ASEの蜘蛛男   作:二不二

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<登場人物>
小雀雲居(こがら くもい):
スパイダーマンの力を持った高校生。

百舌鳥創(もず はじめ):
ASE日本支部をまとめる支部長。

亜鳥アキラ(あとり アキラ):
ASEのエージェント。怪力オバケ。
自然保護団体IBAMAの一員として活動する傍ら、密猟者撲滅組織の一員として世界中を飛び回っている。日系三世ブラジル人。


7.Cliffhanger ~クリフハンガー~_下

 山の朝である。

 天にほど近いからだろうか。冴え冴えとした白光があたりに満ちて、目に眩しい。

 まっしろな空気はあまりに清澄で、肺を刺すような心地さえした。

 そんな、都会にいては望むべくもない朝焼けのなかで、絶壁に取り付く少年がいた。小雀雲居である。

 

「いやぁ、相変わらずご立派な絶壁だなぁ。今日も楽しく登れそうだ」

 

 そんな雲居にかかる女性の声。

 

「ほう。随分と乗り気じゃないか」

 

 長髪を山風になびかせ、長い睫毛に瞳をけぶらせた、たいへん美しい女性。亜取アキラである。

 

「はい、それはもちろん! 悪党をサクッと殲滅して、稀少植物を根こそぎ持って帰っちゃいましょう」

「バカモノ、それではただの乱獲だ!」

「あいたっ」

「お前はバカモノだが、今日は輪をかけてひどいぞ。どうした、寝不足か?」

「いやいや、睡眠時間は十分ですよ。ただ、ちょっとやる気が空回りしたっていうか」

 

 なにせ昨夜の就寝は早かった。交代で不寝の番をしたとはいえ、睡眠時間はたっぷり確保できている。

 となれば、雲居の体たらく(・・・・)の原因は睡眠時間ではない。もっと別のこと、即ちアキラと過ごした昨夜の一幕にあった。

 

 

 **

 

 

 刻は、昨夜の夕食まで遡る。

 

 雲居はニコニコ笑顔で夕食の準備をしていた。

 携帯コンロに(コッヘル)をセットして、お湯を沸かす。ハーブティーなんぞ淹れた後は、パウチ詰めの食糧を(コッヘル)に移して温めれば、ちょっとした山ごはんの出来上がりだ。

 薄暗がりのなかで、コンロの揺れる火を見つめる。

 それも、対面にとびきりの美女を据えて。

 となれば、自然と頬も綻ぶというもの。

 

「どうした、そんなにニヤニヤして」

「いやぁ、素晴らしいシチュエーションだなと思って。前人未踏の雄大な自然に囲まれながら、焚き火を囲んでキャンプ。しかも目の前には美人のお姉さん(亜取さん)もいるし。完璧ですよ。これでワクワクしなきゃ、男じゃない!」

「暢気なヤツだな。いつ敵が襲ってくるとも知れないというのに」

「その可能性は低いって言ったのは亜取さんじゃないですか」

 

 ニコニコ笑顔の雲居と、呆れ顔のアキラ。

 ともすれば、年上のお姉さんと、お姉さんに憧れるおしゃまな高校生(こども)のように見える。

 実際、アキラは雲居を軽くあしらってのけた。

 

「だが、自然を楽しむのは良いことだ。どれ、ひとつ教えてやろう」

 

 と言って指さしたのは、壁面からにょきりと生えた、一本の木だった。

 

「あれは木ですか。木というには、ちょっと細くて頼りないですけど」

「何を言う。これも立派な木なんだぞ。こんな厳しい環境にも関わらずしっかりと根を張って、こうして命をつないでいる。強かで頑張り屋の、立派な木だ」

 

 まるで我が子を語る母のように、アキラの声音はやさしい。

 コンロの火にぼんやりと照らされる姿は、慈母を描いた絵画のよう。

 

「亜取さん……」

 

 思わず見入ってしまう雲居であったが、

 

「だがな」

 

 アキラはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「コイツは多くの登山者を殺してきた『殺人樹木』とも言われている。どうしてだか分かるか」

「えっ。これがですか? まさか自ら動いて人を食べるワケじゃないでしょうし。ひょっとして、毒を持っていて、うっかり触った人が死んでしまったとか」

「ほう、毒か。ならば触ってみろ。本当に毒があるかどうか、すぐに分かる」

「ということは、毒は無いんですね」

 

 からかわれて、むすっとする雲居。

 アキラは、カラカラと笑う。

 

「悪い悪い。だが、そうだな、この個体では分かりづらいか。それじゃあ、ちょっと上を見てみろ」

「上って……あっ、なんだかガッシリ太くてご立派な木がありますよ!」

「あれも、コイツと同じ品種の木だ」

「アレが!? ひゃあ、とても同じ木だとは思えないなぁ。片やこんなに細くてたよりないのに、片やあんなに大きくて太い。あれなら、命綱を掛けても大丈夫そうだ」

「そう、それが答えだ」

 

