元おっさんの幼馴染育成計画   作:みずがめ

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103.勉強をしよう(後編)

 意外と言っては失礼なのかもしれないが、クリスの部屋は案外簡素なものだった。

 八畳ほどの部屋にはベッドに勉強用机。衣服はクローゼットに収納されているのだろう。クリスは物をもっとたくさん持っているのだと思っていただけに、このシンプルさには少し驚かされた。

 

「待ってて、すぐにテーブルを出すわ」

 

 部屋の主であるクリスは率先して準備を始める。端っこにあったローテーブルを部屋の中央まで運んできた。

 

「思っていたより物が少ないんだね」

 

 俺が思っていたことを代弁してくれるかのように葵が言った。

 

「勉強に集中したいからできるだけ気になる物は部屋に持ち込まないようにしているの」

 

 これまたクリスの答えは思ったよりも真面目なものだった。裏を返せばプライベートな物は他の部屋に置いてあるのだろう。乙女の秘密を探るなんて俺はしないぞ。

 

「本当に机の上はスッキリしているわね。これなら気が散らなくてよさそうね。ん、この写真立ては?」

 

 瞳子が気になったのは伏せられて置かれている一つの写真立てだ。勉強机の上で、整頓された教科書の横にそれはあった。

 

「ああ、それはね」

 

 クリスが俺を見てニッコリと笑う。なんだろう? その笑みに対してどう返したものかわからなくて変な表情をしてしまったかもしれない。

 クリスは机に近づいてその写真立てを取ると、俺達に見せてくれた。

 

「こ、これってトシくん!?」

「小さい頃の俊成よね……。隣にいるのはクリス? それに麗華だったかしら……」

 

 その写真に映っていたのは、まだ小さい頃の俺とクリスと麗華の三人だった。三人とも夏らしい薄着で、背景にはのどかな田舎の風景が広がっている。

 初めてクリスに出会った小四の夏。その思い出が蘇るような写真だ。というかその時に撮った写真だな。写真を撮ったのはこの一枚だけだったから忘れていたよ。

 

「懐かしいなぁ……」

 

 クリスと出会った頃を思い出してつい零してしまう。それはクリスも同じだったようで、頬を緩ませながら写真を眺めていた。

 

「本当にものすごく昔のことみたいに懐かしい……。あの時もしトシナリに出会っていなかったら、わたし日本の学校に通おうだなんて思わなかったわ」

「そうなのか?」

「だって、トシナリとレイカに出会わなかったら日本を楽しいところだって思えなかったはずよ。あの頃の思い出が今のわたしを作った。それは絶対なの」

 

 クリスは田舎で遊んだ時のことを振り返るように目を細める。実際に思い出に浸っているのだろう。彼女の瞳にはキラキラとした記憶が映し出されているみたいだ。

 

「レイカは元気?」

「あいつはあの頃とまったく変わってないほど元気だよ。だいぶ身長が伸びているから再会したらびっくりするぞ」

「あはは、そうなんだ。またレイカにも会いたいな」

「麗華は住んでいる場所がちょっと離れているからな。夏休みや冬休みになったらまた会える機会があるとは思うよ」

「そっかぁ……。レイカと会える時は教えてね。あの時みたいに遊びたいな」

「わかった。必ず伝えるよ」

 

 俺の目にもクリスと遊んだ田舎の思い出が映し出されていた。初めて実戦で英語をしゃべってコミュニケーションを取った。そうして友達になれたことが、葵と瞳子と出会った時とは違った嬉しさがあったなぁ。

 あの頃はクリスとはそれっきりになると思っていた。麗華も同じだったようで、良い思い出として話題にすることはあっても「また会いたい」なんてことは口にしなかった。

 でも、クリスはここにいるわけで。今は同じ日本に暮らしている。きっとそう遠くない未来にクリスと麗華は再会できるだろう。

 

「トシくんそろそろ勉強しようよ」

 

 腕をぐいっと引っ張られる。意識を過去へと飛ばしていたからかたたらを踏んでしまう。

 

「葵っ、急に引っ張るなよ」

「勉強をしに来たのにぼーっとしている俊成が悪いんじゃないかしら?」

 

 葵を注意すると、なぜか瞳子からチクリと言葉のトゲが飛んできた。味方がいるからか葵も「だよねー」と同調して反省する様子がない。

 

「ごめんね。わたしが誘ったんだからしっかり勉強しなきゃね」

 

 クリスは写真を戻すと人数分の座布団を用意した。なんか座布団が出てくると日本に染まってきているんだなと感じるね。綺麗に正座する金髪美少女を見ると胸がほっこりした。

 

