小雀雲居(こがら くもい):
スパイダーマンの力を持った高校生(今話においては中学生)。
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超一流の技能者を、報酬次第であらゆる現場へ派遣する企業がある。
ドライバーはあらゆる乗り物をどんなプロよりも巧みに乗りこなし、メカニックは要求通りの機体を組み上げ、スパイは依頼者の望んだ情報を必ず盗み出すという。
世界に名だたるその企業の名は
そんなASEには、世界唯一のスーパーヒーローが所属している。
「スパイダーマンだ!」
「スパイダーマンが犯罪者を捕まえたぞ」
「ありがとう、スパイディ!」
という感謝の声を背に受けて、全身スーツのヒーローは、一目散に屋上へと跳び移った。
人々の目から逃れた彼は、何かに耐えかねたかのように、悲鳴をあげて屋上で転げ回る。
「やめてくれよ、そんなふうに俺を呼ぶのは! 分かってるんだよ、いい歳して黒歴史のヒーローごっこをしてるってのは。頼むから煽るのを止めてくれっ。それか、いっそ殺してくれっ」
これは、彼がASEに籍を置くまでの物語。
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将来の夢はと尋ねられる度に「ヒーローになる」という旨の答えを返していた。
ヒーローといっても、例えば野球における「今日のヒーロー」のような現実的なもの、つまりアメリカ人が憧れる「突出した活躍をした人物」「功労者」といったものではない。
雲居が憧れたのは、もっと非現実的で、そのくせ具体的なもの。すなわち「スーパーヒーロー」だったのだ。
「すぱいだーまんになる!」
物心着いたばかりの舌足らずの口調で、小雀雲居少年は無邪気に宣言した。
身を屈めて、片腕をつき出した、あまり格好良いとは言えない格好で。
そんな無邪気な姿に、小雀夫妻はほほえましい笑みをこぼしたものである。
「はいはい、スパイダーマン、スパイダーマン。……いったい何なのかしらね、スパイダーマンって。初めてこの子が喋った言葉もスパイダーマンだったし」
「あれにはたまげたなぁ。パパとママのどっちを先に言わせることができるか二人で競ってたのに、どうして、こんな聞いたこともないような言葉を喋ったんだろうなぁ」
不思議なこともあるものだなぁ、と小雀夫妻は首を傾げた。
それは奇妙な話だった。
小雀夫妻は、このいとけない愛し子に「パパでちゅよ~」「私はママよ、ママ。ママって言うのよ!」とインプットの雨を浴びせ続けてきた。
そんな耳にタコができて触手でも生やしてしまいそうな言葉よりも、見たことも聞いたこともない「スパイダーマン」という謎の言葉を、この幼子は喋ったのだ。
「すぱいだーまんはね、クモのひとなの。てからいとをだして、わるいひとをやっつけるの」
短い手足をふりまわして、童は熱心に語る。
可愛らしい我が子の姿に、両親は、ただでさえ緩んでいた頬をでれでれに溶かして微笑んだ。
「なるほど、スパイダーってのは蜘蛛のことなのね」
「おいおい、この子は天才かもしれないぞ! もうこの歳で、しかも誰も教えてないのに、英語を使いだした」
「うふふ。それじゃあ、将来は外交官かしら」
「ははは。アメリカ大統領かもしれないぞ」
そんなふうに笑っていられたのも最初のうちだけだった。
長じるにつれて、雲居の異常性はどんどん顕著になる。
「スパイダーマンはね、蜘蛛に噛まれて蜘蛛の力を身につけたヒーローなんだ。力も強いし、素手で壁に貼りつくことができて、糸を出すことができるんだ。その糸は、変わったタンパクシツハイレツをしてて、一本の糸にもう一本がぐるぐる巻き付いたラセンコウゾウだから、鉄くらい固いのに、ゴムみたいにビュンとなって切れないんだよ」
彼の語るスパイダーマン像は細部まで練り込まれている。しかもそれは、幼い頃に語ったことと何一つ矛盾していないのだ。それどころか、大人すらたじろむ高度な科学的な説明を添えている。
