ASEの蜘蛛男   作:二不二

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 今回クライミングします。
 本を読んだり動画を観たりしましたが、全く分かりません。
 なので、クライミングの描写はフレーバー程度に捉えてください。矛盾点や不条理な点が見つかっても、「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやるぜ!」のアサルトライフル狙撃みたいに、笑って流していただければ幸いです。
 決して拙作を鵜呑みにして、半端知識でクライミングに挑戦しないでください。他人を巻き込んで死にます。そんな人、いないとは思いますが。
 それと、詳しい人は、分かりやすく教えていただけると嬉しいです(本分を修正するとは言っていない)。



<登場人物>

小雀雲居(こがら くもい):
スパイダーマンの力を持った高校生。

百舌鳥創(もず はじめ):
ASE日本支部をまとめる支部長。

亜鳥アキラ(あとり アキラ):
ASEのエージェント。怪力オバケ。
自然保護団体IBAMAの一員として活動する傍ら、密猟者撲滅組織の一員として世界中を飛び回っている。日系三世ブラジル人。


6.Cliffhanger ~クリフハンガー~_上

 浮遊感。

 胃の浮くような心地に、キンと耳にかかる圧力が、急激な高度の低下を教えてくれた。それからとどめとばかりにやってくる、身体を揺さぶる上下の振動。

 すっかり寝息をたてていた雲居は、ぱちりと目を開いた。

 

「んあ? やっと着いたのかな」

 

 耳栓とアイマスクを外して、横を向く。

 合成樹脂の窓越しに、茶色い景色が流れるのが見える。

 その遠景の手前には、飛行機の主翼があって、翼下についたジェットエンジンが轟音を吐き出していた。

 ジェットエンジンは、しかし、だんだんと轟音を小さくして、己の役目を終えたとばかりに眠りにつこうとしている。

 そうした景色のさらに手前、窓のこちら側。隣の席に座っていたASEの職員が、生真面目にも雲居のつぶやきに答えた。

 

「ええ、到着しましたよ。中東一の山岳国、アヘラエル国に」

 

 日本を離れて十数時間。雲居は、はるか離れた砂塵の国に降り立ったのだった。

 

 

 **

 

 

 飛行機から降り立つなり、雲居は顔をしかめる。

 

「なんだ、これ。空気がカラカラで埃っぽい。それに香辛料みたいな臭いがするぞ」

「そういうものだ。土地が変われば、風も変わる。私からすれば、東京の空気こそ湿っぽくて醤油臭い」

 

 不快そうに眉をひそめる雲居の耳に、女性の声が響く。

 それが予期せぬ、しかも久々に聞く想い人の声だったから、雲居はぱっと顔を輝かせた。

 

「亜取さん!」

 

 一陣の風が吹く。

 びょうと舞う砂塵から姿を現したのは、一人の女性である。

 長い黒髪の、たいへん美しい女性。

 長い睫毛をたくわえた目元は、きりりと力強い。女性らしい美麗さと、野性的な魅力とを同居させた、しなかやで美しい女性であった。

 

「おひさしぶりです! こうして会うのは、前回の東京サファリパーク化事件から数ヶ月ぶりですね。元気にしてました?」

「馬鹿者、そんなことより確認することがあるだろう」

「痛いっ。いきなりゲンコツは止めてくださいよっ」

 

 賑々しく駆け寄ってくる雲居に、亜取はゲンコツを見舞う。拳に返ってくる感触に満足そうに頷いた。

 

「うむ。その反応と無駄に頑丈な身体。変なマスクをしていないので半信半疑だったが、たしかにお前は雲居のようだな」

「あー、前回はスパイダースーツを着てたからなぁ。いっしょに写真撮るときに、すこしだけ素顔見せただけで。でも、だからって、殴って確認しないでくださいよ。どんな原始部族だって、拳で挨拶(そんなこと)しませんよ――痛いっ! また殴りましたねっ」

「その減らず口に軽々しい口調。たしかに雲居で間違いないようだな」

 

