元おっさんの幼馴染育成計画   作:みずがめ

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133.ぬくもっていく

 シャワーを浴びて海水や砂を落としていく。着替えを済ませて葵と瞳子と合流した。

 改めて旅館でチェックインをする。預けていた荷物を受け取り、仲居さんの案内に従う。

 

「わぁー。綺麗なお部屋だね」

「宿泊代を俊成に任せっきりにしてよかったのかしら……」

「いいんだよ。俺だってたまには甲斐性があるんだってところを見せたいんだから」

 

 案内された部屋は調和のとれた和室だ。窓からはさっきまで泳いだりして遊んでいた海が見渡せる。景色といい部屋の雰囲気といい、満足するに十分なものである。

 俺達は仲居さんから旅館での注意事項を聞く。葵と瞳子は話を聞きながらも、部屋が気になっているんだなとそわそわする素振りから伝わってきた。葵なんか笑顔が隠しきれていないし。

 喜んでもらえたのなら上々だ。この日のためにけっこうがんばったからな。バイトもやったからね。

 

「それでは失礼いたします。ごゆっくりおくつろぎください」

 

 仲居さんが一礼して踵を返す。普通の一組ならカップルだと思うだろうが、俺達は男一人女二人の三人組だ。関係が気になるだろうに、そんな素振りは一切見せなかった。多少高くても良い旅館を選んだし、さすがに鍛えられているといったところか。

 

「ねえねえ見てよトシくん瞳子ちゃん。海がとってもいい眺めだよっ」

 

 興奮気味の葵に呼ばれる。どれくらいの興奮かっていえば、窓際で今にも飛び跳ねそうなほどだ。

 瞳子とともに窓際へと向かう。大きな窓で入り口からでも外は見えていたのだが、近づいてみれば葵が興奮する理由に頷けた。

 窓から見える景色は絶景だった。先ほどまで遊んでいた海が一望でき、夕日に染められてキラキラと輝いている。浜辺から見る景色とはまた別物だ。

 テレビ画面などでは味わえない本物の絶景だ。この景色だけでも、この旅館に泊まれてよかったと思える。

 

「葵の言う通り、いい景色だな」

「そうね……」

 

 瞳子は静かにうっとりと夕焼けに染まる海を眺めていた。葵のはしゃぎっぷりとは正反対だ。

 

「海であんなに遊んでいたってのに、葵は疲れてないのか?」

「全然だよ。むしろ目が冴えちゃってるくらいだもん」

 

 それは嘘じゃないんだろうな。いつものにぱーって笑顔が、にこりんぱー! ってくらいバージョンアップしているんだもん。

 テンションが上がっている葵は部屋の探索を始めた。なんとも好奇心旺盛なようで見ていてほっこりさせられる。

 

「あっ、すごい! お部屋に露天風呂がついているんだね」

 

 葵のはしゃいだ声に、うっとりと景色に見入っていた瞳子も反応する。

 

「えっ、そこに露天風呂があるの?」

 

 気になった瞳子は葵の傍まで寄っていく。自分の目で確認した彼女は「わあっ」と嬉しそうな声を上げた。

 

「ねっ、すごいよね?」

「本当ね。ここならいつでも露天風呂に入れるわね」

 

 女子二人はきゃいきゃいと盛り上がっている。俺は心の中でガッツポーズをした。

 露天風呂つきの部屋を予約してよかった。景色がいいし、夜の星空なんて合わさればロマンチック度が何倍にも増すはずだ。

 自分の選択に自画自賛していると、くるりと葵が振り返った。

 

「トシくんトシくん。ご飯とお風呂、どっちを先にする?」

 

 それとも私……という流れではない。冷静になろう。

 葵が聞いているのは、旅館の食事と風呂のどちらを先に済ませるかという話だ。この順番で、またこれからの予定も変わってくるかもしれない。

 どちらが正しいのか。いや、どっちが正しいとかないのかもだけどさ。こんな細かいことでさえこの後のことに影響が出そうで迷ってしまう。

 一瞬でいくつものパターンを考えて、答えを伝えるため口を開く。

 

「せっかくの温泉旅館なんだからまず風呂にはいろうか」

 

 大丈夫、ドキドキは最低限に抑えられている。俺は冷静だ。

 さらに冷静になるためにも、そして二人の心と体をほぐしてもらうためにも、お風呂は重要なのだ。温泉旅館だしね。

 

「だよね! まずは温泉の実力を見せてもらおうじゃない!」

 

 なぜか温泉に対して挑戦的な葵。温泉についてそんなにうるさかったっけ?

