空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない   作:白山羊クーエン

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 ノエル・シーカーがクロスベル市に到達した時点では、未だ操られた警備隊員を鎮圧していない状況だった。

 駅前通り、唇を噛み締め警備車両を降りる。彼女に気づいた隊員数名がハルバードとライフルを持って飛び込んでくる。

「っ……!」

 その意志を持たない瞳に激情がちらつくも、ノエルは一瞬でその熱を冷却する。警備隊員に必要なのは、自分に必要なのは冷静さ。状況を把握し、適切な指示を出す判断力。

 生来の特性か、それに特化した彼女はサブマシンガンを構え迫り来る隊員にばら撒く。狙いは足元、多対一の状況で接近戦は望ましくない。ハルバードの脅威を封じ、かつ連射の利かないライフルを手数で圧倒する。

 ライフルを持った一人が銃弾をかわしながら引き金を引く。流石に警備隊員、体勢の崩れた状態でも狙いは外さない。

 

「――ッ!」

 しかしノエルはそれを知っている。常駐場所が異なるとて同じ釜の飯を食った仲だ、こんな状況でどこを狙うかなどわかりきっている。

 遠距離における狙撃なら必殺の部位を狙うが、中距離の場合対象の中心部を狙う。仮に回避運動をとられても当たるようにするためだ。

 故にノエルは隊員の指に力が篭もるのを確認した瞬間に全身の力を抜いて地に伏せる。刹那の間に頭上を通過する弾丸、そしてそれは確かな好機である。

 地面との衝突の反動で跳ね起き、レーザーポイントで手元を狙う。数発の弾丸が命中しライフルを取り落とす隊員、そこに追撃をかける間もなく弾幕が消えたことで接近するハルバード隊員が二人。ライフルを落とした隊員はエニグマを駆動させアーツの詠唱に入っていた。

 詠唱する隊員を視界から外さないように位置取りつつノエルは背中からハルバードを引き抜く。得物は同質の二対一、しかしノエルは予め想定した推移の半分を終えたことを理解している。

 ハルバードが振動し、左右上部からパワースマッシュが迫ってくる。受けきることは不可能、咄嗟にバックステップでそれを回避するが、地面を砕いた結果生じる散弾のような礫は避けられない。そのうちのいくつかが腹部に命中し鋭利な痛みを伝えてきた。

 

 痺れるような脳内のノイズに目を細め、バックステップから一瞬でベクトルを反転する。両足への負担は大きいがもとより承知の上、思考することのない猪のような隊員に対して取れる手は予測からの高速運動が最善である。

 これが事前準備が可能なら罠にはめることは可能だが、そんな仮定の話をしていたら限がない。

「はぁっ!」

 一足飛びで二人に迫るノエル、振り下ろしたハルバードを飛び越え一回転、横薙ぎでまとめて吹き飛ばす。着地後すぐに疾走、詠唱を終え手の負傷を癒した隊員に近づき地に落ちたライフルを破壊、遠心力で加速した一閃を敢行するも、それは跳び退って回避された。

 

「く――ッ!?」

 休む暇なくノエルは右に飛び込んだ。瞬間、無数の弾丸がノエルを襲う。

 転がりながら回避するも一発が左足に命中、全身を硬直が襲った。

「しま――」

 しまった、と言い切ることもなく三人の隊員がハルバード片手に襲い来る。それは弾き飛ばした二人ではない増援の攻撃、咄嗟にハルバードを構えて防御態勢に入り、そしてそれは容易く破られた。

「うあ……ッ!」

 パワースマッシュの同時攻撃でハルバードが砕かれ、更に突進の衝撃力で宙を舞う。意識が飛び、しかしそれ以上の痛みで強引に意識を引き戻される。

 地を滑り、導力車の外装に叩きつけられた。後頭部を強打し視界が歪む。

 

