水上の番外編   作:しちご

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孔雀の羽根

年の瀬ではあるが、ヒジュラ暦では現在は6月、寒い月(ジュマダッサーニ)

 

特に年末年始と言うわけでも無く、日和続きの今日この頃を心のどかに過ごすには

少しばかり茶葉が足りない程度のありふれた日常、此処はブルネイ5番泊地。

 

「とは言え、まあ年の瀬っぽい空気が無いわけでも無いんやけどな」

 

日英からの統治の歴史が在る分、西暦にも所縁の深い土地であり、

さらに一部の記念日以外、例えば経済活動などでも西暦を採用しているため、

 

何となく年の瀬の様な気がしない事も無い、そんな気配の巷であった。

 

今年も公共の場でクリスマスツリーを飾るサンタが逮捕され、

留置所からのインタビューが適当に報道の紙面を賑わす、風物詩な光景。

 

そんな年末っぽい慌ただしい空気の中、アイスティーを口に含みながら

紅白に暑苦しく飾り立てられた龍驤が、開いた手で夕立の帽子を取り上げる。

 

「没収」

「ああ、夕立のサンタ衣装がッ」

 

サンタ帽であった。

 

「いやコレ時雨のやん、ちゃんと返さなあかんで」

「ちょっと待つっぽい、それが無いと夕立は ――」

 

発言が最後まで語られる事は、無かった。

 

その背後から伸びた6本の腕が、顔、肩、胸、腹と固める様に絡みつき、

冥府の迎えに連れ去られる亡者の如き有様で、夕立の動きを縫い留める。

 

「――、――」

「にぃ―――、な――ぉ」

 

低く、か細い何某かの声が、耳元に囁かれその鼓膜を揺らす。

 

「ひぃッ」

 

それを聞いてはならない、聞いてはならない。

 

「にぃガァ――、―よぉ」

 

聞いてはならない。

 

決して聞いてはならない。

 

心の中に浮かぶ警句も無意味に、その、深淵より誘う声が言葉と化して

夕立の鼓膜を揺らし、脳裏へと呪いの意思を刻み付ける。

 

「逃ぃがぁさぁないわよおおぉぉ……」

 

逃げられなくなるから。

 

目の下の隈も鮮やかに、死人の形相の叢雲が夕立の耳元で道連れを宣言していた。

 

胴体を抑えるあと2人は、綾波と吹雪である。

複雑に絡みつく足の根本に、無遠慮な白いモノが見えた。

 

今年も例年の如く一部艦娘にクリスマス衣装の着用が義務付けられ、

気温30度のイスラム教国であるブルネイで、サンタ的な厚着を強制されている。

 

執務室での被害艦は大淀と龍驤、利根と筑摩であった。

 

執務と主計の要が抜けた皺寄せは、容赦無く通常通りの艦娘に降りかかり、

特型組と金剛四姉妹が連日忙殺の極みで、魂が口から抜ける有様。

 

「秘書艦の絆はー、ビューティフルねー」

 

机に倒れ込みながら書類を片付けていた金剛が、そう零した。

 

どうでも良い話だが、絆とはそもそもが家畜の首に付ける紐の呼び名である。

 

 

 

『綺麗だが空を飛べない』

 

 

 

空母寮、和の意匠で小奇麗に纏まった一室の卓袱台に、菓子が在る。

 

白く、粉雪の様に積み重なった粉砂糖に包まれた生地を切り分けてみれば、

そこに見えるのは練り込んだ果実と、鮮やかなコントラストを描く黒いパン生地。

 

シュトーレンショコラ。

 

黒を挟むのは紅白に染め分かれた2隻の正規空母。

 

「そう言えばコレの名前は、しゅとれんなのですか、しゅとおれんなのですか」

「どこまでも日本的な発音だな」

 

取り分けた皿の横に珈琲を置きながら、赤城の疑問にグラーフが応えた。

 

「発音に従う表記ならば、シュトレンの方が正しいか」

「トにアクセントが来るんですね」

 

そして心持ち軽く切ると、補足が追加される。

 

