君を見ていたい。   作:夜ノとばり

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波乱の始まり……ですね。




 別荘での一週間はすぐ過ぎた。雷丸はその時間をひたすら寝たり、何時間も飽くことなくテレビを見たり、ビーチでは使用人さんバレーへの乱入を繰り返すことに費やした。

 

 遥風は姿勢を変え場所を変え、本を読み続けていた。違う場所に来てもいつもと変わらず振る舞う遥風は、雷丸には余計に印象的に見えた。

 

 二人は住み慣れた川嶋邸本館に戻ってきた。

 

「坊ちゃん、ちょっと……」

 

 おかえりなさいませも言い終わらぬうちに、楽さんは雷丸を玄関ホールの隅に呼び寄せた。周囲は皆きょとんとしている。

 

「雷丸坊っちゃん」

 

「はい」

 

 楽さんはいやに真剣な雰囲気を作り出した。雷丸は訳も分からず緊張した。

 

「……一週間前、この家に、一本の電話がありました……あなたのお父様が、お戻りになられると……」

 

 楽さんの声は震えていた。雷丸が声を荒らげるかもしれないと思ったからだ。

 

な、なんだって!!」予想通り、雷丸は声を荒らげた。「親父が返ってくる!?」

 

「はい、確かに。『八日後の早朝六時に帰る』と」

 

「ということは、明日の朝か。……ぶっ飛ばす」

 

 握りしめた拳を揉んで、雷丸は呟いた。そうして一階の右側の廊下を自分の部屋にずんずん歩いていった。楽さんは心配そうに雷丸の背中を見送った。

 

「楽さん」

 

 突然背後から良樹に声をかけられ、楽さんは身を震わせた。いつものことで慣れてはいたが、今日は特に油断していた。振り向くと良樹と遥風が並んで雷丸を凝視していた。

 

「迅さんが戻ってくるって本当?」良樹は尋ねた。遥風はうんうんと頷く。

 

「はい、間違いありません。この耳で迅様の声をお聞きしましたので。」楽さんは答えた。

 

「雷丸はなんて言ってましたか?」遥風は尋ねた。今度は良樹がしたり顔でうんうんと頷く。

 

「帰ってくるのが明日の早朝だと申し上げましたら、『ぶっ飛ばす』とお言いになって、御自分の御部屋に戻られました」楽さんは答えた。

 

「そうか、明日か……。……もし、明日の朝、腕っぷしの強い雷丸君が、暴力沙汰でも起こしたりしたら……」

 

 良樹は首をひねり、何か考えている風だった。その思考は、ある簡潔な答えを導き出した。

 

「色々と……まずいな」良樹は言った。

 

「まずいね」遥風も言った。

 

「まずいですね」楽さんも言った。

 

 二階の壁に飾られた大きな風景画が三人を見下ろしている。その前を、洋子が通りかかった。

 

 三人は身を寄せて、いそいそと話し込んでいる。

 

「あら。何してるのかしら」

 

 シャンデリアに光る木製の手すりに手をかけながら、洋子は小さく独り言を言った。

 

 

 

 AM5:30。雷丸は自室から談話室に向かう廊下の途中にいた。全館暖房とはいえ、まだ電気のついていない館内には肌寒いほどの静寂が立ち込めている。

 

 雷丸は迅を見たら問答無用に殴り倒すつもりでいた。無意識に手に力が入る。実のところ、雷丸は迅のことはほとんど忘れたようなものだったので、迅に対する憎しみや恨みは特になかった。しかし二年間も母さんを孤独にした罪は重い。親父に会ったらとにかくとっちめてやろうと雷丸は心に決めていた。

 

 迅が川嶋邸につくのは六時の予定だったが、いささか早く起きすぎたため、暇つぶしに本でも読もうと雷丸は談話室に向かっていた。

 

 雷丸は扉の前で不自然に立ち止まった。

 

「……?」

 

 部屋の中からことん、と物音がしたのだ。それからとんとんと足音らしきものが遠ざかっていき、キュルキュルという音で窓が開けられたのが分かった。

 

 目の前の扉がかたかたと鳴る。扉の隙間から空気が漏れ出している。

 

 空き巣!?泥棒!?雷丸の頭の中はその二択でいっぱいになっていた。と、とにかく開けられた窓から逃げられるのを防がなくては。雷丸は固まろうとする体を無理に動かし、ドアの取っ手を力任せに引いた。

 

 扉は勢いよく開き、冷ややかな風が雷丸をかすめてどっと吹き抜けていった。

 

―――そこにいたのは、遥風だった。

 

「おはよう。雷丸」遥風は言った。

 

