君を見ていたい。   作:夜ノとばり

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ひいい、遅れてごめん。


ハードボイルド

 良樹は川嶋邸玄関、中央階段の裏に隠れている。雷丸に迅を探すように伝えてから約十分が経過していた。

 

 雷丸君は無事迅さん達を見つけられただろうか。

 

 廊下を歩く足音が近づいてくる。この時間に使用人がこの通路を通ることはないはずだ。ということは。

 

「旦那様。手筈(てはず)通りに、坊ちゃんに迅様の場所をお伝えしました」

 

「ありがとう楽さん。……さて、上手くいくかな?」良樹は喜々として言った。

 

「私としましては、上手くいくような気がしてなりませんが」

 

「はは、そうかい。……おっ、始まったな」

 

 二階、モニター室の方向から、雷丸の怒声が響いてきた。

 

「遥風お嬢様をどこへやった、ですか。まさしく、お嬢様を心から愛していなければ言えないセリフですね」楽さんはほっこり笑う。

 

「なんだか照れるな」良樹は居心地が悪そうにしていた。

 

 ががん、と近くで音がした。

 

「遥風、もう少しだ。耐えてくれ。雷丸君がすぐにお前を助けに」良樹は祈るように言う。

 

 良樹が半ば無意識に手を合わせているのを、楽さんは見た。子供じみた面があっても、やはり人の親なのですね。楽さんはしみじみと思う。

 

 ずだだだだん!ものすごい大きさの足音がものすごい速さで、二人の頭上を通り過ぎた。

 

 人間、必死になると自分の出す音など全く気にしないのですね。楽さんは考える。坊ちゃんがお嬢様を助けるというこの場面が、世紀の一瞬になるか、それとも悲劇の始まりになってしまうのか。

 

 だんっ、と踏み切ったような音が鳴り、ぱぁんと壺がはじけて落ちる。

 

「成功だ」低い声で良樹はにやりと笑う。両端の上がった口元とは裏腹に、目は真剣そのものだった。

 

 どうやら前者に落ち着いたようですね。楽さんは頬を緩めた。少し肩の力が抜けた。

 

『救急車を待つより、お前が直接病院に連れて行った方が速い』迅による放送が入る。

 

「とにかく早く、遥風を病院に運んでくれよ……!あと、絶対落とすなよ」良樹は小声で色々言っていた。

 

 雷丸が扉を蹴り開け外に出ていくのを、良樹は階段の隅から覗いている。こういう時は雷丸君達の見えないところで壁に寄りかかって、腕組みをして。膝は片方だけ曲げて。主人公おっと雷丸君が出ていったのを見計らって目を開く、なんてのが定番なんだけれど。いざ自分が切羽詰まった状況に置かれてみると、中々冷静沈着に振る舞うのは難しいものだ。

 

 良樹が追いかけるべきか待つべきかとそわそわしていると、「旦那様」と後ろで呼ぶ声がする。振り返ると、楽さんがさっき良樹の頭に浮かんだのとまったく同じ格好をしているではないか。

 

 首はかすかに前に傾け、組んだ腕は緊張感をはらみつつもリラックスしていて、壁に付いた背中はほぼ一点、薄く細められた目はまだ動くべき時じゃないとでも言わんばかり、膝の曲げ方も、うん、絶妙。グレーの髪もダンディー。これは惚れるしかない。

 

 露骨な影の主人公発見。この人絶対年ごまかしてる。六十歳超えてるなんてありえない。スピンオフ化決定。

 

「……あなたはハードボイルド探偵か何かか」

 

「ハードロードならよく走ってましたが」楽さんは淡々と答える。

 

 ただの舗装(ほそう)された道路だろ。元走り屋の楽さんのことだ。誰よりも速くヘアピンカーブをドリフトしてたに違いない。

 

「……タバコ吸います?」良樹は胸元からタバコケースを取り出した。

 

「いえ、私は圧倒的な葉巻派ですので」

 

「……認定初耳学、『楽さんは三度の飯より葉巻が好」「冗談です」楽さんは遠慮がちに頭を下げる。

 

 どたどた、とのたのたした足音が上方を通り過ぎ、階段を下りていく。

 

「雷丸のやつ本当にやりやがった!」迅は笑い気味に言い、無残な姿になった隼雷を拾う。

 

「曲がってますね、あの名刀が」大悟も呆れ気味に言う。

 

「いやあ~~、うん。まあ、いいんだけどね。元々雷丸のために作った刀だし。雷丸の手で壊されるのなら本望だろう」迅は頭をかいている。

 

