がどう世界の終わりに繋がるんでしょう?」
「……でもレンの言葉に嘘はなかった。これだけの人間を操れるヨアヒム先生がここまで固執する。そのことからもわかるし、何よりキーアを危険な目に遇わせるわけにはいかない」
ヨアヒムの行動とレンの発言を踏まえれば、この事件におけるキーアの存在がいかに重要かがわかる。
それこそレンの言うとおり、世界が終わってしまっても不思議ではないくらいに。
「それにしてもいくらグノーシスがすごくても、ここまで大規模に人間を操れるものなのかしら……」
エリィにはそんな効力を発揮するグノーシス自体が信じられない。大多数を広範囲に渡って意のままに操るなど、それこそ女神に匹敵する行為のはずだ。そんな力のアンカーとなるグノーシス、その成分はいったい何なのだろうか。
「そういえば、わたしたちも栄養剤を飲みかけましたね」
ティオが思い出したように口にするそれは今まで彼らが忘れていたことだ。ランディがヨアヒムから頂戴した栄養剤は、あの時訪れた女性により体内への進入を防がれている。
「ロイド、あのお姉さんのこと何か覚えていないのか?」
「……正直、俺が言ったっていう名前すら覚えがないんだけど」
「不思議ね、どうしてなのかしら」
考え込む四人の中で、当の本人であるロイドはしかし、身体が示した反応を言うことはなかった。
いくら身体が知っていると叫んでも、そんな記憶のない彼にとっては勘違いや錯覚に過ぎないのだ。しかしそれでも、あの白の女性に対しては特別な感情を抱かずにはいられなかった。
ふと、胸元にある白い石を握り締める。冷たいそれは今までと変わらず存在している。
その冷たさが、どうしてか件の女性をイメージさせた。
「み、皆さん!」
その時、エレベーターから警備員の一人が飛び出してきた。慌てているのか息は乱れ冷や汗も流している。
その顔に緊急を見た四人は事情を聴く。警備員の言葉、それはIBCビル正面に設置された爆弾についてだった。
無機質な瞳で淡々と円筒状のそれを設置する二人の警備隊員。彼らに示された目的は設置だけなのか、二人いるが周囲に気を配っている様子はない。
だからこそ二人は、突如開かれた扉から奇襲をかけるロイドとランディにあっけなく吹き飛ばされた。
「早く解体を!」
ロイドが叫び、その間に警備員が爆弾を中へと取り込んでいく。特務支援課はそうしてIBCビルの前に陣取り爆弾の回収を完遂させた。
「よし、俺たちも――」
「いやダメだ! 来るぞ!」
次いで避難しようとした彼らを阻むように弾かれた二人が、そして増援の三人目が襲い掛かってくる。現況キーアはいない、故に彼らも流れ弾の心配をすることなくライフルを構えた。
「気絶は難しいっ、武器及び下半身を破壊するぞ!」
本来味方である警備隊員を攻撃するのは心苦しいが、それでも守りたいもののために、そして守ろうとしているものを彼らに壊させないために――
午前零時、市内最後の攻防戦が始まった。
IBCはその巨大さ故に正面通路も広い。そのため市外と同様に戦闘が行えた。ロイド・ランディの両名はハルバードを相手取り、エリィとティオがライフルを制圧する。
漠然とした命令によるリスクか、彼らは集団でいながら連携を取ることをしない。それは病院でのルバーチェと同様の弱点だ、ならばそこを連携によって突かせてもらう。
「ランディ!」
ロイドが鍔競り合っていたハルバードから後方に退きランディにスイッチ、体勢を崩した相手を彼が迎撃する。退いたロイドはランディが相手していた隊員に迫り、ハルバードとトンファーがかち合う瞬間エニグマを起動、アクセルラッシュで痺れる腕のまま吹き飛ばす。
吹き飛ばした先にはライフルを持った隊員、仲間意識のない彼はそのまま向かってくる仲間をライフルで弾き、その瞬間をエリィに撃ち抜かれる。
精密機械であるはずのライフルで殴打するあたり本来の力を引き出せていない。やはり人間は思考こそが最大の武器、それを失った彼らは魔獣と同じかそれ以下であった。
しかしそれは物量にも言える事。武器を破壊し足を砕いても、戦闘不能にした人数と同じかそれ以上の警備隊員が押し寄せてくる。完全に狙いを定めたのか、おそらくは市内に広がっていた全ての人員を投入しているのだろう。
「退いて! ティオちゃん!」
「ダークマター!」
エリィの声にロイドとランディが跳躍、その瞬間にティオがアーツを放つ。
七耀の力でも気絶は難しい、ならば行動制限効果のあるアーツを使う。ダークマターによって拘束された警備隊員を視界から外さず、その間エネルギーの回復に努める。
既に持久戦、交代要員のいない彼らにはそんな僅かな休息しか与えられていなかった。
「はぁ、ふぅ……」
「大丈夫か、ティオ」
