瞳子が出場するバスケの試合が始まろうとしていた。
「なんとか間に合いそうだな」
「ああ。木之下の活躍が見れそうで良かったな」
「……」
「……」
「おい本郷」
「ん? どうしたんだ高木?」
「なぜお前がここにいる?」
体育館に向かう道中、本郷はずっと俺についてきていた。というか現在進行形ですぐ隣にいる。
「俺も木之下の試合を見に行くからだけど」
本郷は爽やかに笑いながら答える。そう自然に答えられると変に思った俺の方がおかしく思えてしまう。
「トシくーん。早くしないと瞳子ちゃんの試合が始まっちゃうよ」
「わかってる。……急ごうか」
先を急ぐ葵を追って俺も足を速める。本郷は……仕方がない、好きにさせておこう。
男子のサッカーの試合が終わってから、本郷だけではなく俺達A組男子達にも注目が集まっていた。
それに気分を良くしたのは下柳である。他の男子連中とともに男女問わず囲まれて鼻を高くしていた。いや、俺達負けたんですけどね。
「あのキーパーの人すごかったよね。本郷くんのシュートを止めていたわ」
「本郷くんも彼を認めていたって感じよね。試合が終わってあの本郷くんが話しかけていたもの」
「きっと男の友情が芽生えたのよ。二人ともすごく爽やかな顔をしていたもの。あの試合をきっかけに二人は禁断の熱い関係へと……」
「「「きゃー!!」」」
とまあ、俺ですらこのように黄色い声を上げられていたのだ。ある意味本郷効果と言えるのだろうか。奴と良い勝負ができただけで大金星扱いである。
熱気が冷めやらないうちにグラウンドからなんとか抜け出して、葵といっしょに女子のバスケの試合へと急いだ。気づけば本郷もいっしょだったのだが、今は瞳子が先決だ。
体育館へと辿り着く。本郷が出ていたサッカーの試合よりは少ないのだろうが、すでに大勢の生徒がコートを囲んでいた。
「女子のバスケもこれが決勝戦みたいだな」
高身長の本郷は対戦表でも見えたのか呟きを漏らす。背が低いわけじゃないが、こういう場面ではもうちょっと背丈があればとも思う。
「瞳子の相手はどこだ? やっぱり三年生のクラスか?」
「いや……、俺達と同じかな」
俺達と同じ? 本郷の言っている意味がわからなくて首をかしげてしまう。
「とにかくもっと前で応援しようよ。すみません、少し空けてもらってもいいですか?」
葵が声をかければ男子高校生なんて抗えないものである。どうぞどうぞと場所を譲ってもらえた。
「相変わらず宮坂ってすごいな」
「それ本郷が言うとおかしく聞こえるぞ」
お前も女子相手なら同じようなことできるから。
「いや、ああやって迷いなくできる度胸がすごいよ。木之下はあまりやらないだろうからな」
「む」
まあ、言われてみれば同じくらいの美少女だけど、瞳子はあんまり男子相手に「お願い」はしないか。葵限定の武器ってわけじゃないんだろうけど、実際に瞳子がやっている姿は見ない。葵限定の大きな武器があるのは認めますけども。
とりあえず、葵のおかげで俺達はいいポジションを確保できた。ここなら瞳子の試合もよく見えるだろう。
「どれどれ、対戦相手はっと……」
目立つ銀髪を発見して、相手側に目を向ける。視界に入れてぎょっとしてしまった。
「な? 俺の言った通りだろ」
本郷がどや顔をする。いらね。
だけど、本郷が言った通りなのは事実だった。
俺達と同じ。それは先ほどのサッカーの試合と同じ組み合わせということだ。つまり――
「あっ、トシナリー! 応援にきてくれたのね!」
目立つのは運動するからかポニーテールにしている金髪に、彫の深い顔の少女。どっからどう見ても外国人であるクリスだった。
彼女がいるということは、男子サッカーと同じく、女子バスケの試合も一年A組対一年F組ということだ。
まさかの対決に苦笑いしてしまう。クリスが手を振ってくるので、俺も振り返してしまう。これはどっちの応援をすればいいんだ?