「もしかして隼雷の雷って、雷丸君の雷ですか?」

 

「そう。刀が似合う名前にしたかったから『雷丸』。それで、動くべき時に素早く動ける人間になってほしいと思って、作った刀の名前は『隼雷』にした。雷丸が七歳、結婚十年目の時だったな。その時も一か月くらい家を留守にしたから、雷丸は戸惑っただろうな」迅は言う。

 

「隼のように、雷のように。まさしくさっき見た光景じゃないですか。格好良かったですよね。何の迷いもなく刀を掴んだと思ったら、もう壺めがけて振り下ろしていましたよ。壺の方も、きれいに前半分が吹っ飛んでいい感じでした」大悟は雷丸の動きを全身で表現して見せた。

 

「そのためだけに特注した一品だったからな。それにしても、そんなに凄かったのか。後で見よう」

 

 今朝ほど速い坊ちゃんはもうこりごりです。楽さんは誰にも気づかれないよう首を振る。

 

「見てなかったんですか?あれは歴史に残る名シーンでしたよ」

 

「あの時、雷丸君だけには居場所がバレるわけにいかなかったんだよ」

 

 そう言って良樹は伸びをする。もうすっかり祭りの後気分の四人だった。

 

「それより問題は雷丸君と遥風の今後の関係だ。どうなっていくんだろうなあ……」良樹は安堵のため息交じりに呟いて、「言い忘れてた。迅さん、雷丸君が曲げたその刀はレプリカです」

 

「えっそうなの?」迅は驚いて刀を手に取り、「うわ、本当だ」

 

 僕には全く違いが分かりませんよ迅さん。良樹は苦笑した。

 

「そういえば、郷子さんに渡していた刀、確か名前は『樹郷(ききょう)』って聞きましたけど」良樹は話題を切り替える。

 

「あれか。お察しの通り、『樹郷』の郷は『郷子』の名前からとったものだ。結婚二十周年ということもあったんだが、かなり前から準備して慎重に作っていたら、丸々二年が経過していてな。それでもずっと待ち続けていてくれた郷子は、固い土壌にしっかりと根を張った菩提樹(ぼだいじゅ)のような……」迅は得意気に喋りだした。

 

 それを一筋の金切り声が、遮った。

 

「あちゃー、すっかり忘れてた……」

 

 今までずっと一人で遥風を探し続けていたのだろう、洋子が血相を変えて階段を駆け下りてきた。

 

「どうしよう、この状況……」良樹は周囲を見回した。

 

 前半分が粉々に砕け散った壺。開いたショーケースと、迅さんの手には曲がった刀。そして極めつけはここにいるはずのない、管理人のツナギ姿の大悟。圧倒的不審者の極み。

 

「どういうことなの!?遥風は見つかったの?談話室に集まっていた使用人は誰もそんなこと知らなかったって……あなた、また何かしでかしたのね?」パニック状態の洋子だった。

 

 さすがは我が妻、察しのおよろしいことで。……そこまで知っているのなら、全て言ってしまうことにしようか。これ以上は隠しきれないだろう。よし、そうと決まれば先手必勝。

 

「実はだな」

 

 一歩前に進み出て、良樹はこれまでの事情を一つ一つ話していった。

 

 

 

な、なんですってぇ!?遥風と雷丸君をくっつけるための作戦だった!?」洋子は今世紀最大の驚きを見せる。

 

「……そう。遥風をその、壺の中に隠して、雷丸君に探させ、見つけたら遥風が腹痛をうったえて雷丸君が病院まで運ぶ、というシナリオだ」

 

 途端に洋子の顔が引きつりだす。拳を握りしめて、震えている。

 

「ぷくく……最高のリアクションをありがとぁうっ!」

 

 火に油を注ぐ大悟の発言を、迅が体当たりで制した。大悟は「のおぉっ!」床を転がる。

 

「何するんですか、迅さん」大悟は文句を言うが迅は聞いていない。

 

「お前も妻帯者なら洋子さんのあの怒りようが分からんのか」大悟に歩み寄り、小声で言った。

 

「よく見てなかったんですけど……あ」大悟は青ざめて、「やばいですよ迅さんあれはやばい」

 

「ああ。怒りが大きすぎて言葉が出てこない状態だ。オーラが出てるな。さっきの雷丸なんかとは比べ物にならん。……どうやら俺たちは洋子さんの地雷を踏んでしまったようだ。こうなってしまったら俺たちはもう収まるのを待つしかない。一人も逃げようものなら、即座にエクスプロージョンしちゃうぞ」

 

「死を覚悟しておきます」

 

「耳鼻科に行く覚悟だな」浮かない顔でいつも通りの会話に戻る迅と大悟だった。

 

 何を能天気な。こっちは真剣なんだぞ。良樹は洋子の荒い息を間近で聞いている。……うわあ、洋子のやつ歯ぎしりしてる。爆発寸前。やばい。まずいを通り越してやばい。洋子が進化しそう。ラスボスが最終形態になりそう。というかそこまで怒ること?

