水上の番外編   作:しちご

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ずいかくびより

瑞鶴の視界には、綺麗に伸びた加賀の背中が見えている。

 

朝方の空母寮の廊下は、夕刻から深夜にかけての魑魅魍魎めいた百鬼夜行な

普段の雰囲気は欠片も無く、どこか静謐な、清浄が朝の空気を纏っている。

 

「シュレディンガーの龍驤と言うものがあります」

 

おもむろに、前を歩く正規空母が口を開いた。

 

「さきほどの食事の食材は、龍驤の部屋から拝借してきたのですが」

「突然に知りたくなかった衝撃の事実を口にしないでください」

 

言葉を交わしながら一室の前に立ち止まる、扉には話題の軽空母の名。

 

「猫耳をつけた龍驤が、上目遣いにゴロゴロと喉を鳴らしながら、

 もう加賀は仕方ないにゃあ、許してやるニャンと言ってくる可能性が50%」

「どうしよう、このヒト言動に迷いが無い」

 

固まった表情のまま加速度的に表情を青くする平たい方に、

大丈夫、わきまえていますよと苦笑を乗せて答える豊かな方。

 

「普段通りの龍驤が、むしろお代わりは要るかと聞いてくるのが50%」

「加賀さん、実は現実逃避していますね」

 

よく見れば加賀の視線は明後日の方向を向き、冷汗が頬を伝っていた。

 

「日々が殺伐とした私たちだからこそ……夢を、見る事を諦めてはいけません」

「そういう言葉は、もっと別の場面で聞きたかったです」

 

あの暴虐軽空母が猫耳をつけてあざとい言動をするなどと言う奇跡は、

よく考えたら毎年クリスマス時期にやっていたわと想到し頭を抱える瑞鶴。

 

「まあそんなわけで、いざ猫耳です」

「え、いつのまにか妄想が確定事項の様に語られてる」

 

そして扉を開けて。

 

 

【挿絵表示】

 

 

扉が閉まる。

 

無言であった。

 

滝の如く流れる汗を互いの頬が感じる。

 

僅か、加賀が頷き口を開いた。

 

「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームでしたね」

 

的確な言葉が、地獄めいた響きを持って空母寮の廊下に響く。

 

瑞鶴が何かを受け答えする前に、既に加賀は身を翻し、

吹き飛んだ扉に強打された瑞鶴の記憶は其処で尽き ――

 

 

 

『ずいかくびより』

 

 

 

航空母艦瑞鶴の朝は少し早い。

 

特に決められているわけでもないが、それでも長年の習性と毎朝に

誰かが吹いている起床喇叭の音を聞く程度、数分早く目を覚ます。

 

5番泊地の起床時間はかなり緩い。

 

軍隊と考えればあまり褒められた事では無いのだろうが、

秘書艦組をはじめにした連勤地獄や夜戦狂、工廠などの時間外労働、

 

どうにもしっかりと時間を守ると言う事に無理が在り過ぎる面子が

群れを成して泊地を構成している以上、仕方の無い事と黙認されている。

 

何はともあれと床を片付け鍋を火に掛ける。

 

一合の飯を水に入れ、塩をひとつまみ。

 

軽く背筋を伸ばし肩を回し、粥が炊き上がる前に雑事を片付けようと

制服などを着替える段に至る頃に、来客が部屋に姿を見せた。

 

「また貴女は、そんな粗食で済ませようとして」

 

そう言って眉間を抑えるのは、道着の襟元も涼し気な正規空母、加賀。

 

いや、朝はそこまで手間かけれませんよと言い募ろうとする後輩の

眉間にズビシと手刀を入れつつ、持ち寄った食材を取り出す先達の姿。

 

粥に具と香の物、卵焼きと味噌汁が付いた。

 

 

 

そして朝の喧騒から意識を取り戻し、入渠ドックから出る一隻。

 

何か簀巻きからオーバーキルされたあげくにフォールされた様な気がするが、

思い出してはいけないと魂が訴えているので思い出さないことにする。

 

「瑞鶴せんぱーいッ」

「のぐぉッ」

 

直立する飛行甲板に雲龍型航空駆逐艦が激突し、その背骨をミシリと鳴らせた。

 

詰まる所、瑞鶴に吶喊した葛城である。

 

そのまま脇にある頭を抱え込み、頭蓋骨固めでタップを奪うまでに僅か2秒。

瑞鶴の見せた先達の意地と言うべきか、葛城の頬が少し嬉しそうに緩む。

 

「あんたは、少し落ち着きなさいよ」

「すいません、思う様に動く身体ってのが嬉しくてつい」

 

