海原を切り分けるかの如く、航跡が伸びる。
現在、演習海域に在る艦は4隻。
等速に列をなすのは陽炎と不知火、全速に駆け回るは島風と天津風。
散発的な砲声が、互いの至近に水柱を立て続ける。
2隻の組が占有していた二つの海域、場とでも言うべき空間の一面が、接した。
相対する陽炎と、島風の距離が縮まっていく。
陽炎型とは艦隊決戦に特化した駆逐艦であり、その本分は肉薄雷撃に在る。
対し島風は僚艦を守るため敵機銃を一身に受け、爆散するまで走り抜けた艦である。
互い、ここぞと言う局面に於いて、避けるなどと言う発想を持ち合わせては居ない。
互いの砲火の回避に揺れながら、二つの航跡が正面から接しようとした、その時。
陽炎が、道を譲った。
在り得ない行動故にこそ、刹那、島風の背骨に冷たい物が走る。
考えるよりも早く、艤装の駆動を消魂しい音を立てて制動。
曲がる。
間に合わない。
何の躊躇いも無く、その腕を海面に突き込んだ。
「見様見真似秋津しいたたたたたたたたたあッ」
全速稼働の最中に引っ掛けた海面は、骨をへし折らんばかりに抵抗を伝え、
その細い腕に引かれるように、曲行の弧が小さな円を描く。
僅か、踵を削る様な至近を雷跡が走り抜けた。
陽炎の後ろ、魚雷を射出した不知火が小さく舌打ちを響かせ、砲を構える。
「させるかぁッ」
急激な制動で減速の極みに在る僚艦と、砲手の隙間を縫う様に天津風が吶喊した。
そんな演習風景を、埠頭からのんびりと見つめている艦が2隻。
教導の神通と、簀巻きである。
「何でウチ、簀巻かれとんのかな」
先程に突然問答無用と二水戦組に簀巻かれた俎板が、疑問を口に出せば、
問われた主犯は涼しげな顔で頷いて、応えた。
「島風組が勝てば、龍驤さんを部屋に放り込むと約束しました」
「わあ、その場合ウチってどうなるんやろ」
返答は無く、龍驤の頬に冷や汗が流れる。
「陽炎組が負ければ、龍驤さんを部屋に放り込むと脅しました」
「神通はウチに何を期待しとんのかな」
たおやかな笑顔で、頑張ってくださいと心からの激励が在った。
龍驤さんなら大丈夫ですよ、あれおかしいな、日本語通じているはずやのに
何や意思疎通ができとらん気がする、またご謙遜を、聞いてウチの魂の声。
「つか、陽炎組が負けたら島風組の勝ちやろ、条件ダブッとるやないか」
そして当然の疑問に辿り着けば、突然の静寂。
静かに空を見上げる神通の横から、簀巻きのままに見上げるは無音の世界。
「龍驤さんなら、きっと何とかなります」
「何やろう、神通の信頼が重い」
遠い目をした景品の向こうで、海上に爆音が響き続けていた。
『怠惰は常に功を奏す』
提督が静かに杯を傾ける、深夜の居酒屋鳳翔の厨房に、
二つ括りの小柄な航空駆逐艦が居る。
「まあ、アヤツは水雷戦隊にすこぶるウケが良いからのう」
だが胸が在る、白露型程度には。
吶喊馬鹿じゃからなと苦笑を零す本日の料理人は、利根であった。
吾輩もそう捨てたものでは無いんじゃぞと語りながら、
手頃な野菜などを飾り切りして肴とする姿には、迷いが無い。
「の割に、重巡洋艦にも揉みくちゃにされていたが」
「ああ、高雄型姉妹じゃな」
朝方に訪れたタウイタウイからの遠征艦隊の重巡4隻、
高雄、愛宕、鳥海、摩耶の4姉妹に囲まれ、死人の顔色で
油をとられる蝦蟇の如くと無抵抗な、休暇中の軽空母が居たと言う。
「普段の
「何か副音声が付いてなかったか、今」
要するに、タウイタウイを飛び回るソードフィッシュ案件であった。
「まあ、あやつらは艦の頃から姉妹仲が良いと言われるほどでな」
たまに遭遇した姉妹艦の出港時などには、乗員総出で見送りに出たほどである。
そして、強大な山脈に埋葬されていた俎板を思い出しながら、
仲が良いとは姉妹の連携の事かと、提督が合いの手を入れれば、
それだけでは無くと、利根が補足を継ぎ足した。
「ほれ、龍驤は巡洋艦をベースに設計されとるじゃろ」
鳳翔から始まる航空母艦の系譜は、基本的に巡洋艦の延長として設計を重ねている。
大型化した軽巡洋艦を素体として設計された鳳翔に次ぎ、
