目覚まし時計のけたたましい音で雷丸は目を覚ました。まだ七時だったが、外ではもう日差しが強くなっている。昨日のことを思い出しながら雷丸は顔を洗い、学生服に着替え、リュックを背負い、食堂に向かった。
朝食にはごはん、みそ汁、焼き魚、卵焼き、ヨーグルト(自家製)などが並んでいた。いつもながら豪勢だ、と雷丸は思う。遥風さん達が食べているものと一緒なんだよ、と雷丸は以前食堂のおばちゃんから聞いたことがあった。
「おっ。雷丸くん。今日で学校終わりだね。楽しい夏休みだ!」そのおばちゃんはいつものごとく元気よく、雷丸に声をかけた。
「はい。ありがとうございます」恐縮しながら、雷丸はお礼を言った。
その日は、雷丸たちの通う学校の終業式だった。
食事を済ませ、雷丸が、自転車のある裏口へ向かっていると、執事の楽さんが廊下を走ってきた。
「坊ちゃん、坊ちゃん、……」楽さんは息を切らして、言った。
「どうしたの?楽さん」雷丸は尋ねる。
「今日は、正面玄関から、お帰りになってください。」楽さんはまだゼイゼイしながら、途切れ途切れに言った。
「あ、そうか。今日は……」雷丸は気づいて答えかける。
「はい。颯太君一家が帰ってきます」言葉をつないで、楽さんはやっと一息ついた。
「もはや年中行事だね。分かった。じゃあ、行ってきます」雷丸は靴をはき、振り返り手を上げて言った。
「行ってらっしゃい、坊ちゃん」楽さんはそう答えて笑った。
楽さんに手を振られながら、雷丸は自転車にまたがった。
裏口から出て家の前を通り、堤防に乗り上げた。ここの上から見る景色は格別で、前を向けば街が一望でき、振り返れば河口から海を見ることができる。
雷丸が久しぶりにその景色を堪能していると、遥風が「遅れるよーっ」と立ちこぎで雷丸の真横を通り過ぎていった。今日も海は変わらず美しい。遥風の起こしたゆるい風を顔に感じながら、雷丸は再び自転車をこぎだした。すぐそこの橋を渡れば、学校は目の前だ。
学校が終わると、教室にあふれる解放感にもひたらずに、雷丸は校舎を飛び出し、自転車を走らせた。終業式のあったその日は、河野一家が川嶋邸を訪れる、毎年恒例の日だった。
河野家の長男、颯太は小学五年生で、高校二年生の雷丸と遥風にとっては年の離れた弟のような存在だった。逆に、颯太は雷丸と遥風が姉弟だと思っていた。偉大なる勘違いなのだが、そうさせたのは遥風の両親だ。彼らに言わせると、『使用人の子』という雷丸の肩書きは、特に子供には説明に困るらしい。
『この家には子供は君と遥風の二人しかいない。河野くん一家、いや、これは誰にでもだが、君をのけ者にしていると思われるのは不本意だ。だから、河野くん一家が来る時は、あくまで家族の一員として振る舞ってほしい。君なら、分かってくれるね』遥風の父、良樹の言葉である。
雷丸が川嶋邸に住んでいられるのは、ひとえに遥風の両親の温情によるものだ。だから、雷丸はそれに報いる必要がある――
なんちゃって、と雷丸は舌を出した。それは建前に過ぎなかった。雷丸にとってその日は、ずっと遥風のそばで笑っていられる、最高の日だった。雷丸はその日を楽しみにしていた。
自然と、ペダルを踏む足にも力が入った。
川嶋邸の正門までたどり着くと、雷丸は門を開けるための鍵がないことに気づいた。雷丸はいつも裏口から入るので、玄関の鍵はおろか正門の鍵すら持っていなかった。遥風を待つしかないかと雷丸が考えていると、「あーーー」という声とともに遥風が自転車でせまってくる。キキーッと清々しい音を立てて彼女の自転車は雷丸の目の前で止まった。雷丸は少し冷や汗をかいた。
「ごめんね雷丸。鍵渡すの忘れてた……」
息を切らしながら遥風は言い、慣れた手つきで門を開け、雷丸はやっと庭に入ることができた。銀に輝く巨大な門が、荘厳な音をたてて閉まった。
川嶋邸の庭はとても広く、真ん中には噴水が吹き上がり、通路を挟んでその周りを色とりどりの花壇が飾っていて、そこからさらに通路をはさんでその外側を芝生が囲んでいる。要するに、雷丸と遥風のいる正門から玄関までは、まだ遠かった。