肩で息するティオに労りの声をかけつつ、そのティオが返答する瞬間にはロイドとランディは駆けている。アーツの終了とともに突貫した二人は得物を正確に膝へと叩き込んで無力化する。
しかし相手は警備隊員、膝を砕かれようともエニグマがある限りアーツは可能だ。故にエリィは彼らが手にしたエニグマ目掛けて引き金を引く。全損はできずともその機構を狂わせることはできる。そうして僅かな戦闘能力も残さずに戦い続けるしかなかった。
沈黙する隊員によって行動範囲が狭められる。もし足を掴まれれば致命的な隙を見せてしまうために倒れ臥した彼らを避けながら縦横無尽に駆け巡り、そのたびに心と身体を削っていく。
いくら戦っても先が見えない戦い、四人を支えているのはただ守りたいという意志だけだった。
果たして、未だ息のある隊員が地を埋め尽くす中、残った体力が尽きかけている四人は膝を折りながらそれでも前を見ていた。
無傷とはいかないものの、重傷と言える者はいない。それは隊員の錬度ではなく、彼らを操るヨアヒム・ギュンターの意志のためでもあった。
その視界の中、
「――ふむ、予想以上に頑張るね。なら趣向を変えよう」
」
「ミレイユ……」
「ミレイユさんまで……!」
彼らの知己と言える金色の女性が現れた。
「話しているのは、ヨアヒム先生ですか……ッ!」
眼前に立つミレイユの瞳にはやはり意志はない。茫洋とした瞳で佇む彼女の姿に怒りが湧き上がってくる。
はっきり言って今までの相手はそこまで面識のない相手、罪悪感はあるもののその使命感が上回っていた。しかし彼女は違う、ランディの元同僚にして他の三人も好意を抱いている存在だ。その人となりも、その意志も、尊敬に値する人物だった。
その彼女が今敵としてここにいる。その衝撃は思った以上にあり、それは等しく激情に変換された。
そんな四人を遠方から見て口を歪めるヨアヒム・ギュンターは最早医者ではない、間違いなくD∴G教団の幹部司祭だ。
ヨアヒムはミレイユの口を通して言葉を告げる。そんな異常すら可能だった。
そして彼が今するべきことは一つ――
「さて、操られた警備隊を律儀に殺さないでいるキミ達に要求しよう」
ヨアヒムはミレイユにナイフを持たせ――
「彼女を死なせたくなければキーア様を――我らが御子を渡すのだ」
――彼女の首に宛がった。
「てめぇ……ッ!」
「くそ……」
「この、外道……ッ」
「最低です……」
微動だにしない彼女の手は切っ先を皮膚に刺したまま動かない。その白い肌に鮮血が流れた。
歯を食いしばってミレイユ越しにヨアヒムを見る。そんな恨みの篭もった視線もヨアヒムには痛痒すらもたらさない。
「さぁ、どうするんだい? 早くしないとこの娘は死ぬよ?」
「…………」
手を出すことも不可能なこの状況に三人は沈黙する。しかしそんな中ランディだけは自分自身でも驚くほどに思考が回転していた。
キーアを守りきれないことは世界の終わりを意味する。それはレンも言っていたことであり、何よりキーア自身もそれを連想させるようなことを言っていた。
今日という日が終わる時、キーアとともにいること。それが少女との約束だ。思えばあの時点で、少女は自身の重要性を理解していたのかもしれない。
頭を過ぎるキーアの顔、そして眼前で命の危機に晒されているミレイユ。
思えば彼女には迷惑しかかけなかった。能力はあっても怠け者で適当な自分に対して彼女が焼いた世話は数え切れない。
流れ者の自分にとってその世話焼きがどれだけありがたかったのか、こんな状況になってそれを今まで以上に感謝できる。
その正義感、その優しさ。ランディ・オルランドを構成する要素に欠かせないものだった。
ただ自分が守りたいもののために頑張れる彼女の姿が眩しかった。
決して得られない輝きを、自分が曇らせてはいけないと思っていた。
故に、彼女を止めるのは自分しかいない。彼女が自分のせいでクロスベルを危険に晒してしまったと、そう考えさせたくはない。
そんな残酷なことを、ランディ・オルランドは許容できない。
「…………」
この現状を打破する方法は三つ。キーアを差し出すか、ミレイユを救出するか。
そして――
「――ヨアヒム、キー坊連れてどうする気だ」
「ランディ?」
「はっ、決まっているだろう。キーア様には空の女神に代わり新の神になっていただくのさ。いや、既になっていると言うべきかッ!」
妄言に過ぎる。しかし彼にとっては真理であり、それを理解できるからこそ行動に躊躇がないことが確信できる。
他の三人が呆然とする中ランディは続けた。
「ここでキー坊を渡しても、操られた奴らが解放されるわけじゃねぇ」
「ふむ、ならば約束しよう。ことが済んだら全員解放する。それでいいだろう?」
「あぁ、十分だ…………」
「ランディ……」
