小雀雲居(こがら くもい):
スパイダーマンの力を持った高校生(本話においては中学生)。
バーニング原田:
放火魔。
斑鳩悟(いかるが さとる):
雲居の同級生で、高校生(本話においては中学生)。
ASEのマルチドライバー。あらゆる乗り物を乗りこなす。
百舌鳥創(もず はじめ):
悟の師匠。前任のスーパーマルチドライバー。
現在は一線を退き、ASE日本支部の長を務める。
**
世間は、スパイダーマンの話題に沸き立った。
「東京都○○区に”スパイダーマン”が出現し、爆弾魔を逮捕しました」
「この”スパイダーマン”は、犯人を屋上に追いつめると、なんと飛び降りた犯人を追いかけて自らダイブ! 足を滑らせて落下した少女を抱え、そのまま犯人を捕まえて、無事地上に降り立ちました」
「ヒーローです。スーパーヒーローの誕生です!」
テレビは連日、この突如現れた謎のヒーローについて面白おかしく報道し、新聞社もこぞって記事を飛ばした。もうちょっと品のない週刊誌などは、何度もテレビに取りざたされた目撃者の証言から、いささか信憑性に欠ける噂話にいたるまでのあらゆる情報を並び立て、そこからスパイダーマンの素顔に迫ろうとしてみたりと、ちょっとしたお祭り騒ぎであった。
そのどれもが、好意的なものであった。彼らは、このスーパースターの誕生を心から楽しんでいたのである。
けれども、両親は違う。
「あなた、このスパイダーマンってひょっとして、雲居のことなんじゃないかしら……」
気付かぬ筈がない。
テレビに映るスーパーヒーローの背格好。小柄で痩せ肉の、子供のような体型。それは、毎日夫妻が目にする我が子のそれと、寸分の違わぬものであった。
「しっ!」
父親は、妻の浅慮を短く叱咤した。
きょろきょろ辺りを見渡して、人の気配のないことを確かめてから、口を開く。
「迂闊なことを言うんじゃない。ご近所に聞かれたりしたら、大変なことになるぞ。……今はまだ良い。ヒーロー扱いだからね。けれども人間、掌を返すのは早いもんだ。今にきっと皆、あの異常性に目が行くようになる」
彼は、弱り果てた顔で、こう結んだ。
「そうなった時に、僕らにいったい何ができるって言うんだ。僕らはふつうの人間なんだよ。あの子と違ってね」
**
「見た? スパイダーマンのニュース」
「見た見たー。正義のヒーローだってね。すごいねー」
そんな会話が、子供の間でも成されている。
教室でささやかれる賞賛の声を、雲居はニヨニヨしながら聞いていたのだが、
「でもさ、あのポーズはないよね」
「だよねー。ちょーダサイ」
という声を耳にして、笑顔が凍り付いた。
そんな雲居の変化を、隣席の少年は目敏く見つける。
「おや。どうしたでござるか、雲居殿。そんな、ヒロインかと思われた女の子が、実は血を分けた兄妹だったという驚愕の真実が突拍子もなく語られて驚いた顔をして」
その声掛けがあまりにあんまりだったから、
「それってスターウォーズのこと? それとも、なんとかシードってやつ?」
雲居はなんとか、いつもの調子を取り繕ってツッコミを返すことができた。
そんな雲居に、隣席の少年はデュフフと笑いかける。
「いやぁ、アレらはどちらも名作でござった。ただ、この点だけは何とかならなかったのかと、思わないでもないでござるが」
彼は、
そんなマイペースな友人の雰囲気にひっぱられて、雲居もだんだんいつもの調子が戻ってくる。
「あのさ、
「ほう? 何故にかような質問を」
眼鏡をくいと持ち上げながら、樋縮少年は尋ねる。
「いや、その……だって、スパイダーマンって格好良くない?」
雲居は、級友の女子生徒をこっそり親指で示した。彼女らは「全身タイツとかダサイよねー」「あの覆面、銀行強盗かっての」などとスパイダーマンの悪口で盛り上がっている。
「うぅーむぅ」
「ダサカッコイイでござるな!」
と力強く答えた。
それは、雲居の耳に馴染みのない言葉であった。
「えっ……それってつまりダサいの? それとも格好良いの?」
「格好良いでござる。『ダサい、けれどそれを含めて尚カッコイイ』の意でござれば」
微妙な顔をする雲居に、
「あの全身タイツ、おそらくは自作でござろう。ところどころ生地が余ってよれよれになっているでござる。が、あのデザインは独特で、見る者を唸らせるものがあるでござるよ。センスがある」
「へへっ」
雲居はにへらと笑った。
「その一方で、あのポーズはいただけないでござるな」
「ぬあっ!?」
雲居は凍り付く。
タイミングが良いのか悪いのか、件の女子生徒も同じ話題に移っていた。
「あのポーズさ、妙にクネクネしてない?」
「分かるー。なんかナヨナヨしててダサイよねー」
もちろん、雲居と樋縮の耳にも届く。
樋縮は、呆れた様子でため息をついた。
「まったく、あんなる女子共は分かっておらぬでござるな」
「え?」
「ポーズの方向性は良いのでござる。身体を屈める独特のポージングは、面白い。ただ、洗練が足りぬだけ。もっと動きのキレを良くして大げさにすれば、それだけで格好良いポーズになる筈でござる」
「樋縮……」
雲居はじんと感じ入った。
樋縮は嘘の言えるような器用な性格ではない。彼はいつも自分に正直で、だからこんな格好をしている。そんな友人の真実の言葉だからこそ、雲居は胸を打たれたのだ。
「なに、同じオタク趣味を持つ同志ではござらんか。拙者、幼稚園のみぎりより変わらずスーパーヒーローへのあこがれを持ち続ける雲居殿を、心より尊敬してござる故な」
「へへっ。よせやい、誉めても何にも出ないぞ」
「ははっ。なに、お気にめさるな。なにせ――」
ひとしきり笑うと、樋縮は拳を突きだした。
「友情は見返りを」
「求めない」
雲居がこつりと拳を合わせると、二人は男くさく笑い合う。
「ところで雲居殿。その地図はいったい何でござろう」
樋縮は、気になっていたことを尋ねる。
