空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
天蓋のない、清涼な空間。人が長らく足を踏み入れていないような張り詰めた空気が肌を刺す。神秘的と言っても過言ではない世界は周囲を水で囲んでいる。地底湖だろうか。
石畳の通路の幅は7アージュほど、先に見えるのは正方形の広間であり、それを更に大きな同形の枠が囲んでいる。その枠も輪に囲まれており、足場は複雑に見えてパーツ自体はそう多くなさそうだ。
そして、その広間の先には彼らを見下ろすように高く積み上げられた祭壇。最上部には不思議な碧の炎、そして小さな火種に囲まれた揺り籠がそこに佇んでいた。
それは病院で発見した写真に写っていたもの。キーアと名乗る少女が閉じ込められていたものに相違ない。ただ少女が入っていたときには満たされていた水がなく、それ故に赤紫色をしている。
その色は、揺り籠の背後に聳える巨大な瞳の色だった。D∴G教団のシンボルである。
彼は、揺り籠を守る番人のようにそこに聳えていた。人が長らく足を踏み入れていないような張り詰めた空気の中で、ただ在った。
「ヨアヒム・ギュンター……」
「ふふ、歓迎させてもらうよ、特務支援課の諸君。我らの始まりの地にようこそ」
専用の司祭服に身を通したヨアヒムは笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。四人は油断なく武器を構え、そして歩みを止めたヨアヒムを厳しい視線で見つめる。それも彼にとっては柳に風のようだ。
「グノーシスを投与された人たちを解放しろ、と言ってもあなたは聞かないんだろうな」
「いや構わないよ、キーア様を連れてきてくれたらね」
「だから、だよ。そんな選択肢は俺たちにはない」
「あなたがキーアちゃんを欲する理由は何?」
エリィが問う。ヨアヒムは心底意外そうな顔で言った。
「我らが御子を返して欲しい、という願いがそんなに不思議かい? キーア様はこの祭壇でずっと眠っておられた、我々D∴G教団の祖である錬金術師が建設したこの地でね。それはつまり、我々の同士、仲間、そして何より君たちの好きな家族と同じものだろう? 欲する、なんて低俗な言葉で当てはめてくれないでくれ。元よりいた彼女を、私は取り戻したいのだよ」
ヨアヒムは言う。キーアはこの祭壇で五百年もの歳月を過ごしてきたのだと。
太古の錬金術師がどういう理由で彼女をそこに眠らせたのかは定かではない、しかし運命は少女を御子と決めていた。彼はそれに従っているだけなのである。
「……たとえ家族でも、望まない帰還なんて許容できません。いえそもそも、あなたたちが家族なんて言葉を簡単に使ってほしくないです!」
「ティオ君。そうだ、君には聞きたいことがあったんだよ」
ティオが食って掛かるも全く興味を示さないヨアヒムは、思い出したかのように少女に問いかける。
「君は我々の実験ですばらしい力を得られたのに、どうして教団を恨んでいるんだい?」
「――っ!?」
「君の力は叡智に近づいたことの証左だ。人の領域を逸脱しうる能力、それに対し感謝こそすれ恨むだなんて、いや全く理解できない」
首を振るヨアヒムに対し全員が愕然とする。そしてそれは瞬時に怒りへと変換された。
「望まない変化にどうして感謝しろって言うんだ! 誘拐され家族から引き離され、耐え難い苦痛を強いられた!」
「あなたは人の心がわからないのッ!?」
「でも今は幸せなんだろう? 過去の結果としての今が良いならそれを導いた過去も賞賛されるべきだ。だって君がここにいるのは、我々が実験を施したからなんだからね」
「な……」
それは先に聞いた言葉に似ている。アーネスト・ライズが市長暗殺を肯定しようとしたその言葉に。
しかし決定的に違うのは、ヨアヒムは達成したことを肯定しようとしていることだ。被害者である少女の目の前で、それが正しい、良かったことなのだと認めさせようとしている。