「痛っ!?」
「瞳子ちゃんを応援するに決まっているよね、トシくん?」
葵が笑顔で俺の尻をつねっていた。大きく首を縦に振ることで解放してもらえた。
瞳子へと目を向ける。はしゃいでいるクリスに気づいているだろうに、こっちを向く様子はない。集中しているのか静かにストレッチをしている。
「高木くーん、他の男子はどこですかー?」
クリスと同じく、バスケに出場する望月さんも俺に声をかけてきた。同じクラスからの応援が少ないことに気づいてしまったのだろう。
「俺にはわからないなー」
サッカーに出場した下柳達は黄色い声を浴びている最中です、とは言いづらい。たぶん他の競技に参加していたクラスメート達はきているだろうし、それで手を打ってもらおう。
ちなみに、佐藤はバレー部の先輩の応援に行かなきゃという小川さんにつれていかれてしまった。佐藤は別枠だから仕方がないね。
「……」
美穂ちゃんはチラリと俺を見た。いや、隣にいる葵か本郷を見たのかもしれないけども。
彼女は何かを言うこともなくすぐに視線を逸らせてしまう。クリスなんかと違ってこんな大勢の中で手を振るような性格でもないけれど、なんだかピリッとした緊張感を纏っているように見えた。
同じクラスで悪いけど、俺は瞳子の応援をさせてもらう。それがわかっているからこそ美穂ちゃんは何も言わなかったんだろうな。
「それにしても今年の一年はレベルが高いよな」
「ああ、美少女ばっかりだ。しかも飛び切りの」
どこの下柳かと思って声の方へと顔を向ければ、どうやら上級生と思われる男子の会話のようだった。
「女子のブルマ姿をこうやってまじまじと見られるんだから球技大会って最高だよな」
「ああ、体育は男女別だからクラスメートでさえしっかり見られないからな」
この男どもは何を見学しとるのだ!?
俺が顔を向けていたからではないのだろうが、会話していた男子どもがこっちを向いた。
「おいあれ見ろよ。すげえエロいスタイルだ」
「ああ、エロい美少女だな」
そいつらは明らかに葵を見ていた。この無遠慮な視線と言葉には上級生とはいえども怒っていいのだと判断する。
葵を隠すように動いてにらみつける攻撃。俺の存在に気づいた男子の眉がピクリと動く。
ああいう連中がいるのだとわかってしまうと、葵と瞳子をこんな場所から遠ざけたくなってくる。二人を一刻も早く男の視線から届かない場所までつれ出したくなる。
「お、おいっ。行こうぜ」
「あ、ああ。そ、そうだな」
俺がにらみつける攻撃を続けていると、男どもが怯えた表情へと変わりどこかへと行ってしまった。
俺のにらみつける攻撃が効いたのかと思ったが、逃げた奴らは俺とは目線が合っていなかったように見えた。後ろを向くと爽やかスマイルの本郷がいるだけだった。
「高木、そろそろ試合が始まるぜ」
「あ、ああ。そうだな」
気のせい、ということにしておこう。
「ありがとうねトシくん。それと本郷くんも」
葵が笑顔でお礼を口にする。さらりと「別に俺は何もやってないよ」と流す本郷のイケメンを見た。
葵はああいった輩には慣れているといった反応だが、嫌なことには変わりないだろう。俺は静かに彼女に寄り添った。
審判が笛を鳴らして整列するようにと促す。ついに女子バスケの決勝が始まる。
「瞳子ちゃんがんばって!」
葵の応援に反応して瞳子の顔がこっちを向く。気負っていたらどうしようかと考えていたけれど、彼女の表情は思っていたよりもリラックスしたものだった。満面のとは言わないが、笑みを浮かべている。
「がんばれ瞳子!」
俺も声援を送る。自分のクラスが相手でも関係ない。俺は瞳子を応援するのだという意思表示を伝えるつもりで声を張った。
「トシナリー! ちゃんとわたし達を応援して!」
「そうですよ! 幼馴染よりもクラスメートの応援してください!」
クリスと望月さんが頬を膨らませて俺の応援に不満をぶつけてくる。見た目が欧米の美女であるクリスが頬を膨らませるとギャップがあってかわいいな。望月さんはまんまかわいい。
美穂ちゃんがクリスと望月さんをなだめてくれた。同じクラスなだけに、瞳子へと声援を送りづらいな。
試合時間は十分。ジャンプボールから試合は始まった。
「いいジャンプ力だ」