雲居の机の上には、地図が広げられていたのである。
「見ての通り、東京都内の地図だな。最近、不審火が多発してるだろ。もしも犯人がこっちまでやってきたらイヤだなって思って、調べてるんだ」
「ふむ」
地図のうえには、いくつか点が打たれている。恐らくは、それが不審火の現場なのだろう。
樋縮は、顎を撫でつ地図を眺めやる。
ややあって、何かひらめいたと見える。
「雲居殿。地図に書き込んでも?」
「いいけど、何か分かったりしたの」
「ふふふ。これをご覧あれ」
ボールペンを走らせて、地図上の点を結ぶ。それはたちまち、とある文字をかたちづくった。
「これは……『よしこ』?」
「その通り。つい先月まで日曜朝に放送されていた女児アニメ、『魔法少女よしこ』のタイトルでござる」
樋縮は、眼鏡を怪しく光らせて、にやりと笑った。
「いや、ちょっと何のことか分かりませんねェ……」
と困惑する雲居そっちのけで、樋縮は持論を語る。
「『よしこ』のアニメは、そのシリーズを閉じたばかり。思うに、ヒートアップした『よしこ』のファンが、想い余ってやらかしてしまったのでござろう」
「そんな馬鹿げた理由で放火する人がいるとは思えないけどなぁ。にしても、よく地図上の点を結ぼうと思ったもんだ」
「この手のトリックは、マンガや映画で散見されてござるよ。古くは西ドイツの産んだ迷作『ベルリン忠臣倉』にも見られ――」
なおも語ろうとする樋縮を、雲居の声が遮った。
「なぁ。もしこれが本当だとすれば、この文字の最後の一画。その終点が、次の犯行場所なんだな」
「恐らくは。……どうしたでござるか。血相を変えて」
馬鹿馬鹿しい。そうは思うものの、ひとかけらでも可能性がある限り、捨て置くことはできない。
なぜならば、
「父さんの会社がこの辺りにあるんだ」
大切な家族の安否がかかっているのだから。
**
その日の夜のことである。
雲居は、夜遅くに帰宅した父を出迎えた。
「父さん!」
彼は、雲居が帰りを待ちかまえていたことに驚いた様子である。
そんな驚いた顔も、雲居には嬉しく感じられた。父と話すのは久しい。
けれども、今は嬉しさを噛みしめる心の余裕がない。
雲居は、まだ靴も脱いでいない父親に、件の地図を突きつけた。
「これを見てよ。今、街を騒がしてる連続不審火の発生場所を、地図上に描いたんだ。ほら、文字になってるのが分かるだろう」
雲居は、熱心に地図を指さして語る。
だから気付かなかった。自らを見やる父の表情を。
「この文字の終点、つまり次の事件の起きそうな場所が、父さんの会社に近いんだ! だから、しばらくは会社を休んで――」
顔を上げた雲居は、言葉を呑み込んだ。
父が、心底弱り果てた顔をしていたのだ。
「ヒーローごっこの次は、探偵かな。……まぁいいいさ。何をするのもキミの自由だ。だがな、雲居。僕や母さん、
父は投げやりに告げる。
それは、このヨクワカラナイ生物のことなど理解できる筈がない、と思っているのがありありと分かる態度であった。
「僕たちはお前とは違って――」
そして、とうとう彼は言い放つ。
雲居を突き放す、最後の一言を。
――普通の人間なんだから。
**
深夜である。
眠らぬ街、東京。そこでは、人の営みは絶えるということを知らない。
様々な年齢、職業構成のひとびとがひしめくように暮らしているので、入れ替わり立ち替わり、必ず誰かが活動している。その為、街は常に灯りをともし、煌々としているのだ。
しかし、それは、必ずしもすべての地区が、昼も夜も変わらぬ姿で過ごしているということを意味しない。
例えば、このオフィス街には、営業時間を昼間に定めるきわめて健康的な企業が、数多く拠を構えている。
草木も眠る丑三時――
ともなれば、人の姿はほとんど見られない。
ビル群の灯りはまばらで、あれほど賑々しかった街並みも、今はすっかり夜の静寂に沈んでいる。
コツコツという自らが立てる足音のおおきさに驚いて、偶然ここを通りがかったひとびとは、そそくさと歩を早めるのであった。
その足音が通り過ぎるのを、今か今かと待ち構えている人物がいた。
「よし、行ったようだな。それじゃあ、ひと仕事始めるか」
ひとことで言えば、不審者である。
ワックスで金髪を逆立てた、タンクトップにジーパン姿の、「ウェーイ」とでも言いそうな若者。その若者は、なんと、手にはお手製の火炎放射機を携えて、どういうわけか線香をハチマキで頭に括り付けている。ハチマキには「バーニング」と書いてあったから、「放火魔でござい」と主張しているかのような、それは奇抜な格好であった。
彼は、小脇にかかえたダンボールを壁に立てかけると、満足げに頷いた。
「これで下準備は完璧だ。それじゃあ、さっそく始めるか。この『種火』の炎を灯して、俺の想いを伝えるんだ!」
男は、額の線香を手に取り、ダンボールに近づける。たちまちダンボールにまっくろな焦げ目が広がり、いまにも炎を吹き上げようとした、まさにその時、
「待ていっ」
「なんだ、何者だ!?」
「悪の炎を鎮火する男、スパイダーマッ」
ヒーローが現れた。
「お前は、今話題のスーパーヒーローかっ。どうしてここが分かった!?」
「はっはっはっ! 地図上で、犯行現場を線で結んだのさ。まさか本当にここが次の犯行現場になるとは思っていなかったが」
スパイダーマンは、高らかに笑う。まるで、何かを忘れようとでもしているかのように、いつもより過剰なポーズを決めながら。
「俺の『愛の大文字焼き作戦』を見抜くとは、さてはお前も『よしこ』のファンだな」
「いや、俺の友達が気付いたんだが」
呆れた声音のスパイダーマンである。そんなスパイダーマンにはお構いなく、放火魔はなにやら嬉しそうに頷く。
「なるほどな。その友人とやらなら、俺の想いを理解できる筈だ。『魔法少女よしこ』は歴史に名を残す傑作女児アニメだ。たったの一期で終わっていい筈がねぇ。この街をキャンパスに『よしこ』のタイトルを描いて、愛の炎を皆の心に灯すんだ。そして『よしこ』第二期を!」