『はーい、チーズケーキよ』

 

 勉強道具をテーブルに並べたところでクリス母が部屋に入ってきた。チーズケーキの甘いにおいが鼻をくすぐり食欲をそそる。

 まだ勉強を始めてもいないのだが……、このままチーズケーキを前にして手をつけないまま勉学に励むことなんてできないです! というみんなの考えが一致したので、クリス母のご厚意をありがたく受けることにした。

 クリス母がチーズケーキを人数分に切り分けてくれる。葵と瞳子の目がキラキラと輝いているのを見ると、女の子はやっぱり甘い物が好きなんだなと再認識させられた。今度デートに行く時は何かスイーツのある店をリサーチしておこう。

 

「いただきます」

 

 手を合わせてさっそくいただくことにする。実はチーズケーキは俺の好物でもあるのだ。

 内心で楽しみにしながらチーズケーキを口へと運ぶ。

 

「美味い!」

 

 これは店を出せるレベルではなかろうか。フォークを持つ手が止まらないぜ。

 

『トシナリの口に合って良かったわ。ね、クリス』

『そういうのはいいからっ。食器はわたしが片づけるから、お母さんは早くあっちに行ってよ』

『えー、お母さんもトシナリとおしゃべりしたいのに』

 

 などと本場のイギリス英語でのやり取りをしてクリス母は部屋を出て行った。クリスも年頃の女の子みたいな反応している。国が違っても親子のやり取りはそう変わらないようだ。

 

『お母さん、美味しいチーズケーキを作ってくれてありがとう』

 

 クリス母が部屋を出る間際、クリスはお礼を口にした。ふわりとした柔らかな母の笑みを見せると、クリス母は静かにドアを閉めた。やっぱり仲良しだな。

 

「これすごく美味しいね。クリスちゃんのお母さんはお菓子作り得意なの?」

「母は仕事をしない日はよくお菓子作りをしているの。食べるのも好きだからいろんなお店に行っているのよ。だから太ってしまうのね」

「へぇー、そんな太っているようには見えなかったのに。お仕事で体力を使っているんじゃないの? なんのお仕事をしているのかな?」

「ピアニストよ」

 

 俺達の動きがピタリと止まる。

 そういえば、クリスってピアノすごく上手かったよな。それって母親に英才教育されていたってことか?

 

「でも今はピアノを弾くのは趣味程度だけれどね。お金は父が稼いでいるし、父の集中を乱さないためにもピアノは控えているわ」

「ちなみにー……クリスのお父さんのお仕事って何?」

「父は画家よ」

 

 芸術家のサラブレッドがここにいた。金髪も相まってクリスがとんでもなく高貴に見える……。芸術家のオーラが見える気がしてきたぞ。

 思い出してみれば、小四の夏に出会ったクリス父は自由人な雰囲気だった。今思えばなんか画家っぽいぞ。と、画家の知り合いなんて一人もいないのに先入観で見てしまう俺がいた。

 

「父は日本の風景が大好きなの。日本にいるとたくさん描きたいもののイメージが湧いてくるって喜んでいるわ」

「だから日本語ペラペラだったのか」

 

 言葉がわかれば来日する閾も低くなるもんな。それになぜクリスがあんな田舎に来たのかというのもわかった気がする。たぶん父親の仕事の付き添いだったんだろう。

 俺達はクリスの芸術家一家の話を聞いて圧倒されていた。音楽家にしても画家にしても遠い存在だって思っていたから。ほんのちょっぴり夢心地な気分になった。

 

「ねえねえクリスちゃん。お母さんのピアニストの話がもっと聞きたいな」

「わたしが知っていることでよければ」

 

 葵は興味津々に食いついていた。その証拠に前のめりになっている。

 葵のピアノの腕はどんどん上がっている。俺と同じ学校に行きたいなんて言わなければもっと音楽に集中できる学校に行っただろう。

 将来何がやりたいかなんて話はしてこなかったけれど、葵はピアニストになりたいんじゃないだろうか。目を輝かせながらクリスの話に耳を傾けている姿を見るとそう思わずにはいられない。

 これが葵にとって良いきっかけでありますように。彼女には自分の思うままの道を進んでほしい。なんて親でもないのにそんなことを考えるのはおかしいだろうか。

 

「おかしくないわよ」

「え」

 

 声に出していないはずなのに瞳子が小さく笑いながら言った。心を読まれた!?