アーネストの時は市長暗殺は未遂に終わり、グノーシスという要因もあった彼はそれ故に戻ることができた。しかしヨアヒムは違う。自分の意思でそれを行い、かつ正しいことであると信じて疑わない。
願望と直結したその行為にヨアヒムは一切の後悔をしておらず、むしろ言葉通り賞賛されるものであると本気で思っているのだ。
「違う! ティオがここにいるのはその経験を乗り越えたからだ! 教団が賞賛されることはないし、肯定されることすらない! 妄言もいい加減にしろッ!」
「だから、乗り越えたという事実はその経験があってこそだろう。つまり彼女にとってその経験は必要だったんだ。ほら、我々は認められるべき存在だろう」
確かにその事実は今を作り出すためには必要だった。しかしそれでも、今が良いからと言って過去の苦痛が正しいものであると断じることはできない。良かったことであると認めることはできない。
過去の悪夢がなかったならば、少女にはもっと幸せな日々があったかもしれないのだ。
「…………確かに、わたしにとってその経験は必要だったのかもしれません」
「ティオ!?」
しかし、ティオ・プラトーは敢えてそれを認めた。ヨアヒムの口が歪む。驚きをもって見つめる他の三人をよそにティオは告げる。
「そのおかげでガイさんと会って、ロイドさんやエリィさん、ランディさんと会って……そしてキーアに会えました」
ティオはまっすぐな視線でヨアヒムを見る。そこには確かな意志があり、
「――そして、ヨアヒム先生をとっちめたい気持ちも人一倍です」
ヨアヒムはそれに自身の失敗を見た。
「…………」
「生憎ですが、先生の言葉は想定の範囲内です。生きた被験者であるわたしをあわよくば抑えたいと思っているのでしょうが、残念でしたね」
魔導杖を構え、狙いを定める。いよいよもって、ヨアヒムは嘆息した。
「……ふふ、確かに残念だ。だが今のは方法の一つでしかない。そもそも私には君たち四人の生殺与奪の権利が十分にある。完成したグノーシスと先達の技術によってね!」
掲げた手の先に紫電が走り、少女と同質のものが現れる。がっしりと握られたそれは触を契機としてマゼンタの光を灯す。同時、彼の左右にも同様の現象が起き、巨大なオーバルマペットが姿を現した。
「魔導杖!? エプスタインのものじゃない……っ」
「そんなまがい物と同じに扱ってもらっては困るな。これは言ったとおり錬金術師が造り上げた魔導の結晶、早すぎた女神の贈り物と言われて粋がっている代物を凌駕する一品だよ! こんな風に強力な人形を召喚・使役できる!」
更に祈るように力を注ぐ。赤銅色の魔導人形に光が灯り、強大な威圧感を生じさせた。それは目を霞めるほどの大きさだが、それよりも驚愕すべきことが四人を襲う。
「その髪の色は……」
水色、それはティオと同色のもの。それがヨアヒムの髪色だった。
もしかしたらそれはグノーシスを投与された人間に起こる症状の一つであったのかもしれない。しかし今は違う。ヨアヒムのそれは一切の色素をなくし、人間のものとは思えないほどの混じりけのない純白に変容していた。
赤い瞳と生来の白い肌もあいまってまるでアルビノのよう。しかしそれこそがグノーシスの変容に他ならない。
「グノーシスの投与が規定値を越えるとこうなるようだね。そのせいかな、ここ数年睡眠をとった記憶がないよ」
「なるほどな、それで研究の時間がとれていたってわけか。てめぇにとっては最良の結果だな」
「理解が早くて助かるよランディ君、そういえばせっかく君たちにもあげたのに飲んでいないようだね。全く、ああまで親身になったというのに酷いなぁ」
ヨアヒムはキーアが支援課の下に訪れたと知った時から、グノーシスの投与を考えていた。そうすれば容易く御子を取り戻せるからだったが、どういうわけかそれは果たされなかった。その点は今も彼が抱く疑問である。
しかし四人はそれに答えない。答える必要はなく、またそんな余裕もなかった。
「――さて、おしゃべりもここまでにして始めようか。死なない程度に痛めつければグノーシスの効きも良くなるだろう。そうすれば全員が幸せだ、ぜひ協力してもらいたいね」