 

「……で、どっちに入るの?」

「どっち、て……?」

 

 どっちとは? いや、待て、わかっている。大浴場か部屋についている方なのか。その二択のうちどっち? という意味だ。

 ごくりと喉を鳴らす。まだ慌てるような場面じゃない。男だからこそ冷静にならねばならないはずだ。

 ただ、選択肢を出すということはだ。部屋の露天風呂でも構わないという意思表示であり、いっしょの部屋で泊まる俺もその風呂に入ってもいいということで……。

 

「……まずは大浴場の方に入ろうよ。いろんな風呂があるって仲居さんが言ってたしさ。それに、部屋の風呂ならいつでも入れるだろ?」

「うん……まずは、ね」

 

 葵は瞳子に顔を向ける。そしてにぱーと笑顔となった。

 

「瞳子ちゃんもまずは温泉を楽しもうよ! やっぱり温泉旅館のメインイベントだしねっ」

「そ、そうよね……メインイベント……」

 

 葵よりも瞳子の方が疲れているのかな。ちょっとフラフラしている。

 瞳子は運動ができるのはもちろん、体力だってある。そう思い込んで彼女の体調を見落とすなどあってはならない。

 

「瞳子は疲れてないか? 着いてからすぐに海に出たしさ。けっこう日差しも強かったし」

 

 瞳子の肌は繊細だ。幼少の頃から日焼け止めをして保護していたのを知っている。というか俺が日焼け止めクリーム塗ってきたし。

 その成果もあって瞳子の美白は保たれている。その一助となれて誇らしい。

 

「へ、平気よ。楽しくって来る前よりも元気になったくらい。だ、だから今日の体調はバッチリなんだからねっ」

「う、うん。それは何より」

 

 フラフラしていたと思っていたけど元気そうだ。顔色が赤くなっているのは日に焼けたせいではないと思いたい。

 

「よし! それじゃあ温泉に行こうよ瞳子ちゃん! 大きいお風呂楽しみだねっ」

「そうね! 温泉が楽しみよね葵!」

 

 二人は勢いよく準備を始めた。急いで支度しちゃうくらい楽しみだったのか。

 

「海でいっぱい遊んだからね。まずは温泉でゆっくり疲れを取ろう」

 

 葵と瞳子の勢いに負けないよう自分に言い聞かせるように言う。まだ焦る時間じゃない。

 持ってきた鞄から替えの下着などを取り出す。ついでに二人に気づかれないように注意しながら中身をチェックする。

 行く前に何度も忘れ物がないかチェックした。それでも現地に着いたらまた不安に襲われたのだ。不安を取り除くためにも確認は何度したっていい。

 鞄の奥へと手を突っ込む。箱の感触にほっと安堵の息を吐く。

 他にもいろいろ確認しておく。忘れ物はないようだった。気づいていないだけで他にもいる物があったらどうしようとまた不安が襲ってくる。

 

「トシくん? 準備できた?」

「どわあああああっ!?」

「きゃあああああっ!?」

 

 突然背後から葵に話しかけられて驚いてしまった。俺の大声に驚いたであろう葵も叫び声を上げる。

 

「な、何!? 何かあったの!?」

 

 少し離れたところにいた瞳子が戸惑う。俺は慌ててなんでもないことを二人に伝える。

 

「ごめんな驚かせて。ちょっとぼーっとしちゃっててさ。それでいきなり葵に話しかけられてびっくりしただけなんだよ。本当にそれだけだからなんでもないぞ。葵も近くで叫んじゃってびっくりしたよな。本当に悪かった」

 