 

 洋子は理由もなく怒り出すようなタマではない。私の遊戯(あそび)にはとてつもなく寛大だ。結婚した当時からそうだった。私が何をしたとしても、特別怒りはしなかった。私がテレビ番組でふざけ倒した時も。洋子に出した饅頭(まんじゅう)がピザまんだった時も。私の帰りを待つ洋子の後ろに私がずっと立っていた時も。包容力だと思う。洋子はそのような、受け入れる心に余裕のある人間なのだ。

 

 では、何が洋子をここまで怒らせたのか。それは主に、受けた仕打ちの理不尽さだろう。ひたすら探させておいて、心配させておいて、最後にはこれだ、と。しかも探していたのは自分の娘、一人娘。ともあれば、母親にとっては何物にも代えがたい、心の栄養だ。それを踏みにじられたのだから、今どれだけ切れて暴れまわったところで、それは自然な反応でしかない。私たちの誤算、今回起きてしまったたった一つの手違いだ。良樹は唇を噛んだ。

 

 雷丸君が、計画終了前に『遥風が失踪した』という情報のみを、洋子に伝えてしまったのだ。誤算も誤算、大誤算。雷丸君を責めるのとはまた違うが、あれが一番まずかった。内気な雷丸君なら誰にも言うことはないだろう、と私達が高をくくっていたのが原因だ。遥風を助けるためとはいえ、瞬時にあれだけの行動ができる雷丸君を見くびった結果、先入観に足元をすくわれたのだ。そしてそれは、後に洋子の自尊心を著しく傷つけることになってしまった。

 

 洋子は『使用人は何も知らなかった』と言った。それもそのはず。今回の計画にこの館の使用人は、楽さんを除き誰一人として組み込まれていなかった。何も知らせていなかったのだ。だから、雷丸君が遥風を探し回っていた時も、声をかけた使用人は皆落ち着いていたように見えたはずだ。なんたって、その場で焦っていたのは雷丸君ただ一人だけだったのだから。そこに楽さんが現れたのも偶然じゃない。策略あってのこと、悪く言えば私の差し金、計画通りだった。

 

 問題は、使用人が洋子に何を言ったかだ。ここからは私の想像になるが、談話室に遥風を探しに入った洋子は、見てしまった。いつも通りにワイワイとだべる使用人の姿を。洋子は混乱し、問い詰めただろう。そして使用人の誰かから、私の名前を聞いた。何も知らない使用人は、かまわず事実を伝えただろう。『良樹さんに言われて、今日は玄関に近づかないようにしている』と。洋子は嫌でも私の仕業と気づく。他人の発言で気づいただけにその苛立(いらだ)ちは尋常ではなかっただろう。そして洋子は『いたずらされた』というより『(だま)された』に近い感情を抱いて、ここにやってきたのだ。

 

 洋子は怒りを爆発させたいに決まっている。胸の奥に溜まった思いを洗いざらいぶちまけてしまいたいに決まっているさ。楽さんはどうか知らないが、私も迅さんも大悟も叱られることなど慣れっこ。屁とも思わない。しかしそれは叱ってくれる人がいる場合の話。私は洋子のそんな顔をもう何年も見ていないから、出来ることなら怒られてしまいたいが、残念ながら洋子はそういうキャラではない。

 

 洋子は優しい。それに合理的だ。だから本当に必要な時にしか怒らない。私の遊戯(あそび)に治る余地がないのは言わずもがな。いつもの洋子なら呆れ顔をした後、ふふ、と笑って退場するところである。さて、そんな傍観者Yが極限まで感情を高ぶらせる時、それはどんな時だろうか。

 

「……」洋子は無言で鼻をすする。震えは止まっている。(うつむ)いていて表情が確認できない。

 