話すうちに放火魔はだんだんヒートアップして、ついには火炎放射器から炎を吹かせた。
「うわぁ、本当にそんな頭の痛い理由で放火なんかしてるんだ……」
余りにあんまりな供述に、雲居はすっかり素に戻ってしまう。
「頭の痛い理由、だと」
怒髪天を衝くとはこのことか。ハチマキに結われた髪は逆立って、それは、線香に灯った炎のように揺らめいた。
「俺の名は、バーニング原田! 俺の炎は、愛の炎! お前こそ、俺の愛を止めるだけの理由があるっていうのか」
その言葉が、『スパイダーマン』を『小雀雲居』に引き戻す。
素に戻った雲居は、思わず内省してしまう。
「理由、か」
最初は、ただの憧れだった。
物心ついた頃にはすでに、スパイダーマンという存在に憧れていた。特別な理由はない。ただなんとなく、格好良いから憧れていたような気がする。
それから、もっと別の理由を得た。
(正義のヒーローとして人気者になったら、父さんも母さんも、俺のことを見てくれるかなって思ったんだけどなぁ)
それは、まったくの無意味に終わってしまった。
では、今はどうなのだろう。どうして自分はこんなことをしているのだろう。
そんな自問を、すぐに首を振って打ち消した。
(考える必要なんてない。誰かの役に立てるなら、それだけで十分じゃないか)
思わず考え込んでしまった雲居に、隙ありとばかりにバーニング原田が火炎放射器を向ける。
「どうしても俺の邪魔をするってなら、しょうがねぇ。お前ごと街をバーニングしてやるぜっ。バーニントゥギャザー!」
唸る火炎放射器。それは、電動の農薬散布機を改造してつくった代物だ。
機械本体に直結されたポリタンクから、本体に重油が供給される。たちまち気化されたそれは、ノズル先の炎に勢いよく吹きつけられ、炎の大蛇となって雲居を呑み込まんとする。
「うわぉっ!?」
それを、雲居はおおきく跳び退いて回避する。
生物の、あるいは蜘蛛の本能なのだろうか。爆発物すら冷静に対処した雲居であるが、炎にたいして異常な恐れを感じてしまう。
「くっ、あの火炎放射器をどうにかしなくては。ウェブ・シュートッ」
「しゃらくせぇ。蜘蛛の糸もまとめてバーニングだっ!」
ぶわっ、とひときわ強く吹き出す炎の大蛇。大蛇の顎が、蜘蛛糸をひと呑みにした。
たちまち蜘蛛糸は縮み、固まって、じゅうじゅう煙を噴きながら地面に落ちた。
「なんだって!?」
蜘蛛糸は非常に強靱で、ほんの数ミクロンの太さでクモの自重の二倍の重量を支えることができる。そこに目を付けが科学者たちが、これを人工的、工業的に再現しようと躍起になるほどである。
そんな蜘蛛糸も、結局のところはタンパク質の塊にすぎない。熱を加えれば、不可逆の変化を起こしてしまうは道理である。
「そうか、要するに焼き肉と同じだものな。焼いた肉は元には戻らないってことか」
と感心する雲居に、脅威が迫る。
「バァニィィィィン!」
ほとばしる裂帛の気合い。猿叫のような声援を受けて、炎の大蛇がおおきく顎を開く。
蜘蛛の天敵とも言うべき炎を前にして、雲居の生存本能がはげしく暴れ出す。
アドレナリンが大量に分泌され、ニューロンの電気信号は火花を散らし、脳はそのポテンシャルを十全に引き出した。
――その瞬間、時は歩みを緩める。
コマ落としの映像となって、世界は、ことのあらましを雲居に語りかけた。
気化した重油の粒子のひとつひとつが、その身に炎を宿す。ひとつ炎が宿れば、それに連鎖するようにひとつ、またひとつと炎の粒が広がっていく。その行き着く先、未来の姿を、雲居は掌を指すがことくに知ることができた。
「うわぁっ!?」
夢中になって、身体を地面に投げる。
身体が重い。水の中でも歩いているかのようだ。スロー再生のようにゆっくりと身体が地面を転がって、そして、その上を炎が通り過ぎた。
と同時に、スローモーションが解除される。絶体絶命の危機を逸したと、本能が察したのである。
「危なかった。でも、これでお前に接近することができたぞっ」
腹筋の力だけで跳ね起きて、そのままバーニング原田に肉薄する。
「インファイトだ! これだけ近ければ、火炎放射器は使えないだろ」
「くっ、こしゃくな真似をっ」
この至近距離で炎を当てるのは自殺行為である。雲居の身体にぶつかった炎は、逃げ道を求めてあちこちに飛散する。それすなわち、バーニング原田へと炎は返ってくるのだ。
「これで終わりだ」
雲居は拳を握りこみ、凶悪な放火魔へと一直線に放つ。
「うおっ、危ねっ」
それを、バーニング原田はすんでのところで頭を下げて、回避する。
それは、ひょっとしたら、日頃のたゆまぬ自己研鑽の成果なのかもしれない。
大きなお友達も楽しむことのできる女児向けアニメ『魔法少女よしこ』では、ほんの数フレームの寸間、すなわち数十分の一秒の刹那、男心をわしづかむ逆三角形が出現する。それを決して見逃すまいと、バーニング原田は己が動体視力を、人間の届きうる極限の領域まで高めていたのだ。
見よ。
幾人もの悪人を打ち据えてきた、正義の鉄槌。それを、バーニング原田は髪一重で躱し――
髪の毛と、頭に括りつけた線香とが刈り取られた。
「あっ」
とバーニング原田が声をあげた。
頭に括り付けた線香がぽきりと根本から折れて、その炎を絶やしてしまう。
それは、バーニング原田の生命を刈り取ったも同然だった。
「お、俺の『情熱線香』がっ。断腸の思いで『よしこ』グッズを燃やして、その炎でつくった聖なる種火が、炎が……消える……」
バーニング原田の脳裏に、苦難の記憶がよみがえる。
大好きな『よしこ』のアニメが終了してしまい、絶望のあまり慟哭した運命の日。
『よしこ』第二期を制作させるべく、昼夜の別なく渾身の計画を練りつづけた、臥薪嘗胆の日々。