「不気味だわ、あの子。まるで、本当にスパイダーマンが存在して、言葉を覚える前からそれを知ってたみたい。さっきも、難しくて意味の分かってない言葉を言ってたし……」
新しい言葉を覚える度に、スパイダーマン像はどんどんその輪郭を明確にしていく。
それは、物心つくよりも前、ひょっとしたら生まれた時から魂に刻みつけられていた記憶を、ようやく表現する術を得たかのように見えた。
「ああ……。ふつうは、面白がってどんどん新しい設定を付け加えるものだ。しょせんは子供の浅知恵だから、トンでも設定をつくったり矛盾したりするんだが、あの子にはそれがない。これはちょっと、異常なことだぞ」
雲居少年は、ずば抜けて賢いわけではない。
九九の覚えも早ければ口数も多いので、この子は利発な子に違いない――そうした親の贔屓目を以てしても、そこまでの賢さを備えているとは言い難かった。
そんな子が垣間見せる、異常な知性。
――この子は、ふつうとは違うのではないだろうか。
そうした不安、得体の知れない恐怖が生まれるのも無理からぬことであった。
自分たちの知っている子が、その事柄を語るときだけ、見知らぬナニカに変貌する。それを受け止めるだけの包容力が、年若い夫妻にはまだ備わっていなかった。
のみならず、彼らは新たに娘を設けてしまった。
たちまち夫妻は、この子の世話に夢中になった。はじめての女の子。しかも、不気味な姿を垣間見せる長男とちがって、その子は「夫妻の思い描いたとおりの可愛らしい幼子」そのものだったのだ。
この妹という比較対象が育てば育つほど、長男の異常さは際立った。
幼児期における性差はほとんどない。その筈なのに、雲居は力がべらぼうに強かった。買い与えた玩具はすぐに握りつぶして壊してしまう程である。足の速さ、無尽蔵の体力も異常だ。犬の散歩に行けば、犬がへばるまで一緒に走ることができた。
そうした異常な身体能力は、夫妻をいっそう怖がらせた。いったいどこに、小学校高学年の児童と殴り合いのケンカをして、一方的に打ち負かすことのできる幼児がいるというのか。
――この子はふつうの人間ではない。
そう思うようになるのに、さして時間はかからなかった。
スプーン片手に食事をほおばる雲居に「おいちいでちゅかぁ?」と甘く問いかけることは躊躇われ。
起き抜けにやさしく囁く「おはよう、かわいい雲居ちゃん」こともすっかり絶えてしまい。
ついには「男の子だから、しっかりしないといけないんだぞ」と一人部屋に移された。
この、子供の皮をかぶったヨクワカラナイイキモノに、どう接して良いのか分からなくなってしまったのだ。
そうした親の変化を敏感に察することができるのが、子供という生き物である。
幼い雲居もまた、例に漏れない。母の膝に座りこみ、父の背におぶさろうとする。すると、彼らは表情を堅くし、すぐに自分から離れていってしまう――そんな両親の変化を鋭敏に察することができてしまった。
それが悲しくて、嫌でたまらないのに、どうにもならなくて。それでもどうにかしようと、泣いて怒って喚いてと、子供の本能で両親の気を引こうと試みた。
それが、余計に両親の心を遠ざけるとも知らずに。
「どうしてあんなに暴れるのかしら、あの子」
「ちょっと僕らの手には負えないな。お医者さんに相談してみよう」
もちろん、そうした心の問題は、医者にどうこうできる問題ではなかった。
由来不明の「スパイダーマン」という知識を有し、幼児離れした身体能力を持つこと以外は、雲居はきわめて健全な心を宿した「ふつうの子供」だったのである。
そうした雲居のカンシャクは、両親にとっては幸いなことに、すぐに収まることとなる。
雲居はたいへん純朴な心の持ち主だったので、
「俺はスーパーヒーローになる。そうしたら、父さん母さんも、もっと俺を褒めてくれるかもしれない。なにより格好良いしな!」
と、素直でまっすぐな決心を固めるに至ったのだ。
小雀雲居、十四歳。中学二年生の頃である。
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「スーパーヒーローになるのは良いとして、一体何から始めよう」