 傍から見れば、二人は、憧れの人との再会を喜ぶ高校生(こども)と、そんな子供を躾る姉貴分のようにも見える。

 だが、そこは世界に名だたるASEのエージェントである。雲居は、キリと顔を引き締め、確認事項を尋ねる。

 

「えっと、今回の依頼主は亜取さんで間違いありませんね。依頼内容は、貴方のサポートとありますが」

「その通り。今回、私はバイオパイレーツ撲滅機関に出向して、絶滅危惧種の草花の保護を行っている。未整備の山を登ることになるので、優れた身体能力を持つお前を、サポート役として雇うことにしたのだ」

「つまり、登山に同行すれば良いと」

「その通りだ。必要な装備はすでにこちらで準備してある。あとは、その格好のまま集合場所に来てくれれば良い」

「なんだ、ただの山登りかぁ。いやぁ、今回は簡単そうな依頼で良かったなぁ」

 

 雲居は、ほっと息を吐いて脱力した。

 

 世界にその名を轟かせる人材派遣会社ASE(エース)

 かの有名な企業が取り扱う人材に、只人は存在しない。ありとあらゆる分野のプロフェッショナルを取りそろえ、およそ達成不可能な依頼は存在せず。鼻血の出るような高額の報酬と引き替えに、ありとあらゆる難事を解決する――

 

 その噂は、まったくの事実である。

 ASEに所属する「スーパーヒーロー」の雲居もまた、無茶苦茶な依頼に駆り出される日々を送っている。だから、久々の危険の少ない依頼に、ほっと気を抜いた。

 仕事の方は大丈夫そうだ。余力がある。となれば、憧れの女性とぜひお近づきになりたい。

 そのように考えてしまうのも、年頃の男子としては無理からぬ話である。雲居は、パッと顔を輝かせて、元気良くアキラを誘う。

 

「依頼期間は明日から。まだ時間がありますよ。それまで、その、二人で街を歩いたり食事したりして、交友を深めませんか!」

「ふむ。そうだな、たしかに時間に猶予がある。良いだろう。それまで、お前と過ごすというのも悪くない」

「本当ですか!? やった!」

 

 そんなやりとりを隣で聞いていたASEの職員は、耳を疑った。亜取アキラといえば、ドゥルガと畏れられ、あの百舌鳥創(もずはじめ)ですら扱いに難儀する、歩く暴力装置である。その行動目的は動植物の保護と、これを脅かす悪党の殲滅。彼女は悪党どもを、文字通りその拳で粉砕してきた。

 それがデートの誘いに応じるような機微を持ち合わせていたことや、ましてや、雲居という高校生の誘いに応じるなど、青天の霹靂であった。「まさかドゥルガは少年趣味なのか」と慄く。

 もちろん、そんな筈はなかった。

 

 

 **

 

 

 アヘラエル国は、天高くそびえるアヘラエル山脈を領有する。国土のあちこちに、切り立つ崖のような険しい山々を拝むことができる。

 そんな山々の片隅で、地面からほど近い岸壁にしがみつく少年がいた。雲居である。

 雲居は、岸壁にハンマーで金具(ボルト)を打ち込むかたわら、心底不思議そうにアキラに尋ねた。

 

「ねぇ、亜取さん。たしか俺たちは、なんていうか、所謂デートに出かけた筈ですよね。それがどうして、こんな本格的な装備背負った、ガチのロッククライミングの練習なんてしてるんですか」

 

 アキラは鼻で笑って答える。

 

「なにがデートだ、寝言は寝てから言え。そして、寝るのは依頼をこなしてからだ。――良いか。今回の依頼は、絶壁だらけのアヘラエル山脈山頂付近に咲く、絶滅危惧種の草花の採取だ。つまり、我々はロッククライミングをしてそこまで登らなければならない」

「それじゃあ、これって……」

「訓練だ。明日死にたくなければ、今ここでしっかり練習しておけ」

「ガッデム! あの亜取さんがすんなりOKするなんて、話が美味しすぎると思ったんだ……」

 

 などとぶつくさこぼしながらも、雲居はするする器用に絶壁を登っていく。

 