 よく気付いたな、とばかりにアキラが頷く。

 

「……ひょっとして、あんなに丈夫そうなのに、命綱を掛けるとパキッと折れちゃうとか」

「その通りだ。そのようなわけで、そいつは悪魔の木(ザックーム)と呼ばれている」

「なんか、名前からしてトンデモないヤツですね」

 

 雲居はちょっと怯んだ様子で、その「人喰いの木」を見やる。

 

「創にも習っただろうが、命綱を掛ける方法はいくつかある。ひとつは、今日してきたように、壁面に直接ボルトを打ち込む方法だ。そして、もうひとつが、岩や木などの自然物を利用する方法だな」

 

 命綱(ロープ)をぐるりと、木に直接巻きつけるのだ。

 当然、樹皮をこすって傷つけるし、根にも大変な負担を与える。

 

「近年は環境保護の観点から、木を傷つけないよう、壁面にボルトを打ち込む方法を推奨する動きがある」

「分かる気がします。だって、大の大人が下手したら二人も三人も一本の木にぶら下がるんでしょ? もしも俺が木だったら、やめちくりー、根が抜けちゃうよ~って思いますもん。ああやだ、歯を抜かれたときのことを思い出してしまった……」

 

 奥歯をおさえて背筋を震わせる雲居を見て、アキラは、

 

「そうか」

 

 と嬉しそうに笑った。

 

「とにかく、その悪魔の木(ザックーム)には気をつけることだ。安易に掴んだり、命綱(ロープ)を掛けたりしてはいけない。でないと、悪魔に牙を剥かれることになるからな」

 

 などという話で、二人は盛り上がった。

 雲居にしてみれば、憧れの美人のお姉さんとの逢瀬である。どんな話をしても楽しい。

 アキラにとっても、目を輝かせて話に聞き入り、ときに熱心に相づちを打ち、またときには背筋を震わせたりといった純朴な雲居の反応は心地良いものだった。

 あれだけあけすけな下心を持って近寄ってくる雲居が、その下心すらすっかり忘れて、夢中になって話に聞き入るのだ。

 このおしゃまで調子の良い少年が、アキラには、子犬のように可愛らしく思われた。

 

「ふっ」

「ちょっと、なに笑ってるんですか。俺のことバカにしたでしょ!」

「大人ぶりたいのなら、口許を拭ってからにするんだな。ホワイトソースがついてるぞ」

「あっ」

 

 雲居の頬が羞恥でまっかに染まる。

 微笑みながら、アキラはやさしく雲居の口許を拭う。

 それで、雲居は別の理由で頬を赤く染めるのだった。

 

 

 **

 

 

 そのようなやり取りがあったので、雲居はたいへんご機嫌だった。

 

「気を抜くなよ。連中に命綱を切られたからな。ここからは命綱無しだ。身ひとつで、この険しいアヘラエルの山を上らねばならん」

 

 すでに大地ははるか彼方。

 たった一つのミスが、容易く命を奪い取る。

 

 だが、それは普通の人間の話。

 世界唯一のスーパーヒーローにとっては、いささか事情が異なる。

 

「大丈夫ですって。何かあっても、俺のスパイダーウェブで壁にひっつきますし、人間の一人や二人は余裕で支えられます。俺と一緒にいるかぎり、滑落死は無いものと思ってくださいよ」

 

 と言って、手首から蜘蛛糸を放ち、壁面にくっつけてみせた。

「そういえば、お前にはそれがあったか。本当に何にでもくっつくんだな」

「ドンとこいってね!」

 

 感心した様子のアキラに、雲居はニカッと笑ってサムズアップ。

 アキラは苦笑を返す。

 

「その糸の出番が無いよう、細心の注意を払うよう心がけろ」

「まぁ、そうですね。この糸も無限に出せるってワケじゃありあませんし」

「そうだろうな。体内で作られる以上、どうしたって上限はある筈だ」

「タンパク質が原材料なんですよね。だから、いつも山ほど肉を食べなきゃならない。一応プロテインを持ってきてはいるんだけど、なるべく無駄撃ちは避けたいところです。だって、なんとか山岳傭兵団とかいう連中もいることですし」

「そうだ。気を引き締めてかかるぞ」

「はいッ」

 

 二人は頷き合い、緩んだ心を引き締めたのだった。

 

 

 **

 

 

 こうして、二人は登山を再開した。

 

「ひゃあ、こいつはすごい。山がまっぷたつに割れてる」

 