何で朝からドックに居るんですか、ちょっとねなどと他愛の無い会話。

そうこうと言葉を交わすうち、緑色の三女が話に出る軽空母の事へと疑問を見せた。

 

「何かやたら雲龍姉が懐いていますけど、どんな空母なんですか」

「龍驤さんかー」

 

少しばかり言いよどみ、思索に入る。

 

かつてソロモン海で龍驤が沈んだ後、その乗員を引き受けたのは

主に翔鶴と瑞鶴であり、乗員の重複がもたらす記憶の共有は多い。

 

そう、目を閉じれば思い出す、瑞鶴乗員の龍驤での思い出。

 

夜間、墨一色の暗闇の中の発着艦訓練。

 

解決策は気合。

 

悪天候下の発着艦訓練。

 

せっかくなのでバランサーを切って余計に揺らしてみました。

 

休み? 何の事や。

 

無理と言うのは嘘吐きの言葉なんや。

 

発艦、着艦、そして発艦。

 

数の合わなくなる同僚。

 

着艦。

 

龍驤の部品と化していく自分。

 

発艦、着艦、牛乳飲んで発艦、着艦。

 

発艦、着艦、発艦、着艦、日が沈んでも発艦、着艦、

発艦、着艦、発艦、着艦、日が昇っても発艦、着艦、

発艦、着艦、発艦、着艦、発艦、着艦、発艦 ――

 

「ヤメテクダサイムリデスシンデシマイマスイヤマジデヤメテマッテシヌホントニシヌカラ」

「先輩ッ、瑞鶴先輩ッ」

 

犠牲者が正気を取り戻すまで、暫くの時間が必要であったと言う。

 

 

 

帰投の後に負傷艦をドックに叩き込んで後の隙間。

 

特に時間をとられる事も無かった瑞鶴が、少しばかり遅めの夕餉に、

質素な内容を思いつくままに動こうとして、はたと止まる。

 

朝に怒られたばかりだったなあ、と。

 

ならば贅沢をと考えて、何も思いつかない自分に愕然とする。

 

かつての大戦前には、贅沢を極めた様な乗員もそれなりに確保していたはずだが、

どうにも欲しがりません勝つまではなど、晩年の意識ばかりが先に立つ。

 

余所の私はどうなのだろうか、ちゃんと贅沢を出来ているのだろうか。

 

というかそもそも、粗食の何が悪いのか、質素倹約は美徳であるべきだろう。

 

「よし、麦飯にしよう」

「待ちなさいよ、このお馬鹿」

 

すぱこんと、瑞鶴の決意の言葉は、後頭部への打撃を伴って誰かに阻まれる。

 

振り向くと豊かな肌色を僅かな面積の青い水着に包む軽巡洋艦と、

首根っこを引っ掴まれて連行されている防空駆逐艦。

 

麦飯は正義だよとの初月の雰囲気に、そうよねと同意の視線を返す瑞鶴へ、

極めて大きい溜息で意志を表示する、五十鈴の姿がそこに在った。

 

「あんたを一航戦と慕う艦も多いんだから、少しは贅沢に慣れなさいよ」

 

どうにも上が質素だと下が気を抜けないと。

 

つーか初月あたりが水と麦粥だけで過ごそうとかすんのよと、補足が入る。

 

現状を把握して頭を抱えてしまった瑞鶴と、連れ合いに成った2隻の間に

幾らかの会話が重なり、とりあえず鳳翔さんに丸投げしようと言う話に成った。

 

夕映えに泊地が染まる。

 

影が揺れる。

 

「何でこいつと友達やってんだろういつか爆撃してやるこの脂肪の塊が」

「出てる、思い切り口に出てるからッ」

 

益体も無い会話を重ねながら、ドイツの四月馬鹿用に作られた

捕獲された火星人の如きシルエットを伸ばす3隻の艦。

 

そうこうして辿り着く居酒屋鳳翔は、見るからに愁嘆場で。

 

「何で、何でいつも貴女がそこまでしなくてはならないんですかッ」

 

鳳翔の悲痛な叫びを受け、顔を背け、

しかし決然とした視線のままに龍驤が答える。

 

「ウチら艦娘やからな、征かなならんのや、征くべきところに」

 

会話だけをとればそれなりに深刻な雰囲気ではあるのだが、

包丁と玉葱を押し付けようとする鳳翔と、拒否の構えの龍驤。

 

水を張ったタライが置かれているあたり、仕込みの最中と言う話で。

 

「いいから厨房に入れと言う副音声が聞こえるわね」

「それは聞けん話やなあと言う心の声も聞こえるわね」

 