「戯言を、俺たちはそんな幸せは望まない! 作られた幸福なんて仮初に過ぎないんだ!」
ロイドは叫び、ふと脳裏に少女の姿が過ぎった。そう、これは少女のための闘いなのである。
「あなたが狂わせたクロスベル、それを解放させてもらうわ!」
「D∴G教団、今日こそ壊滅させてもらいます!」
「落とし前、って知ってるか? 絶対に逃げられねぇもののことだよ!」
気合を込め、意志を込め、改めて対峙する。
二体の魔導人形はまるで天使のようにその翼をはためかせ、ヨアヒム・ギュンターは狂気にぎらついた瞳で裂帛を受け止めた。
「叡智に至らない身はこうも無様だ、君たちはやはり選択を誤ったのだよ。レグナ・アグエルはガルシア・ロッシに匹敵する力を秘めている。彼一人に圧倒される君たちが勝てる相手ではない!」
そう、二体の魔導人形の戦闘能力はキリングベアと同等だ。しかも人間が持つ弱点などを持たずかつ自然回復の能力すら持っている。
それが二体、そして未知の魔導杖を持ったヨアヒムもいた。この状況は楽観視どころか絶望すら抱ける状況である。そんなことは四人も既にわかっていた。
しかし彼らに退路はなく、その意志もない。ならば全身全霊を込めて立ち向かう。その意志こそが四人の最大の武器であり、かつ急所でもあった。
「さぁ、君たちに教えてあげよう。限りなく新鮮で強大な絶望を!」
「――あら、それはあなたが感じるもののこと?」
瞬間、二本の巨大な光がレグナ・アグエルを呑みこんだ。暴音と閃光が周囲を包み、四人は反射的に顔をかばう。光の柱は時間とともに巨大化し、そして一気に縮小する。
まるで糸を引くように消え去った光の後には底の見えない穴だけが残る。その様を、呆然と見開いた瞳でヨアヒムは見ていた。
「な、何が……」
ロイドは霞む視界で必死に情報を求め、しかしそれを発見したのは視覚ではなく聴覚である。つい先ほどまで聞いていた機械音、それが頭上から降ってくる。
四人とヨアヒム、その間を遮るように舞い降りた天使は、無骨な両親に庇護されて最後の戦場に君臨した。
「会えて嬉しいわ、D∴G教団幹部司祭ヨアヒム・ギュンター。レンのこと、覚えてる?」
「…………は、はははは。もちろん覚えているとも! まさかまさか、こんなところであの脅威の被検体に会うとは! やはりこれも我らの悲願のためか!」
ヨアヒムは両手を広げて歓喜する。レンはそんな彼に何の反応も見せず、ついと後方の四人を見た。
「ふふ、お茶会はまだだけど、招待しに来たわ」
「レン……」
「レンさん……」
「いやぁしかし、君がここにいるとはね。やはりグノーシスに呼び寄せられたのかな? かつての実験において君ほど特異な反応を見せる検体はいなかった。まさか周囲の他の検体の人格を取りこむだなんて、いやあのロッジが潰されたのは実に惜しい!」
「虫のいいことを言うのね。あなたは“楽園”には関与していなかったでしょう? もししていたらあなたはここにいないはずだもの」
楽園――それはレンが囚われていたロッジの名称である。
基本的に各ロッジの研究はグノーシスのためであったが、楽園はそれとは別な意味でも使用された施設である。後ろ盾として都合のいい有力者を取り込むことに力を入れていたこのロッジは、研究を統括していたヨアヒムにとってはあまり興味を惹かれない場所だった。
しかしただ一人の少女だけヨアヒムは並々ならぬ興味を抱いていて、近々直轄のロッジに移送する予定だった。それも全ては襲撃によって藻屑と化してしまったのだが。
「ふふ、例の結社とやらか。確かに彼らの手にかかれば私も消えていただろう。しかし私は今ここにいる、それは教団の理想が潰えてはならないという証拠でもあるのさ!」
「それは違うわ。あなたが生き長らえたのはあなたのためじゃない」
レンの否定にヨアヒムは眉を顰めた。
断言にはそれに足る確信が必要で、確信には証拠が必要になる。しかし人が生き長らえる理由という漠然とした巨大な問いに、そんな証拠が果たしてあるのだろうか。
いや、詮無いことだな……
ヨアヒムは妄想と断じた。あるいは嘘、虚言であると決め付けた。
