元おっさんの幼馴染育成計画   作:みずがめ

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136.映る世界が示すこと

 信じられない……。信じたくない……。今この時、この現状に、頭が真っ白になる思いだった。

 鏡に映っているのは俺で間違いなくて。でも、そう認識するのと同時に、俺自身ではないと内心で否定していた。否定していなければ直視できなかった。

 見覚えのある顔がこっちを見つめている。当たり前だ。どんなに時が経とうとも、たとえ逆行して、人生をやり直していたとしても、自分の顔を忘れられるわけがない。

 鏡に映る顔も、今となっては過去のこと。本当だったら未来で再会できる顔のはずだった。だからこれは、到底受け入れられる現実じゃない……。

 そのはずなのに、この現状に対して妙にすっと納得していく自分がいるのも事実だった。

 

「今までのは、全部夢……だったのか?」

 

 それこそ嘘だろう。だってあんなにも実感があったのだ。何より葵と瞳子のぬくもりを覚えている。夢や幻なんかじゃないって断言できるくらい、俺の心と体の中で残っているのだ。

 では、ここが嘘の世界なのかと問われれば、口をつぐんでしまう。

 それほどの現実感がある。懐かしいと感じる前に、これがいつもの自分だったかと思ってしまうくらいに、しっくりと馴染んでいる。

 

「……」

 

 喉がカラカラになる。変な汗も出る。スズメのさえずりがとても場違いなもののように感じられた。

 やっぱり夢ではないのかと、一縷の望みをかけて顔を洗ってみた。水の冷たさにかえって現実を教えられる結果となった。

 フラフラと部屋へと戻る。さっぱりしたせいで、余計に絶望感にさいなまれた。

 どうしてこうなった? そもそも今の状況はなんなんだ? 前世に戻ってきたのか?

 それとも、今まで体験してきたことは、長い夢だったとでもいうのか?

 数々の疑問が頭を埋め尽くす。不安や焦燥感といった負の感情に、その場から動けなくなりそうだ。

 

「ほ、本当に前世なのか……っ。ここは、本当に……?」

 

 まずはちゃんと確認しなければ。ここが本当に前世なのかどうか確認しなきゃならない。

 現状を把握するために動く。それは原動力として充分な理由だった。

 震える手でテレビをつける。見慣れた朝のニュース番組が流れていた。前世で見慣れた、ニュースキャスターが笑顔でしゃべっていた。

 くそっ! なんで見慣れたと感じているんだよ。あれだけ長い経験をしたんだから、少しくらい懐かしさを覚えてもいいだろうが。

 ベッドに置いてある携帯を乱暴に引っ掴む。画面に表示された日付はテレビと一致している。日付が同じくらいどうした!

 ネットでニュースを調べる。その一つ一つが逆行する前の世界なのだと強く印象づけた。いくら調べても、結果は変わらなかった。

 

 力が入らなくなって床にへたり込む。何をどう考えればいいのかわからなかった。

 今までがんばってきた。後悔しないためにと、二度目の人生と真剣に向き合ってきた。

 好きな人ができた。気持ちを伝えても、どう進めばいいのかわからなかった。それでも、これからいっしょに歩んでいければいい。そう覚悟を決めた直後だったのに……っ。

 それが、全部なかったことになるのか? 葵と瞳子といっしょに経験した、すべてのことが……なかったことになるのか?

 絶望で足場が消失してしまう思いになる。心が浮遊感に耐えきれなくなりそうだ。だから、顔を上げた。

 

「葵と瞳子に会わなきゃ……。二人に会わなきゃ、何も始まらないだろ、俺!」

 

 ここが逆行する前の世界だったとして、だったとしても、葵と瞳子はいるんだ。二人の存在自体が消えたわけじゃない。

 手にしていた携帯を再び操作する。今度は電話帳を開いて目を走らせた。

 電話帳に並ぶ名前は、やはりここが前世なのだと記していた。変化のない電話帳から、実はあれから未来に飛んでしまったという考えは否定される。

 もともとの俺は、葵と瞳子とはあまり関わりがなかった。瞳子に至っては幼稚園の頃までで、あまり記憶にも残っていない。

 つまり、携帯の電話帳に二人の名前はなかった。

 それでもなんとか手掛かりを探す。今まで接してきた人。今もつながりが残っている人を振り返る。

 そして、ある人物の名前を見つけ、迷わず電話をかける。

 しばらくコール音が鳴り続ける。まだかまだかと待つ時間は、とてつもなく長く感じられた。

 

『もしもし?』

 

 ようやく出てくれた声は、世界が変わっても、あまり変わっていないように感じた。

 安堵する気持ちをぐっと堪え、俺はその人物の名を呼んだ。

 

「もしもし、佐藤か?」

『そうやけど。ていうか高木くんから電話かけてきたんやないの』

 

 ほんわか雰囲気の関西弁。逆行する前も後も、俺の親友である佐藤で間違いなかった。

 ようやく馴染みのある声が聞けて一安心する。だがここで安心しているばかりもいられない。

 