瑞鶴と五十鈴の座った視線の言葉の狭間に、刻一刻と増していく

何か瘴気染みた気配を感じた初月が、少しづつ顔色を無くしていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

とりあえず3隻、目立たぬ様、なるべく物音を立てない様に気を付けながら

ジリジリと後退り、距離を取ろうとする光景が在った。

 

 

 

そして困る。

 

何やら大掛かりな仕込みをしている鳳翔さんも大変そうだし、

どうにも夕食3人前と言っても、作っては貰えるだろうがと。

 

空腹の3隻が、少しばかり気の引けた気配を滲ませる。

 

「いっそ、作るか……五十鈴が」

「ここは作るべきね、瑞鶴が」

 

初月の頭越し、保護艦2隻がそっと互いに押し付けようとする。

素晴らしく爽やかな笑顔を交わしあう、美しい光景が其処に在った。

 

そして、静寂。

 

「―― どうやって」

 

その言葉はどちらのものであったのか。

ただ、通夜の如く沈痛な空気だけが夕闇の敷地に蔓延した。

 

鉛でも流し込まれたかの様に重くなる空気の中、瑞鶴は自問する。

 

何と言うか粥を作るのが限界。

 

焼くか、それとも焼くか、焼けばとりあえず食えるだろう。

 

いや待って、私の乗員の主計成分は何処行ったのよ。

え、何、死んでまで働きたくない、さもありなん。

 

視線を五十鈴に向ければ、死んだ魚の様な瞳で覗き返された。

 

お前もか。

 

 

 

そして夜半の居酒屋鳳翔。

 

カウンターに座る初月の髪がピコピコと嬉しそうに動き、

並んで座る3隻の前の食事が消費されていく。

 

紅色の魚の切り身からは香辛料の香りが漂い、米に合いそうな気配。

 

 

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言葉も無く、笑顔で白米を消費する秋月型の左右で、

悲痛な顔色で、それでも箸だけは止まらない2隻の艦が居る。

 

「作ったのが川内と言うとこだけが納得いかないッ」

「ちくしょおおおおおおぉぉぉッ」

 

以前龍驤に、戦国武将並みの女子力と評された2隻の叫びが夜に木霊した。

 

 

 

翌日の支度を終え、床を正す瑞鶴の夜。

 

米と塩の残量を考え、朝方の喧騒を思い出し、

せめて香の物ぐらいはと確認をしてから、消灯を待つ。

 

僅かな余暇を得た夜の底で、思い浮かべたままに思い出す光景が在る。

 

いつかの入居ドック。

 

朝にも生死の境を彷徨わせていた2隻の演習の後の、会話。

 

目を覚ますとそこには加賀さんが居て、そっと抱きしめてくる。

ただ素直な謝罪の言葉が在り、連なる言葉が贈られた。

 

―― 瑞鶴、貴女は善くやりました

 

その時、ストンと自然に胸へ落ちたものが在る。

 

嗚呼、私はこのヒトから、この言葉が欲しくて此の海に戻って来たのだと。

 

だから、不甲斐無い私たちを責めて良いのだと。

そんな事を言う彼女と、互いに謝りあう様な可笑しな時間が在り。

 

気が付けば今に繋がっている。

 

「ああうん、何かなあ」

 

誰もいない部屋に、自分の言葉だけが響いた。

 

「ズルいなあ、あのヒトたちは」

 

苦笑の混ざった言葉が消えた頃、寮の灯りが静かに落とされた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

瑞鶴の視界には、綺麗に伸びた加賀の背中が見えている。

 

朝方の空母寮の廊下は、夕刻から深夜にかけての魑魅魍魎めいた百鬼夜行な

普段の雰囲気は欠片も無く、どこか静謐な、清浄が朝の空気を纏っている。

 

「しばらく、龍驤が不在と成りました」

「忙しいヒトですよね」

 

言葉を交わしながら一室の前に立ち止まる、扉には話題の軽空母の名。

 

「つまり、龍驤の保管している食材が食べ放題と言うことです」

「加賀さんは、何でそこまで豪快に命を投げ捨てるんですか」

 

疑問への返答は無く、当然の様に合鍵、既に4度の没収を経て5代目を使い

自室を訪れるが如くに堂々と扉を開け放つ青い一航戦。

 

 

【挿絵表示】

 

 

そして静かに扉が閉まる。

 

爽やかな朝の空気の中、僅かな静謐が生まれた。

 

「……何かダウナーな座敷童子が居たんですが」

 

的確な言葉が陽光に照らされる廊下に響く。

 

言葉は無く。

 

龍驤さんの部屋の合鍵はどれだけ流通しているのだろうかと、

微妙にズレた疑問を心に思い浮かべる瑞鶴であった。

 

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