血の涙を流しながら『よしこ』グッズを火にくべ、次にグッズを手にするのは『よしこ』第二期を視聴したときだと臍を固めたあの日。
それはまさしく、バーニング原田の魂の炎そのものだったのだ。
「お母さん……僕はもう……駄目みたいで――」
バーニング原田は、魂の燃えつきた抜け殻となって、その場に崩れ落ちた。
「えっ。これで勝っちゃったの?」
雲居はしばし呆然と立ち尽くした後、あわてて火の後始末を始めるのだった。地面におどる火の粉を踏みつぶして、あたりに引火していないことを確かめる。
そんな雲居に、のんきな声が掛かる。
「なぁ、こいつも念のために縛っといたぞ」
「おっ。どうもサンキュ――って誰だ!」
白目をむいて地面に伏せるバーニング原田を、ぐるぐるに縛り上げる少年がいた。
ぼんやりした、しまりのない顔。たどたどしく縄を結い上げる、頼りのない手つき。年の頃は、同級生くらいか。すなわち中学生である。
傍らには、中学生には不釣り合いな、いかめしいバイクが置いてある。
「うーむ、何と言ったらいいのか。見習いだしなぁ。でも、百舌鳥さんもデビュー戦だって言ってたし、ちゃんと名乗っていいんだろうか」
マイペースな少年である。腕組みしてああでもないこうでもないと唸りながら、バイクに跨がる。
――その途端、少年は変貌する。
きりりと口元を引き結び。瞳はするどく眇めた鷹のそれで。なかなか精悍な顔つきは、さっきまでの「ぽややん」とはまるで別人である。
エンジンに火を入れ、エンジンのスロットルを力強く握り込む。その姿は闘志にあふれた、ひとりの戦士であった。
「ASEのドライバーだ。悪いヤツではなさそうで心苦しいが、お前を捕まえにきた」
こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。
**
時は僅かにさかのぼる。
さえない顔つきの中学生、斑鳩悟はその闘いを眺めやっていた。
「うーん。線香を頭に括りつけた放火魔と、全身タイツのスーパーヒーローか……。あんまり、間に割って入りたくない絵面だなぁ」
とぼんやり呟く、間抜け顔の少年。その実は、あらゆる乗り物を乗りこなすASEのスーパーマルチドライバー――の卵である。
いや、孵ったばかりのヒナと言うべきか。彼は、今日がはじめての実
前任の、最強の称号を思うがままとした、伝説のスパーマルチドライバー
例えば、バイクレースの元世界チャンピンオンを相手に競い、ついにはそれを追い抜き。F2レースカーにおいても、プロ顔負けの技術を身につけ。のみならず、潜水艦から飛行機、建機までありとあらゆる乗り物に、おそるべき早さで習熟していった。
小学生という年少から英才教育を受けはじめたということを差し引いても、彼の吸収の早さ、才覚は並外れていた。
講師として召集された、それぞれの分野のスペシャリストたちは、こぞって太鼓判を押し絶賛した。なかには「是非、私の後継者になってほしい!」と申し出る者も少なからずいたほどである。
その報せを受けた百舌鳥創は、しかし全く満足することなく、更に過酷な修練へと悟を放りこむことにした。
「見習いなりに、少しはマシになってきたじゃないか。なんとか構外講習レベルには達したようだな。――よし。今日から実戦デビューだ」
百舌鳥創はニヤリと口の端をつりあげる。
「お前に仕事をやろう。最近、犯罪者に私的暴行を加えて、そのまま路上に放置する危険なヤツがいる。知ってるな? スパイダーマンとかいう全身タイツの変人だ」
「えっと、まぁ一応は」
悟はたどたどしく答えた。
先日の爆弾魔事件のとき、人質が取られて事態が硬直したと見るや、屋上のクレーンを
そんな悟にお構いなしに、百舌鳥は言葉を浴びせかける。
「そいつを捕まえるよう、警察から依頼があった。お前のマシンは、初音のヤツに頼んである。そいつを使って、スパイダーマンを捕まえろ。……どうした、なにをボサっとしている。さっさと行かんか!」
などと、たいした説明もなしに、悟は部屋から追い出された。
困り顔の悟は、バイクを受け取り、その場でASE作戦立案部からスパイダーマンの出現予測地点、つまり放火魔の犯行予測地点を聞かされることとなった。なんでも、犯罪者の現れるところに、彼の怪人は現れるのだという。
しょうことなしに、悟はバイクに跨がった。
「百舌鳥さんも無茶苦茶言うよなぁ。犯罪者を一方的に倒すスーパーヒーローを、武器も無しに捕まえろだなんて。いったいどうしろって言うんだ……」
弱気な発言も、そこまでだった。
エンジンに火を入れ、アクセルスロットを握り込む。
その瞬間、彼の顔つきは変貌する。己の半身たる単車を信じ、何物にも動じない、いっぱしの戦士の面構え。
「――ま、こいつがあれば、どうにかなるか。頼んだぜ、
そうして斑鳩悟は、二人の怪人が火花を散らすこの
果たしてそこに居たのは、炎をまき散らす怪人と、それを避ける全身タイツの怪人。
「おっ、決まったか?」
全身タイツのするどい拳打が、放火魔へと放たれる。
それを、なんと、放火魔は間一髪で回避した。
にも関わらず、放火魔はへなへなと腰砕きになって、力なく地面に倒れ伏す。謎の戦意喪失である。全身タイツの怪人も、これには困惑した様子である。
「うーん、あんまりいいのを貰いそうになったんで、ビビったんだろうか。……それにしても、あのスパイダーマンってのは悪いヤツじゃなさそうだな」
放火魔のまき散らした炎が引火していないかを確かめている。地面に落ちた、いずれ消えゆくであろう小さな火の粉すら、丁寧に踏みつぶして回る几帳面さだ。
「でも、放火魔を放置しとくはマズいよなぁ。一応、縛っておこう」
ASEから支給された、スパイダーマン捕獲用の縄で放火魔をぐるぐる巻きにした。
そして、スパイダーマンに声を掛け、本来の用件を伝えたのだった。