「はぁ、はは……」

 霞む視界に見えるのは八人の警備隊員、ライフルで撃てばいいものを、何を警戒しているのか徐々に近づいてきている。

 力の入らない腕を伸ばし導力車の扉を開けた。気の抜けた開放音と同時に重い何かが転がり出てくる。足が痛むが、その固い感触が頼もしい。

 拾い上げ、構える。それに気づいた隊員が行動を起こそうとするがもう遅い。

 これで、ノエルの展開予想は具現した。

「これで……!」

 ランチャーミサイルが炸裂する。それは密接する隊員たちの頭上に放たれ破裂、高圧の導力を纏った捕獲用ネットを現界させた。

 為すすべなく全ての隊員が囚われ地に伏せる。ゆっくりと身体を持ち上げたノエルは油断なく近づき、そして新たに弾丸を装填し、放った。白煙が彼らを包み込む。

 

「八人……予想より少ないですね……」

 頭から流れる血を拭い、ノエルは煙の晴れた先を見た。警備隊の運用する催眠弾、それでも完全に意識を途絶えさせていないのか僅かな動作が見受けられる。

 それでも無力化には成功した、電磁ネットの効果で武器及びエニグマも壊れただろう。これで仮に抜け出されても戦力は微小だ。

「……次に向かわないと」

 駅及び空港を制圧する分には人数が少ない。この区域の全員を仕留めるには至らなかった。

 直に増援がやってくるだろう。回復薬を頭から被り、沸騰する思考と傷を癒す。

 

「皆さん、待っていてください。私が必ず……!」

 警備隊員は須らくクロスベルを守るべき。そんな意志を封じられ、そんな願いと反対の行動を強制されている。その事実に、何よりノエル・シーカーは憤りを隠せない。

 同胞として、クロスベルの市民として、これ以上彼らを苦しめるわけにはいかない。車両に乗り込んだノエルはアクセルを踏み込み先を急ぐ。

 頭を打った影響か、少し視界がふらついた。ずきりと心臓が痛み、胸を掻き毟る。

 

「あ………………」

 

 それが、一瞬の空白になったのか――

 

 彼女の導力車は突如飛び込んできた同種のそれに激突し、ノエルの意識は消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 四面楚歌の状況下、エステルとヨシュアは互いの背中を守りながらその群体と相対していた。

 得物を握り締める手に力が篭もる。まるで肉の壁に囲まれてしまったかのような今、数という暴力だけで圧迫感を覚える。

 視線を向けぬままヨシュアは口を開いた。

「エステル、一旦退こう」

「…………」

 エステルは瞬時に現況を把握、ヨシュアの意図に気づいた。

 今いる広間においては全方向を注意しなければならない。それに対しヨシュアの後方――つまりエステルの前方には元来た道があった。

 最古の石造りでできた通路、そこはヴァンピールが多くても五体程度しか進めない狭さである。一点突破し通路に撤退後、そこで再び戦闘を開始しようと言う事だ。

 

 最大の焦点はいかに同時攻撃を避けるか。その点で見れば構造を利用するヨシュアの考えは理に適っている。前だけに集中すればいいのだから、個々の力量で勝る彼女らに敗走は消える。

 時間はかかるが、それが最良の手段だということは理解できた。

 

「――だめだよ、ヨシュア」

 

 しかし、エステル・ブライトは納得しなかった。それでいいはずなのに、それでいいとはとても思えなかった。

「……」

 ヨシュアが沈黙する。

 瞬間、オークヴィラージが二人目掛けて黒煙を吐く。頭上からの攻撃に二人は弾かれるように回避するも、それは戦闘開始の合図に他ならない。

 奇声を上げるヴァンピールの群れは我先にと走り出し二人を狙う。細かなステップでそれを回避し、間隙が消えると同時に攻撃を加えてそれを作り出す。

 互いが別方向に移動することで数を分散し、しかし決め事のように要所ですれ違い意志の確認をする。

 幾度かの交錯、そこにエステルは意志を紡ぐ。

 

「今までのあたしたちならそうしてもいい、でも今は――――」

 今なら――。

 ヴァンピールが飛び掛る。それをタクトで受け、瞬間開いた脇を狙おうと左右から二体が迫る。

 エステルは左右の腕のバランスを変えて敢えて競り負け、三体同時を選択する。左手を右手付近まで引き寄せ長く持ち、旋回。それは暴風となってヴァンピールを吹き飛ばす。

 しかしその渦の中心を狙うオークヴィラージは爪を振り上げ、同時に旋回を終えたエステルはその慣性のまま振り上げた得物でそれを弾いた。

「――――」

 エニグマが起動、エステルの身体を白い光が包む。崩れた体勢を強引に修正し上段から高速の振り下ろしを見舞う。

 オークヴィラージは回避運動をとれず、しかしそれは当たることなく間に入ってきたヴァンピールを捉えた。

 固い筋肉を打つ感触、エステルはその反動のままに空中で一回転して後退した。

 

