毎朝早起きしてトレーニングしていると疲れてしまう。前世での学生時代、運動部だったもののゆるーい活動だったので朝練なんてものはなかった。強豪校の運動部なんて俺が想像できないほどのハードトレーニングをしているに違いない。実際にしっかり鍛えようと思ったらその大変さが身に染みる。
自分に厳しくしないとな。甘やかしてしまうと前世の二の舞である。
「ふわぁ~……」
とはいえ眠たいものは眠たい。授業中にもかかわらず大きなあくびをしてしまう。やめられない止まらない。
当たり前だが学校ではお勉強が待っている。とはいえ見た目は子供頭脳は大人を地でいく俺である。いくらなんでも小学一年生の内容は簡単過ぎた。
基礎をやり直すのは大切なことだろう。だからって今さら小一の勉強をやってもなぁ……。やるにしてももっと上の学年の内容じゃないと意味がない。
そんな感じで上手い具合に疲労と集中力のなさが融合してあくびが出てしまったというわけである。やってしまった後に怒られるかなとか思ったけど、俺以外にも集中力のない子がいるのでお咎めはなかった。
担任の女教師は生徒に授業を聞いてもらおうと明るく指示棒を振っている。その指示棒の先には自作らしい犬の絵が貼りつけられていた。それが効いているのか、それなりの人数の子はしっかりと授業を聞いているようだった。
さすがに机に突っ伏すわけにもいかないので先生の動きに集中することにする。授業は全教科担任の先生が教えてくれる。教師経験なんてもちろんないけれど、大変だろうなと今なら思えた。
勉強だって今のうちに先のところまでやっておきたい。元々勉強が得意だったわけじゃないし、どこかで躓いているはずだ。それを回避するためにもアドバンテージは生かしたいものである。
しかしどうしたものか。塾に行ったところで同学年の内容しかやらないだろうし、今行っても仕方がないだろう。小学校の図書室を見に行ってみたがさほど大きくもないし、難しそうな本なんてなかった。とりあえずマンガでわかる歴史の本ってのを借りてみたけども。
今度どこか図書館にでもつれていってもらおうかな。規模が違えば勉強になりそうなものが何か見つかるだろう。
そう考えてまたあくびをしてしまった。うん、まずはきっちり朝のトレーニングをしても眠たくならないくらい体作りをしないとな。話はそれからだ。
※ ※ ※
「牛乳一気飲み競争しようぜ!」
給食時間、クラスの男子が集まって「イエーイ!」とか言いつつ盛り上がっている。俺にもそういう時代があったんだよなぁ……、と懐かしみながら眺める。
「俊成はやらなくていいの? ほら、一気飲み競争」
「一気飲みは体に悪いのでパスです」
俺の返答に瞳子ちゃんは「やっぱり俊成はそんな子供みたいなことしないわよね」と言いながらご満悦の表情である。なぜそんなことで嬉しそうにするのか。
早食いとか一気飲みとか、今回の俺はそんなことしない。よく噛んでたくさん食べる。体に栄養を効率よく入れるためには必要だ。しっかり噛んだ方が脳の活性化にもなるってどっかで言ってたしね。
それを意識して続けていたおかげか、俺の今の身長は同年代のちょうど平均くらいである。小学一年生の頃の身長を憶えてはいないけれど、学生時代はずっと平均に届かなかったのを憶えている。些細なことかもしれないが前世と比較して確実に変わった部分だ。
俺の右隣りでは瞳子ちゃんが音を立てずに汁物をすすっている。左隣では葵ちゃんが牛乳をくぴくぴ飲んでいた。
給食の時間は近い席同士の子で机をくっつけていっしょに食べることとなっている。けれど本来二人とも俺とは離れた席である。少なくとも隣同士ではない。
ならなぜ俺の隣にいるのか? それは簡単。二人は本来俺の隣の席の子と交渉したのである。葵ちゃんはニッコリ笑ってお願いをし、瞳子ちゃんは睨みつけて了承を引き出していた。力ずくかよ。
まあ男子連中も集まって牛乳の一気飲み競争なんかしているのだ。先生からは黙認されている。先生の目が恐かったのは気づかなかったことにした。
「うぇ……、俊成くーん。これ食べてー」
「ん?」