本郷が唸るほどのクリスの跳躍力だった。ジャンプボールを制したのはクリス擁するA組だ。
「瞳子ちゃん速ーい」
しかし、ボールを取ったのは瞳子だった。予測していたかのように飛んできたボールをキャッチすると、そのままレイアップで決めてしまう。
「みんな、中を固めるわよ!」
瞳子の指示でF組女子は統率されたディフェンスを見せる。サッカーの時といい、F組は訓練でもされているのかね。それとも瞳子と本郷のカリスマが成せる業なのか。
だが、A組女子も負けていない。
クリスは女子の中で言えば体格も運動能力も頭一つ抜け出ている。美穂ちゃんがスポーツ優秀な女子というのは、小学生の頃から付き合いのある瞳子の頭にもあるだろう。この二人を同時に相手をするのは苦労するはずだ。
「確実に一本ずついきますよー!」
それから望月さん。個性のあるメンバーをきっちりとまとめてチームという形を作っていた。チームとしてはA組男子よりもまとまりがあるように見える。
司令塔として働く望月さん自身の運動能力も悪くない。上手く美穂ちゃんやクリスにパスを出して得点を重ねていく。
瞳子の運動能力は誰もが認めるほどに高い。たぶんこのコート上なら一番かもしれない。
だけど、押しているのは瞳子率いるF組ではなく、A組だった。
「チーム力の差が出ているこの状況……木之下には厳しいな」
「おい」
本郷の呟きに思わず反応してしまう。けれど、言葉は続かなかった。
「あの金髪の外国人の存在が大きい。木之下以外じゃ相手にならない。かと言って赤城をフリーにするわけにはいかないからな。木之下一人で二人はマークできない。逆に、あの二人なら木之下一人に集中すれば止められる」
本郷は冷静に分析していた。こいつはサッカーだけではなく、他のスポーツを見る目もあるのだ。
それが事実だと証明するように、瞳子がドリブルで突破しようとするのをクリスが止め、その隙をついて美穂ちゃんがボールを奪っていた。
「あの外国人もすごいけど、やっぱり赤城も侮れないな」
「……」
今度の本郷の言葉に対して、俺は何も返せなかった。
確かに瞳子の能力は高い。だけど、本郷ほどに圧倒的なわけじゃない。
差は徐々に広がっていく。四点差、六点差……。試合時間も刻々と過ぎていく。
約束事とは関係なく、がんばっている瞳子に勝ってほしい。そんな想いから応援を口にしようと息を大きく吸い込んだ。
「大丈夫だよトシくん。瞳子ちゃんを信じてあげて」
葵の言葉で、俺の応援の声は中断された。
彼女を見ると、強い意思のある瞳で見つめ返された。信じている目だった。
「葵……」
「トシくんも知っているでしょ?」
葵は満面の笑顔で、不安なんて一切感じさせない声色で言った。
「瞳子ちゃんはとっても素敵で、すごい女の子なんだから」
そんな葵に見惚れていると、体育館に歓声が響き渡った。
コートに目を戻せば、瞳子が見事シュートを決めたところだった。
「……そうだな。宮坂の言う通りだ」
本郷がふっと笑って同意する。
「木之下って最初からすごい奴だと思っていたけどさ、そういうわけでもないんだよな」
「どういう意味だ?」
なぜだか本郷の笑みは自嘲気味に見えた。
「木之下ってさ、案外高木、お前に似ているんだ。だから、俺は敵わないんだよ」
本当にどういう意味なのか。瞳子が俺に似ているだなんて、それは違うんじゃないかって反射的に思ってしまう。
「……かもね」
しかし葵は本郷の言葉に頷いていた。ころころと笑い声を漏らしている。
なんだか葵と本郷が通じ合っているようで心穏やかにはいられない。でも、今は瞳子がこの試合に勝とうとがんばっているのだ。俺にやれることは決まっていた。
腹の底から精いっぱいの声を発する。彼女の力になれ、その想いだけを込めた。
体育館の喧騒に埋もれてしまったかもしれない。けれど、瞳子の表情がほころんだ気がした。
瞳子につられてなのか、F組のメンバーの士気が上がっている。彼女をサポートしようとチーム一丸でまとまっているのが見ているだけでわかる。
「なんか応援したくなる。木之下ってそういう奴だよ」
本郷は微笑んでいる。こんなにも優しい顔ができる男だったんだな、なんて意外に思ったりはしなかった。