戦力化を主目的とした龍驤は、重巡洋艦をベースに設計された。
具体的に言えば、青葉型の船体に高雄型の内装が入っている。
「言ってしまえば、高雄型5番艦の立場に在る空母なわけじゃな」
爆、爆、爆、爆 ―― 板。
言葉を受け、朝方の姉妹5隻の在り様が提督の脳裏に思い返された。
「しかもほれ、例えば不具を抱え余所に養子に行った末っ子がじゃな」
「抱えてるなあ」
そっと提督の眦から零れた水滴は、きっと心の汗であろう。
「その家で俯仰不屈の努力を重ね、家中に二つと無いとまで名を上げた」
最凶最悪の欠陥空母にして、航空母艦随一の大武勲艦。
ステイツに最大被害を与えたキャリアーよ、とはアイオワの談である。
「可愛がるじゃろ」
「可愛がるな、それは」
辿り着いた結論に、自然な同意の声が重なった。
確かに、姉妹愛がストップ高になりそうなシチュエーションである。
「衣笠が懐いているのも、多少は姉妹愛が混ざってるのかねえ」
「青葉は、あんな妹抱えたくありませんとか悲鳴をあげとったがの」
言葉を受け、青葉型姉妹と並ぶ龍驤の姿が、提督の脳裏に浮かぶ。
―― 貧、豊、板。
「……謎は全て、解けた」
「確かに……乳量と好感度が比例しておるな」
辿り着いた真実はカウンター越し、そっと目を逸らす互いを作り出した。
無言のまま黙々と野菜の飾り切りを続ける利根に、
話題を変えようと話を向ける提督の言葉が零れる。
「何て言うか、慣れたもんだな」
「こう見えて吾輩にも、主計あたりに名の在る料理人に成った者とかが居てな」
戦後に辿り着いた艦と言う事は、多くの乗員が戦後を過ごしたと言う事でもある。
「普段は筑摩任せなのじゃが、まあたまには良いものじゃの」
そう言って、綺麗に飾られた野菜に味噌を添えてカウンターに置く。
「そう言えば、料理する割に龍驤のその手の逸話は聞かないなあ」
「鳳翔と赤城に挟まれて、悪い話が出ないと言うあたりで既に大概じゃがな」
海軍屈指の料理上手と共に在り、一切の悪い話が出ないと言うのは快挙ではある。
現に同じ立ち位置であった加賀などは、ボロクソにコキ下ろされている。
「まあ、龍驤の場合は料理云々よりも優先してツッコむ点が多すぎたしのう」
曲がったら天井から水平線が見えた艦、最早料理の味がどうとか言う話では無い。
そんな会話に、そういえばアレじゃなと思いついた風情が見えた。
話を促す提督に、先程に龍驤は高雄型と言ったがのと、言葉を継ぐ語り手。
「正確には、龍驤の内装が改高雄型なわけじゃが」
改高雄型には、特筆すべき特徴が一つ存在していたと言う。
「何かの装備の話、ってわけでは無さそうだな」
「装備と言えば装備じゃが、まあつまりは新型の厨房じゃ」
航空母艦龍驤にて初めて備え付けられた新型の厨房設備は、極めて評判が高い。
「以降の設計の大型艦、全てに採用されたほどにな」
もちろん吾輩も、龍驤由来の厨房が内臓されておったと苦笑が出る。
「料理上手とは言うが、特に器材を上手く使うあたり」
そのあたりが理由やもしれんのうと、しみじみと言葉が締められた。
「さてと提督よ、何ぞ食いたいものでも無いか」
会話にかまけて杯の乾く間が出来たと、苦笑を零しながらの店主の水向けに、
少しばかり考えた末に、無理なら良いがと控えめな声色の言葉が在る。
「家で食うような、決して美味いわけでも無いラーメン」
「また何と言うか、不味飯会寸前な気配の品目じゃな」
締めの一杯と言った所かとの受けに、まあそんな物かと杯を干し応える。
「ほら、日本食の店で普通のラーメンは食えるけどさ」
自炊で作る様な安っぽい代物が無いと語った。
「安い中華麺に適当なタレ、キャベツ程度の手軽な野菜と言った所か」
「あー、そんな感じそんな感じ」
湯を沸かし、中華鍋をコンロに掛けながらに会話が続く。
「困ったの、高い麺しか置いておらん」
手に取った、食材のカウンター内を漁って見つけた半生の縮れ麺を戻しながら、
少しばかり困った風情を見せる調理担当の独白が漏れた。
無理なら適当な麺で良いとの気を使った提督の言葉に、