「ほぉ。なかなかどうして器用に登るじゃないか。経験でもあるのか」

 

 ロッククライミングは、体力はもちろんのこと、独特の技術と頭を使うスポーツである。

 わずかな出っ張りや窪みに指をかけ、バランスを保ちながら、身体を引き上げる。それに耐えうるだけの足場なのかを確かめる思慮深さ。次の足場までの、身体の動きを冷静に計算する思考能力。そして、数あるルートのなかから、最も安全で体力の消耗のすくないものを選び取るための、観察力と考察力。

 腕一本で身体を支える身体能力とバランス感覚。焦る心を落ち着かせる精神力に、冷戦沈着な思考能力。すなわち「心技体」が要求される高度なスポーツなのだ。

 ――それを、雲居は力尽くでねじ伏せる。

 

「まぁ、百舌鳥さんにひととおり仕込まれたんで。でも、百舌鳥さんいわく、俺はフィジカルバカで、身体能力に物を言わせてるんだとか。だから、ほら、こんなことだってできる」

 

 ピンと両腕から指先まで一直線に伸ばし、指先からぶら下がる。

 それは不思議な現象だった。

 指は、岩を掴んでいない。にも関わらず、まるでそれが吸盤かなにかであるかのように、指先はぴたりと岩に吸い付いて離さないのだ。

 

「……なんだそれは」

 

 驚きよりも呆れの表情で、アキラは眼前の珍妙な現象を見やった。

 

「分子間力を高めてるんですよ」

 

 ドヤァと得意そうな顔をする雲居に、アキラはとびきりの笑顔を返す。

 

「ほぅ。マトモに答えるつもりはないか」

「答えます、答えますからハンマーを投げようとしないでください!」

 

 慌てて地面に飛び降りる。

 音もなく着地すると、雲居は、指先をアキラの眼前に突き出した。

 

「……なんのつもりだ、指なんか突きつけて」

「これが秘密の正体です。俺の指先からは目に見えないくらい微細な繊毛が生えてて、それが、あらゆる物にくっつくんです」

 

 耳に馴染みのない原理である。しかし、動物学に精通したアキラの理解は早かった。

 

「なるほど。ヤモリの類が壁や天井に張り付くのと同じ原理というわけか」

「ヤモリと一緒かぁ。そうすると、俺って蜘蛛男(スパイダーマン)というよりヤモリ男(ゲッコーマン)なのかな?」

「手から蜘蛛糸を飛ばし、ヤモリよろしくあちこち張り付いて、五感の鋭さは野生の獣並で、戦闘能力も私と同等かそれ以上ときた。つくづく便利なヤツだな、お前は」

「褒めてるんだか、珍獣扱いしてるんだか……」

「もちろん褒めてるに決まってるだろう。私の仕事は希少な動植物の保護なのだぞ」

「それって、戦力としてですか。それとも珍獣として?」

 

 ひきつった顔をする雲居に、アキラは小さく笑って答えを返す。

 

「明日からのサポート、頼りにしているぞ」

 

 それが陰を感じさせない、心からの笑みだったから、雲居は嬉しくなって胸を叩いた。

 

「そりゃあもう、大船に乗ったつもりで、このASEのスーパーヒーローに任せてくださいよ!」

「調子に乗るな、馬鹿者っ」

「痛いっ。どうしてすぐに手が出るんですか」

「動物の躾と同じだ。言葉よりも身体に刻みつけたほうがよっぽど効果的というものだ」

「俺は人間ですよ。話せば分かる!」

「問答無用」

 

 そんな二人を、遠くから監視する人影があった。

 

「なるほど、IBAMAの連中はASEに助っ人を頼んだか」

「おい、大丈夫なのか。相手はあのASEだぞ!?」

「なに、心配ご無用。依頼主(クライアント)のあなたは、ゆっくり冷房の効いた部屋でくつろぎながら、吉報を待っていてくださいよ。山に登るというのなら、これほど好都合なことはない。どれほど優れた登山家であっても、山の気まぐれひとつで容易く命を落とすもの。うまく事故に見せかけて葬ってみせますよ。大自然を前にしては、人間は無力なものだ。――我々アンザー山岳傭兵団を除いてはね」