と悩んだのは、ほんの一瞬のことだった。単純な雲居は、とりあえず形から入ることにしたのだ。
「ヒーローには、ヒーローらしい格好が必要だ。専用のコスチュームが要るな」
雲居の脳裏には、はるか昔から思い浮かべている姿がある。物心ついたころには、既にその像は頭のなかに在った。それを再現する時が来たのだ。
「中学校の授業でミシンの使い方は習った。生地は手芸店で手に入る。人型に縫いあげるための型も、探せばネットに転がってる」
雲居は頑張った。
夜も寝ずに縫い進め。授業中に昼寝し。それでも捗らなければ、授業を抜け出して、こっそり被服室のミシンを拝借して作業を続けた。
そして、いよいよ完成にこぎつけた。
「スパイダーマン、爆誕!」
手作り感あふれる、微笑ましい衣装である。
全身をおおうスーツは、ところどころ生地があまって弛んでいたし、縫い目はふらふら蛇行している。覆面もまた、ヒーローというよりかは銀行強盗と称したほうがしっくりくる。
それでも、手づから作り上げたとっておきの衣装である。赤と青の生地に、白い飾りで描いた蜘蛛糸模様は、世界にただひとつ。
衣装をまとった雲居は、うれしくなって、そわそわと落ち着かない。後ろ向きに宙返りを決めて、着地と同時に、前に飛ぶ。膝を抱えてくるくる回って、窓のそばに着地した。
窓は、誘うようにその口をおおきく開いている。
誘われるがまま、雲居は窓から飛び出した。
「よし、街へパトロールに行こう。
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かくして雲居は、
とはいえ、ここは日本である。世界でもっとも治安の良い国のひとつである。都合良く、向かう先に犯罪が転がっているとは限らないように思われる。
けれども、悪い人間はどこにでもいるものである。
例えば、すばらしい教養を身につけた富裕層にも、悪辣な知能犯はいるし、貧困と無教養のなかに放置され、野生さながらに育った貧者のなかにも、直情型の犯罪者は絶えない。
ましてや、ここは東京である。世界でもっとも人口の過剰に集中する都市のひとつである。母数が増えれば、それだけ分子も増えようというものである。
そのようなわけで――
「きゃあっ、引ったくりよ! バイクの男にバッグを奪われたわ、誰か捕まえて!」
大都会のどこかでは、絶えず犯罪が行われているのだ。
そして、
「待てぃっ!」
悪事のいっさいを見逃さぬ、運命力ともいうべきすぐれた嗅覚の持ち主こそが、スーパーヒーローなのである。
「なんだ、お前は! 死にてぇのかっ」
けたたましいブレーキ音を響かせて、バイクが急停止する。とつぜん人影が飛び出してきたので、おもわずブレーキを握ってしまったのだ。
このとっさの行動を、犯人は、すぐさま後悔することとなった。人影の正体を確かめるなり、
(なんだこのイカレポンチは。いっそ、ひき殺しちまえば良かったぜ……)
と内心頭を抱えたのである。
ありていに言えば、それは不審者だったのだ。
奇抜な全身タイツに、銀行強盗のような覆面。ひったくり犯よりも、よっぽど犯罪者然としたソイツは、よりにもよってこう名乗る。
「悪行を許さぬスーパーヒーロー、スパイダーマッ!」
自称スーパーヒーローは、その場でトンボを切って、奇妙なポーズを決めた。
着地と同時に股をひらいて、地面すれすれに上体を屈める。片手を地面に添えて、もう片手はピンと宙に伸して。
――ダサい。
頑強さや逞しさ。そういった「力強いヒーロー」のイメージからかけ離れた、妙にくねくねしたポーズである。
「何がスパイダーマだ。イカれた格好してヒーローごっこかよ」
「スパイダーマではない。スパイダーマンだ。それに、イカれた格好とは何だ。イカした格好じゃないか。このタコめっ」
思わぬ誹謗中傷をうけた自称スーパーヒーローは、指を突きつけながらつめ寄った。
詮無きことである。なんせ、中身は多感な中学生なのだ。中学二年生なのである。
けれども、敵もさるもので、
「テメェ、誰がタコだ! もう許さねぇ。タコだの海坊主だの、ハゲをおちょくるヤツは許さねぇっ」