 二人が上ってきた絶壁は、途中から二つに裂けていた。

 あたかも、同じ胴体から二つの首を生やした、二股頭の竜のようにも見える。

 けれども、その更に上を見れば、首はまたひとつに合体しているのが分かった。これは洞窟への入り口なのだ。

 

「地殻変動か、あるいは流水に削られたのか。永い時間の流れのなかで、山に大きな裂け目ができたんだ。――これから私たちは、この裂け目のなかを登っていく」

「なんか、いよいよ冒険って感じでワクワクしますね」

 

 二人は、身をひねって裂け目のなかへ入っていく。

 

「へぇ。裂け目のなかに更に裂け目があるのか」

 

 雲居の瞳に飛び込んできたのは、亀裂だらけの壁面である。

 すっぽり身体が入るくらい大きなものもあれば、手足が入るかどうかといった小さなものもある。

 二人が目を付けたのは、まっすぐ縦に伸びた細長い亀裂だった。

 

「しめたぞ。却って登りやすい」

「ですね。習った技術が大活躍。百舌鳥さんにしごかれた甲斐があったってもんだ」

 

 雲居は、亀裂に両手を突っ込んだ。

 手の甲を合わせると、そのまま指を折り曲げて、V字をつくる。あるいは、鳥が翼を広げたふうにも見えたかもしれない。

 それは、うまい具体に亀裂につっかえて、雲居の身体をしっかり支えた。

 

「リービテーションって手の握りだ。次は足をTスタックにしてっと」

 

 こうして上体をホールドすると、脚が自由になる。

 自由になった脚を持ち上げ、足先をT字に組んで亀裂にガチリはめ込んだ。そのまま、ぐっと脚を伸ばす。

 くの字に折れた身体が、上に伸びる。尺取り虫のように、雲居の身体は壁を上へと登っていく。

 

 このように手をはめ込んで上体を支え、脚を使って上へと登る。そうしたら再び手をはめ込んで……と尺取り虫が壁を這うように、すこしずつ上へ進む。

 腕ではなく、脚を使って登っているのだ。

 人体において、脚が発揮する筋力は、腕にはるかに勝る。当然、持久力も段違いとなる。

 

「よし。次は狭くなってるから、ハンドとヒールトゥかな」

 

 今度は片手を差し込み、くの字にしてつっかえる。

 足は、片足を捻ってうまいこと亀裂にはめ込む。

 

 手も足も、亀裂の大きさに合わせて握ったり捻ったり、あるいは両手両足を組み合わせたりと、さまざまなパターンがある。

 それを、雲居は素早く適切に選び取って、するすると登っていく。

 

「ほう、なかなか上手いじゃないか」

「でしょう? 百舌鳥さんにも『バカのくせに飲み込みが良いじゃないか』と褒められたんですよ」

 

 ニコニコと嬉しそうに言う。

 

「更に、こんなこともできるんです。ほらっ」

 

 パッと手を放す。

 かと思えば、掌を開いて壁面にくっつけた。

 

 するとどうだろう。

 まるで吸盤でも隠し持っているかのように、雲居の掌は壁に吸い付いたのだ。

 

「…………そういえば、そんな特技(もの)もあったな」

「靴を脱げば、ほら、こんなことだって」

 

 手足が壁面にくっつく。

 そのまま壁面を四つ足でするすると登っていく様は、まるで蜘蛛のようだった。

 

「なるほど、蜘蛛男(スパイダーマン)か」

「便利でしょ? 百舌鳥さんにも言われました。お前はジャミングするより、そうやって登った方がずっと早いって」

 

 足だけで壁にへばりつき、上体をそらして満足気な雲居に、アキラが呆れ顔で尋ねる。

 

「創のヤツにしごかれた甲斐、本当にあったのか?」

「………………」

 

 雲居は渋い顔で黙すのだった。

 

「……とにかく、どうにかこのクッソ長い亀裂(クラック)を登りきりましたね!」

「ああ。ようやく一息つけるな」

 

 先行していた雲居が、アキラを片手で引き上げる。

 亀裂から這い出た先は、ちょっとした平地になっていた。

 

「広いなぁ。ここなら、ゆったり手足を伸ばして寝転んでくつろげるぞ」

「ふむ。我々が登ってきたのは、大岩に穿たれた亀裂だったのかもしれないな。何にせよ、昼時だ。一休みといこう」

 

 二人は腰を下ろして、辺りを見回した。

 

「おお、絶景だなぁ」

 

 どこまでも伸びる茶色の地平線。

 地平線を境に、それより上は空の青色で塗りつぶされている。それは、茶色との対比になって、いっそう瑞々しい。

 いつの間に追い越したのだろうか、眼下で、白い雲が茶色い地平を覆うようにたなびいていた。

 