 

 

 **

 

 

 アヘラエル国の夏は、カラッと暑い。

 なにせ、降水量の少ない砂漠と山岳の国である。むしむしした不快な暑さとは無縁であるが、その分、刺すような日光が肌に痛い。種類は違えど、暑いことに変わりはないのだ。

 にも関わらず、山は涼しい。頂上に積雪こそ見えないものの、山の空気はひんやりしていた。

 

「山って涼しいんですね。まるで別世界だ。こんな厚着を渡されたときは、おいおい大丈夫かよって思ったけど、なるほど納得だなぁ」

「標高が高いから、昼であっても気温が比較的低い。ちょっとした避暑地みたいなものだな。だが、日光は強いぞ。動けば発熱もする。服の中は、当然熱気がこもる」

「……やっぱり要らないかな、この上着。邪魔になるし」

 

 いったん背嚢を下ろして上着を脱ぎだした雲居を、亜取が止める。

 

「脱ぐんじゃないぞ。夜は山でビバークすることになる。肌を保護する必要もあるしな。はだけるくらいにしておけ」

 

 分厚い地表をまっぷたつに割いて、山が地中からせり出している。それが為か、山は、刃物のように鋭く切り立っている。ごつごつした山肌は、こうして距離を置いてみれば、カミソリのようにするどく見えた。

 その山を、雲居は麓から見上げる。

 首が痛くなって、雲居はうめいた。

 

「これを登るんですか……」

 

 九十度にちかい絶壁が、幾重にも重なっている。冬になれば雪化粧をして、氷山のように見えたに違いない。

 

「そうだ。その為の訓練は昨日した筈だ」

「ええ、デートの代わりにね。まさか、別の女()の口説き方を教えられるとは思わなかったなァ」

「無駄口を叩くなよ。山は、おしゃべりな男は好かないらしいからな」

 

 そんな軽口をたたき合いながら、ふたりは山を登り始めた。

 

 まずは雲居が先行する。

 するすると絶壁を登り、しばらく行ったところでボルトを壁面に打ち込んだ。そうして支点を取ると、ボルトの先の金具に、命綱を固定する。

 命綱は、雲居とアキラの二人につながっている。片方が登るときは、必ずもう一方が命綱を手にとって、もしもの時に備えるのである。

 

「セルフ確保! ビレイを解除してください!」

「了解だ! 引き上げシステム構築できたら声をかけてくれっ」

「できました! 登ってください!」

 

 雲居が大声で合図を送ると、今度はアキラが登り始める。

 その間、雲居は新たに見つけた足場で、しっかりと命綱を握ってアキラの滑落に備える。

 もちろん、そんなヘマをやらかすアキラではない。涼しい顔で、雲居のいる足場へと登ってきた。

 

「やぁ、しばらくぶりです」

「また減らず口を。……ふむ。ちゃんと手は動かしていたようだな。なかなか上手にできているようだ」

 

 壁面のボルトと、そこに取り付けられたカラビナ・ロープを見て、雲居を褒める。

 

「へへっ。百舌鳥さんにしごかれましたんで」

 

 雲居は照れくさそうに頭を掻いた。

 服から提げたカラビナの群れが揺れて、ジャラリと音を立てる。ツールを提げ、ハーネスを腰に巻いた姿は、なかなかどうして様になっていた。

 

「悪くないぞ。昨日の練習もなかなか手際が良かったが、創が仕込んだだけのことはある」

「そうでしょうとも。あの人、めちゃくちゃ厳しいからなぁ。ちょっとでも手間取ったら拳骨が飛んでくるし、もちろんトチっても拳骨だし、手の届かない距離にいても後から拳骨だし」

「当然だ。命に関わることだからな」

「ここにも肉体言語の遣い手が。言えば分かるのに、どうしてわざわざ手を出すのか俺には分からないよ……」

「痛くなければ覚えないだろう」

 