 びっくりして胸を押さえていた葵が目を瞬かせる。落ち着きを取り戻したみたいで微笑みが返ってきた。

 

「ううん。私こそ驚かせてごめんね。トシくんに何事もなければよかったよー」

 

 葵の明るい笑い声で変な空気になりそうだった場が和んだ。

 

「それで?」

「え?」

 

 葵は笑顔だ。年頃の男子なら誰しもが見惚れてしまうような、それはもうとてもいい笑顔だ。

 

「それで、トシくんはなんでぼーっとしていたのかな?」

 

 そんなかわいらしい笑顔での追及が始まった。

 

「うっ……」

 

 対する俺は呻くだけ。できればこのまま黙秘を貫きたい気持ちである。

 

「これから温泉に行くって時なのに、トシくんは私に話しかけられるまで気づかないくらい、何を夢中になって考えていたのかなー?」

「い、いや……別に……決して変な考えをしていたわけでは……」

「それを判断するのは私だから。ね、教えて?」

 

 なんか圧がすごいんですけど!?

 別に疚しいことなんて考えていないぞ。だというのにこの後ろめたさはなんなのだろうか。葵にすべてを見透かされているようで恐ろしくなる。

 

「葵、そこまでにしておきなさい。これから温泉に入るんでしょ? 焦っていないで落ち着きなさいよ」

「わ、私は焦ってなんかいないよっ」

「はいはい。支度できたなら行きましょうね」

 

 瞳子が間に入ってくれたおかげで葵の追及から逃れられたようだ。瞳子にだけわかるように助かったと手を合わせることで示す。

 

「……」

 

 ふいと顔を逸らされてしまった。あれ、ここでツンデレ風反応?

 とにかく早く風呂へ行く支度をせねば。女の子よりも準備が遅いって男として恥ずかしい。

 

「お待たせ。じゃあ行こうか」

 

 俺達は大浴場へと向かった。当たり前だが男湯と女湯で二人と別れた。

 脱衣所で服を脱ぐ。こういうところで一人ってのも寂しいな。

 

「おっ、兄ちゃんいい体つきしてんね。何かやってたのかい?」

「あはは。中学の頃に柔道やってたんでそれでですかねー」

 

 服を脱いでいる最中に知らないおじさんから声をかけられた。裸の付き合いとはいうけれど、初対面でも話しかけやすくなるものなのだろうか。それともこれも旅の醍醐味の一つみたいなものか。

 女湯では葵と瞳子が同じように知らない人から話しかけられたりしているのかもしれない。さすがに女湯には入れないし……変な人に絡まれたりしていなければいいのだが。

 ここは温泉旅館としてはけっこう良質な方だろう。それは客の質も良いという証だ。そういう空気作りからしっかりと成されている。

 旅を楽しむ気持ちでおじさんと適当に言葉を交わして別れる。服を脱いだ俺は、堂々と何も隠すことなく浴場へと足を踏み入れた。

 まずは体をしっかり洗う。シャワーを浴びたとはいえ、海水というものは肌にあまりよろしくないものなのだ。湯に浸かるマナーの上でもちゃんと体を洗っておかなければならない。

 

「ふぃ~」

 

 体が洗い終わったら湯船につかる。気持ちよさから息が漏れる。あー、極楽極楽。

 温泉が命の洗濯だなんて、うまいことを言った人もいたものだ。普通の風呂では味わえない効果が、確かにある気がする。

 この後のためにもしっかり疲れをとっておかないとな。肩まで入り温まる。

 

「……」

 

 ……この後、か。

 ここへきてヘタレたくはない。気持ちの整理をつけるのは、ここが最後だろう。

 目をつむる。温泉の心地よさが、俺の気持ちをほぐしてくれる。

 しばらくそうしていた。バクバクと忙しないリズムを刻む心臓が、次第に落ち着いてくる。

 

「ふぅっ」

 

 短い息を吐く。トクントクン、平常時のリズムを取り戻す。これも温泉の効果か。

 

「ん?」

 

 目を開くと壁のところに何かが書いてあるのに気づく。どうやら温泉の効能一覧のようだ。

 

「へぇ、たくさんの効能が載ってるんだな。思った以上に温泉っていろんな症状に効くんだ」

 

 この温泉にはどんな効能があるのか。気になったので読んでみた。

 血行促進・リウマチ・捻挫・擦り傷・冷え性・美肌……子宝。

 

「ぶほっ!?」

 

 たくさんある効能のうち、一つの単語に俺は目を剥いた。

 いやいや待て待て! こんなのは温泉ではよくある効能の一つじゃないかっ。慌てる方がおかしいって!