「もうこんなに登ったんですね」

「ようやくと言った方が良いかもしれん。なにせ、一日がかりでここまで来たわけでからな。……ほら、後ろを見ろ。頂上が見えてきた」

 

 後ろを振り向くと、相変わらず絶壁が上へと続いている。

 どこまでも続くかと思われた壁は、しかし、よくよく見れば先が途切れていた。頂上だ。

 

「本当だ、ずっと見えなかった果てがようやく見えてきた! ……ずっと遠くに、豆粒みたいに見えますけど」

 

 喜色ばんで、それから肩を落とす。

 ころころ表情を変える雲居の姿に、アキラはカラカラ笑い声を上げた。

 

「ふふっ。もっと喜んだらどうだ? 世界に名だたるアヘラエルの山を攻略しつつあるんだぞ」

「おっ。といういことは、俺も晴れて一人前のクライマーの仲間入りですかね」

 

 などと暢気に四方山話ができたのも、ここまで。

 

 パーン――

 

 乾いた破裂音が、山々に木霊した。

 

「銃声!?」

「あっちだ。崖を挟んだ向こう側にいるぞ!」

 

 アキラが指さす先には、いくつかの人影があった。

 赤茶けた山肌と同化する迷彩服。手には銃を携えて、こちらに狙いを定めていた。

 

「うわぁ、短機関銃銃(サブマシンガン)の群れだ!」

「落ち着け。短機関銃銃(サブマシンガン)の有効射程はせいぜい五十メートル。当たりはしない。単なる威嚇射撃だな」

 

 と言うアキラの足許で、地面が爆ぜた。着弾したのである。

 

「いや、威嚇じゃなくって当てにきてるじゃないですか。しかも当たりそうになってるし」

「ふむ。強風の流れる谷越しに、短機関銃銃(サブマシンガン)でこの精度。なかなか腕の立つ連中らしいな。これは……なかなか困った状況かもしれん」

 

 開けた場所なので、射線を遮るものがない。

 かといって、来た道は、長い長い鉛直方向の一本道だ。戻ろうものなら、追いかけてきて蜂の巣にされる。

 

「連中、この崖くらいなら渡ってきそうだしなぁ」

 

 崖は、下が見えないくらいに深いが、距離はたいしたものではない。勇気を出して飛べば、成人男性なら飛び越すことができるだろう。

 

「よし。だったら、ここで戦おう」

 

 雲居は腹をくくった。

 

「どうするつもりだ?」

「逃げても追ってくるってんなら、正面切って飛び込んでくまでです。亜取さんは、何か物を投げて援護をしてください」

 

 言うなり、雲居は駆けだした。

 崖に向かってひた走る。

 崖の向こうの男達は、鴨が葱背負ってやってきたとばかりに、短機関銃銃(サブマシンガン)から鉛玉をばらまき出す。

 

 それを雲居は上に跳ね、左右に飛び、また地面に伏せるような超姿勢になって避けながら、どんどん前に出て行く。

 

「また無茶をする! ええい、とにかく援護だっ」

 

 コッヘルにハンマー、懐中電灯にマルチツール、コンパス。アキラは背嚢からありったけの硬そうなものを取り出して、手当たり次第に投擲した。

 

 ただの投擲とあなどるなかれ。

 大の大人を空中に殴り飛ばすことのできる、人間離れした怪力の持ち主である。それが、野球選手のような綺麗なフォームで以て、全身の力をまんべんなく伝導させて物を投じるのだ。

 

 投げられた物体は、ごうっと凄い音をたてて雲居を追い越していく。

 それは狙い過たず、自動小銃を構えていた男達の顔に突き刺さった。

 

「うごぉ」

「ふげっ」

 

 変な声を出して、男が一人、また一人と倒れていく。

 歯が欠けたり、鼻が折れたり、またひどい者は頬骨を砕かれ眼底挫傷の重傷すら負ったりしていた。

 

「動きながら撃て! 動けば当たらんぞ!」

 

 リーダーの号令で、男達は左右に動きながら弾丸をまき散らす。

 

「でも、狙いが甘くなってるぜ。あちらを立てれば、こちらが立たずってね。亜取さん、ナイス援護!」

「だからって、当たらないなんてオカシイだろ! これだけバラ撒いてるんだぞッ」

 

 傭兵どもがわめいた。

 それも無理からぬことである。

 たっぷり一マガジン分の弾丸を、それも十人余りが一斉に吐き出しておきながら、雲居は無傷。

 まるで弾丸の行く先が分かっているかのように、跳ね回って段幕を回避してしまったのだ。

 

「俺、動体視力と反射神経には自信があってね。見えてるんだよ、おまえ等の弾丸は全部」

「そんなバカなことがッ」

「あるんだな、これが」

 