A組女子も負けまいとプレーしている。瞳子が相手じゃなければ手放しで応援したいほどのがんばりだ。
瞳子は立ちはだかるクリスをかわし、隙をついてボールを奪おうとする美穂ちゃんをかいくぐり、フォローに回った望月さんをものともせずにシュートを決めた。
「すごい! 瞳子ちゃんすごいよ!!」
これには運動音痴の葵も手を叩いての大絶賛である。
点差はみるみる縮んでいく。他のF組女子の面々も活躍を見せるから、瞳子一人にマークを集中できないようだ。
瞳子はイキイキとプレーしている。クラスメートと楽しそうにバスケをしていた。その光景はなんだか妙に安心させられる。
瞳子を中心とした輪が広がっている。俺の知らない子達と上手くやれているのだと、プレーからだけでも見て取れた。
「……」
なんだろう、この気持ち。瞳子が俺の手から離れていくような、嬉しいけれど寂しく感じてしまう。これではまるで俺が瞳子を子供扱いしているようではないか。
「いけー!!やっちゃえ瞳子ちゃん!!」
「決めちまえ木之下!!」
試合の残り時間はあと数秒。はっとした時には同点になっており、瞳子がシュートを打つ場面だった。
クリスと美穂ちゃんが必死に止めようとするけど間に合わない。綺麗な曲線を描いてボールはゴールネットを揺らした。
その瞬間、試合終了のブザーが鳴った。劇的な勝利を収めたF組女子は抱き合って喜びを爆発させていた。観衆から降り注がれる拍手の中心にいるのは瞳子だった。
主役となっている瞳子と目が合う。しばし見つめ合った後、彼女は渾身のどや顔をするのであった。
彼女らしからぬ表情に、なぜという部分を知っている俺はちょっとだけこそばゆい。少し照れてしまっていると、強い力で背中を叩かれた。痛みで強制的に背筋が伸ばされる。
「がんばれよ」
満面の笑顔の本郷だった。え? なんで俺が応援されてんの?
一発では飽き足らず、二発三発と叩かれる。痛い痛い! 力の調節がなってないぞ。
ひとしきり叩き終えた本郷は満足したのか爽やかに笑いながら去って行った。叩かれ損かよ。
「ったく……、わかってるよ。お前の気持ちには負けられないからな」
親友の活に、俺はそっぽを向いた。その先で葵が優しげに笑っていた。
※ ※ ※
今回の球技大会。結果で言えば一年A組は見事に一年F組に負けてしまったわけだ。
瞳子が勝ったのは嬉しいこととはいえ、やはり自分が負けてしまったことについては悔しかった。チクショー!
いつも通り葵と瞳子と三人で帰路に就く。瞳子の家に辿り着いたところで葵が小走りで前へと出た。
「じゃあトシくん、私は先に帰るね」
「え? 家まで送るよ」
「何言ってるの。今日は瞳子ちゃんが主役なんだから。ちゃんと優しくしてあげて、ね?」
そう言って葵は瞳子に目線を向けて頷く。俺からは瞳子の顔が見えなかった。
葵は二歩三歩と進んでから振り向いた。
そして、自分の唇に指を這わせて言うのだ。
「……明日からは私も、だからね」
背を向けた葵の黒髪がふわりと舞う。まったく、高校生とは思えないほど色気のある表情をしてくれるものだ。
葵の背中が見えなくなり、制服の裾が引っ張られる。弱い力なのに抗えなかった。
夕焼けの中で瞳子と二人きり。心臓の鼓動を抑えることなんてできなかった。
「……俊成」
俺は体を瞳子の方に向ける。彼女はうつむいており、恥じらっているのが伝わってくる。
「……あたし、勝ったわ」
「うん、見てた。すごかったね」
「……約束、覚えているわよね?」
「……うん」
キスの回数が一日一回から二回になる。ささやかな約束事。それなのに胸のドキドキがどうしようもなく強くなってしまう。
我ながらもう少しくらい余裕を持てればいいのに。経験がないだなんて、初めてのことばかりだというのは言い訳にならない。こんな俺だけれど、彼氏なんだから。
「瞳子の部屋に行ってもいい? その……、約束、守りたいから」
「は、はい……」
俺は瞳子と手を繋いで家へと上がった。
約束とかじゃなくて、俺が勇気を出して一歩を踏み出せるように。いつまでも二人に甘えてばかりはいられない。
俺よりも小さな手を握りながら、いつまで経ってもドキドキが止まらない中で念じる。願うばかりではいけないけれど、強い一歩を踏み出すために想いの力は必要だ。