 それはすなわち、私達の仲間に入りたくなった時。いや、言い方が悪いな。『なぜ自分がその輪の中にいないのか』と疑問に思った時。『なぜ自分は除け者にされているのか』と自問した時。そして『除け者にされる理由が、どこにもない』時だ。

 

「どうして私も、仲間に入れてくれなかったの……?」洋子のか細い声が良樹の耳に届く。

 

 溜まりに溜まった怒りは、涙へ。

 

 洋子は良樹を見上げた。顔を隠していた前髪が解け、悲痛な表情が(あら)わになる。良樹は唇を引き結んだ。大悟は目を背け、楽さんと迅は目を伏せた。

 

 心が痛む。胸が締め付けられるとは、こういうことを言うのだ。

 

「私も、その作戦を手伝いたかった。私は遥風のことなら本人以外の誰よりもよく知ってる。遥風のためだっていうなら、私は喜んで参加したはずよ。……なのにどうしてっ。どうして、私は仲間はずれなの?」言いながら、洋子は嗚咽を漏らし始める。

 

 言わないつもりだったが、これも言ってしまおうか。関係のないことも織り交ぜつつ。

 

「実は……この計画は、遥風に頼まれたんだ。書斎で本を読んでいたらいきなり遥風が入ってきて、ほとんど出来上がった計画書を突き付けられて。すごいよな。好きな人のためにここまで周到な用意ができるなんて。……それには、洋子には伝えないということも書いてあったんだ。でも、それにはちゃんと理由があって」

 

「その通りです」「!?」楽さんが会話に割り込んだ。

 

 私が話した方が説得力があるでしょう。楽さんは良樹に視線を送り、話を引き継いだ。

 

「……奥様。今日のことで、奥様のお怒りは、それを実行した我々も重々承知しています。私も、奥様のお嬢様を探す声を聴いていました。さぞ、苦しい思いをなさったことでしょう」楽さんは言葉を切る。

 

「しかし、計画を提案なさったお嬢様はこのような、奥様を傷つけてしまう結末をお考えではありませんでした。お嬢様は、御父上と共に私に計画を打ち明けられた際に、こう仰いました。『もしもこれがうまくいったら、何も知らないお母さんに、私と雷丸が手をつないでいる姿を見せてあげたい。……逆にもし、失敗した時には、お母さんには、何もなかったことにしてほしい』……と」

 

 健気な遥風の、無理をした笑顔が浮かんでくるようで、洋子は顔をくしゃくしゃにした。赤くなった頬を涙が流れる。ショーケースの前では、迅が号泣する大悟の肩をぽんぽんと叩いている。「ゔゔ……遥風ちゃん」

 

「遥風お嬢様は、単純に、奥様に余計な心配をかけたくなかったのだと思います。……こちらの手違いで、結果的には、望まない展開になってしまいましたが」

 

「病院では今頃、お嬢様と雷丸坊っちゃんが、こちらも顔の赤くなってしまうような初々しい名シーンを演出していることでしょう。……こんなこともあろうかと、お二人のいる病室に隠しカメラを仕掛けてあります。今からでも、奥様、彼らを応援し、見守ってあげませんか」

 

「ええ、そうね。見させていただくわ」涙を拭いて、洋子ははきはきとした声で言った。

 

 良樹は顔を(ほころ)ばせた。「それでは私はモニター室で準備を致しますので」と楽さんは階段を二階へ駆け上っていった。

 

 良樹は洋子に近づいていく。

 

「洋子……わ、悪かったな。秘密にしてて」良樹はぎこちなく謝る。

 

「いいのよ。ちゃんと説明してもらえて、少しすっきりしたわ。……その代わり今日は、祝宴またはやけ酒に、付き合ってもらうわよ」洋子は微笑む。

 

「そうだな。お望みとあらば朝まででも」

 

「それは私を誘っているのかしら?」洋子はにやっと笑った。

 

「君が望むのなら、という話だ」

 

「……じゃあ、先に二人のラブシーンを見に行ってるわね」洋子は手を振り、良樹も振り返した。

 

 洋子の姿が二階に見えなくなると、良樹は大きく深呼吸をした。

 

「もしかして、割と似たもの夫婦なのか?」迅は尋ねる。

 

「……そうなのかもしれないな」

 

 迅は答え、何もない中空を見上げる。私と洋子は、いつから結ばれる運命にあったのだろう。雷丸君と遥風は、これから結ばれる運命にあるのだろうか。

 

 空は今日も、変わらず美しい。




伏線回収回となりました。
次話、完結。
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