顔をまっ赤にして怒鳴る。
詮無きことである。ハゲをハゲと呼んではならないのだ。
ハゲをハゲと激しい口調で罵られた(と思いこんだ)男の熱量は、雲居のそれをたやすく凌駕した。
「ちょ、ちょっとタンマっ。ちょっとした冗談じゃないか。イカとタコをかけた、イナセなギャグじゃないのっ」
「あ”あ”っ!? 誰がイカだ、タコだろこんちくしょう!」
「もう何言ってるか自分でもわかってないでしょ!」
「ああ、分かってねぇよ。怒りで頭がプッツンきてなぁ。ごらぁっ!」
ひったくり犯が、拳を振りあげる。
それを、スパイダーマンはたやすく躱した。
後方に宙返り。そのついでに、両足で首根っこをつかまえた。
身体でおおきく円を描く。その円運動にひったくり犯を巻き込んで、そのまま地面に背中からたたきつけた。
「うげぇ、ごがががっ」
うめき声をあげて悶絶する男から、バッグを取り上げる。
「まったく、怒りっぽいんだから。そこでしばらく頭を冷やしてなよ。ほら、ちょうど地面も冷たくって良い塩梅だろ? ――あ、やっと来たね。ほら、バッグ」
「あ、ありがとう……。その、あなたのお名前は?」
バッグを受け取った女性――老婦人は、しわがれた声を一オクターブ上げて、ヒーローに誰何する。
それが、素にもどりかけていた雲居の”ヒーロースイッチ”を再びオンにした。
「おほんっ。私の名は、正義の守護者スパイダーマッ! ……むっ。向こうから悪の気配がする。さらばだ、ご婦人ッ」
どこかへ走り去っていく、全身タイツの自称スーパーヒーロー。
「ありがとう、スパイダーマさん……」
その背中に、厚化粧のひび割れからのぞく地肌をまっかに染めて、老婦人は熱っぽく囁くのであった。
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そして今度は、電車のなかである。
「うへへへ。若い娘は肌の張りが違うのぅ。尻も弛んでおらん。年増じゃこうはいかん。愛いのぅ、愛いのぅ!」
ねちゃりと脂っこい笑みを浮かべて、中年男がいやらしく微笑んだ。
その右手は、女性のスカートの下、すらりと延びた脚のつけ根、むちりとした太股に延びていた。
「けしからん格好しおって。ワシを誘っとったんやろ? けしからんなぁ」
ぴたりと尻に張りつく、タイトなスカートである。うすい生地越しに、形のよい桃尻がその艶姿を主張する。
「ぐへへっ。たまらんなぁ。たまらんのぅ」
男の手はするすると、木を這う蛇のように、太股を登って、魅惑の逆三角形へと侵入ていく。
じっとり汗ばんだ手が、ぬるりと肌をなで上げる。
たまりかねた女性が、
「ひんっ」
と悲鳴をあげた、まさにそのときである。
「やめたまえ」
コツリとドアを叩く音。
それは、おかしな現象であった。男は、女性をドアに押しつけてことに及んでいた。走行中の電車のドアである。そのドアが、外から叩かれる筈がないのだ。
この怪奇現象の正体を究めようとして、男は顔を上げ、悲鳴をあげた。
走行する電車のドアに張りつく、奇妙な全身タイツの怪人。その覆面が、男をめねつけていたのである。
「ぬおぉっ!? なんやねん、お前は」
「痴漢を撲滅する男、スパイダーマッ!」
スパイダーマンは、器用にポーズを決めた。
腕を回して水平に延ばし、首は斜めを向いて”決め顔”をつくる。歌舞伎のようなポーズである。一連の動きをみせる上体を、どういう原理か、ドアに張りついた両脚が支えている。
「おい、見ろよあれ!」
「なんだっ、窓の外に人が張り付いてるぞっ」
車内はいっきに騒然となる。こうなってしまえば、もう痴漢どころではない。
あわてて手を引き抜こうとした男を、乗客が見咎めた。
「あっ。ドアの前の男、痴漢してるんじゃあないかっ」
「サイテー」
「誰か、こいつを捕まえて警察に突き出すんだ!」
こうして、男はお縄につくこととなった。
身柄を拘束される男を、スパイダーマンは満足げに見やるや、
「悪は滅びた。では、さらばだ」
電車から飛び降りて、次の現場へと向かうのだった。