「佐藤に聞きたいことがあるんだ」

『久しぶりかと思えば、いきなりどうしたんや?』

「葵……、いや、中学までいっしょだった宮坂葵の連絡先ってわかるか?」

 

 呼び方がごっちゃになりそうになる。前世ではあまり関わりのなかった宮坂葵を、親しげに口にしたところで、今の佐藤には通じないだろう。そのことを苦しいだなんて、今は言っていられない。

 電話口から記憶を探るような小さい唸り声が聞こえた。ここで手掛かりが何もなかったらと不安がよぎる。

 

『中学までいっしょやった宮坂葵さん……。もしかして、美人で有名やった宮坂さんのことで合っとる?』

「ああ、その美人な宮坂さんだ」

 

 今さら「宮坂さん」だなんて呼ぶのはすごく違和感がある。前はそれが普通だったんだけどな。本当に世界が変わったのだと思い知らされる。

 

『直接は知らへんけど、知ってそうな人に聞けばわかると思うわ』

 

 思わずガッツポーズをとる。佐藤は大人になっても中学や高校の連中とそこそこの交友関係を持っているのだ。中学の同級生の一人や二人、もっと多くの人と交流が残っていたとしても不思議じゃない。佐藤しかまともに交流が残っていなかった俺とは大違いだ。……言ってて悲しくなるな。

 

「頼む! その知ってそうな人から教えてもらえないか?」

『ええけど……。ほんまいきなりどないしたんや? 昔から宮坂さんとはそんなに接点あらへんかったよね? こないだの中学の同窓会も出てへんかったし』

 

 同窓会? そんなのがあったのか……。当時の俺が興味なさすぎて覚えていなかったのか、仕事が忙しすぎて目に留めることすらなかったのか。とにかく記憶にはなかった。

 

『ちなみにやけど、宮坂さんの連絡先はすぐに必要なん?』

「ああ、必要だ。……頼む」

 

 受話器からため息が聞こえた。

 

『わかったわ。まったく、仕事前やのに朝からええ頼み事してくれるわ』

「悪いな佐藤……本当に迷惑をかける……」

 

 そうだ、戻ったとするなら俺達には仕事があり、それぞれの生活がある。朝の忙しい時間だってのに、面倒な頼みごとをしてしまったと申し訳なくなる。

 だけど、次に聞こえてきたのはため息ではなく、朗らかな笑い声だった。それはいつもの、変わらない佐藤の笑い声だ。

 

『ええよええよ、その代わり、また今度いっしょに飯でも食べに行こうや。もちろん高木くんのおごりやで?』

「……ああ、もちろんだ」

 

 前世だろうが、おっさんだろうが、佐藤は佐藤のままで変わりなかった。俺は快く了承する。この世界にきてから、初めて口元が綻んだ。

 佐藤との通話を終えてから、十分ほどで葵の連絡先が送られてきた。急いでくれた佐藤に感謝である。

 はやる気持ちを抑えて、早速送られた連絡先へと電話をかけた。

 受話器から鳴り続けるコール音。いくら待っても誰かが出てはくれなかった。

 通勤前の早い時間帯だ。忙しくて電話に出る時間すらないのかもしれない。

 仕方がない、電話は後にしよう。

 だからって、ただ待つには耐えられない状況だ。どうしようかともう一度携帯の画面に目を向けた。

 佐藤が送ってくれた葵の連絡先は、電話番号だけではなく住所も記されていた。短い時間でここまでしてくれた佐藤には本当に感謝が絶えない。

 

「……行ってみるか」

 

 そう決めて、すぐに準備を始めた。体感では久しぶりの前世だってのに、物の場所に迷うことはなかった。

 それにしても、現実感がありすぎて焦りばかりが募っていく。なんだかんだで夢だと思いたい自分がいる。この期に及んでも、まだ夢だと信じたい気持ちがあった。

 その答えをはっきりさせるためにも、葵と瞳子に会わなければならない。彼女達に会えば何かがわかる。漠然とだけど、そう確信していた。

 

 玄関のドアを開ける。朝もやのにおいが現実感をさらに高めてくれやがった。気持ちのいいはずの空気を吸って、舌打ちしたくなった。

 焦る気持ちに急かされて足を動かした。流れる景色はどう見ても本物で、意識的に無視して走った。

 しばらく走っていると息が切れてきた。高校生の俺ならこのくらいの距離で息を切らせることなんてなかったのに……。重くのしかかる疲労感が、同時に不安の重みのようにも思えた。

 朝早くというのもあり、住宅地ではあまり人とすれ違うことはなかった。

 だがさすがに街中となれば様々な人々が行き交う。ぶつからないようにしながらも、足を速めていった。

 

「え……?」

 

 急に足を止めてしまう。疲労のせいでふらついた。たたらを踏んでなんとか転ばないように踏ん張る。

 待て……待ってくれ! 今のってまさか……?

 急激に心臓の鼓動が速くなる。緊張の面持ちで振り返る。ついさっきすれ違った人……。それは今さら間違えようのない人で、今会いたい人であった。

 

「瞳子!!」

 

 自然と腹の底から声が出た。行き交う人々からの視線を浴びるけど構うもんか!