しかし同時に、かつての自分があそこまで惹き込まれた少女の言葉を軽んじてもいいのかという疑念も残っていた。
「……ほう、では何かな? 私が今まで生きてきた理由というのは」
「あら、随分と殊勝なのね。研究者の性ってやつなのかしら……でも聞くのが早いんじゃない?」
パテル=マテルが動く。重量を思わせる重厚な歩行音、壁が迫るかのようなそれにヨアヒムは顔色一つ動かさない。
「あなたがそれを聞くのは、殲滅された後でしょう?」
「――――確かに、この魔導杖でもそれを相手取るのは難しそうだ」
ヨアヒムは魔導杖を落とす。それは事実上の降参であり、戦わずして勝利を収めたということである。しかしこの場にいる誰もが、これで終わりだとは思っていなかった。
パテル=マテルがその爪を伸ばす。ヨアヒムの身体をホールドするつもりなのだろう。しかしそれが届ききる前に、ヨアヒムは懐からビンを取り出した。レンの意志を反映するようにパテル=マテルが止まる。
「――それね、真のグノーシスは」
「その通りだよ。尤も、今までのものが偽物だったかと言えば違うがね」
ビンに入っているのは今までのグノーシスと同じ形状のもの。しかしその色は、凍えるような蒼から血のような紅に変わっていた。
「捻りがないが、紅のグノーシスとでも言おうか。言ってみれば濃度の違いでね、従来のものの十倍だ。それにしてもどうしてわかったんだい? これは隠し玉だったんだが」
レンは簡単なことよ、と前置きし、ヨアヒムを見た。しかし彼女にはヨアヒムは映っておらず、かつての情景が映し出されていた。
「グノーシス――真なる叡智の目的は魔人化ではないもの。確かに制御可能な人間兵器を作り出すという意味では脅威だけれど、教団はそんな表面的な強化が目的ではなかった。空の女神を否定し新たな神を作り出す。その過程で人としての身体が保てなくなったに過ぎないわ。だからこそ、本当の意味ではグノーシスは完成していなかった」
「正解だ――――グノーシスの真の目的は遍く全てを知ること、量が少なく適合者でもなければあんな醜い姿で止まってしまうしむしろ知性も損なわれる。それじゃあダメだ、真なる叡智には到底たどり着けない。馴染む時間が必要なのだ、あのアーネストとか言う男もそれなりだったが私には及ばない。だからこそ、これは私のためだけのものなのだよ!」
ざらざらと錠剤を飲み込む。十倍の濃度のグノーシス、それを大量に嚥下する。足元にも零れたそれは途端に溶け、気化していく。その光景すらおぞましかった。
「――――ああ、見える。視えるぞ! これが叡智、これが世界か……ッ!」
恍惚とした表情でヨアヒムは呟く。ビンを握りつぶし、その破片で手を切り裂いてもそれは一切変わらない。しかし彼が纏う空気だけは既に変容しきっていた。
コールタールのような粘度を見せるおぞましい瘴気。それがヨアヒムを取り込んでいく。それは紫のカーテンとなり彼を包み込み凝縮、ぐにゃぐにゃと蠕動を繰り返し、そして一気に破裂した。
「な――!?」
「く……!」
空気が吹き飛ぶ。それは津波のように周囲を押しのけようと迫ってくる。足を踏ん張りながらも長くは持たない、しかしそれを守るようにパテル=マテルの巨体が遮った。
音の暴力が消え去る。
「あ、ありがとう、レン」
「…………」
ロイドの言葉にレンは答えず、まっすぐに彼方を凝視している。釣られるように目を向けたロイドは、そして変わり果てたソレを見た。
「あ………………」
呼吸のように腹部を、そして全身を蠕動させている。それはしかし人間的ではなくどちらかと言えば昆虫のようだった。
青銅色の体躯、額に生える一本角を筆頭に鋭角に包まれたそれは溢れ出る瘴気に心酔しているようにも見える。しかしそれを如実に語るはずだった瞳には一切の意志が見えず、ただあるのは鈍い空色の部品だけ。
そして特筆すべきは、その半分が地底湖に埋まっているという現状である。
見上げる視線の先、パテル=マテルを凌駕する巨体の魔人がそこにいた。
「………………」