 開かれた窓の桟に寄りかかり、結んだ長い黒髪を風に(もてあそ)ばせながら、遥風は意思のきらめく瞳で雷丸を捉えていた。窓の外はもう明るくなってきているが曇っていて、電気のついていない室内は窓側の半分が白く染められている。遥風はこめかみに垂れた前髪を耳の後ろへやったが、雷丸からは目を離さなかった。

 

「ど、どうしてここに?まだ早いのに」

 

 雷丸は明らかに動揺していた。自分の父親とは言え、雷丸は迅を殴る場面を遥風に見せるつもりなど毛頭無かった。

 

「……雷丸のお父さんには、良くしてもらってたから」遥風は答えた。

 

 雷丸の暴力を止めるためだよ、とは言わなかった。ただでさえ傷付いている(はずの)雷丸をさらに苦しめる気は、遥風には無かった。

 

 雷丸は黙っていた。

 

「雷丸は、迅さんが嫌い?」

 

 遥風はいきなり核心を突いた。雷丸の顔に困惑と焦りの色が浮かんだ。遥風の前で、雷丸の中で建前と本音が戦っている。

 

 雷丸と遥風の両方が口をつぐむと、室内の風景ははまるで思い出の中のワンシーンのようだ。

 

「……苦手。」

 

 そう言って雷丸は叱られている子供のように顔をしかめた。

 

「そう、なんだ」

 

 できるだけ自然に聞こえるように遥風は言った。無意識に身振りが大きくなってしまう。

 

「……普通に話している分にはいいんだけど、あれが父親だと思うと……嫌だ。時々急に変なことやらかすし」

 

「……突然、いなくなるとか?」

 

「そう。10年くらい前にも、何の前触れもなく消えて一か月くらい帰ってこなかったし。あの刀オタク」雷丸は心底呆れるといった顔だ。

 

「私にもわかる気がするな、その気持ち。ほら、うちのお父さんもあんなだし」

 

 遥風はにっと口角を上げ、雷丸も苦笑いをした。雷丸は人ごみに知り合いを見つけたような気分だった。

 

「でも『父親』だ、と思うから求めるものが多くなっちゃうんだよ。だからそういう時は『父親』だと思わなければいい」遥風は、自分はひどいことを言っているなあという顔をしていた。

 

「どういうこと?」

 

「私の中でお父さんはその時だけ、『私のことをかわいがってくれるいたずら好きのおじさん』に変わるの。だから雷丸のお父さんも同じ。『自分とお互いをよく知るおじさん』が二年ぶりに帰ってきたと思えば……」

 

「比較的穏やかに対応できると」

 

「そう」

 

「なるほどなあ」

 

 雷丸は素直に感心していた。遥風と話しているうちに腹の底で(うごめ)いていた毒が抜けてきたようだった。でもやっぱりあいつには一発食らわせてやりたい、と雷丸は心の内で思っている。

 

 談話室の時計が5時55分を指している。

 

「……そろそろか」

 

「じゃあ私もいっしょに行こうかな」

 

「え」

 

「えって何?」遥風は笑みを浮かべて、「今日は雷丸の隣でお出迎えさせてもらうよ」

 

「……そう」

 

 雷丸は口元のむず(がゆ)さと格闘しながら部屋を出た。

 

「ふう……雷丸のああいうところは、迅さんに、似たのかな……?」

 

 遥風は独りごちるように言い、電気を消して談話室を後にした。

 

「……げっ」

 

 雷丸は声を漏らした。廊下を抜けた先の玄関ホールに既に明かりがついていて、楽さんが待ち構えていたからだ。

 

「おはようございます、坊ちゃん。どうなさいました?」

 

 いつも通りの飄々(ひょうひょう)とした口調で楽さんは尋ねる。「い、いや……」と雷丸は言葉を濁した。

 

「楽さん。おはよう」「おはようございます、お嬢様。」

 

 遥風と楽さんは挨拶を交わし、雷丸と三人で玄関扉から五メートルほど離れた場所に並んだ。楽さんと遥風で雷丸を挟むような体制である。いざという時に雷丸を両側から捕まえて動けなくするための作戦(笑)だった。

 

 二階の中央階段の脇には良樹が息を潜めている。

 

「そろそろ時間ですね。では、門を開けて参りますので、しばらくお待ちください」

 

 楽さんは靴を履き、迅を迎えに外へ出ていった。

 

 館の中に沈黙が流れる。玄関ホールにいるのは雷丸と遥風だけになっていた。

 

 ラッキーチャァァァンスッ!良樹は思った。心なしか良樹の目に光が宿っているように見える。いけっ。手をつなげっ。今なら暴力沙汰を防げて二人の仲も深まって一石二鳥!さあもっと距離を縮めるがいい。手を握り合うがいい!誰かに見られるなんて気にしなくていいぞ。使用人さん達には七時まで玄関に近づかないように言ってある!私は何も見なかったことにするから!!良樹は心の中でまくし立てている。