 そんなことはわかっている。わかってはいるけど……破壊力のあるワードには間違いなかった。

 

「体もあったまったし……出るか」

 

 せっかく平常のリズムを取り戻した鼓動は、残念ながらまた大暴れし始めてしまったようだ。

 念入りに体を拭いてから出た。葵と瞳子はまだ出てきていないようだ。

 そりゃあ女の子の方が時間をかけるに決まっている。今はその空白の時間がありがたかった。

 大浴場の近くに売店があるのを見つける。少し見て回ると、定番の牛乳が置いてある冷蔵庫があった。

 小さい頃に家族ぐるみで旅館に泊まったことを思い出す。あの時も温泉の後に牛乳飲んでいたっけか。

 思い出にふけっていると、背後から気配を感じた。今度は驚かない。

 

「お待たせ俊成」

 

 振り返れば風呂上がりの瞳子が立っていた。いつものツインテールではなく、しっとりとした銀髪が真っすぐ背中に流れている。

 ちゃんと温まったみたいで頬に赤みがさしている。髪を下ろすとまた雰囲気が変わるんだよな。

 それがまた浴衣姿と相まって上品な美しさを感じさせる。ドキリと心臓が跳ねるのを悟られないように口を開いた。

 

「あれ、葵は?」

「うふふ。着替えに手間取っていたから先に出ちゃった」

 

 悪戯っぽく笑う瞳子。これは出し抜いたな。たまにこういうことをするのだから瞳子も侮れない。

 

「あー! 瞳子ちゃんずるいよ! 私待っててって言ったのにっ」

 

 浴衣姿の葵がパタパタと駆けてくる。海の時とはまた違った形に髪をアップにしていた。よく見るとお団子にしてまとめている。

 さらに頬を上気させている。言っていることは子供っぽいけれど、見た目はもう充分に大人っぽいと表現してもいいくらいだ。だから無防備に走らないでほしい。

 

「あら葵。早かったのね」

 

 瞳子はすまし顔だ。いや、すぐに耐え切れなくなってくすくす笑い出した。俺もつられて笑いが込み上げる。

 

「もうっ。二人とも笑わないの!」

 

 膨れっ面になる葵がおかしくて、かわいくて抱きしめたくなる。さすがに人の目もあるから控えるけどね。

 ぷりぷり怒っていた葵も、やっぱりいつの間にかいっしょに笑っていた。三人だと空気が和やかになってばかりだ。

 

「なあ、牛乳飲まないか? やっぱり温泉から出た後の定番だしね」

 

 俺の提案に二人は笑顔のまま頷いた。

 

「やった! 温泉から出たらやっぱりフルーツ牛乳だよねっ」

「ふふっ。葵ったらフルーツ牛乳が好きなのは昔から変わらないんだから」

「えー、そんなこと言っちゃってー。瞳子ちゃんも昔からいちご牛乳が好きでしょ?」

 

 葵はフルーツ牛乳を、瞳子はいちご牛乳を、俺はコーヒー牛乳を飲んだ。

 変わらない味だ。なのに味覚が変わってくるのか、少し違うもののように感じる。

 変わったこと、変わらなかったこと。変わったように思えても変わっていなかったり、変わっていないように思えても変わっていたりもする。

 今と昔を比べて、そうやって変化がないかと探す。変化がなくて安心を感じる。大事なのは期待することなのかもしれない。自分にも、相手にも。

 

 ――今夜は二人の期待を裏切らない。そして、自分の期待も裏切らない。そう決意していた。

 

 


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