「俺を捕まえるだって? 何かの間違いじゃないのか。自分で言うのもなんだけど、悪いヤツを捕まえるヒーローなんだから」
全身タイツの怪人――雲居は訝しげに問い返す。
悟は、困ったふうに頭を掻きながら答えた。
「うーむ、それなんだが、いくら相手が犯罪者とはいえ、殴って回るのは犯罪なんじゃないか?」
「あ……」
思ってもみなかったとばかりに、大口をあけて唖然とする雲居。その表情はマスクの下に隠れていたけれども、声音にはありありと動揺が滲んでいた。
「そうか、俺は悪いことをしてたのか……」
けれども、次の瞬間には動揺を振り払って、悟に向き直る。
「悪いが、それでも捕まるわけにはいかない。俺が捕まると、迷惑をかける人がいる。それに、俺がしたのは、誰かの為になることだ。それは悪いことじゃない。そうだろう?」
雲居は、ひとびとの感謝の言葉を思い出す。警察が防ぐことの出来ない犯罪を防ぎ、秩序と安心をもたらすスーパーヒーロー。
――そう、自分は『スパイダーマン』なのだ。
その意識が、雲居のヒーロースイッチを再びオンにした。
「うーむ、そうなんだよなぁ。でも、違法行為は違法行為だしなぁ」
と逡巡する悟に、スパイダーマンは指を突きつける。
「そういうキミこそ、バイクに乗ってるではいか。見たところ、中学生だろ? 免許を取れるような年じゃあないはずだ」
「うっ。それを言われると、返す言葉がないが……」
痛いところを突かれた。国際免許を持ってはいるが、日本においては十八歳の齢に達さねば有効化されない。
そんなことを指摘されても、悟は退かなかった。
彼にもまた譲れぬ信念がある。それこそは『真のASEドライバー』になるということである。
悟の夢は今日このとき、ようやく実現までの第一歩を踏み出したばかりだ。ここで引き下がるわかにはいかぬ。
「でも、これもASEの任務だ。悪く思わないでくれよ。なるべく痛くしないようにするから」
「なるほど、あのASEのエージェントか。……どうしても退かぬというなら、仕方ない。誰にも、私の正義は邪魔させないッ」
スパイダーマンがポーズを決める。それこそは、樋縮の助言を受けて練り直した「究極にカッコイイポーズ」である。
不夜城の放つ光。うっすら白ばむ夜空を背景に、黒くそびえるビルの群。その影絵のような背景を背負って、彼は名乗りをあげた。
「かかってこい、ASEドライバー。私は影絵の街に巣を張る蜘蛛、スパイダーマッ」
「それじゃあお言葉に甘えて!」
先に仕掛けたのは悟だった。
正面からぶつかって、吹き飛ばそうとする。
もちろん、そこには手加減が見て取れた。インパクトの直前にブレーキをかけて、重大な怪我をさせぬよう配慮していた。
そのような手加減は不要だった。
スパイダーマンは、軽々と悟を飛び越えて、回避する。
「跳んだ!? いったいどんな脚力してるんだ」
今度はスパイダーマンの番である。着地するなり拳を放つ。拳は、悟の騎乗する単車にまっすぐ向かっていく。
悟は、嫌な予感を覚えた。
二百キロもの鉄塊である。それを殴ろうというのは、常識では考えられない。けれども、相手は
「くっ」
とっさに後輪を滑らせて、単車を逃す。
単車のあった場所を、拳が突き抜ける。
そのまま壁に突きたって、壁を爆発四散させた。
「うそだろ……」
悟はあんぐりと、顎も外れんばかりに大口を開けた。
「こら、逃げるな!」
「と言われて逃げないヤツはいないと思うぞ。だってこれ、タダじゃ済まないだろ!」
と叫ぶなり単車を走らせようとした悟の機先を、スパイダーマンが制する。
「ウェブ・シュートッ」
手首を向けて、蜘蛛糸を放ったのだ。
噴水のごとくに勢いよく飛び出した蜘蛛糸を、悟の単車はすんでのところで躱す。
「蜘蛛の糸!? そんなことまで出来るのか」
「そう言うキミこそ、なかなかどうしてバイクが上手いじゃないか」
悟の操縦テクニックも絶妙である。それ以上回せば、タイヤは地面を離れて空転してしまったに違いない。摩擦のかかるギリギリのラインを見極めて、単車の全力を引き出したのだ。
悟の妙技は、これに留まらない。
前輪を持ち上げて、壁に突撃する。と思いきや、そのまま勢いで壁を登り、壁の上に立った。
その幅、実に幅数センチ。車輪がようやっと乗るだけの幅に立つ器用さは、猫のようである。
そして、
「悪いな。ちょっと手加減できそうにない。なるべく痛くしないようにするんで、我慢してくれ」
スパイダーマンめがけて飛びかかった。
「そうはいかない。歯を食いしばるのはキミの方だ」
飛び上がり、攻撃を避けるスパイダーマン。
その手首から飛び出した蜘蛛糸を、悟は単車をウィリーさせて避ける。
その防御の動きが、攻撃の始動だった。ウィリーからノーモーションで、スパイダーマンめがけて体当たりをしかけたのだ。
もちろん、スパイダーマンはひらりと躱す。
「はっはっはっ。そんな攻撃に当たってしまうほど、私はトロくはないぞ」
「なら、これでどうだ」
横に跳んだスパイダーマンに、悟は追撃をしかける。すなわち、急制動をかけて前輪一本で立ち上がり、そのままぐるりと車体を振ってぶちかます。ジャックナイフターンである。
「ふっ!」
地に伏せて、車輪をやりすごすスパイダーマン。その体勢を利用して、ブレイクダンスのように身体を回す。
「このまま足払いだっ」
「うそだろ、バイクを蹴り飛ばせるってのか!?」
悟は咄嗟にブレーキを離して、前輪を滑らせる。ぶぉんという恐ろしい風切り音を聞きながら、器用に前輪を転がして、数メートルの距離を離した。
そして、二人は対峙する。
身を屈め、いつでも全身のバネを駆動できるように身構えるスパイダーマン。アクセルに手を添え、
奇しくも、二人は同じことを考えていた。すなわち、眼前の好敵手の常識離れした能力に、驚きと賞賛の念を抱いていたのだ。