 息を吐き、大きく吸い込む。

「今ならッ、新しい道が開ける! そうでしょう――!?」

 それは幾体もの魔獣を飛び越え彼に届きうる。その確かな言葉を耳にしたヨシュアは切り払った双剣を操り連撃を浴びせ、疾駆、すれ違いざまに居合いの一閃を見舞った。

 そのまま速度を落とさず縫うように間をすり抜け、そして彼は彼女の元に降り立った。

 エステルと目が合う。

 瞬間、二人は同時に戦技を発動する。周囲をなぎ払う旋風輪、そして広範囲を切り飛ばす雷光撃だ。

 まるでクレーターのようにヴァンピールの隙間が空く。その中心にいるのは二人の遊撃士だ。

 

「そうでしょう、ヨシュア。そろそろ、あたしたちは次の舞台に向かうべきなのよ」

「エステル……」

 これだけの数では一体一体に集中できない、故に未だ解放された人間はいなかった。そんな危機的状況でも、ヨシュアはその瞳に見入る。

 澄んだ、とても強い輝きを持つ瞳は彼女に似合っていて、いや、彼女だからこそこんな美しい目をしているのだろう。

 その輝きにどんなに救われたのか、それが鮮明に思い出される。

「…………そうだね、うん。そろそろ、いいのかもしれない……」

 

 ヨシュア・ブライトの罪は重い。今まで、ずっとそれに苛まれてきた。

 それでも多くの人に助けられ、救われ、そして彼女に教えられてきた。そんな贖罪の人生も、もう終わりにしていいのかもしれない。

 レンという、自身と同じ境遇の少女を解き放ったこと、それを終点にしていいのかもしれない。

「――一緒に行こう、エステル」

 手を伸ばし、彼女の手を取った。彼女はとても嬉しそうに頷く。

 そして時が止まったかのような世界は動き出し、また埋め尽くさんばかりの魔獣がやってくる。

 

「ここが新しい始まり。だから、それにふさわしいやり方で――!」

 エステルが気合を放った。それに呼応するようにタクトが輝く。

 古代文明の結晶とも言える鉱物ゼムリアストーン。その唯一の加工法で作られた赤き棒術具――スフィアソレイユ。

 まるで彼女のためだけに存在しているかのように手に馴染むそれで以って、彼女はそのステージを上げる。

「うん。これが、その一歩だ!」

 ヨシュアが双剣を構えなおし、それに応える。これからは新たな意志を持って、その剣を振るう。

 行雲流水――ゼムリアストーンで作られた至高の双剣。定型を持たぬ戦闘スタイル、そこに一つの確かな決意を込めて、青年は太陽に寄り添って未来を生きる。

 

「ヨシュア!」

「ああ!」

 エステルが構える。左足を一歩引き、右腕を前に。左腕は低く引き、彼方を見据える。

 白光が身体を包み、それは次第に炎のような熱さを纏った。

「オオオオオオオオオオオオッ――!」

 エステルの姿に生物としての本能を揺さぶられたのか、全てのヴァンピールが一斉に動き出す。地鳴りを持って動くそれはまるで津波のようだ。

 しかし、その波が彼女に届くことはない。彼女の前に立つは漆黒の騎士、彼を仕留めずしてそれはあり得ず、またそれは叶わない未来だった。

 交差させた双剣、右足を一歩引き前傾姿勢を取る。

 

 姉さん、レーヴェ……

 

 ヨシュアの技術は全て与えられたものだ。結社の訓練で多くの先達に暗殺技術を学び、そして剣帝レオンハルトに剣術を習った。

 ブライト家に引き取られてからは剣聖カシウス・ブライトに師事を仰ぎ、その極意を吸収した。

 それは弛まぬ努力の結晶だが、しかし、彼の技術には彼独自のものがない。戦技も全て譲り受けたもので、そこに彼の意思はなかった。

 しかし、そんな縛りはもう必要ない。結社から真に解放されたときのように、彼は、これからは自身で歩まねばならないのだ。

 