 

 遥風が雷丸に少し近づき、二人の服の袖と袖が擦れる。雷丸が歯を食いしばったのが遥風には分かった。遥風はゆっくりと手を動かし、雷丸の握られた拳をそっと包んだ。そしてまたゆっくりと手を元の位置に戻した。

 

 計画通ーり!!良樹は二階で小さくガッツポーズをした。まさか自分からやりたいと言い出すとはね。さあこれで雷丸君も暴力沙汰は避けねばなるまい。何しろ遥風の前なのだから。そう考えながら、良樹はむっふっふと笑った。これで迅さんの前でも冷静でいてくれるかな、と遥風は思った。雷丸の中ではそれとはまた別の決断が下されている。

 

 玄関扉がガチャリと音を立てて開いた。三人は揃って顔を上げた。

 

 神妙な顔つきで楽さんが入ってきた。楽さんは扉に手を当てて後ろにいる人物を促す。二年ぶりの迅さんはどう変わっているのだろう、と良樹は目を凝らす。その視界の中で何かが、素早く動いた。

 

 雷丸だ。

 

 何を思う間もなく良樹は立ち上がり、叫んでいた。「雷丸君!!」

 

 どうして。私じゃ、駄目だった?私じゃ……。遥風は遠ざかる雷丸の背中を見ながら、その場にへたり込む。

 

 速い!!楽さんは目を見開き、押さえていた扉を強く突き放して雷丸の行く手を塞ぐ。私の体力もまだ衰えていないらしい、と楽さんは思った。雷丸は目を細め、向きを変え迅の入ってくる方向、楽さんが進んだのと逆の方向へ回り込もうとする。しまった逆を突かれた、間に合わない、迅様、逃げてください。楽さんは追うのを諦める。

 

 そこに迅が、正確には迅の持つ刀の切っ先が、入ってきた。

 

 拳を引いて構えかけていた雷丸は、思わずぎょっとした。のけぞり、後ろに倒れ、走ってきた勢いでタイルの床を滑り、開いている方の扉にどっこーんとぶつかって迅の目の前で止まった。

 

 迅はいきなり目の前に現れた息子にさして驚きもせず、力強く微笑む。

 

「よう。雷丸」雷丸は迅を見上げる。「大きくなったな。元気そうで何よりだ」

 

 迅は刀の(みね)を肩に乗せ、明るいが迫力のある声で頷いた。迅の腰には若草色の(さや)がぶら下がっている。

 

「良かったあ……」

 

 遥風は涙声をこぼして袖で目を拭った。雷丸は唇を歪めてうつむく。お、この二人、と迅は察した。良樹がどたどたと長い階段を下りてきた。

 

「迅さん、久しぶりですね」

 

「良樹さん、御無沙汰してます。楽さん、遥風ちゃんも久しぶり」迅は一人一人に声をかける。

 

 迅さんが義理堅いのは昔から変わらない、と良樹は思った。若い頃は大悟君と三人でやくざのまねごとをよくしたものだった。黒塗りの車に黒いスーツ、黒いサングラスをかけて乗って暴走運転してみたり。人気のない場所で黒いアタッシュケース(中にお菓子が入っている)を札束(おもちゃ銀行)と交換してみたり。

 

「母さんを独りにして二年間も一体何してた?」問い詰めるように雷丸は言った。

 

「母さんへのプレゼントを作ってたんだ。これがそう。『樹郷(ききょう)』だ」

 

 そう答え、迅は若草色の(つか)の刀を顔の前に掲げた。すらりと伸びる刀身は、開きっぱなしの扉から差し込む日光を面ごとにほぼ均等に反射している。

 

「すごい……」良樹は見とれている。

 

「もうかれこれ25年はやってますから。腕が違います」迅は自分で言ってフフフと笑った。

 

「ところで二年間いったい何を」

 

「またですか。いい刀を作ろうと思って材料の調達からやっていたら、予想以上に時間がかかってしまって。いくつも試作品を作って、20回目の結婚記念日の今日にどうにか間に合いました」

 

「八日前に帰るめどがついていたことは内緒にしておきます」

 

「そうしてくれると助かります」

 

「何の話かしら?」郷子は言った。

 

 背の低い郷子は影法師のごとく迅の後ろに立っていた。迅はビクッと動揺したが、良樹を背にして郷子と向き合った。

 

「きょ、郷子……。二年間も、待たせてごめん。結婚20周年、おめでとう」迅は郷子に『樹郷(ききょう)』を渡した。

 

「あなたらしい贈り物ね。ありがとう。これからも末永くよろしく」

 

「よろしく」二人はお互いの手を握った。

 