 などと合流しては会話を交わし、それからまた交互に登っていく。

 クライミングは大変だ。素手で岩肌を登りながら、いちいちボルトを打ち込んでいくのは重労働だし、しかもコース取りには頭を使う。

 けれども、雲居にはそれが苦にならなかった。亜取アキラというとびきりの美人と会話を交わすチャンスがあったからだ。

 

「砂漠の国での任務だなんていうから、どんなに味気ないものかと思ったけど、来て良かった! まさか亜鳥さんとこうして絶景を拝むことができるなんて」

 

 たまの休憩には、ふたりで仲良く絶壁に腰かけて、はるかな絶景を楽しんだ。

 

「すごいですね、これ。水平線が丸くなってるのが見える。地球って、本当に丸かったんだ」

「遠くを眺めるのも良いが、近くを見るのも楽しいぞ。ほら、さっきまでと生えている植物が違うだろ」

 

 茶色の岩肌からは、ところどころ木が生えており、わずかばかりの緑を添えている。アキラはそれを、登りながら観察していたのだ。

 

「植生限界というやつだ。植物にはそれぞれ、自生するのに適する高さがある」

「へぇ。アキラさんって、動物だけじゃなくて植物もイケる口なんですね。守備範囲が広い!」

「たしかにそうだが……その表現はなにか邪念を感じるぞ」

「わわっ、冗談ですって。だから拳を構えないでください。こんなトコで殴り飛ばされたら、死んじゃう!」

「大丈夫だ。そういう時のために、今さっきセルフを取っただろう?」

 

 岩肌のボルトと、身体のハーネストとを直接つなぐスリングを指さして、アキラは微笑んだ。肉食獣のような笑みだった。

 

「なんてな。さすがに冗談だ。私の力で殴れば、そんなハーネスくらいかんたんに千切れる。……さて、そろそろ登山を再開するぞ」

「はーい。……やれやれ、これを登るんですか。気が滅入るなぁ」

 

 休息を終えた二人は、上を見た。

 傘のようにせり出した壁が、行く手を阻んでいる。

 

「オーバーハンギングだ。ここからは、本当に気が抜けないぞ。ここまではお前に経験を積ませる為に先行(リード)させたが、ここからは私が先に行く。よく見ていろ」

 

 言うが早いか、ひょいと壁に飛びついた。

 アキラは美麗な見た目に似合わぬ、怪力の持ち主である。片手で全体重を支え、それどころかすいすい上へ上へと登っていく。

 頭上にせり出した尾根。そこにぶらりと掴まって、そのまま身体を引き上げた。

 

「ひゃあ、亜取さんはスゴイなぁ。あの出っ張りを、腕力だけで登っちゃった。……いや、違うな。腕に力はかかってない。脱力してぶら下がってるだけだ。足で蹴って、その力で登っていってるんだ」

 

 アキラは熟練のクライマーである。

 動植物の保護のため、ありとあらゆる環境に二本の足と二本の腕で分け入っていく。密林の奥地や、砂漠の真ん中、果ては絶壁に守られた山頂まで。

 世界最後のバイオハンターは、世界屈指の冒険家なのだ。

 その動きを、雲居はじっと、まるで頭に刻みこむかのように眺めやる。

 

「待ってろ、雲居。今からロープで吊り上げてやる」

「いやいや、心配御無用。俺だって男なんです。亜取さんに頼りきりなんてできませんよ。――ほっと」

 

 四肢で壁を蹴って、頭上にせり出した尾根に飛びつく。それこそ蜘蛛のような、体重を感じさせない身軽な動きだった。

 アキラを見て学んだ動きを、自分の身体に合わせて再構築したのである。

 

「どんなもんです」

 

 と得意そうな顔をする雲居を、アキラは一喝した。

 

「バカ者!」

 

 それから、重々しく諭す。

 

「……お前が優れた身体能力の持ち主だということは知っている。だが、意味もなく無謀なことはするな。いくら慎重を期しても、し過ぎということはないんだ」

「むぅ」

 

 当然、雲居は面白くなかった。そんなに自分は頼りないのかと、反骨心が首をもたげる。

 ひとこと言ってやろうとアキラを睨んで、

 