 

「俊成は顔に出やすいのよ。……あたしだって俊成がやりたいことがあるのなら全力で応援したいわ」

「そっか……、ありがとう瞳子」

「だから俊成の将来には期待しているのよ。しっかりがんばってね」

「う、うん……」

 

 なんかプレッシャーをかけられた気がするのは気のせいかな? 将来のためにもまずは試験勉強をがんばろう。うん。

 

 

  ※ ※ ※

 

 

 勉強した時間に比べて中間テストはあっさりと過ぎ去ってしまった。

 テストの日までしっかり勉強してきたのだ。それなりには手ごたえを感じている。

 結果が出ると三十位までの順位表が貼り出されるのだ。俺はクラスメート達と見に行くことにした。

 

「うわ~……、俺全然勉強してなかったから点数悪いよぉ……」

 

 下柳は頭を抱えていた。そう言いつつも裏ではしっかり勉強していた……タイプじゃないんだよなぁ。これは言葉のままその通りなんだろう。まあ自業自得だな。

 

「それは下柳の自業自得」

 

 って、美穂ちゃんが言葉に出しちゃってるし。言われた下柳は「そういう赤城ちゃんはどうなんだよ」と反撃していた。

 少なくとも美穂ちゃんはお前よりも上だよ。という言葉は飲み込んでやった。すぐにわかることだろうしな。

 

「おっ、あれが順位表みたいやね」

 

 佐藤の視線の先には人だかりができていた。みんな人の順位が気になるらしい。

 

「さすがに三百人超える人数の中で三十位以内に入ってはいないとわかっていますが、それでも順位表を見るのは緊張しますね」

「わたしは自信があるわ」

「さすがはクリスですね」

 

 クリスが自信ありげに胸を張ると、望月さんがパチパチと拍手した。いや、まだ見ていないでしょうに。

 名前が見える位置に移動して上から順番に確認していく。

 

「って赤城ちゃん!? 赤城ちゃんの名前があるぞ!!」

「わかってるから。黙って下柳」

 

 下柳が驚くのも無理はない。なんたって美穂ちゃんは学年二位だったのだから。

 

「相変わらずすごいね美穂ちゃん」

「ううん。一位になれなかった……」

 

 返事する美穂ちゃんのトーンが下がっていく。本気で学年トップになるつもりだったのだろう。いや、なってもおかしくないほどの実力があるからこその反応だ。

 美穂ちゃんは小学生の頃は平均的なレベルだったのだが、中学になってからめきめきと学力を上げたのだ。中一の学年末考査で美穂ちゃんは俺を抜かして学年トップとなった。それからの中学時代で彼女はトップの座を誰にも譲らなかったのである。

 そう考えれば美穂ちゃんにとって二位という結果は久々の転落ということになるのか。さすがに転落とは言い過ぎだけど、それほどに彼女が一位であることが当たり前になっていたのだ。

 美穂ちゃんでも中学に比べ順位を下げてしまったのだ。さすがは各学校から生徒が集まった進学校ということか。レベルが高い。

 俺だってこれでも中学までは十位以内をキープしていたのだけど……。どうやら今回のテストではその中には入っていなかったみたいだ。だけど、十位以内の中に知っている名前が一つあった。

 

「木之下は八位だね」

「やった。さすがは瞳子だ」

 

 八位に木之下瞳子と名前が記されていた。自分のことじゃなくても嬉しい。まあ俺の彼女だしな。俺の彼女は優秀なのだ。

 

「あっ、トシナリの名前があった」

「二十位だなんて、高木くんって頭がいいんですね」

 

 クリスと望月さんの声に反応して見てみれば、俺の名前が確かにあった。なんか中学までよりも嬉しさがあるな。

 前世では通うことのなかった高校で結果を出した。それがより自信を深めることになっているのだろう。経験したことのない場所でもやっていける。そんな強い気持ちを持てる気がした。

 だからうん……そんなに睨むなよ下柳。こちとら天才ってわけじゃないんだからけっこうがんばったんだぞ。

 

「すぐ下には宮坂さんの名前があるなんて相変わらず仲良しやね」

「いやいや、それは関係ないだろ」

 

 俺のすぐ下、二十一位の葵の名前を見た佐藤がからかってくる。口ではそう言いつつも、内心では俺と葵の名前が並んだことにニヤニヤが止まらなかった。名前がすぐ近くにあるというだけなのにどうして気分が良くなっちゃうんだろうね。不思議だなー。

 途中から葵と瞳子がいっしょに順位表を見ている姿が目に入った。瞳子の方が順位が上のはずなのに、なぜか瞳子が悔しがって葵の方が誇らしげにしていた。不思議だなー。

 ちなみに、自信満々だったクリスは三十位以内に入っていなくて落ち込んでいた。しかし悪くない順位だったということをここに記しておく。

 

 


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