(ASEのドライバーってのは化け物か! こんな中学生が居てたまるか。若作りのベテラン・スタントマンか、それとも中国雑技団でも中に入ってるって言われたら、ころっと信じるぞ)
(見かけによらず、こいつ滅茶苦茶強いぞ! これがスパイダーマンか。見かけは細いのに、いったいどんな筋肉してるんだ)
悟が攻撃を仕掛ければ、スパイダーマンはひらりと宙を舞って回避する。スパイダーマンが仕掛ければ、悟は曲芸じみた挙動で回避する。防御の動きがそのまま攻撃につながり、攻守はめまぐるしく交代する。
それは、よくできた演武のようにも見えた。もしも聴衆がこの場にいたなら、映画の撮影かと騒ぎカメラを向けたに違いない。
しかし、見る者が見れば、まったく違った真実が顔を出す。
「なんだこりゃあ。アイツ等、やる気があるのか?」
と呆れ声を漏らしたのは、百舌鳥創である。
彼は、背の低いビルの屋上から、二人の闘いを観察していたのだ。
「全身タイツのヤツ、悟に遠慮してやがるな。マシンばかり狙って、一向に悟を殴ろうとしない」
スパイダーマンこと小雀雲居は、純粋で善良な少年である。躊躇なく悪人を殴ってまわる彼も、無辜の市民に手を挙げることは躊躇われる。
悟は凄腕の敵対者であったけれども、彼が罰すべき犯罪者ではなかったので、極力これを傷つけまいと努めていた。すなわち、蜘蛛糸で動きを封じたり、単車を破壊しての無力化を試みていたのである。
悟本人にはいっさいの危害を加えまいとしていたので、どうしても攻撃は遠慮しがちになってしまうのだ。
「悟も悟で、悪い癖が出たな。マシンを庇ってやがる。それじゃあ全身タイツには勝てんぞ」
それは、悟の唯一にして最大の欠点である。
彼は、どんな乗り物でも己が身体の延長上のように扱ってしまえるという、他に類を見ない優れた才能の持ち主であったけれども、かえってそれが災いした。
マシンに感情移入してしまうので、肉親かひょっとしたらそれ以上にこれを大切にしてしまうのだ。我が身を挺してマシンを庇うほどの徹底ぶりである。
「マシンを犠牲にすれば、攻撃を当てる機会はいくらでもあった。それをあえて棒に振る甘さは、いつか必ず命取りになる。……もっとも、全身タイツの方も相当な甘ちゃんらしいがな」
スパイダーマンの拳が単車を捉えそうになる度に、悟は、我が身を挺して単車を庇う。すると、今度はスパイダーマンがあわてて拳を引くのだ。
「まったく、馬鹿共め」
百舌鳥は笑った。
二人とも、どうしようもない未熟者である。でありながら、そのどちらも頑なに、己の信じる正しさを貫こうとしている。
その青さが、彼にはほほえましく見えたのだ。
「灸を据えてやらんとな」
百舌鳥は、単車に跨がった。
ハーフのヘルメットに、
そのワイルド・アメリカンな出で立ちに不似合いな、曲芸めいた操縦を披露する。
すなわち、屋上から飛び降りて、そのまま壁の上へ。それから二人の間に降り立った。
「またバイクだと!? やはりキサマ等は中国雑技団か」
「そういうお前は、中学生の学芸会だな」
「なん……だと……?」
「子供のお遊技だと言ったんだ。あまりにダサくて見てられん」
百舌鳥は、妙にキレ良く構えをとる
「バカな、この『スパイダーマン』がダサいわけあるか! ……そんなことないよね?」
思わず素に戻って、雲居は悟に尋ねた。年の離れたオッサンなどではなく、同世代の悟ならきっとこの格好良さを分かってくれると信じて。
当然、そのアテは外れることとなる。
悟は、非常に言い辛そうに、
「いやぁ、その、人の感性はひとぞれぞれだからなぁ。きっとそれがカッコイイって言う人もいるんじゃないかな」
と慰めの言葉を口にしたのである。
「ふぁっ!? そ、そんな筈は……。そうだ! ポーズはまだちょっとダサいかもしれないし、コスチュームもイマイチかもしれないけど、あの名乗りは格好良いよな! 『地獄からの死者、スパイダーマッ』 これが格好良くないわけがない! なぁ、そうだろ?」
「うーむ……俺、そういう趣味とは縁がないから、何とも言えないなぁ」
悟は明言を避けた。これは、不器用な悟なりの最大限の気遣いである。
もっとも、その胸の内は誰の目にも明らかだった。悟の目は語っている。「その名乗りはちょっと……」と。
「ぬわぁぁぁああ!?」
矢でも射られたかのように、雲居は大げさにのけぞり、地面に崩れ落ちる。
――キャハハハ、ダッサーイ。ヒーローごっこが許されるのは小学生までだよねー。
雲居の脳裏には、そんな副音声が再生されていた。
「……そうか。そうだったんだ。そうだよなぁ、やっぱりそうだよなぁ! 可笑しいとは思ったんだよ、取材してくれたリポーターの人とか目が笑ってたし!」
雲居は、頭を抱えて地面を転がった。まるで、魂をヤスリにかけられるような、耐えようのない痛みに悶えているかのように。
「もう俺はダメだ、社会的に死んだんだ! 今すぐ死にたいっ。殺せ、いっそ殺してくれっ!」
そんな雲居に、百舌鳥は追い打ちをかける。
「まったく、噂のスパイダーマンとやらはどんなヤツかと思えば、こんなガキだったとはな。……気にするな。その頃の子供にはよくあることだ。若いうちは、大なり小なりバカするもんだ」
百舌鳥の瞳が、懐古の色を帯びる。ヤンチャをしていた昔の自分や、ひょっとしたら、昔の相棒を思い出したのかもしれない。
けれども、それはほんの一瞬の変化だったので、誰も気付くことができなかった。こと雲居の目には、呆れ混じりの苦笑としか映らなかったのである。
「や、やめろよっ、笑うんじゃあないッ」
雲居は悲鳴を上げる。それは、恥ずかしさから目を逸らす為の、必死の逃避行動であった。
そんな雲居に、どういうわけか、百舌鳥はさんざん挑発的な言葉を投げかける。
「ふんっ。これが笑わずにいられるか。そんな格好をして、まるで道化だな」
「ぐあぁっ!?」
まるで不可視の攻撃でも受けているかのように、地面を転がるスーパーヒーローと、悪の親玉のような貫禄の百舌鳥。