「っ――」

 

 言葉を飲み込んでしまった。

 アキラが、まるで我が子を案ずる親猫のように、じっと雲居を見ていたのである。それは、雲居がずっと欲して、けれどもとうとう得ることのできなかったものだった。

 

「……分かりました、無理はしませんよ。だから、そういうの勘弁してくださいよ。なんだかムズ痒い」

「うむ、それで良い。大人の言うことは素直に聞くものだ」

 

 居心地悪そうに頭を掻く雲居に、アキラは目を細めて微笑んだ。

 

「ったく、調子が狂うな。なにせ、俺の周りの大人ときたら、無茶無謀を要求する鬼軍曹ばっかりだからなァ」

「違いない。創のヤツは言うまでもないが、ヤツが連れてくる教官役の連中も似たり寄ったりだろう」

「昨日の亜取さんもね」

「ほう。また殴られたいらしいな」

 

 ニヤリとする雲居に、アキラもニヤリと返す。ただし、こちらは猛獣の笑みであった。

 

「またまたそんなこと言って。こんな場面じゃあ、流石の亜取さんも手は出せないでしょ」

「今はな。帰ったら覚えておけよ」

「えっ」

 

 こうして二人は、どんどん山を登っていく。

 けれども、いつまでも気楽にクライミングを楽しむことができたわけではない。

 ここはアヘラエル山脈。「大地を穿つ剣山」の異名を持つ、世界に名だたる険しい山である。高く登るにつれて、いよいよ山はその牙を剥きはじめたのである。

 

 

**

 

 

 それから数時間。

 二人は絶壁を登り続けていた。

 

 とはいっても、登山スピードは落ちてきている。

 山頂に近づけば近づくほど、より強い雨風にさらされるのか、壁面はいっそう鋭く磨かれ、取っかかりが少なくなってきた。のみならず、行く手を阻む裂け目(クラック)に、たびたび顔を出す出っ張り(オーバーハンギング)

 雲居は、額をぬぐって嘆息した。

 

「うひゃあ、なかなかどうしてキツイですいね、この山!」

「それはまあな。お前が訓練を積んだのは日本アルプスだそうだが、ここは世界屈指のアヘラエル山脈。しかも我々が登るのは、先達のいない山だ。一からルートを構築しなければならん」

 

 驚異的な身体能力を誇る雲居であるが、それだけで登れるほど山は甘くない。適切な判断をするには、深い洞察と経験とが必要なのだ。身体よりもまず先に、精神のほうに疲れがくる。

 

「ちょうど手広な足場がある。どれ、ひと休みしよう」

 

 サバサバしたアキラである。壁面にセルフを取ると、絶壁からせり出した足場にドスンと腰を下ろした。雲居の意見など知ったこっちゃないと言わんばかりに。

 だが、それが自分を気遣っての行動だと、雲居にはよく分かった。

 

「俺、かっこわるいな。亜取さんはこんなに余裕なのに、俺ときたら」

 

 額に滲む汗を拭いながら、雲居も腰掛ける。

 汗は、身体的疲労によるものではない。極度の緊張状態を維持する、精神的疲労によるものだ。

 

「俺、さっきから足を引っ張ってばかりだ。正直、山を舐めてました。訓練でちょっとばかり上手くできたからって、一人前(プロ)にはほど遠いのに。……俺、亜取さんのサポート、ちゃんとできてないですよね」

 

 雲居は俯いて声をしぼりだした。その声には、くやしさと申し訳なさが滲んでいる。

 アキラはサバサバと言った。

 

「そうだな。お前以上、あるいは私以上に登山の上手いスペシャリストなど、いくらでもいる。少しばかり身体能力が優れているからと言って、お前を選ぶ理由にはならん。だが――」

 

 言葉を続けようとしたアキラの側面で、殺気が膨らんだ。

 それに気付かぬアキラと雲居ではない。二人は、弾かれたように散開する。

 

 銃声――

 

 乾いた炸裂音が、それまで二人の居た空間を引き裂いた。

 見れば、ずっと向こう側に見える壁面に、銃を構えた男がいた。

 