僅かに迷う思考の間と、少しばかり悪戯染みた声色の返答が在った。
「ふむ、ならばひとつ吾輩の魔法を見せてやろう」
魔法と来たかと受ける言葉に、ほれ魔法の粉と何やら取り出す厨房の魔法使い。
「マジカル炭酸水素ナトリウムじゃー」
「ただの重曹だそれッ」
利根が何の躊躇いも無く沸き立った鍋にマジカル重曹を叩き込めば、
当然の如く発生した気体が泡と成って鍋の上に蓋を作り出した。
「まあ要するに、中華麺とはかん水を練り込んだ小麦麺なわけじゃな」
言いながら、鍋の中に真っ直ぐな乾麺を放り込む。
「アルカリ性じゃから、小麦粉のフラボノイドが麺を黄変させるわけじゃ」
とは言え実際は、気持ち黄色くなる程度である。
一般に流通しているやたらと黄色い中華麺は、卵または
クチナシ色素などを練り込んで全力で黄色くしている。
そして泡の出続ける茹で鍋を軽く混ぜながら、横の中華鍋に野菜を炒め、
適当に大蒜と薬味、各種調味料を放り込んで味を調える。
「あと溶液に溶け出したグルテンが、麺のでんぷん間に広がり膨潤を妨げる」
膨らまなかった澱粉は麺に柔らかさを与える事が出来ず、硬く締まる麺と成る。
鍋の油の跳ねる音の中、焦げた薬味の香ばしい香りが室内に満ちた。
そんな高火力に急ぎ火が通った中華鍋に、雑に水を入れて野菜を茹で揚げる。
「結果として、黄色くコシの在る麺が出来上がるわけじゃが」
最後に味噌を溶き、出来上がったスープを器に移す。
「つまりじゃな、パスタを重曹で茹でたら同じ事じゃ」
反応してから茹でるか、茹でながら反応するかの違いでしか無いと語りながら、
茹で上がった麺の水切りぬめりを取り、味噌スープの中に放り込んだ。
「ほれ味噌ラーメン」
「何か目の前で錬金術を見せられた気分だ」
雑に作ったから美味いわけでも無いと、酷い言葉が厨房から添えられる。
かなり手間が在った様に見えたがとの客の言葉に、軽く首を振る料理人。
「味噌は良いのう、適当に割っただけなのに飲めるものに仕上がる」
龍驤ならばガラ出汁で割って、醤と自家製味噌ダレを使いかねんと笑った。
アイツは何処を目指しているんだと頭を抱える提督に、重なる様な苦笑が続く。
「うわー、何か普通に中華麺だよコレ」
「もともとは以前、大使館の連中に聞いた話でな」
東南アジアではまだ何とかなるが、さらに奥、中華麺が入手できない様な地域で
無性にラーメンが食べたくなった時に役立つ小ネタじゃとかと、語る。
粗く鍋に焦げた薬味と味噌の香りが、深夜の鳳翔に漂っていた。
(TIPS)
―― 阿修羅
否定の意味の「a」を頭に持つ、非天などと訳される悪神と貶められる。
仏教に於いては阿修羅王が仏法守護神として八部衆に数えられ、修羅道に於いて
果報が優れていながらも悪業も背負う者が、死後に阿修羅と化すと言う。
とは言え単純に、闘神、荒ぶる神としてその名が語られる事が多い。
そして日本海軍に於いて、唯一にその名を掲げる事が許された武勲艦。
白露型駆逐艦4番艦「阿修羅」夕立
「ぽーい……ぽーぃ」
「こっちも終わったわよ」
戦意を獣の如き気配と化して、大気に排出していた夕立の後ろから掛かる声。
涼し気な風情で航跡を描くのは、銀色の髪の特型駆逐艦、叢雲。
海域に金銀と、対に成る2隻の駆逐艦が寄り添った。
歩幅にすれば、一歩の差だと言う。
動くべき時に踏み出す事が出来るか出来ないか、ただそれだけだと。
ただ一歩前に踏み出せば、敵の攻撃は背中を過ぎる。
ただ一歩早く砲を撃ち込めば、回避される前に当てる事が出来る。
速度など、攻撃を避ける程度に在れば良い。
火力など、装甲を抜ける程度に在れば良い。
何かがおかしい、そんな言動を有言実行で示した2隻の足元には、
土座衛門と化した陽炎隊4隻の駆逐艦が、魂を吐きながら揺蕩っていた。
死屍累々の海域の手前、埠頭には簀巻きを担ぎ上げる2隻。
ハイライトの消えた瞳で簀巻きを担ぎ上げるのは、吹雪と綾波。
裾の乱れるも構わず豪快に、白い物を覗かせながら荷物を運んでいく。
「短い休暇やったー」
炎天の埠頭に、執務室に連行されていく秘書艦筆頭の声が響いた。