葵ちゃんが俺におかずの皿を差し出してきた。そこにあったのはししゃもだった。どうやら口に合わないらしい。
小さい頃は魚があまり好きではなかったけど、ししゃもだけは平気で食べられていた。骨を取る必要がなかったしね。
「いいよ」
軽く頷いて俺は葵ちゃんからししゃもののった皿を受け取る。まあたくさん食べるためにおかわりはしようと思っていたし、これくらいならお安い御用だ。
「待ちなさい」
しかし瞳子ちゃんから声が飛んできた。
「好き嫌いなんてよくないわよ。ちゃんと自分で食べなさい」
「で、でも……苦いし……」
「でも、じゃないっ。俊成に甘えないでよ」
瞳子ちゃんの厳しい言葉に葵ちゃんの目にみるみる涙が溜まっていった。嫌いな食べ物があることを悪いと思っているのか、葵ちゃんは何も言い返さない。
あ、これ泣いちゃうやつだ。俺は咄嗟に二人の間に入った。いや、元々二人に挟まれてるんだけどね。
「ま、まあまあまあっ。誰にだって好き嫌いの一つや二つあるもんだよ」
「その子、嫌いな食べ物が一つや二つなんてことないでしょ。この間も俊成に食べてもらってたじゃない」
「俺は気にしないし」
「そういうことじゃないっ」
瞳子ちゃんの機嫌がみるみる悪くなっていく。解決法がわからないよ……。
葵ちゃんはうつむいてしまった。なんだか空気が悪い。周りの子なんか目を逸らしちゃってるし。小一にして空気を読む子が多いな。
「……じゃあ頭と尻尾だけ俺が食べるよ。ほら、ししゃもさんのお腹は美味しいからさ」
「……うん」
渋々と葵ちゃんが頷く。それを見て瞳子ちゃんはふんっ、と鼻を鳴らした。
この二人は本当に仲が悪い。いや、俺のせいかもだけど。だからこそ二人の仲を良くするために俺ができることなんてないように思えた。
※ ※ ※
給食が終わって昼休み、それから掃除時間となる。一年生は午前中で授業が終わるのだから早く帰らせてくれればいいのにと考えてしまう。まあ掃除も子供からすれば授業の一環なのだろう。
今日も今日とて小川さんの追及をかわしていく。掃除時間限定で俺に話を聞かせろとせがんでくるのは相変わらずだ。葵ちゃんに絞られたのに次の日にはけろっとしてるんだもんな。子供だからってよりは小川さんの性分なのだろう。
そんな時だった。教室を掃除していると佐藤が駆けこんできた。彼は俺と小川さんとは別グループなので掃除場所も違うはずなのだが。
佐藤は肩で息をしていた。慌てた様子に眉を寄せる。
「高木くん! 宮坂さんがいじめられとる!」
「なんですって!」
俺よりも早く反応したのは小川さんだった。彼女は葵ちゃんと保育園の時からの友達だった。友達のピンチにカッとなってしまっている。
「小川さん落ち着いて。佐藤、葵ちゃんがいる場所を教えてくれ。小川さんは先生にこのことを伝えてつれて来てくれないか」
「私もあおっちのところに行くわ!」
小川さんは頭に血が上っている。今の彼女をつれて行くのはややこしい事態になりそうだった。
まずは彼女をなだめなければ。俺は小川さんに向きあった。
「葵ちゃんを助けるためには先生に来てもらわないとどうしようもないんだ。葵ちゃんのために早く先生にこのことを伝えて。お願いだよ小川さん」
小川さんは唇を引き結んだ。葛藤がある様子ではあったが頷いてくれた。
俺は佐藤に案内されて一年生の下駄箱に向かった。葵ちゃんの掃除場所である。
「なんだよこんなんが恐いのか? 全然恐くねえだろ。ほらほら」
現場に辿り着くと、男の子が何かを葵ちゃんに突きつけていた。葵ちゃんは怯えてしまい小さくなっていた。
なんだろうか? よく目を凝らすと、どうやら男の子が手にしているのはカマキリだった。掃除をせずに虫捕りでもしていたのか。
おそらく葵ちゃんがカマキリを見て恐がってしまったのだろう。それに調子に乗ってしまった男の子が葵ちゃんにカマキリを近づけて恐がる姿を面白がっているってとこか。小さい子にありがちだな。
「ひっ!?」
葵ちゃんが引きつった声を漏らす。男の子が葵ちゃんの髪にカマキリをつけたのだ。綺麗な黒髪になんてことをっ!
頭に虫の感触。堪らず葵ちゃんはしゃがみ込んでしまう。その体勢はパンツ見えちゃう……じゃないよ俺!