魔人化したヨアヒムは思考するように沈黙する。その時間は確かに平穏だったが、後に訪れる嵐のような抗争を思えばそこに安らぎを覚えることは不可能である。
口を真一文字に結び五人が得物を構えた。その姿勢にすら興味を抱かず、そしてヨアヒムは万感を込めて呟いた。
「何ということだ……私が今までやってきたこと、その全てがあずかり知れぬもの達の陰謀だったというのか――――まぁいい。それもこれも全てはキーア様のため。そのために、邪魔な君たちを葬ろう」
最初に聞こえたのは、諦観に似た嘆き。しかしそれ以降は影を潜め、今までどおりの攻撃的な意志が表された。
そしてヨアヒムは言葉を紡ぐ。彼は確かに、ナニカを知ったのだ。
「三度目の正直というやつか。一度目は私が、二度目は君たちが勝った。お互い、殺し殺された仲だというわけだッ! そしてその拮抗、今回で潰えるッ!」
「な、にを言っている……」
言葉がうまく出てこない。はっきり言ってしまえばまるで理解できないその言葉を、何故だろう、ロイドは確かな真実として捉えていた。
「叡智に至らぬ身では理解もできまい。何も知らぬまま、朽ち果てるといい――ッ!」
裂帛の意志が大気を切り裂き、衝撃波となって五人を襲う。そのスケールの違いは絶望的、故に最初に動くのは唯一体格で差し迫るパテル=マテルである。
「パテル=マテル!」
電子音で命令に返信、パテル=マテルはヨアヒムに接近する。上半身のみが表出したヨアヒムとパテル=マテルの大きさはほぼ同格、故にその一撃も拮抗する。
移動からの右の一撃をヨアヒムは左手で受け止める。威力の大きさを思わせる音が響くと共に、パテル=マテルは更に左拳を振り上げた。
「甘いッ!」
ヨアヒムはその一撃を屈んで回避、パテル=マテルの顎部に炎を纏った拳を叩き込む。
この二者の決定的な違いはその柔軟性にある。パテル=マテルはオーバルマペット故にどうしても動きが鈍くなる。しかしヨアヒムの身体は生体、柔軟な筋肉は人間のように細かな動きを遂行可能である。
ヨアヒムは更に放した左手にも冷気を纏い連撃に繋げる。パテル=マテルは中心部にそれを受け、地鳴りを起こして倒れこんだ。
「パテル=マテル!?」
「くそ、俺たちも行くぞ!」
レンの悲痛な叫びを契機としてロイドらもようやっと動き出す。しかしこの大きすぎる局面に矮小な身でどう立ち向かえばいいのか。
エリィ、ティオにアーツを指示しつつランディとともに駆け出していく。明確な作戦はない。ただ何かをせずにはいられなかった。
しかし、いくら彼らが全力を出そうとも、実質パテル=マテル以外の存在が今のヨアヒムにダメージを与えることは難しい。ロイド・ランディの迫撃を主体とする二人はその強固な肉体によって阻まれ、エリィ・ティオの魔法主体の二人は十分な精神力でなければ上位魔法であっても戦局に影響を与えられなかった。
そんな中でただ一人、レンだけはその能力を十全に操ってその戦いに加わっていた。レンの得物である大鎌は確かに通らない、しかしパテル=マテルとの連携によればそれも十分な武器になる。
ヨアヒムのアドバンテージが人間のようなフォルムであるのなら、ディスアドバンテージもまたそれなのである。つまり、人間の急所に当たる部位はヨアヒムにとっても脆い部分なのだ。伸びた指先であったり膝裏であったり眼球であったり。
レンの知識の中で人体の急所である部分に正確に鎌を通す技量はロイドやランディを凌駕する。そして彼女の戦い方は苦戦する支援課が真似できるものでもあるのだ。
的が大きいヨアヒムに対し相対的に小柄となった彼らを狙うのは難しい。ヨアヒムはその巨体で以って範囲が広い攻撃を繰り出そうとするが、それはパテル=マテルに阻まれる。その間に縦横無尽に駆け回る五人は小さな小さな反撃を繰り出していった。
まるで針で突かれるような攻撃、それはヨアヒムのストレスを加速させていった。しかしそれは肉体的には余裕があるものであり、全てを悟った彼はこの状況を作り出している存在を正確に把握していた。
「ッ!」
ヨアヒムの視線が一点に集中し、その先にいる少女――レンは確かな意志を感じ取って顔を引き締めた。ヨアヒムの両拳に真逆の力が集まっていく。