これは自転車に乗っていった方が早いんじゃないかと雷丸が考えていると、後ろからチリリンと音がして、「歩いて行ったら疲れるよー」と遥風が雷丸の横をすり抜けた。流石だと思いながら雷丸はそれに続いた。
玄関横の広すぎるほどのスペースに、二人は自転車を止めた。なかなかいい景色だと2台の自転車を眺める雷丸に気づくことなく、遥風はさっさと玄関の鍵を開けて中に入っていき、「あれ、雷丸、どうしたの?」と重そうな二枚扉の隙間から顔をのぞかせた。
「はいっ、なんでもありませんっ!」背筋をぴしっと伸ばして雷丸は答えた。
遥風は早く早くとでもいうように手招きをしていた。不思議に思って中をのぞくと玄関には楽さんが待ち構えていて、雷丸はぎょっとした。
「おかえりなさいませ。坊ちゃん、お嬢様」心なしかいつもより早口に楽さんは言った。
「お二人とも、すぐにお着替えになって、ここにお戻りください。颯太ぼっちゃまとご両親があと十分ほどで到着します」間髪入れずに楽さんは続けた。
「わかった」「オーケー!」二人は答え、時計をちらちらあせりを隠せない楽さんを横目に走り出した。
「いやー早いねえ。ま、いつものことだけど」「だね」雷丸と遥風は一言ずつ言葉を交わして、雷丸は一階、遥風は二階の自室へと向かった。
遥風は笑ったような、困ったような顔をしていた。遥風も、颯太一家が訪ねてくるのに悪い気はしないのだろう、と雷丸は思った。
家族で川嶋邸を訪れ、しかも泊まっていく人達なんて彼らの他にいなかった。川嶋邸の人々はそんな、いい意味での図々しさを持った河野一家も受け入れていたし、そう公言もしていた。
『いやあ君たちは本当に図々しいねぇ。清々しいほどに図々しい。それがいい』と、遥風の父、川島良樹は酒の席で、笑って言ったものである。
素早く雷丸はジーンズにパーカーというシンプルな服装に着替えた。雷丸は『よそ行きじゃないんだから、そんなに着飾らなくてもいいわよ』という去年の母の言葉を思い出していた。
雷丸は玄関に向かった。雷丸が戻ってくると、遥風もちょうど階段を下りてくるところだった。玄関には楽さんが安堵の表情を浮かべて立っていた。
「お二人とも、"上出来"でございます」言って、楽さんはにっと笑った。
遥風と雷丸は顔を見合わせた。こういう時でも冗談を飛ばす楽さんは素敵だ、遥風もそう思ったのが雷丸には分かった。
遥風は胸のあたりに細かな装飾がほどこされた、白のワンピースを着ていた。清楚というにはあまりにもきれいだった。よく似合っていると雷丸は思ったが、口には出さなかった。こういうところは少し奥手な雷丸である。
扉の向こうから車の停車音が聞こえた。
「そろそろですね。準備はいいですか?」楽さんは言った。
誰に言ったんだろう、と雷丸が振り返ると、十人ほどの使用人が内を向いて2列に並び、小声で返事をしたりうんうん頷いたりしていた。
「ここの人たち、みんな、静かで速いよね」遥風は唖然とする雷丸に言った。
その時、子供の足音が近づいてきて、扉の前で止まった。扉の外の子供はチャイムを押したようで、鐘の音が館内に響き渡る。
「荷物をお持ちしましょうか?」扉の向こうで使用人が子供に話しかけた。
「だが断る。」静かな口調で子供は告げた。
押し殺した笑い声が館内に響いた。笑ってはいけない時はのこういうネタがすごく面白く感じる。
楽さんは咳ばらいをひとつして、館内は何とか静まり返った。玄関の扉が開き、子供が一人躍り入り、それに続いて夫婦が入ってきた。
「河野様、お待ちしておりました。居間の方へ、ご案内いたします」楽さんはそう言って頭を下げ、河野夫婦を先導し、階段を上りはじめた。
雷丸と遥風はその後ろについて行く。颯太はすでに階段を上りきり、手すりにつかまって奇声をあげていた。
タイトル通り。颯太君が活躍するのは次の回なのです。
決して近頃はやりのフェイクニュースではないのです。
こっちを向いてよハニィィイィwwwwwww