 などと軽口を叩きながらも、雲居は足を止めない。

 上下左右に跳ね回りながら、どんどん前に出て行く。

 

「ちっ、弾切れだ!」

 

 男達がいっせいにマガジンを交換する。

 段幕が途切れる。

 

「あらあら、おひねりはもうオシマイかい? それじゃあ、お代わりがもらえるように、今から芸をしに近くに行こうじゃないか!」

 

 雲居は、崖目がけて一直線に駆ける。

 一歩地面を踏むごとに、身体はぐんぐん加速していく。

 眼下に青空を見下ろす崖がどんどん近づいてきて、

 

 ――トン、と地を蹴った。

 

 浮遊感。

 雲居の身体は、宙を舞っていた。

 

 と同時に、ガシャンという音。

 リロードを終えた銃口が、一斉に空中の雲居に向けられる。

 よほど訓練が行き届いているのか、一連の動作は目を見張るほど手際よく素早かった。

 

「撃てぇぇええ!」

「雲居!」

「あっ、やば」

 

 アキラの悲鳴が響くのを聞いて、流石の雲居も青ざめた。

 しかし、雲居は諦めない。

 

「よしっ、ならこうだっ」

 

 足を男達に向け、水平になる。

 なるべく被弾面積が少なくなるようにして、急所を両腕で守った。

 

「そして、ウェブ・シュート!」

 

 前方にしゃにむに蜘蛛糸を放つ。

 それは、足の前で傘のように広がり、身体を守る即席の盾となった。

 

「うおおおおっ」

 

 雨あられと銃弾が降り注ぐ。

 あるいはあさっての方向に飛んでいき、またあるいは雲居をかすめ、またあるいは蜘蛛の巣に弾かれて直撃コースから逸れていった。

 もちろん、全ての銃弾を防ぐことができたわけではない。

 蜘蛛の巣をくぐり抜けた銃弾や、銃弾を弾いてもろくなった箇所を打ち破って突き進んできた銃弾もある。

 それらは、雲居の肩を裂き、あるいは腕にめり込み、あるいは脚を貫いた。

 しかし、それでも――

 

「ははっ、どんなもんだい。概ね無事にこっち側へ来てやったぞ!」

 

 ――致命傷にはほど遠い。

 ぎりりと拳を力強く握りしめ。

 敵を見据える眦は鋭く。

 地面を踏みしめる両脚には力が滾っている。

 

「さぁさ、楽しい乱戦(パーティー)のはじまりだ!」

 

 トン、と男達の頭上を跳び越え、身を捻りながら着地。

 男達の間に割って入る。

 

「これなら同士討ちを恐れて、銃は使えないだろ。――さぁ、そんな(もん)なんか捨てて、スデゴロでかかってこい!」

「チッ、やるぞお前ら!」

 

 リーダーの男が声を張る。

 すると、男達はいっせいにナイフを抜いて、雲居に襲いかかった。

 

「だぁーっ、だからスデゴロで掛かってこいって言ってるだろ! もう絶対遠慮なんてしないからなッ」

 

 雲居の動きはすばしっこい。

 なにせ、銃弾に対応できるような、冗談じみた身体能力を備えているのだ。

 相手が反応するより早くに、懐に飛び込んで拳を放ち。

 横から伸びてくる腕を、逆に絡め取って地面に叩きつけ。

 後ろに目でも付いているのか、バク宙をして背面の攻撃をかわす。

 そのまま相手の頭を跳び越え、背中に取り付いて、バックドロップの要領で地面に投げた。

 雲居の動きは、圧倒的だった。

 

 とはいえ、敵も然る者。

 

「なんだこいつ、滅茶苦茶強いぞッ」

「怯むな、一斉に飛びかかるんだ!」

 

 彼等は、数の利をいかした効果的な戦術をすぐに思い付く。

 のみならず、非常によく訓練された連携で以て、アイコンタクトひとつでタイミングを合わせるという離れ業をやってのけた。

 否、やってのけようとした。

 それを邪魔する者が現れたのだ。

 

「うぼぉあっ!?」

 

 冗談のような声をあげて、男達が宙を舞う。

 

「待たせたな、雲居」

「アキラさん!」

 

 アキラであった。

 崖を跳び越え、雲居の応援に駆けつけたのだ。

 

「へへっ、頼もしい味方の登場だ。これでお前達の数の利は覆ったぞ。なにせ俺は、百人力のASEのスーパーエージェント。そしてこの人も、百人力のASEの筋肉オバケだからな!」

「ほう。そういう目で私を見ていたのか。覚えておけよ」

「いや、そのですね、これは敵の心を攻める高度な心理戦っていうか……」

 

 などとバカな会話ができるほどの余裕が、今の二人にはあった。

 

「ぐうっ、バカにしやがって! たった二人で、この人数に敵うと思ってるのかッ」

 