 銀髪の女性。髪が短めになってスーツ姿ではあるが、間違えるはずがない。瞳子を、俺が見間違えるはずがないっ。

 瞳子が立ち止まる。やはり、と。胸に広がる安ど感。その確信が得たくて、俺は瞳子へと手を伸ばした。

 

「……っ!?」

 

 しかし、伸ばした手は止まってしまった。

 だって、振り返った瞳子の顔が、見たこともない悲しみの表情を浮かべていたから……。

 吸い込まれそうなほど綺麗な青い瞳は、この世界でも変わらない。その目が潤んでいて、キラキラと光っていた。美しくて、こっちまで悲しくなる。

 瞬き一つ。彼女の、目の端に溜まっていた涙が溢れた。

 その瞬間、急速に意識が暗転する。それに抗えないまま、俺の意識が闇へと落ちた。

 

 

  ※ ※ ※

 

 

「ん……あれ……?」

 

 目を覚ました。覚醒したことに気づくのに、少し時間がかかってしまった。

 がばりと上体を起こす。びっしょりと寝汗をかいていて不快感がある。しかしそれがあまり考えられないほど、気分が悪い……。

 俺が寝ていた場所は和室だ。そう、旅館の、葵と瞳子といっしょに宿泊している部屋だ。

 決して、前世の俺が住んでいた部屋じゃない。

 

「今のは……全部、夢?」

 

 にしてはリアルな夢だった。目を覚ました今でも本当に夢だったのかと疑ってしまうほどに……。

 

「俊成?」

 

 名前を呼ばれて肩が跳ねる。

 隣で寝ていた瞳子が目を覚ましたようだ。その表情は心配の色を帯びている。

 瞳子は体を起こして俺に寄り添う。朝焼けに照らされる銀髪はとても綺麗で、澄んだ青の瞳は潤んでいることもなく、ちゃんと俺を映してくれていた。

 

「どうしたの? すごい汗じゃない」

 

 肌と肌が触れ合う。彼女の感情も、触感も、本物だ。それこそ間違えようのない現実だ。

 そうだ、今、この今こそが現実なのだ。

 

「……いや、変な夢を見ただけで、なんでもないよ」

「変な夢?」

「ただの夢だよ。もう忘れたしね」

 

 さっきまでのはただの夢だ。今の俺達にはなんの関係もない。それこそ、すぐにでも忘れられるはずだ。

 

「俊成」

 

 もう一度、瞳子が俺を呼ぶ。

 彼女は優しく俺を抱きしめる。俺は抵抗もなく、瞳子の胸へと顔を埋めた。

 

「どんな夢を見たかは知らないけれど、とても怖い夢だったのね」

 

 柔らかい口調。するりと俺の頭は彼女の言葉を受け入れた。

 

「あたしが傍にいるわ。葵だっている。だから、一人で抱え込まなくていいのよ」

 

 夢の中、瞳子は泣いていた。溢れるほどの涙を溜めていた。その涙の理由はわからないままだった。

 あれは何かの啓示だったのだろうか? わからないけど、絶対にあんな顔をさせたくない。そう思った。

 

「うん……ありがとう……」

 

 まどろみに逆らわない。瞳子の抱擁に抗いたくない。前世では存在すらしなかった温かみだから。

 

「……なあ瞳子」

「なあに?」

 

 俺は隣で寝ている葵へと目を向ける。とても幸せそうな顔をして眠っている。あの夢を見る前に、彼女が泣いていたのは錯覚だったみたいだ。

 

「葵が起きたらさ……」

「うん」

「いっしょに、部屋についてる露天風呂に入ろうな」

 

 瞳子が固まった。抱きしめられているから緊張で体が硬くなったのがわかる。事実、見上げれば真っ赤な顔をした彼女。

 

「さ、三人でってことかしら……?」

「もちろん」

 

 俺は力強く頷いた。その拍子に柔らかい感触を頬で味わう。

 瞳子は恥ずかしそうに口ごもる。この状況で今さら恥ずかしがることなんてないと思うんだけどな。まあそれが瞳子か。かわいいなぁ。

 

「……ダメか?」

「ちょっ、そんな顔しないでよっ。う~、わかったわよ! あたしもいっしょに入るわ! 背中でもなんでも流してあげようじゃないっ」

 

 瞳子は思い切りよく言ってのけた。一線を越えても瞳子らしいままだ。

 なんだかそんな彼女がおかしくて、安心して、自然と笑みが零れた。

 葵が起きるまで俺達は抱き合っていた。目を覚ました葵に「二人だけずるい!」と怒られたのは言うまでもない。その後、三人で部屋に備えつけられている露天風呂に入って仲直りした。

 

 こうして、俺達三人の旅行は終わった。

 そして、さらに踏み込んだ関係となった日であり、本当の意味での始まりの日であった。

 そう、忘れられると思った夢は、これからが始まりという合図でしかなかったのだ。

 

 




ここで第二部の前半が終了です(やっとです)

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