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こうして悪事を裁いて回っていたスパイダーマンこと雲居である。
彼は、人目を避けるべく、ビルの屋上に登っていた。
施錠され、ビルの使用者すらも寄りつかぬ場所である。フェンスの陰にひとり寝転がると、向かいのビルや、もっと大きなビルからも見つからぬ、完全な死角に隠れてしまう。
そこで、雲居はマスクを外してくつろいでいた。
「戦士にも休息が必要だからね」
と自らに言い訳をしての怠業である。
その言い訳は、しかし、ともすれば不謹慎な愚痴に転じてしまう。
「うーん。さっきから軽犯罪ばっかりじゃないか。そりゃあ、重犯罪者がそこいらにごろごろしてるよりかはマシだけど、もっとこう、センセーショナルな活躍の場が欲しいなぁ」
と呟いた、まさにその瞬間である。
耳をつんさぐ爆音が、轟いた。
「きゃああっ」
「爆発だっ。ビルのなかで爆発したぞっ」
そんな声に尻を蹴られて、飛び起きた。屋上の縁へ寄って、はるか眼下を見下ろせば、それはすぐさま目に飛び込んできた。
「あそこか」
デパートの入った商業ビル。
その上層階のガラス張りの窓が、弾けたのだ。
きらめく粒子となった硝子片が、みるみるうちに路上に降り注ぐ。
「危ないッ」
雲居の判断は早かった。
マスクを被りながら、ビルから飛び降りる。
着地までの寸間に、四方八方に蜘蛛糸を飛ばし、引き寄せる。
それは、無数ののぼりをつなぎ合わせ、ひとびとを覆う巨大な傘をかたちづくった。
「なんだこれぇ!?」
「とにかく助かった……」
「なぁ、誰がこれをしたんだ?」
「誰だか知らないけど、ありがとうっ」
安堵の声は、しだいに驚愕と感謝の声へと転じていく。
この好機を見逃す雲居ではない。彼は、電信柱の上に飛び乗ると、お気に入りのポーズと共に声を張った。
「私の名は、スパイダーマッ! 皆、安心してほしい。いかなる事件が起ころうとも、かならず私が君たちを守る。――そう。私の名は、平和の守護者スパイダーマッ」
わっと悲鳴があがった。
バク宙を決めて、再びポーズを取ったのだ。
不安定な足場の上である。にも関わらず、その自称スーパーヒーローは、危なげなく飛んで跳ねてさまざまなポーズを取る。
ハイテンションである。実際、雲居は内心で狂喜していた。
(これだよ、これ。こういうのを待ってたんだ! うーん、みんなの熱い視線が気持ち良いなぁ)
どんどんキレを増していくアクロバティックな姿に、すっかりひとびとは見入ってしまった。
そうした聴衆の姿に、すっかり気をよくした雲居が、再度名乗りを上げようとしたその時である。
『突然だが、このデパートはこの俺、爆弾芸術家、木村ボンバーズの木村次郎が占拠した。店員どもは動くなよ。今から全員ぶっ殺してやるからな。お客のみんなも、そこから動かないでね。動いたりしたら、うっかり爆破しちゃうかもよ? ギャハハハハ!』
下品な哄笑が、壊れた窓から木霊する。
それは、デパートの店内放送のようだった。
件のビルの中では、凶悪な事件が起こっているに違いない。そう察した雲居は、覆面の下で、口の端をつり上げた。
(なるほど。テロリストの類か。こういう時の対応は、既に想定してある。俺の正義の心が唸るぜっ)
小雀雲居、中学二年生。
正義のヒーローを志す彼は、あらゆる悪の襲撃に対する備えを怠らない。
退屈な授業中や、寝台で横になっているとき――頭の自由になるときがあればいつでも、そうした場面をシミュレートしていたのである。
この状況もまた、十二分なシミュレートが成されていたので、彼の行動は迅速だった。
「私はこれから、悪を成敗しに行く。必ず、この街に平穏を取り戻すことを誓おう。――とうッ」
飛び上がると同時に、蜘蛛糸を掴んで空高くに舞い上がる。
目指すは、爆破された窓。ぽっかり大口を開いた窓枠である。
「ウェブ・スウィニングッ」
おおきな円弧をえがいて、窓へと足先から飛び込んだ。
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