 さきほど雲居にのされた男が、鼻血を拭いながら立ち上がった。

 よほど厳しく鍛えられているのか、なかなかの頑丈さ(タフネス)である。

 

「あらら。ちょっと手加減しすぎたかな」

「なかなかどうして根性のあるヤツラじゃないか。これは骨が折れそうだな」

「それじゃあ心を折りましょう。指揮官(リーダー)をやっつければ、片が付く筈。さっき号令を出してたそれっぽいのがそこに――って、アイツどこに行ったんだ?」

 

 四方八方から迫るナイフやキックを捌きながら、キョロキョロ辺りを見回す雲居に、アキラの声が掛かる。

 

「雲居、あそこだ! 山を登っているぞッ」

 

 指さす先には、天に向かって伸びる絶壁。山頂への道筋。

 その中程に、ひとり壁面を登る男の姿があった。

 男は、勝利を確信して哄笑を投げかけた。

 

「我々の勝利条件は、稀少植物採取の妨害! このまま山頂に登って、目的の植物(ブツ)を滅茶苦茶にしてやる。残念だったな、ASEのバケモノ! 我々アンザー山岳傭兵団の勝利だ! わははははっ」

「くっ、汚い。なんて卑怯なヤツだ」

「雲居、行ってくれ。お前なら間に合うはずだ」

「分かりました、アキラさん。こいつらの相手は任せました。稀少植物の保護は、この俺に任せてください」

 

 雲居は躊躇わなかった。四方を取り囲む敵の間をすりぬけて、壁面へと駆け出す。

 そんな雲居を捕まえようと手が伸びるが、

 

「逃すか――うごっほぉっ!?」

 

 アキラの拳に吹き飛ばされる。

 見れば、その男は顎を割られ、血反吐をまき散らしながら宙を舞っていた。

 

「邪魔はさせん。どうしてもと言うなら、私を倒してからにするんだな。だが、覚悟しろ。私はアイツのように甘くはないぞ」

「くそっ、なんて怪力だ。こいつ本当に女、いや人間か!?」

「失礼なヤツラだ。覚悟しろよ」

「ひぃっ」

 

 アキラは拳を鳴らして、男達に近寄っていった。

 その姿は、男達の目には悪神のように映るのだった。

 

 一方の雲居は、四つの手足でするすると絶壁を登っていた。

 掌と足裏は吸盤でも備えているかのように、ぴたりと壁面にくっつく。四つ足で這うように壁面を登る姿は、蜘蛛さながらである。

 

「ちぃっ、なかなか素早いじゃあないか。だが、俺とて何十年もアヘラエルの山々を登ってきたプロだ。こんなガキに負けるわけにはいかん」

 

 それを見て、リーダーの男の動きが加速する。

 

「あいつ、これ以上素早く登れるのか!?」

 

 登攀スピードは、雲居のそれに劣らない。

 人間の知恵と技術というのはまこと偉大である。長きに渡る技術の継承と研鑽とが、何にでも吸い付く四肢という反則を備えた雲居に対抗することを可能とした。

 

「なんてヤツだ。俺ももっと早く登らないと」

 

 雲居も急いで手足を動かす。

 だが、そもそも人間は地を這うようにはできていない。二足歩行を覚えたことで手が自由になったことが、種族の進化を促したと言われている。人は、二本脚で歩く生き物なのだ。

 

「ええい、まどろっこしい。こうだ!」

 

 だがら、雲居は立ち上がった。

 

「なんだそりゃあ!?」

 

 後ろを振り返った男が、素っ頓狂な声をあげた。

 雲居が壁面に立ち上がって、そのまま走っていたのだ。

 

 どういう理屈か、足裏が壁面に吸い付いている。

 まるで壁面に重力でも生じているかのように、雲居は軽やかに壁面を走る。

 

 男は我が目を疑い、それから、この世の法則を疑った。

 ひょっとしたら、重力は壁面から発生するもので、自分もまた絶壁を駆け上ることができるのはないか。

 そんな考えが頭をよぎる。

 

 もちろん、そんな道理はない。

 彼の手にはたっぷり自重がかかって重かったし、指の間からは風化して砂となった壁面が、パラパラ重力に引かれて落ちていった。

 

「一体全体、どうなってやがんだ! ……わかったぞ、アイツは悪魔だ。神の定めたもうた理を歪める悪魔なんだ。ちくしょう、ASEのヤツラ、とうとう悪魔まで抱き込みやがったッ」

 

 そんな叫びを聞いて、雲居は遠い目をする。

 

「うーん、バケモノだとか悪魔だとか、こいつらは俺のことを一体なんだと思っているのか」

 

 が、すぐに首を振って気を引き締めた。

 