 ヴァンピールが飛び掛る。まるで雪崩のよう、人間一人など容易く飲み込まれてしまう。

 果たしてその腕が青年の頭を捉える。

 

 

「――白夜光」

 

 

 瞬間、青年の姿が掻き消えた。

 振り下ろした腕が地を砕き礫を舞わせる。届いたはずの攻撃が失敗に終わったことでヴァンピールは虚を突かれ、しかし瞬時に辺りを窺った。

 無数のヴァンピールはその数で全範囲を視認する。しかし、その全ての両眼に彼の姿はなかった。

 無音、そして変わらぬ景色。

 あったのは、そう――――いつの間にか身体に重傷を負った同類のみである。

 

 ゆら、と。

 最初の一撃が砕いた地にヨシュアが現れた。まるで始めから動いていなかったかのように変わらずそこにいる。

 彼の姿を認めたヴァンピールは獲物に迫ろうとし、そして思い出したかのように裂傷から体液を吹き上げた。鮮血のシャワーが絶叫とともに吹き荒れる。その痛ましい声に顔を顰めたヨシュア。

 彼らは元は人間、まるで殺人を犯したような感覚に陥る。しかしそんな彼の耳に愛しい声が降り注いだ。

 

「はあぁぁぁあああああっ――!」

 最大級の力を込めて中空のオークヴィラージを狙う彼女は疾走から跳躍、その姿は螺旋とともに美しい軌跡を描く。

 最高点は魔獣の高度を凌駕し、見上げた魔獣目掛けて降下する。その虹のような曲線にヨシュアは目を奪われた。

 

 ふと、ヨシュアは以前思ったことを思い出した。

 エステル・ブライトは時々、眩しいくらいの光を放つことがある。それは錯覚ではない、実際に確かな輝きを持ち、そしてそんな時の彼女の身体能力は常の比ではなかった。

 幾度もあったその現象、しかしその原因を彼は突き止められなかった。

 

 彼女の父、剣聖カシウス・ブライトは東方に伝わる操気術『麒麟功』でその力を跳ね上げる。それを会得したのかと思えば彼女に自覚はなく、また父のそれとは違うように思えた。

 泰斗流のジン・ヴァセックも同様に泰斗独自の龍神功という操気術を用いるが、それとも違う。どちらかといえば、あれは猟兵のウォークライに似ていた。

 しかし、やはりそれとも違うとヨシュアは思う。ウォークライは自身を鼓舞することで力を上げるが、エステルのそれはそれとも違う何かを感じていた。

 

 オークヴィラージが全身から瘴気を吐き出す。魔塊烈風、衝撃と精神攻撃を合わせたこの魔獣の黒き生気である。七耀の力を乱し魔法詠唱すら拒絶するこの魔獣の最大の攻撃、二体のそれが合わさり深き闇となってエステルに迫る。

 しかしその彼女が纏うのは鳥の姿をした太陽。螺旋を極めた者が体現するは生来の本質、エステル・ブライトはその力で以って太陽のように煌く鳳凰の鎧を纏う。

 全てを遍く照らす絶対の存在、暗黒の風はその大いなる輝きの前に霞と化すしか道はない。

 

 ああ――

 

 ヨシュアは感嘆と納得の声を漏らした。

 そうだ、彼女のことをそう思っていたのは他ならない自分ではないか。

 自分という闇に囚われた存在すら光の道に連れ出してくれる。彼女がいるだけで空気が変わり、それは確かに良い方向に導いてくれる。

 確かに無鉄砲で、頑固で、自分の考えを押し付けることもある。でもそれは彼女自身が何よりまっすぐ生きているから。

 自己を確立し、それを放っているだけなのだから。

 年相応に揺れることもある、でもそれを乗り越える強さがある。その生きるという力に、何より自身が惹かれたのだ。

 闇を振り払う光、かつて影の国で称された言葉のまま。なら彼女が放つそれは、正しく太陽に違いない――。

 

「鳳凰烈波――ッ!」

 

 

 それは、太陽に似た鳳凰燐――。

 

 