「日本語ならシュトーレンと表記した方が、音が似ていると言えるかもな」

 

だからまあ一概に間違いとは言い切れないなと語り、軽い補足が続いた。

 

「あとはまあ、南部の方では伸ばして発音する事も在る」

 

伊8さんがシュトーレンと言っているのも、間違いでは無かったんですねと

黒い一切れを齧り終わり、珈琲に口を付けながらの赤城が言った。

 

「ハッチか、アラビア系の艦だったか」

「日本の潜水艦ですよ、伊8ですハチ」

 

惚けた言葉に、引き攣り笑顔のツッコミが入る。

 

「しかしまた珍しいですね、貴女はいつも龍驤に引っ付いているのに」

「まあお前をベースに造られた艦だからな、やりたい事をやっているのさ」

 

嫌そうな顔をする姉の前に、涼しい顔で珈琲を啜る妹が居る。

 

「龍驤型2番艦を妹に持った覚えはありませんけどねえ」

「1番艦が末の妹だったか」

 

言われた空母は、寄った眉に指をあてて嘆息する。

面の皮の厚さは姉相応ですねと零しながら。

 

「しかし本当に何でまた」

「ビスマルクの音頭で、ドイツに縁の在る艦はシュトーレンを作る事に成ってな」

 

それがコレですかと、黒い生地を齧る赤い空母に短い一言が在る。

 

「失敗作だ」

「おい」

 

常日頃から見れば極めて珍しい、赤城の直情的なツッコミが入った。

 

「失敗作はバキュー……、一航戦が処理してくれると聞いてな」

「今、バキュームと言おうとしませんでしたか」

 

顔色一つ変えずに、そんな事は無いと心にも無い言葉を口にする白。

 

「まったく、誰に似たんだか」

「さてな、本当にどちらの赤なんだか」

 

溜息に軽く、愉しそうな言葉での受け答え。

 

「しかしコレ、どこが失敗なんですか」

「ああ、珈琲に合うだろう」

 

チョコの香りは言うに及ばず。

 

果実から香るシットリとした酒精の香りと不断に使われたバターは

未だ生地に回り切らず、サックリとしたパンの歯応えを残していた。

 

「つい珈琲に合わす事を念頭に置いてしまってな」

「呆れるほどに細かい拘りですね」

 

詰まる所、苦みと水分が欲しくなる出来栄えである。

 

「皆のための物は、マルジパンシュトレンを用意した」

「マジパンの入ったヤツですか」

 

マジパン、アーモンドと砂糖を練り合わせた砂糖菓子で、

ケーキの上の飾りなどとして使われる代物である。

 

「どちらかと言えば、入れる方が一般的ではあるかな」

「つまりコレは、珈琲に合わすためにわざと入れなかったと」

 

疑問には答えず、涼しい顔で珈琲を口に含む白い空母。

 

今日のコレは単に自分が珈琲を飲みたかっただけなのではと、赤城は訝しんだ。

 

「飾りではないマジパンと言うのも、何か変な感じですねえ」

「意外とよくやるんだがな、まあサンタの飾りなどの方が目に付き易いか」

 

そして適当に会話を繋げながら、残ったシュトーレンを切っていくグラーフ。

 

赤城に1切れ、自分に2切れ、そして再度に赤城に3切れ。

 

自分ではない、間違い無く龍驤の妹だと赤城は確信した。

 

「しかし砂糖菓子の名前がマジパンと言うのも変な語感です」

「元はアラビアの菓子だからな」

 

アラビア語なのですかと問えば、そういうわけでも無いと答え。

 

「いや、十字軍遠征の時に確保した戦利品の銀貨にマウタバンと刻まれていたとか」

 

そして銀貨を入れた箱にマウタバンと記され、貴重品を入れる箱の目印とされる。

その箱は銀貨と同じく貴重である医薬品、砂糖菓子を輸送するためにも使われた。

 

「そんなわけで砂糖菓子がマウタバンと呼ばれた」

 

アーモンドと砂糖を練って作られた砂糖菓子。

ドイツ語ではマルジパン、英語でマジパンである。

 