これはもう止めないとダメだ。俺は駆け出した。
「あんた何してんのよ!」
俺よりも早く、どこから現れたのか瞳子ちゃんが男の子を張り倒していた。いい音がした。
成す術なく倒れる男の子。それに一瞥もくれずに瞳子ちゃんは葵ちゃんの髪についているカマキリを取ってくれていた。虫を恐がるどころか嬉々としてかまってやろうとする瞳子ちゃんからすれば造作もないことだったろう。
「大丈夫?」
葵ちゃんは瞳子ちゃんの声に顔を上げる。大きな目から涙をぽろぽろと零しながら何度も首を縦に振っていた。
瞳子ちゃんは男の子に向き直る。猫目のブルーアイズが吊り上がっていた。
「女の子を恐がらせるなんて最低! 人が嫌がることはしちゃいけないのよ!」
瞳子ちゃんは倒れて呆けている男の子に説教をかます。正論を叩きつけられた男の子は何をされたのか辿るように張られた頬に手をやった。
ここで反省してくれればいいのだが、男の子にもプライドがあるらしい。顔を真っ赤にして立ち上がった。
怒ってます、という子供らしくかわいらしい怒り方だったものの、男の子は手を出す気満々である。
「何すんだよ!」
そして案の定瞳子ちゃんに飛びかかった。
「そこまでだ」
「ぐえっ!?」
俺は飛びかかろうとしていた男の子の後ろ襟を掴んだ。瞳子ちゃんに先を越されてちょっとどうしようかと思っていたけど、近づいておいてよかったな。
「俊成!?」
瞳子ちゃんは俺の登場に驚いていた。葵ちゃんも涙で濡れた瞳でこっちを見る。
これくらいの歳ならケンカに男も女も関係ないのかもしれない。だからといって、彼女達に手を出そうとするのなら見過ごすわけにはいかない。
「女の子を殴るのはダメだよ。それにこれは葵ちゃんをいじめていた君が悪いんだろ?」
男の子は咳き込んでいる。喉を絞めちゃったからな。まあ葵ちゃんを恐がらせた分だと思ってもらおう。
「なんだよお前! フーフなんだろ! フーフだからってイチャイチャしやがって!」
言ってることが意味不明だった。というかイチャイチャなんて言うんじゃありません。まったくどこでそんな言葉を覚えてくるんだか。
でもなんかピーンときたぞ。たぶんこの男の子は葵ちゃんが好きなのかもしれない。ほら、好きな女の子をいじめたくなるやつ。子供の頃は何かとちょっかいをかけたくなるものなのだろう。俺にはもう失われた気持ちだ。
そして男の子は感情が高ぶり過ぎたのか、泣いてしまったのだった。そこに到着した先生。事情を説明するのは大変そうだ。
※ ※ ※
あの後、俺と瞳子ちゃんと葵ちゃんをいじめた男の子は先生にお説教された。俺と瞳子ちゃんは手を出したからという理由だ。ケンカ両成敗が担任の先生のやり方らしい。
先生に促されて男の子は葵ちゃんに謝っていた。葵ちゃんに許してもらった男の子は顔を赤くしていた。その感情に関しては言及しないでおいてやろう。葵ちゃんはやらんがな!
そして、いつもよりも遅くなった下校。帰路に就く俺の前方には、葵ちゃんと瞳子ちゃんが手を繋いで歩いていた。
「ねえねえ瞳子ちゃん。家に帰ったら葵といっしょに遊ばない?」
「今日はあたし習い事があるのよ」
「えー。じゃあじゃあいつならいい?」
「……明日は、別に何もないわ」
「じゃあ明日ねっ」
「まったく……葵はしょうがないんだから」
なんか……二人はものすごく仲良くなっていた。
自分を助けてくれたということで葵ちゃんが瞳子ちゃんに懐いたのだ。純粋に向けられた葵ちゃんの好き好き光線に瞳子ちゃんは陥落。元々面倒見のいい瞳子ちゃんに庇護欲を全身からかもし出している葵ちゃんという組み合わせは相性がよかったのだろう。
数時間も経たないうちにこの通りである。気がつけばまるで姉と妹のような関係となっていた。
まさかあれだけ仲が悪かった二人が、こんなに簡単に関係性が逆転してしまうだなんて思いもしなかった。これには俺を含めて驚いた人は多かった。
でもまあ、仲良きことは美しきかなだ。やっぱり葵ちゃんも瞳子ちゃんもケンカしている時よりも、こうやって笑い合っている方が似合っている。
後ろから二人のかわいい幼馴染の姿を眺めながら思う。
……あれ? もしかして俺、瞳子ちゃんに葵ちゃんをとられたんじゃね? と。