「そんな失礼なことを言うヤツは、殴って躾けてやらないとなぁ! 肉体言語でオハナシしてやるぜッ」

「クソッ、来るんじゃあないッ!」

 

 男はしゃにむに崖を登る。

 ろくに確かめることなく、壁面の凹凸や裂け目に手をかける。

 これは極めて危険な行為である。壁面は何千年、何万年と雨風に晒され、なかには風が吹くような微かな刺激で崩れるものすらある。人間の体重を支えるだけの強度を有するか、本来はじっくり慎重に確かめなければならない。

 そうした手掛かり、足掛かりの選別を、男はほぼノータイムで行っていた。それを可能とするだけの経験と集中力が、男にはあった。

 けれども、何事にも限界はあるもので。

 

「あっ、その木は」

 

 集中力を切らした男の手が、壁面に生えた木を掴んだ。

 ずっしりと根を張った、いかにも頑丈そうな木は、ところが、

 

悪魔の木(ザックーム)だと!? しまった――」

 

 パキリと乾いた音を立てて、あっけなく折れた。

 まるで、悪魔の手を取った愚か者をあざ笑うかのように。

 

 男の身体が、宙に浮く。

 重力に引かれて、死出の旅を始める。

 

「うわああああっ」

 

 みるみる降下していく男が目にしたもの。

 それは、ぐるぐる回る青と茶色の境界線と、

 

「ウェブ・シュート!」

 

 という声と共に降ってきた、白い蜘蛛糸だった。

 

 

 **

 

 

「よし。たしかに稀少植物は確保した」

「やれやれ、どうにか任務成功ですね」

 

 アキラが、用意していた容器に植物を入れる。

 それを見て、雲居はほっと胸をなで下ろした。

 

「これで頂上に花が無かったら、いったいどうしようかと思いましたよ」

「そのときは、別の山を登るまでだ。アヘラエルの山の貴重な自然を破壊されるわけにはいかないからな」

「ほんとに、花があって良かった……」

 

 雲居とアキラの二人は、山の頂点に立っていた。

 世界屈指のアヘラエル山脈の、最も高い山のひとつだ。

 地上は遙か彼方。

 それどころか、アンザー山岳傭兵団の連中と戦ったあの戦ったの足場も、ずっと小さくミニチュアのようにしか見えない。そこに縛られ転がされている連中は、豆粒どころか胡麻か蟻のフンのように見えた。

 

「今回もまた、お前に助けられた。お前がいなければ、この任務は失敗し、貴重な自然がまたひとつ失われていただろう。――ありがとう、雲居」

「そんなふうに改まって言われると、なんだか照れますね」

 

 照れて頬をかく雲居に、アキラは微笑んだ。

 

「胸を張って受け取ればいい。お前はそれだけのことをしたのだ。私のこの言葉とて、彼等の言葉を代弁できているとは、到底言いがたい」

「彼等?」

「ほら、見ろ。彼等(自然)もお前に礼を言っている」

 

 小首を傾げる雲居に、アキラは目線で答えを示す。

 アキラの目線を追った雲居の目に、絶景が飛び込んできた。

 

 三百六十度に広がる、大パノラマ。

 あまりに高くまで登ってきせいか、視界にたいして地面の占める割合はすくない。

 地平線はあまりに低くにあって。

 雲ひとつない蒼の天蓋が、それらを呑み込もうとしている。

 

 あまりに青い。

 僅かばかりの茶色の大地には、人の姿はもちろん、その痕跡すら見つけることは困難だった。

 人の営みは大地に呑まれ、その大地すら、こうして三百六十度を取り囲む大空に比べればあまりにちっぽけな存在に過ぎない。

 

「すごい――――」

 

 雲居はあんぐりと大口を開け、爛々とかがやく瞳で絶景に見入る。

 それを横目で見やるや、アキラはぽつぽつ語り始めた。

 

「私はな、人間があまり好きではない。自分たちの勝手な都合で、罪のない美しい生物に平気で手を掛ける」

 

 それは、言葉より先に手が出る不器用なアキラなりの励ましであった。

 

「だが、大自然というのは凄いぞ! そんな人間もまとめて、こうして受け止めてくれる。この光景を見る度に私は、心に降り積もっていた淀がすっかり吹き飛ばされる心地がするんだ」

 

 もはや雲居は、返事をするのも忘れて、すっかりこの光景の虜になっていた。

 そんな雲居をやさしく見守りながら、アキラは小さな声をそっと口の中で転がした。

 

「……お前も、そうだと良いな」

 

 

 **

 

 

 それから、二人は下山した。

 

「おまえ等を縛る縄は、この蜘蛛糸に代えておくよ。安心しろ。二時間も経てば糸は勝手に溶けて無くなるから、それからゆっくり下山すればいい。おっと、変な気は起こすなよ。銃は預かっておくから、おまえ等に万に一つも勝ち目は無いぜ!」