「何の関係も無い言葉だったのですか」

「お前が浮いていた頃にネーデルランドで唱えられた説だな」

 

何か微妙に信用できなくなったと赤城が苦笑いを見せれば、

些細な歴史は闇に埋もれるものだからなと涼しい声が返る。

 

「まあ当時のイスラムの銀貨と言えばディルハム銀貨か」

 

イスラム帝国が成立した後、暫くはビザンツ帝国やササン朝ペルシアの貨幣、

およびそれに準ずる物を使い続けていたが、7世紀末に貨幣制度を一新、

 

以降はディナール金貨とディルハム銀貨が用いられる事に成る。

 

「アルラーの他に神無く、並ぶ者も無し」

 

嘯きながら、指先で何かをひっくり返すような仕草をするグラーフ。

 

「ムハンマドはアルラーの使徒である」

 

見えないコインを弄ぶような仕草で今度はくるりと回す。

 

「そして言葉を円で囲む様に、彼こそは導きと真理の教えをもって使徒を遣し、

 たとえ多神教徒たちが忌み嫌おうと、凡ての宗教の上にそれを表わされる方である」

 

コーラン(クルアーン)より悔悟(アッタゥバ)の章、33節。

ディルハム銀貨に共通する意匠であった。

 

「何処にもマウタバンと記されていませんが」

「そうなんだよな」

 

何処の銀貨を分捕ったのやらと苦笑の互い。

 

「あとはまあ、この銀貨は何処其処で何年に発行されたとか記されているから」

「マウタバンとか言う名前の土地で造られた銀貨なのかも、ですか」

 

あるいはマウタバンと言う領主の発行した貨幣だったのかもなと、

適当な言葉で歴史の闇に埋もれる昼下がりの空母寮であった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

熱気と湿気に大破轟沈寸前の筆頭秘書艦が涼を求めて執務室を彷徨えば、

日も陰り涼し気な風の吹き通る窓枠に干物の如く引っ掛かり、横にもう一人。

 

「スカイブルーって、空の憂鬱とでも訳すべきやろうか」

「マリンブルーは海の憂鬱か」

 

海と空が見える窓際で、瀬戸際ギリギリの会話を交わす提督と龍驤。

 

「ネイビーブルーは軍隊の憂鬱」

「物凄く説得力の在る翻訳だな」

 

何か窓枠に引っ掛かる互いの背中から、視認できそうな瘴気が吹き上がっている。

 

「シャインブルーは輝ける憂鬱」

「自己主張激しいな」

 

何故か会話に、時限爆弾の針が進むような微妙な切迫感が在る。

 

「司令官は何ぞ無いかー」

「マタニティブルーとかー」

 

色では無い。

 

「妊婦の憂鬱って、そのまんまやんけ」

「まあ色を見せられて、マタニティブルー言われても困るよな」

 

もはや互いに、何を言っているのか微妙に把握していない気配。

 

「後は何だ、ネイキッドブルーとかか」

「ああ、確かにウチの裸は憂鬱やな、見せられる側も含めて」

 

そして洋画のドラマの如き笑い声を漏らす互いと、その後に訪れる静寂。

 

もはや特型と金剛姉妹、ついでの夕立は忙殺に殺されて骸と化し、

利根筑摩と大淀は熱暴走からの限界突破で入渠している。

 

「ブルーフィールドは憂鬱の世界……か……」

「板子一枚、上下に憂鬱やな」

 

力無く龍驤が応えたが、何の反応も無い。

 

「―― 司令官?」

 

返事は無い、ただの過労死の様だ。

 

戦士の死に様が其処に在った。

 

一足先に涅槃へと旅立った笑顔の横で、最期の一隻と成った龍驤が

残る力の全てを振り絞り、魂魄の奥底からの咆哮を響かせる。

 

「く……そ、暑いんやああああぁ……」

 

末期の叫びを拾う者は無く、そして力無く窓枠からずり落ちる成れの果て。

 

とかく此の世は憂鬱が多いと人の言う。

 

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