古明地こいしの有効範囲   作:サクウマ

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静かな部屋で、ゆっくり読むのがいいと思います。初出:東方創想話


第五編 登場:古明地さとり

 

 

 

 

    【4分33秒】

 

 

 

 

 最後の書類を書き上げて、私はふうと息を吐きました。

 

 時計を見れば、もう日付も変わっていたようでした。

 

 都合4時間も、私は書類と格闘していたらしいのです。

 

 それを自覚した途端、私は心地よい疲労感に襲われ、くわ、と欠伸をしかかって。

 

 その開きかかった口を、何者かの手に塞がれたのです。

 

 いえ、何者かなど、考えるまでもありません。

 

 私に気付かれずにここまで近付き。

 

 あまつさえ、心を読まれぬままに私の口を塞ぐなんてことができるのは。

 

 私の愛しき妹、こいし以外にはありえないのです。

 

 こいしは私の口から手を離すと。

 

 今度は私の唇に、指を一本当ててきました。

 

 静かにして、と言いたいのでしょう。

 

 分かりました、と私は静かに頷きました。

 

 辺りはしんと静まり返っていました。

 

 ペットたちの鳴き声ひとつ聞こえないのです。

 

 もしやこいしはペットたちをどこかに連れて行ったのかしら。

 

 私の頭にそんな考えがよぎりましたが。

 

 すぐにそれは間違いだと分かりました。

 

 私の耳が静寂に慣れるにつれて。

 

 ペットたちの息遣いが、あちらこちらから聞こえてきたのです。

 

 ただ、その心の内までは、聞こえてくることはありませんでした。

 

 こいしの仕業でした。

 

 私のサードアイが、何者の心も映さぬように。

 

 こいしはその眼を、その手で覆っていたのでした。

 

 不思議な感覚でした。

 

 誰の心も聞こえぬ静寂を、私は久々に経験したのでした。

 

 そしてそれはその昔、まだここにただの一匹のペットすらいなかったあの頃の静寂とは。

 

 まるで、異なるものだったのでした。

 

 

 

 

 

 

 針が時を刻みました。

 

 

 

 ペットの身じろぎが聞こえました。

 

 

 

 廊下に足音が響きました。

 

 

 

 遙か旧都の辺りから、微かに騒ぎ声が届きました。

 

 

 

 

 

 

 静寂がこれほど雄弁だとは、私は今まで知りませんでした。

 

 否。

 

 もはやここにあるのは、静寂とは異なるものでした。

 

 この空間を表現する言葉を、私は持ち得ませんでした。

 

 ああ、こいしはこれを聴かせたかったのですね。

 

 私はようやく、それに思い至ったのでした。

 

 

 

 

   ・  ・  ・

 

 

 

 

 かちり、と後ろから音がしました。

 

 私には、それが何の音なのか、とんと判別がつきませんでした。

 

 ただ、この不思議な時間が終わりを迎えたということだけは、おぼろげながら察することができました。

 

 私のサードアイから、こいしの手が離れて、そのまま肩に軽い衝撃が走りました。

 

「……こいし」

 

 こいしが、私の肩に寄りかかってきたのでした。

 

「ねえお姉ちゃん、どうだった? 生命の鼓動の演奏会」

 

 こいしの言葉に、ようやく私は、あの不思議な時間を表す言葉を知りました。

 

「ええ、素敵な時間でした」

 

「とっても?」

 

「もちろん」

 

「そっか」

 

 良かった、とこいしは小さく呟きました。

 

 私の世界にはあっという間に、いつもの喧騒が戻ってきました。

 

 ペットたちの鳴き声があちこちから上がり、かれらの様々な心情が私のサードアイに映し出され、ついでに私は思い出したように、くわと欠伸が漏れました。

 

「私はそろそろ寝ることにします。お休みなさい、こいし」

 

「うん、おやすみ」

 

 私はそれに、言葉にし難い安堵の念を感じていました。

 

 しかしその一方で、近いうちに私がまた、あの不思議な演奏会を恋しく思うであろうことも、何となくですが察していたのでした。

 

 

 

 

   ・  ・  ・

 

 

 

 

 お姉ちゃんと、2人で奏でた、4分33秒。

 

 それを録音したカセットテープは、こいしちゃんの宝物です。

 

 

 




実験芸術とこいしちゃんは、とても親和性が高いと、そう俺は思います。
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