「なんですかアレ! ひょっとして俺を選んだ理由って……」

「そうだ。山を登りながら、妨害勢力と渡り合える人材。私の知る限り、もっとも適した人材がお前だった」

「そうでしょうとも。そんな超人、スタローンかスーパーヒーローくらいでしょうよ!」

「それより敵に集中しろ。あっちだ」

 

 二人が登ってきた崖の、反対側の崖から上半身をのぞかせる男。腹を崖の壁面に、腕を地面にくっつけて、銃の反動を制していた。 

 

「ちぃっ、躱したか。勘の良いヤツラだぜ。だが、次は無い。このまま蜂の巣にしてやる」

 

 男は、素早く崖をよじ登って銃を構えた。両手を銃にふさがれていながら、素早く安定した身のこなしである。特殊な訓練を受けていることは、誰の目にも明らかだった。

 

短機関銃(サブマシンガン)か。この場所では不利だ。逃げるぞ、雲居」

「逃げるったって、どこへ!」

 

 狭い崖の上である。遮蔽物もなければ、男との距離だって遠くはない。

 となれば、答えはひとつしかない。

 

「決まってるだろう。こっちだ」

「でっすよねェ!」

 

 アキラは躊躇いなく崖から飛んだ。その後ろに雲居が続く。

 

「うわぁああああ!」

 

 雲居の絶叫が険しい山々に木霊して、それから、物体がぶつかるドスッという音がする。

 それで、男は二人の無事を確信した。

 身体を打ち付けたのとは、異なる音だった。足から壁面に着地したに違いない。

 

「ちっ、しぶといヤツラだ」

 

 崖に駆け寄った男が目にしたもの。それは、壁面にへばりつく二人の姿だった。

 命綱に吊り下げられ、落下運動を横移動に変換。壁面に叩きつけられながら、それでもなんとか、壁面にへばりついていたのだ。

 そのまま、するすると降下していく。

 

「喰らえ!」

 

 はるか眼下の二人に向けて、短機関銃を撃つ。

 ところが、途中の出っ張り(オーバーハング)が傘となって、雨あられと降り注ぐ銃弾を弾いてしまう。

 しばらくすると、二人の姿は見えなくなってしまった。視線を遮る出っ張り(オーバーハング)の下から、別ルートへと逃げ込んでしまったのだ。

 悔しがる男の背後に、ぬっと一つの人影が立った。

 すると、男は顔色を青くして、弾かれたように直立して人影に向き直った。

 

「すいません、隊長。ヤツラを逃してしまいました」

 

 隊長と呼ばれたのは、年嵩の男である。

 年嵩の男は、傷だらけの顔に壮絶な笑みを浮かべ、

 

「なに、構わん。ここのところ、他愛ない仕事ばかりで退屈していたところだ。たまには狩りでのある獲物と遊ばなければ、腕がなまってしまう。――気を引き締めろ。久々の狩りだぞ」

「はい――グッ!」

 

 男の腹にパンチを見舞った。

 それから、崖から垂れるロープ――雲居とアキラの命綱である――をナイフで切り、後ろに居並ぶ男達に檄を飛ばす。

 

「お前らも気を抜くな。次に下手をこいたら、崖から蹴り落とすぞ。我々は最強のアンザー山岳傭兵団なんだからな!」

 

 

 **

 

 

 そして、こちらは雲居とアキラの二人である。

 二人は壁面に背中を預けて、なるべく上から姿が見えないように気をつけながら、囁き合った。

 

「アイツら、いったい何者なんです?」

「うむ。あの熟達した身のこなしに、戦闘服の山羊のエンブレム。間違いない。山羊(アンザー)山岳傭兵団だ。妨害が入ることは予想していたが、まさかヤツラを雇うとはな……」

 

 アキラは苦々しく呟いた。

 その一言で、雲居はなんとなく事情を察した。要するに、アキラの活動を煙たく思った連中が差し向けてきた刺客なのだろう。

 実際、アキラの説明は、大筋では雲居の予想通りだった

 