 巨大な鳳凰がオークヴィラージを呑みこみ大地を蹂躙する。傷ついたヴァンピールをも巻き込んだそれは空気を揺らし、まるで女神の光のよう。

 

 光が消える。

 消滅するオークヴィラージと倒れ伏す無数の男たち、そして眩しい笑顔でこちらを見つめるエステル・ブライトがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 フロントガラスが割れ、外に投げ出されたノエルは混濁した意識のまま朦朧と状況を反芻していた。

 私は……今、倒れ…………

 頬に感じる冷たい感触は舗装された地面のもの。視線は地面と水平で、灰色の大地がまるで地平線のように続いている。

 それ以外は真っ赤なその無機質な世界、唯一の灰色にも赤い変化が訪れていく。

 赤い。

 水のような、ペンキのようなこれは、血――

 

 私、の……

 自身から流れるそれを呆と見つめながら、そこでようやく自身の確認をした。それはとても簡単なもので、外皮に感じる熱さと反して体内はとても冷たい。機械のような温度は自分とは別な何かのようで、そのためか、指先すら動いてくれなかった。

 至近距離で爆音が響いた。爆風が身体を揺さぶり、熱い。

 いや、本当はそんな軽い感覚では済まないのかもしれない。それでも今の彼女にはその程度の印象でしかなかった。

 ちりちりと空気が焦げる音と、匂い。導力車両が燃えているのか。

 だからこんなに世界が赤いのか、彼女はそう思った。

 

 冷たい温度が身体の奥から迫ってくる。それはとても冷たく、怖い。

 根源的な恐怖、ノエルはそれが自身の死だと理解した。

「う…………」

 がちがちと歯が合わさる。他のどの部位も動いてはくれないのに、そんな反応だけは律儀にしてくれていた。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 

 恐怖で気が狂いそうになる。このまま何もしなければ自分は死ぬ。そんな事実が怖くて、自分が警備隊員であることも忘れた。

 クロスベルの現状も忘れ、ただの十八歳の少女に戻っていた。

 視界が滲む。涙が溢れていた。

 貴重な水分が零れていく。それでも流れる涙は感情を増幅させていく。

 

 死にたくない……

 ただ、それだけを思っていた。

 思い起こされる今までの記憶。走馬灯というものだと理解することもなくノエルは過去に遡行していく。

 母と妹が幸せそうに笑っていた。そこに自分はいなかった。自分の目で見ているのだから仕方ない。それでも少し淋しかった。

 ソーニャ副司令、ミレイユ准尉、特務支援課、遊撃士。様々な人たちが浮かんでは消えていく。

 何かが消えるたびに、自分の命が消えていくのがわかった。

 

 地面を踏む音がして、ノエルは現実を見た。ゆっくりと自分に近づいてくる警備隊員の姿が見えた。その瞳には自我がなく、彼がこれから行うのは同胞殺しに他ならない。

 しかし、歪んだ視界を持つノエルにはそれがわからなかった。警備隊員だという事実も忘却した彼女には、ただ警備隊の服装をした男が近づいてくることしかわからなかった。

 だんだんと近づき、顔が窺えるようになる。それはベルガード門常駐の軍曹の一人、おそらくノエルは名前を思い出せないであろう多くの隊員の一人。

 しかし、今のノエルには、彼が映らなかった――

 

 おとう、さん――――

 

 ノエルは自身を覗き込む、オズマ・シーカーの顔を見た。

 オズマの口が動く、何かを言っているようだ。小さくて聞き取りづらいそれを、ノエルは確かに聞き取った。

 それは彼女には信じられないもので驚きを抑えきれず、瞬間、自分が何であるのかを理解した。

「わた、し……は、っ……」

 ノエルの瞳がオズマから離れ、現実の隊員を映し出す。銃口が自分に向けられた。

 力を振り絞って身体を動かそうと試みる。それでも動いてはくれなかった。

 しかしノエルは諦めなかった。恐怖に縛られていた時にはなかった光が瞳に宿る。歯を食いしばり、自身の命を絶つ者を見た。

 絶対に目を逸らさない、そう決めた。

 引き金にかける指に力が篭もる。

 

 

 無情な乾いた音が、世界に響いた。

 

 

 

 

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