「く……」
エリィが苦悶の声を吐き、ティオが辛そうに目を閉じた。
彼のやりとりは少女の受け渡しに応じたように聞こえる。それに反論しようにも、今目の前で散ろうとしている命の前では否定する気力も起きなかった。
それでもロイドだけは、未だ挽回の機を諦めてはいない。
まずはランディの決断を撤回、もしくは躊躇わせなければ。
そう思った彼が口を開こうとし――
「――ロイド、お嬢、ティオすけ」
突然の呼びかけは淋しそうな、全てを諦めたような表情で――
「わりぃ、俺支援課抜けるわ」
「え?」
「ランディ?」
「ランディさん……?」
「あと――」
そんな表情のまま彼はハルバードを振りかぶり――
「――すまねぇ、ミレイユ」
失ってはならないモノを手にかけた。
「あ――――」
刹那聞こえた声は彼女本来のもの。呆然と目を見開き、身体を包んだ喪失感を抱きながらミレイユは崩れ落ちる。
彼女が最期に見たのは、自嘲を隠し切れず、しかし血が出るほどに唇をかみ締めた元同僚の姿だった。
「……くくく、ははははははははぁ! そうくるか! なるほどいいだろうッ! 覚悟するといいッ!」
「……腹はくくったさ」
ミレイユの心臓が停止したためにヨアヒムの声は別の隊員から漏れる。しかし彼も脅迫は不可能と見たのかそれきり言葉を発さず、新たに現れた隊員の操作に尽力するつもりのようだ。
血に塗れたハルバードを肩に担ぐと、まだ温かい血液が肩にゆっくりと滲んでいく。
刃に頬を寄せ、その温かみを味わった彼は迫り来る隊員に鬼の形相で以って応えた。
「――お前達はもう戦うな。ここからは俺の領域、紛うことなき戦場だ」
所詮、血塗られた道か――
仲間に背を向けたまま告げる。オレンジ色のコートは汚れと血で彩られ、まるで消えない傷のよう。
「じゃあな」
「ランディッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおあああああああああああああッ!!!!」
戦場への誓い。全身をかつての自分に引き戻した青年は、まるで重力に引かれるように疾走を開始した。
それを妨げようとする数多の人間を襲いながら――――
「――ッ! リカバーモードッ!」
呆然とした三人の停滞を打ち崩すように叫び声が上がる。ロイドが振り返った先には魔導杖を変形させたティオとエニグマを手に詠唱するエリィ。
「ティオ、エリィ……」
「何してるのロイドッ! ランディを追って!」
「わたしたちがミレイユさんを死なせません! だからランディさんを止めてくださいッ!」
鬼気迫る表情で怒鳴る二人に無理やり足を動かされる。自失していた彼はそんな自分を叱咤するように頬を張り、凛とした表情で以って応えた。
「――ッ! わかった、頼む!!」
走り出す先は闇が手招く戦場。それが持つ独特の空気を感じる余裕もなく、ロイド・バニングスは特務支援課のリーダーとして疾駆した。
* * *
IBCビル攻防戦、当の本人である特務支援課の四人と警備隊員、そして彼らを操るヨアヒム・ギュンター。そんな彼らのほかに、この戦いを俯瞰していた者たちがいた。
「頑張ってよロイド君たち。無事に終わったら特集を組んであげるから――レインズ君っ、しっかり撮ってよね!」
「は、はいっ!」
一組はクロスベルタイムズの記者グレイス・リンとその助手レインズ。IBCが港湾区の近くということもあってか、そこに居を構える本社ビルの屋上から事態の推移を見守っていた。
「ふむ、正念場ですね。彼らには頑張っていただかないと」
「……助太刀はしなくてよいのですか?」
「必要ありません、これは我々の戦いではないのですよ」
もう一組は黒月貿易公司のツァオ・リーとその側近ラウ。半壊した支社からそれを眺め、先の未来を思い浮かべる。
ここで彼らが負けようともクロスベルは負けない。ツァオはそう思っていたし、同時に彼らが負ける未来も想像していなかった。
自身の目利きは正しいと、ツァオには絶対の自信がある。その自分が注目した彼らはここで終わる存在ではない、ここで終わる運命ではないと。
彼は自分自身を何より信じてそう思っていた。
そして――――
「うーん、旗色悪いねぇ。もうちっと気合入れろ、若人」
港湾区に植えられているいくつもの木々。その一つに身を隠すように見つめている赤毛の青年は複雑な表情でそれを眺めていた。
目を瞑る。幾許かの思いが光の速さで駆け巡り、
「これじゃおっさんのシナリオどおりかな……」
そんな感想を口にする。
頭に載せたサングラスに手をやり音を鳴らす。そんな手持ち無沙汰のような行為。次いでとばかりに下ろして本来の場所へ。
夜の闇を伴って暗くなる視界の中、レクター・アランドールはそっと踵を返した。
今はもう、用事などなかった。