「我々は、絶滅危惧植物保護の観点からアヘラエル政府に提言をしてきた。鉱山開発を止めるようにとな。だが、それに耳を貸すような国などある筈もない。国を動かすには金が必要で、もっとも簡単な金策のひとつが鉱山開発だからな」

 

 アキラは粛々と語る。

 

「そこで、国際機関にも働きかけ、国際的な問題として取り上げてもらえるように動いた。そこまで事が大きくなれば、さすがのアヘラエル政府も完全には無視できん。そして、その為には、件の植物をこちらで確保する必要があった」

 

 希少な植物には、希少な動物以上の価値が見いだされる。それというのは、植物のつくりだす未知の成分が、新たな薬の原料となる可能性を秘めているからだ。

 

「もちろん、アヘラエル政府も指をくわえて見ている筈がない。妨害工作か、悪くすれば襲撃があることが予想された。まさか、あの悪名高いアンザー山岳傭兵団を出してくるとは思わなかったがな」

「例えば、そんな危険な任務に高校生を呼ばないでくださいとか、ASEもそれを理解した上で俺を派遣したのかよとか、ツッコミたいことは色々ありますが……大変遺憾ながらそれは一旦棚上げして、アンザー山岳傭兵団って何です?」

「この地域の山岳地帯を中心に活動している、凄腕の傭兵部隊だ。金次第でどんな仕事も請け負う」

「うへぇ、ガチの傭兵集団か。ぞっとしないな……」

 

 雲居は身震いした。

 短機関銃(サブマシンガン)で武装した、山岳地帯に特化した部隊を、しかも徒手空拳で相手取る。

 

「なに、正面切って戦う必要はない。私たちの勝利条件は、あくまで件の希少植物の採取なんだからな」

「そうは言っても、連中が見逃してくれるとは思えませんけどね。やっぱり一戦交えるんだろうなぁ」

「それなら、この任務を降りるか? 私はそれでも構わないぞ」

 

 頬杖ついて難しい顔をした雲居を、アキラが淡々と煽る。

 雲居は、ニカッと牙を剥いて答えた。

 

「冗談。俺だってASEの一員です。途中で投げ出すもんですか。それに、アキラさんを置いて一人だけ逃げ出すなんて、男のすることじゃない。任せてくださいよ。返り討ちにしてみせます」

「それは頼もしいことだ」

 

 アキラもまた、笑みを浮かべて頷きを返す。

 

「さて、日も暮れてきた。今日のアタックはここまでにして、今日はそろそろ休むぞ」

 

 背嚢に詰めた寝袋やらクッカーやらを指す。

 

「アキラさんと二人きりで外泊! うーん、やっぱり来てよかったなぁ」

「バカモノ! ヤツラの襲撃を警戒しながらの不寝の番だ」

「あいたっ! だから肉体言語でなくっても理解できますってば」

 

 そんな話をしながら、二人はせっせとビバークの準備をするのだった。

 




11,014文字


読んでくださってありがとうございます。

プロット自体は、前話を書く前からほぼ出来ていました。
が、クライミングについて勉強しようと思ったのがいけなかった。やたらめったら難しい上に、なんやかんやで忙しかったので、いつまで経っても本編が書けず。名画『クリフハンガー』を観るも(無茶苦茶面白かったです)、参考にならずただただ楽しい時を過ごしたり。そうするうちに他の小説にまで手を出して、結果、一年以上放ったらかし。

このままじゃあ、いつまで経っても書けない!
そこで「フレーバーなんだし、テキトーでいいじゃん」と開き直ることに。
ユグドラシル未プレイでもオバロは書けるし、猫耳猫が実在しなくても猫耳猫は書けるし、童貞でも陵辱系エロゲのシナリオは書けるんです。
ホーリーランドの作者がボクシングしてる筈ないし、久保帯人先生もポエムは書いても刀は振るったことはないに違いない。福本先生は……麻雀とか都会派野生生活とか収容所暮らしとかしてたかもしれませんけど(どれもひどい偏見)。

改めて、読んでくださってありがとうございます。
続きは数日以内に投稿します。
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