そんな光景を、悟はぼんやり眺めやっていたが、
「百舌鳥さん、一体どうしたんだ。いつも口が悪いけど、今日は特別ひどいぞ」
百舌鳥の様子に首を傾げる。
そもそも百舌鳥は、口よりも先に手がでるタイプの人間である。諭すよりは殴って躾け、書類の上で指示を出すよりも、自ら現場に出張ることを好む。
だから、口数の多い百舌鳥に、悟は違和感を抱いたのだ。
百舌鳥は、スパイダーマンを警戒していた。
悟との無様な立ち会いで見せた身体能力は、人間のそれを超越している。これと闘うには、カンカンに怒らせて、戦術眼を曇らせておかなければならない――
その作戦は、うまく行きそうもなかった。
(こいつ、なかなか怒らない。どうやら、悟並みにおめでたい頭をしてるようだ)
やれやれとため息を吐いて、単車のアクセルを握り込んだ。
ブォンとエンジンが唸りを上げて、雲居を威嚇する。
「百舌鳥さんっ」
百舌鳥の戦意を察した悟が、割って入ろうとする。もちろん、百舌鳥は一蹴した。
「悟、お前は黙ってそこで見ていろ。お前にやらせてたんじゃあ、いつまで経っても終わらんからな!」
言うなり、百舌鳥は人馬一体となって雲居に襲いかかる。
その頃には、膨れ上がる戦意を察知した雲居も飛び起きて、迎撃体制を整えていた。
「なんだよ、口撃の次は攻撃かっ。良いよ、かかってこいよ! 俺は勝つぞッ。なにせ、バイクの動きはもう見切ったからな」
「吠えるな、小僧。俺は、悟のように甘くはないぞ」
悟は掛け値無しの天才ドライバーである。
だが、百舌鳥は更にその上をいく。彼こそは、かつて『デスマシン』と渾名された最強の傭兵である。
戦場を渡り歩いて蓄積した戦闘経験と、完成された大人の体躯から絞り出されるパワーは、単車を自在に動かし、すぐれた戦術眼でもって戦況を支配することを可能にした。
雲居の攻撃をことごとく避け、それどころか、お返しとばかりに一撃を見舞う。
「ぐあっ」
悟と同じジャックナイフターンである。
同じ技でありながら、百舌鳥の方がするどく素早い。大人の体躯が、単車の挙動を完全に制し、予想しえないタイミングでの攻撃を可能としたのだ。
しかし、スパイダーマンは大したダメージを受けていないように見える。
二百キロ超えの体当たりを受けて、吹き飛ばされはしたが、それだけである。壁に足を着くと、そのまま百舌鳥めがけて跳躍する。
「よくもやったな。今度はこっちもお見舞いしてやる!」
「やれやれ、アレを喰らってなんともないのか。大したタフネスだ」
百舌鳥はひとすじの冷や汗を垂らす。
この全身タイツの怪人の身体能力は、『デスマシン』と呼ばれる歴戦の戦士をして驚愕せしめる程である。戦場で出会ったどの敵よりも優れた身体能力の持ち主であることは、疑いようがない。
(だが――)
繰り出される拳を前に、どうしたことか、百舌鳥は微動だにしない。
いよいよ拳が百舌鳥の顔面を捉えそうになって、
「くっ!」
雲居は、あわてて拳の矛先を逸らした。
彼の純粋さが、激情のままにふるった拳をそのまま振り下ろすを良しとしなかったのである。
「――甘いな、小僧」
カミソリのような鋭い一撃が、ハーフメットの顎ひもを断ち切り、サングラスを吹き飛ばす。
露わになるは、鷹の眼差し。
そのするどい眼に微かな温かみを宿らせて、
「頭を冷やせ」
拳を握り込み、強烈な一撃を鳩尾に見舞った。
「ぐぁ……」
それは内蔵をえぐる、見事な一撃。
常人のそれとは比べものにならぬほど強靱な、けれども鍛えようのない内蔵をえぐられて、雲居は気を失いかける。
「ったく、本当にタフなヤツだ」
やれやれとため息ひとつ。そして放たれた強烈な一撃を浴びて、今度こそ雲居は気絶した。
「百舌鳥さん!」
闘いを見守っていた悟が、百舌鳥に駆け寄る。
「こいつを運ぶぞ。手伝え」
「それじゃあ、警察まで連れて行くんですか」
「アホウが! 誰がコイツを警察に突き出すと言った」
「痛っ」
頭をゴツンと殴られて、悟は呻いた。
「コイツは
お前と同じだ、と罵倒を飛ばす百舌鳥に、悟は参ったとばかりに頭を掻いた。
そして、心配そうに尋ねる。
「でも、それじゃあ依頼内容に違反してしまうんじゃあ……」
ASEのスーパーマルチドライバーたるもの、必ず任務を達成しなくてはならない――
それは、百舌鳥が口を酸っぱくして悟に言い聞かせてきたことだった。
百舌鳥は、ニヤリと答える。
「何も問題はない。依頼内容は『スパイダーマンを保護すること』だからな。捕まえたコイツをどこでどう保護しようが、こっちの自由というわけだ」
「うわぁ、この人えげつないなぁ……」
顔をひきつらせる悟に、百舌鳥は笑みを納め、低い声で語りかける。
「いいか、悟。ASEドライバーなら、必ず守らなくちゃならんことがある。分かるか?」
「えっと、依頼を達成することですか」
「アホウが! そんなのは言うまでもない当然のことだ!」
「痛っ」
ゴツンと頭を殴られて悲鳴をあげる悟に、百舌鳥は指を突きつける。
右手に立てられた、三つの指。それは、ASEドライバーの心得を表している。
「ひとつ、仲間を見捨てるな」
悟は頷いた。そこに仲間が居るのなら、いかなる危険の渦中にでも、自分は飛び込んでいくだろう。
「ふたつ、決して死ぬな」
重々しく頷く。それこそは、悟が生涯かけて目指すべき頂のひとつである。
「みっつ、悪に荷担する依頼は受けるな。つまり、正しい事をしろということだな」
きょとんとして、頷いた。思ってもみなかったという、脳天気な顔をしている。
それは信頼の証である。百舌鳥がそのような仕事を寄越す筈がないと、心の底から信頼しているのである。
そんなバカ正直な悟に、百舌鳥はサングラスの奥で瞳を細めて、問いかける。
「で、尋ねるが、コイツは悪いヤツだったか?」
「いいえ。善いヤツだと思います」
悟は即答した。