「私は別に、襲ってくれても構わんぞ。そのときは、この山の肥料にするだけだ」

 

 などと脅しつければ、男達は力なく項垂れた。

 それから、連中が構築してきたルートを利用して、もう一泊ビバークを挟み、安全に山を降ったのである。

 

「連中の張った命綱を使うことができて良かった。命綱無しであそこから下山するだなんて、考えたくもない。もしそうなったら、一生あの山の上で暮らしてたかもしれないですよ、俺」

「安心しろ。そのときは殴ってでも連れて帰ってやったさ」

「ははは…………冗談とは欠片も思えないあたり、アキラさんらしいや」

 

 久々に地面に降り立った二人は、そんな会話を交わして、そのまま別れた。

 否、別れようとしたアキラを雲居が引き留めた。

 

「あっ、そうだアキラさん。また写真を撮りましょうよ! 一緒に任務を達成した記念に。そして、二人の再会を祝して」

「またか。ひょっとしてお前、本当に毎回そんなバカなことしてるのか?」

「いや、流石に相手は選びますよ。ノリの良い人とか、笑って許してくれる人なら尚良し。苦い顔して一緒に写ってくれる人なら、まぁセーフかな」

「……苦い顔してる時点で察してやれ。迷惑がっているぞ」

「そういえば、アキラさんも前は難しい顔して写ってましたね。今度は笑顔でお願いします。ピースなんかもしてみません? 日本人は皆するんですよ、ピース」

「……まったく、仕方のないヤツだ」

「それじゃあ職員さん、お願いします」

 

 迎えに来ていたASEの職員にカメラを手渡して、パシャリと一枚撮影。

 それから別れようとしたアキラであったが、もちろん雲居が言い募る。

 

「ところでアキラさん。晴れて任務も達成したことですし、この後いっしょに食事でもして友好を深めませんか。約束してましたよね」

 

 ずいと近寄る雲居。必死さが伝わってくる、真剣な表情だ。

 アキラは、ちょっと考えて、頷いた。

 

「そういえば、寝言を言うのは任務をこなしてから、と言った覚えがあるな。良いだろう。付き合ってやる」

「えっ、ほんとですか!? やった、つくづくこの国にやって来て良かったなぁ!」

 

 ぱぁっと満面の笑みを浮かべる雲居に、アキラは微笑む。

 ちょっとだけ苦笑いの混じった、けれどもあたたかい微笑み。

 

「そうと決まれば、さっそく行きましょう。実は、目を付けてるアラビア料理店があってですね」

 

 アキラの手を取って歩き出そうとした雲居であるが、それは叶わなかった。同行していたASE職員が、ポンと雲居の両肩に手を置いたのだ。

 

「残念ながら、その時間は無いんだよ、雲居くん」

「えっ、どういうことですか。まさか……」

 

 みるみる雲居の顔が引きつっていく。

 さっきまできらきらと輝きを湛えていた瞳が、どんより淀んでいく。

 

「任務です。場所はアメリカ合衆国。ちょうど地球の裏側です」

「それじゃあ……」

「ええ。今すぐ出発です」

「そんな、せっかくアキラさんと仲を深めるチャンスなのに! ねぇ、ちょっとだけ待ってくださいよ。ほんの二時間……いや一時間だけでいいんで。ねぇってば!」

「ダメです。既に任務を受けてしまいました。そして、今から向かわなければ間に合わない。だから今すぐです」

「まる三日山に登って、ようやく人里に戻ってきた疲労困憊の人間に対する扱いがコレか!? ASEの人非人、人でなし、おまえ等人間じゃねぇ!」

 

 ぎゃあぎゃあ喚きながら、ずるずると引きずられていく。

 そんな雲居を、アキラは苦笑しながら見送るのだった。

 

「やれやれ、仕方の無いヤツだ。だが、約束は覚えておいてやろう。次の機会を楽しみに待っているぞ、バカモノめ」

 

 苦笑はいつしか、微笑みへと変わる。それは、慈愛に満ちたやさしげな表情だった。

 そんなアキラの姿を、雲居は直接見ることはできなかったけれども、後日、同じ表情を見てニヤニヤすることとなる。

 

 二人で撮った写真。

 そこには、とびきりやさしい笑顔を浮かべるアキラの姿があったのだ。




13,154文字

<参考文献>
阿部亮樹,2008,『イラスト・クライミング』,東京新聞.


アヘラエル国も悪魔の木も、もちろんアンザー山岳傭兵団も創作です。なんだよアヘラエルって……最高に頭悪いな(自嘲)。

拙作は不定期更新です。
次回は年内には投稿したいです。
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