「パテル=マテル、ダブルバスターキャノン!」
かつてない力の集中にレンも勝負どころと判断し、パテル=マテルの両肩にある収束砲を起動させる。ゴルディアス級の最高火力を誇る武装である。
双肩から響くチャージ音は奇しくも相手の状態すら反映している。その高まりが最高点に達したのは同時、そして放たれるのも同時だった。
「薙ぎ払いなさいッ!」
「灰燼に帰せ――ッ!」
二つの極線が衝突し、互いの存在で相手を侵食せんとひしめき合う。その余波は凄まじく、パテル=マテルとともに特殊なシールドで守られているレンを除外する支援課の四人は耐え切れずに後方に吹き飛ばされた。
石畳の上を転がりながら光が消えていくのを待つ。何とか体勢を整え閃光が包んだ空間を睨む。程なくして明瞭となり、ロイドは決定打の攻防の結果を見た。
「…………」
「…………」
互いに、無傷。攻撃の反動か、互いに放出口を煙で飾り立てていた。
しかし次に動いたのはヨアヒムが先である。ダブルバスターキャノンはパテル=マテルの動作精度を落とす欠点がある。対してヨアヒムの技後硬直はそれより早く終了した。ただそれだけのことである。
暫時のエネルギー不足によりパテル=マテルのシールドは減退している。この瞬間だけ、彼の主人であるレンは生身で魔人と相対しなければならない。
レンは瞬時に最高速を為しヨアヒムの攻撃範囲を逃れようと後退した。しかしレンの小さな体躯では一歩の距離が短すぎる、ヨアヒムの次手を避けきれない。
振るった右腕から炎が吹き出、レンを追走した。
その速度は少女を越える、果たして後ろを振り返ったレンの視界は炎で埋め尽くされ――
「あ………………」
そして、二つの影が守りあうように少女を掻き抱き危機を脱した。
「エステル、ヨシュア……」
「レン、無事……?」
「状況は逼迫しているようだね……」
駆けつけた二人の遊撃士はそうして眼前の巨人を見る。その異形は既に見飽きていて、大きいという印象しか抱けない。
「レン、無茶しないでよ。ここにはあんたの家族がいるんだからね」
「拉致された人たちはタングラムの警備隊員に任せてある。安心していいよ」
ヨシュアの言葉にロイドらは安堵のため息を漏らし、しかし地鳴りのような声に現実に引き戻された。
「……既に歯車は動き出した、か。援軍も来て安心したようで何よりだ」
「ヨアヒム・ギュンター、グノーシスでここまでの変貌を遂げるなんてね」
「大きさ的には輝く環を取り込んだ教授くらいかしら、大きくなってもいいことなんてないのに……」
エステルが目を細め、哀しげに呟く。それを耳ざとく聞いたヨアヒムは沈黙し、そして徐に口を開いた。
「――君たちは随分な経験をしているようだ。その教授とやらが何であれ、私としても彼らとの決着を邪魔されたくないのでね。ここは君たちの心残りを具現しようじゃないか」
それは悪魔の囁き。その口ぶりにヨシュアは眉を顰めた。
まるで教授を知っているかのような口調、彼の本能が危険信号を発してくる。
「心残り、ですって……」
エステルの言葉に応えず、祈るように力を発露させたヨアヒムはその左右に卵のような使い魔を召喚する。それは先のオーバルマペットではなく、まるで彼の手足であるかのように同種の異様を纏っている。
「グノーシスは精神の変容を肉体に影響させる。私が忠実な手足が欲しいと望めばそれに見合うものが作り出されるのさ。そしてその造詣は私の想像を忠実に反映させる――――つまり、君たちの記憶から読み取った存在を自身の身体の一部として具現化することもできる。こんな風にね!」
使い魔が消失する。せっかく造り上げたそれが消える意味、それは彼の言葉通りの再召喚のために他ならない。
二つあった影は一つとなり、やがて蟲のように蠢き形を変えていく。それは人間大、力を凝縮したように先よりも小さくなっている。
だがそれでいい、それは記憶の再現――。
「――まさか、再びお前たちと見えることになるとはな」
「レーヴェ……」
レンが呆然と呟く先に、かつての剣帝の姿があった。