スパイダーマンの純粋で善良な為人は、僅かな問答からも伺い知ることができた。
また、闘いの最中にあってさえ、「こいつは人を殺めたり、理不尽に害するようなことは絶対にしないだろう」という奇妙な信頼を、いつしか寄せてしまっていたことを、今更ながら自覚したのである。
「それじゃあ、コイツを捕まえるのは悪いことか?」
「うーん……人を殴るのは犯罪だけど、それも相手が犯罪者で、そもそも犯罪者を捕まえる為なワケだしなぁ……」
「悟、お前はどうしたい?」
百舌鳥はまっすぐ悟を見つめた。
その瞳が、静かに問いかける。
スパイダーマンを警察に差し出すのか。それとも、警察から庇うのか。果たして、どちらが正しい行いなのかと。
悟は逡巡し、
「――うん。そうだな」
晴れやかに答えを告げる。
「百舌鳥さん。俺も、コイツを警察に突き出したくないです」
「そうだ。それで良い」
百舌鳥はニヤリと口の端をつり上げると、懐から携帯電話を取り出した。
かける先は、もちろん依頼主である。
ややって、電話機から男の怒声が飛んでくる。
『なっ!? それでは話が違うではないか!』
という怒声は、
『確かにそのように依頼したが……』
という困惑の声に変わり、最後には、
『おのれ、足元を見おって! いいか、貸し一つだからなっ』
という悲鳴のような大声に変わった。
こうして、スパイダーマンはASEに引き取られることとなったのである。
当然、百舌鳥は部下に説明を求められた。
「ASEは恨みを買いやすい組織だ。アイツには、恨みと攻撃を一手に引き受ける、職員の盾になってもらう。このまま仮面を被った正体不明のヒーローとして――と言ってもあのダサいスーツは新調することになるが――存分に活躍してもらうぞ」
それでは、スパイダーマンこと雲居少年の安全はどうなるのか。そうした声は、すぐに押さえ込まれることとなった。
「なに、心配は要らない。アイツの身体能力、なによりタフネスは人間離れして凄まじい。アイツをどうにかできるヤツなんか、そうそうおらんさ」
という説明を受けた職員は、ASEエージェントがひそかに撮影していた、悟や百舌鳥との交戦記録を観ることとなった。
そして、あんぐり大口を開く。
二百キロを超える超重量の突撃を受けて尚、何事もなかったかのように、元気に跳ね回っていたのである。
最後は百舌鳥に沈められはしたものの、あの人外じみた動きを捉えることができる者は、この世にいくらも居るまい。
職員は、もうこの少年を「普通の人間」とは思えなかった。「戦場に派遣するのは、もうこいつ一人で十分なんじゃないかな」とさえ言う者もいた。
それをするどく叱りつけるように、百舌鳥は言い放つ。
「それに、だ。アイツはまだまだ中学生のガキに過ぎん。調べてみたところ、家庭でも放ったらかしのようだ。可哀想な話じゃないか。何より、こいつを躾ける人間が必要だ。そうだろう?」
職員は身震いした。
この越常の力を持った怪物は、まだまだ子供なのだという。成長すれば、さらなる力を身につけ、もはや百舌鳥でさえ手に負えなくなるかもしれない。
しかも、それをふるうのは中学生である。幼く驕りやすい、子供なのである。
誰かが、彼をまっすぐに導かねばならない。そして、それができるのは、やはり目の前の『最強の男』に他ならない。
「分かってくれたようでなによりだ」
百舌鳥はニヤリと口の端をつりあげると、話は終わったとばかりに解散を命じた。
後に残されたのは、百舌鳥と、その秘書だけである。
「本当に、それだけが理由ですか?」
泣き黒子のよく似合う、いかにも苦労と縁の深そうな彼女は、おそるおそる尋ねた。
百舌鳥のことだから、なにか面倒な考えがあってのことに違いないと勘操ったのだ。
「ふっ。実を言えば、悟の為でもある」
百舌鳥は、ニヤリと笑った。
あの心根の優しい少年であれば、きっと、いざというとき悟の力になってくれるに違いない――
という親心を正直に吐露するのは憚られたので、代わりに、悪戯っぽく笑って、こう言ったのである。
「同レベルの馬鹿がもう一人いた方が、悟の馬鹿も安心ってもんだろう」
こうして、ASEにスーパーヒーローが所属することとなった。何日もしないうちに、ASE職員の名乗りをあげるスパイダーマンの姿が、街には見られるようになったのである。
これを、世の人々は歓迎した。法の定める「自由の権利」をいささか逸脱した彼の身を案じる者も、実は少なからずいたのである。
また、正義のヒーローとはいえ、明らかに人間離れした超人に、首輪が付けられことに安堵した者もいる。
「スパイダーマンみたいなスーパーヒーローが、ASEみたいなしっかりした企業で活躍してくれるなら、安心だ」
というのが、おおまかな反応であった。
もっとも、ただ一人、当の本人だけが承伏しかねていた。
「だから、こんな恥ずかしいことはもうしたくないんですって! そもそも、コレが恥ずかしいことだって教えてくれたのは百舌鳥さんでしょ。それを強制させるだなんて、この人非人! 鬼畜! お前等人間じゃねぇ!」
スパイダーマンこと小雀雲居。
彼こそは、黒歴史の延長戦を強いられ、魂をすり減らしながら悪と闘う、世界唯一のスーパーヒーローである。
Q:樋縮くんって、どこかで見た覚えがあるんだけど。
A:はい、そうです。くじら先生の『桶縮君の十三時ヶ丘さんルート』というマンガのキャラです。かなりお気に入りのキャラなんです。
Q:にしては、喋り方とか格好とか色々違わなくない?
A:はい、そうです。あくまで「樋縮くんに似た誰か」ということでご容赦ください。彼の魅力は、R-18でないと完全に発揮することができないんです……。
Q:バーニング原田も、どこかで見た覚えがあるんだけど。
A:はい、そうです。めいびい先生の『松ケ丘エンジェル』に登場した放火魔です。氏は、最近一般誌で活躍されていますが、もっと昔の作品も素敵ですよね。