「花束とかがあるともっとよかったわね」

 

 欲張りを言えば、という風に郷子は呟いた。迅は困ったような素振りを見せる。

 

「!……これ」

 

 迅は背中の後ろから、色とりどりの花束を取り出した。

 

「あら、すごい!……」郷子は意味ありげに笑って、「ありがとう」

 

「それで、二年間も何してたの?」

 

「三度目の正直」

 

「?……ここで話すのもなんだから、談話室の方で、思い出話でも、聞かせてもらおうか?」

 

 郷子は警察の事情聴取のように言い、迅と腕を組んで談話室へと廊下を歩いていった。

 

 良樹はにやにや顔と生温かい目でハンカチを振りながら二人を見送った。

 

「お父さん」「おじさん」良樹はぎくりとして声のした方を向く。

 

「さっきの花束、どうやって出したの?」「どうやって出したんですか?」完全に忘れられていた雷丸と遥風が、食い入るような目つきで良樹を見つめていた。

 

「そうか、君達は、新たなる伝説の目撃者となってしまったのね……」

 

 良樹は頬を引きつらせて笑った。雷丸と遥風は、良樹が迅の後ろ手に花束をつかませる所をばっちり見ていたのだ。

 

「多分母さんは気づいてたと思います」雷丸は言った。

 

「そうだよ。迅さんあからさまにびっくりしてたし」遥風は追い打ちをかける。

 

「ぬ……ぬぬっ。き、気にしな~~いっ!」

 

 強引に会話を切り、良樹はいそいそと階段を上り始めた。二階の大窓から入った太陽光が中央に敷かれた赤絨毯(あかじゅうたん)に照り付けている。

 

「そうそう。聞きたかったことはそれじゃなくて」

 

「ほ?」良樹は振り返る。

 

「どこから花束を出したの?」

 

「一昨年のマジックショーの特訓の成果……いや、ハンドパワーです!」

 

 わはははは、と笑いながら良樹は二階の奥に消えていった。むろん雷丸と遥風を二人きりにする作戦である。しっかりやれよ、私は監視カメラで見てるから、と良樹は思った。

 

 二人の間に沈黙が流れる。二人の足元は温かい光に包まれている。

 

「は、遥風……」雷丸は震える声で言い、横の遥風を見た。

 

「……なーに?」遥風は何も気づいていないふりをした。

 

「あの、」

 

 きゃあっ、と廊下から歓喜の声が上がった。二人の使用人が廊下の向こう側へ姿を消した。なんだなんだ、と良樹は監視カメラのモニターに顔を近づける。

 

「や、やっぱり、何でも……ないです」雷丸の声は尻すぼみになっていく。

 

 諦めるなよ!良樹は管理人と一緒にモニター室で声を上げた。

 

「……そっか。じゃあ、ね……」遥風は雷丸に手を振り、中央階段に足をかける。

 

 今が引き止め時なのになあ、と良樹は思ったが、雷丸にその余裕は無く、階段を上る遥風の後ろ姿も見られないまま、ビッグチャンスは幕を閉じた。

 

 

 

 同日、PM4:30。雷丸は川嶋邸一階の自室で本を読んでいた。遥風の影響である。

 

 こんこん、と部屋のドアがノックされた。

 

「雷丸君、いるかい?」良樹の声だった。

 

「はい。います」雷丸は答え、ドアを開けた。

 

「遥風がどこにいるか、知らない?」良樹は不安そうな顔だ。

 

「何かあったんですか?」

 

「数時間前から探しているんだが、遥風がどこにもいないんだ。当然部屋にはいないし、正門は今日、一度も開けられていない。裏口もだ。玄関も数えるほどしか開いていないし、まして遥風は、今朝を除けば玄関に近づいてすらいない。だから、必ずこの家の中にいるはずだ。一緒に、探してほしい」

 

「分かりました。探します」

 

 雷丸は早口で答え、まず談話室へ走った。しかし、本棚の影にも、カーテンの裏にも、人がいる様子はなかった。それなら居間か、と階段を上る途中、雷丸は洋子と(はち)合わせた。

 

「あら雷丸君。どうしたの?そんなに慌てて」

 

「遥風が、どこにもいないらしいんです。外にも出ていないみたいなのに」

 

「な、何よそれ。遥風。遥風ーっ!」洋子は驚き、大声で名前を呼び始めた。

 

 雷丸は引き続き居間へと走る。

 

 遥風、遥風と洋子が呼び続けるのを、良樹は中央階段の裏で聞いていた。これは本当に、まずいことになったぞ、と良樹は思った。




ついにクライマックスに突入です。
キーボードを叩く指が鳴ります。
ここから伏線回収祭りに、なるのだろうか……?
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